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第二十六話:商人貴族、来訪す

 館の正門を開けると、そこには豪奢な馬車が停まっていた。黒金の装飾が施された車体は洗練されており、馬の代わりに繋がれているのは魔界特有の四脚獣——影走シャドウホースだった。闇に溶け込むような漆黒の体毛を持つそれらは、揺れる炎のような目で静かに館を見つめている。


「ほう、これはこれは……話に聞いていたが、まさか本当に農業を営んでいるとはね」


 馬車から降り立ったのは、赤い衣を纏った壮年の魔族だった。燃えるような紅の髪に切れ長の金色の瞳。その唇には余裕を漂わせる笑みが浮かんでいる。


「お前が元勇者で、今は館の主だという男か?」

「……ああ、そうだ」


 セリオは相手の気配を探るように視線を向けた。

 魔界の経済を掌握する商人貴族、ヴェルミリオ・ゴルトラート。商会を複数束ねる彼は、膨大な資産を背景に貴族社会の中でも強い影響力を持つ人物だ。


「ヴェルミリオ・ゴルトラート。私の名は聞いたことがあるだろう?」

「少しだけな」

「ふむ、ならば話は早い。私はな、どうにも珍しいものが好きでね」


 ヴェルミリオはゆっくりと館の敷地内へ足を踏み入れた。周囲に広がる畑を見回しながら、金色の瞳を楽しげに細める。


「魔界の中でもこんな辺鄙な場所で、しかも元勇者が土を耕していると聞けば、興味を惹かれぬはずがない」

「物好きだな」

「商人とは、誰よりも先に価値を見出すものだからな」


 ヴェルミリオはにこやかに笑いながら、畑の近くに生えている夜光豆の蔓に触れた。莢が淡い光を放ち、その輝きが彼の指先を照らす。


「ほう、これが例の夜光豆か。魔界では希少な農産物だな。しかも……驚いた。魔力の濃度が安定している」


 セリオは無言のまま相手の様子を観察する。ヴェルミリオは見た目こそ余裕に満ちた紳士然としているが、その仕草や言葉の節々には、鋭い洞察としたたかさが滲んでいた。


「貴様、ただの農業目的でこれを作っているわけではあるまい?」

「どういう意味だ?」

「この豆、加工すれば魔力増幅剤にもなる。魔導士どもが喉から手が出るほど欲しがる品になるだろうよ」


 ヴェルミリオは楽しげに笑った。


「お前の作物には商機がある。私は商人として、それを見過ごすことはできない」

「……それで、何をしに来た?」

「決まっている。取引の話をしに来たのだよ」


 ヴェルミリオは悠々と腕を広げ、堂々とした態度で続ける。


「貴様の作物を、我が商会が買い取ろう。もちろん、それ相応の利益を約束しよう」


 セリオは無言で相手の言葉を噛み締めた。農業を続ける上で資金は必要だ。ヴェルミリオとの取引には確かにメリットがある。しかし、相手は魔界随一の商人貴族。利益になると見れば、どんな手でも使う相手だろう。


「考えさせてくれ」


 セリオの返答に、ヴェルミリオはニヤリと笑った。


「よかろう。焦るつもりはない」


 そう言いながら、彼は懐から黒革の袋を取り出し、セリオへと投げた。


「これは?」

「取引を持ちかける際の礼儀だ。開けてみるといい」


 セリオが袋を開くと、中には魔界の硬貨と、見たことのない銀色の結晶が入っていた。


「その結晶は精魔石。高濃度の魔力を蓄えた希少品だ。お前の館にも役立つだろう」

「……気前がいいな」

「商談が成立すれば、私の利益にもなるからな」


 ヴェルミリオは余裕たっぷりに微笑み、手袋をはめ直すと、馬車へと戻る準備を始めた。


「では、私はここで失礼しよう。また近いうちに返答を聞かせてもらうぞ」

「…………」


セリオは去っていく馬車を見送りながら、手の中の精魔石を見つめた。


 この男——決して侮れない。


 だが、それと同時に、この出会いは決して悪いものではない。そう直感していた。

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