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便箋小町  作者: 藤光一
第一章 河童編
7/33

7出張先はおまかせを

 M市は僕の自宅から電車でおよそ一時間ほど離れた場所に位置する。事務所と真逆の方向ではあるが通勤時間としては、然程変わらないので苦ではない。都心からは少し遠ざかったM市は、人口もそこまで多い訳では無い。それ故に朝の通勤ラッシュも乗客は少ない方だ。運が良ければ座席に座る事も出来るし、乗り換え無しの一時間なのでちょっとした睡眠も取る事が出来るのは嬉しい。まぁ、それも慣れればの話ではある訳で、出張所初日は流石に苦戦を強いられたのだ。何を隠そうこの悪魔を連れて、電車での移動時が特に酷かった。チップは、そもそも交通機関というモノを使った事が無かったのでどれも衝撃的だったようだ。まるで異世界人がやってきたようなリアクションを見せる始末は、中々に大変だった。


 まずは切符売り場にて。自動音声でアナウンスする券売機に向かって、怪訝に構えながら睨む。「こいつ喋るぞ!」と喧騒した表情で僕を捲し立て、健気に案内するタッチパネルに恐る恐る触れていた。路線図を見たと思えば、その目紛しい迷路のような路線を見て狼狽えてしまったのか震えながら。「なんだ、この迷宮は⁉︎どこのダンジョンマップだ‼︎」などと怯えてしまう。改札口では、改札の通り方を知らなかった事もあって切符を通さずゲートを潜ろうとした際。進行を妨げるドアが勢い良く胸部を直撃し悶えながら、「て、手形はあるだろう・・!な、なぜ通さねぇ‼︎」と怒り出しながら、悶えていた。手形ってお前・・・。もうこの時点で滅茶苦茶こっちが恥ずかしい。駅のホームで電車を待っている際も通過していく快速電車を見るや否や、突然叫び喚き散らかす。「おいっ!鋼鉄のワームか⁉︎しかもデケェ図体したワームが、むちゃくちゃな速度で走り回ってるぞ‼︎しかも、おい、見ろ!人を腹にため込みながら!」と、電車に向かって指を差していた。「あれに乗るんだぞ、僕らは。」と回答したら、伸ばした腕は力を失い空が落ちてきたような青ざめた表情をした。電車に乗る際が特に酷く、ドアの端にがっしりと掴まり出して声を更に大にして喚き出す。「嫌だ!まだ死にたくないッ!あの時の事はあやまるからーーッ‼︎出して、出してくれーー!」と交差する人の流れを物ともせず、大声で懇願した時は、流石に恥ずかしかった。あの時のってなんだ。こいつ、僕の知らないところで何か悪戯したのか。後で問い詰めてみよう。乗っている間も、落ち着かない様子で座席の上で普段はしない正座をしながらプルプルと身体を震わせていた。「まだか?まだ着かないのか。」と五分置きに確認をしてきて、終始涙目だった。


 そんなチップも三日目には慣れてきて、通勤の間はヨダレを垂らしながら寝ている程だ。習慣とは恐ろしい。時には僕のスマホゲームにまで手を出し、現代人らしい暇潰しを満喫するくらいだ。そういえば、この悪魔。こんな幼女みたいなナリにはなっているが、不思議な点はある。ふとそう思うように感じたのは、四日目の出勤時の事。電車に乗り、一時間の移動を過ごしていた時。丁度、僕が暇潰し程度でやっていたアプリゲームをやっている時に悪魔は話しかけてきた。


「おい、イサム。その板みたいな奴、いつも弄ってるけど何やってるんだ?」


 ひょこっとスマホと僕の間に割り込むようにチップは顔を覗かせた。不思議そうに僕の手に持つスマホに興味があるのか、横に並ぶようにスマホの画面を見つめていた。


「これは、スマホだ。んで今やってるのは、アプリゲーム。」


「ほぉー、これがゲームか!あれだろ?青いハリネズミがすげー走る奴とか、おっさん顔の人面魚と話したり。同じ色のスライムを消し飛ばす奴がそーだろ?」


 なんでお前の知っているゲームは、S⚪︎GAのゲームばかりなんだよ。しかも昔のやつばっかり。それ知っているの世代的におっさんとかになるだろ。まぁ、悪魔だし人間界の事も疎いのかも知れないか。


「まぁ、大体そんな感じなとこだ。今日は、ガチャの高確率アップ期間の最終日だからな。ちょっと引いてみようかなって思って、ログインしてみたんだよ。」


 今僕がやっているのは、所謂ソーシャルゲームの一つ。ガチャ等で手に入れたモンスターを引っ張って弾き、クエスト攻略を目指すゲーム。アクション性もあるので達成感も高いが、高レアのモンスターが居ないとクリアが難しいのも昨今の現状でもある。そう、今日は三ヶ月に一度の大抽選会イベントの最終日。そんな戦力が薄い僕のパーティには貴重な機会なのだ。この日の為に、検討に検討を重ねて検討する事を待ちがながら検討した事で貯めたガチャ石たち。今こそ、このダム水のように貯蓄した石達を大放出する時が来たのだ。


「ガチャ・・・?ログ?お前、日本語だけど日本語話してない時あるよな。」


 幼女は引きつった表情でこちらを見つめていた。そして、そのまま何食わぬ顔でスマホを取り上げ、コツコツと僕のスマホの液晶画面を指で弾く。


「まぁ、ちっと貸してみろ。このガチャってやつを押せば良いんだろ?」


「ちょ、ば・・・ッ!バカ、やめろ!何、勝手に引こうとしてるんだよ!」


 と、取り戻そうと手を伸ばした頃には時既に遅し。労いも計らいも何の感情も思いも込める事なく、仏頂面でガチャボタンをタップしていた。


「アホか、押さなきゃ始まんねーだろ?」


 眉を歪ませ、不機嫌そうな顔でスマホを返してきた。するとどうだろう。そのスマホの画面には、僕が今まで見た事の無い所謂誰もが憧れる確定演出の映像。煌びやかな七色の光が激しく輝き、画面を埋め尽くす。俗に云う十連ガチャと呼ばれるものを悪魔は引いた。そうして激しい確定演出の後に現れたのは、三体の最高ランクキャラ。ちなみにこのゲームの最高ランクキャラの抽選確率は一パーセント。それが連続に一度に三体・・・。その抽選確率は、更に低い確率となる。まさに神引きと云うやつだ。いや、この場合は悪魔引きと云うべきか。


「おい、おいおいおいおいおい!なんだこれ⁉︎お前、何をしたんだよ!」


 握り締めていたスマホは、わなわなと震えていた。そうか、こいつ元々は運を操る悪魔だったか。あれ、でも確か社長は能力を制御していたと云っていた気がする。


「そんなすげーのか、これ?よくわかんねーけど。」


「いや普通にすげーよ。ドン引きレベルのヤツだ。」


 思いもよらぬ悪魔引きにより潤った戦力。けれど、当の本人はこの現象について全く理解していない。それは、こいつの運を操るという能力が無意識に働いているのか。単に運が良かっただけなのか。詳細は定かでは無いが、仏頂面で鼻をほじる幼女は車窓を眺めながら呆けていた。



 と、そんな事もあった訳だが実際の仕事に関しては未だ依頼を拾えていないのが現状だ。特にここ数日は、終業報告が一番億劫で無意識に手汗が滲み出し震える毎日である。レポートを送信し終えた一分後には直ぐに電話が鳴り響き、社長の怒号が飛んでくる。ノイズ混じりの罵声が無秩序にも僕の携帯電話から炸裂弾のように響き渡るのだ。いつか携帯のスピーカーが壊れるんじゃないかと不安を抱いてしまう程で、毎晩耳鳴りが酷い。それもあって今日で五日目の通勤は、冷や汗が止まらなかった。良い加減ゼロ報告を脱したい。ノルマに追われるサラリーマンながらの焦りが胸を締め付ける。そんな青ざめた表情をしていたからだろうか。余程、心情が顔に出ていたのかチップに肩をポンっと叩かれて慰められる程だ。不甲斐無い。まさかこの幼女に同情されるとは思いもしなかったからだ。


 出張所と称したモノは、デパートにあるような催事場とは異っている。M市の駅前広間に用意されているのは、一見するとクレープ屋の移動販売キッチンカーである。事務所同様の結界が施されているのか一般の人には、ただのクレープ屋にしか見えないようだ。しかし、“ギフト”案件を抱えている者には別の物に見えると云うらしい。僕自身も高校時代にクレープ屋で、少しの期間だけではあるがバイト経験はある。生地からクレープを焼く動作も体が覚えており、数枚分のクレープ生地の失敗だけで済んだ。ただ、ここは経費削減を大きく狙ってなのか、クレープなのにトッピングが一切無いのは斬新だ。その分、通常のクレープ生地よりも厚みがあり、食べ応えだけはあるのが特徴でもある。案件が拾えなくても、このクレープの売上で底上げしようというのが見え見えだが意外にも割と売れている。トッピングフルーツ無しのオール五百円。売る度に罪悪感を抱いてしまうところだが。そのシンプルさ故か見栄えを意識しない人達には好評のようで、質素ながら味は確かだと唸らせている。この街の客層に合っているのか、僕が予想していた以上に利益は出ているのだ。


 肩書はクレープ屋の為、僕とチップはベージュ色のエプロンを羽織りながら動いている。僕が調理担当でチップが売り子担当と役割を一応分けて二人で切り盛りしているのだ。意外にもチップの売り子についてだが、ぶっきらぼうな口調とその見た目が好評のようだ。僕には良く分からないが、このギャップが良いようで特に女子ウケしている。たまに女子高生等に写真を求められるが、出来る限り断るようにしていた。仮にも便箋小町と云う歩く都市伝説がやっているので、ネットなんかに拡散したら後先が大変だからだ。当の本人は、相変わらず終始ムスっとした笑顔では写真を撮っても後悔するだけだろう。


「なぁ、お前さぁ・・・。」


 そんな新人ウェイトレスがこちらへ詰め寄る。両手を腰に当てて、不満げに話しかけてきたのだ。だらんと伸びたエプロンが風で靡かれている。ワンサイズ大きい大人用のエプロンでは、丈が長過ぎて裾が足のスレスレまで伸びていた。その格好が気に食わない、と云った感情を込めて詰め寄った訳ではないようだ。どうやら別の理由に何か不満があるようで、少し強まった剣幕で寄ってきた。


「顔は悪くねぇんだよ、うん。その目つきとか髪型をさ、どうにかならねーのか?」


 まさかこいつに見た目の指摘を受けるとは思っても見なかった。こいつだって人の事云えるか。髪はボサボサ頭だし、目はつり目で赤いし眼帯してるし。エプロンの下は、ダボダボの伸びた半袖のシャツにジーンズのショートパンツ。じゃあ、対する僕はと云うと誰もが羨むお洒落な格好かと問われれば、文句無しのノーだけど。確かに、学生時代から目つきが悪いとはよく云われていた。曰く、あまり目が見開いていないんだとか。僕自身は特に怒っている訳では無いのだが、そう見られ勘違いを引き起こすみたいだ。その勘違いのせいで、人付き合いは得意じゃない。いちいち弁明するのも面倒だから。見た目赤点コンビの侮辱のし合いは、実に見事なもので控えめに云っても醜いものだと思う。


「もっと、こう・・、伸びた前髪を上げるとか、その黒い髪を染めるとかさ、あるだろ?」


「ほっとけ。」


 まじまじと僕の顔を凝視し、ぶっきらぼうに改善案を提供し出した。生憎、少しくらい髪のセットくらいはしているんだよ。わりかし、この髪型で今は気に入ってるんだ。僕の返答に納得行かないのか、チップは頬を膨らませながら僕に指を突き差す。それでも暫くの間、キッチンカーの中心で不毛な議論の争いは続いていた。すると、僕らがそんな何気ない討論をしている中、どうやら物語の方から動き出したようだ。緩やかに突発的に。ずっと塞いでいた栞が抜かれ、次のページへと僕らを動かそうとする。その出来事はトタタっと、こちらへ近づく足音と共に軽やかなリズムを聞かせながらやってきた。大人の足取りとは違い軽快で、少年が公園を走り回るようなそんな足音がした。その足音のする方へ目を向けると、そこには帽子を被った少年がこちらへ近付いている事に気付く。ターコイズブルーの帽子を深々と被り、深緑の半袖に迷彩柄のズボン。歳は見たところ、十ニ歳かそこらかだろうか。やけに凄い汗を掻いているのは気になるところ。しかし駅前広間だというのに、親の姿は近くに見当たらない。一人でここに来たのだろうか。少年は迷う事無くこの臨時クレープ屋まで走り込み、クレープメニュー表の前で立ち止まった。ゼェゼェと切らした息を整えながら、膝に手を添えていた。


「君、どうしたんだい?一人?」


 勢い良く駆け込んだ少年に対し声をかけたが、僕の顔を見るや「ひっ!」と怯え出していた。そんなに僕の顔が怖いのか?目付きが悪い方だとはさっきも云ったけれども。ただでさえ深く被っていた帽子を、更に深く顔を隠すように塞ぎ込む。少年は何かを伝えたいのか、もじもじと身体をそわつかせていた。


「んー、迷子かな。」


 顎に親指を当て考えている横目に、チップはその異変の何かに気付き始めていた。目を細め、少年を凝視し鼻を尖らせる。まるで、犬が飼い主以外の匂いを察知したように身構えている。


「ある意味、まちがいじゃねーぞ。こいつはくせぇ。」


「こらっ、失礼だろ!」


 幼児の言葉に訂正を促したが、それでもこいつには何かに勘付いているのか考えは曲げなかった。チップは僕の言葉を払い落とし、僕を守るように右腕を広げながら小さく呟く。


「そうじゃねぇ、・・・生臭いんだ。」


 真紅の瞳が疑心暗鬼の眼差しで少年を見つめる。しんと張り詰めた空気がゆったりと纏い始める。生臭いってどういう事だ?僕には何も感じなかった。見たところは、普通の少年にしか見えない。特に気になる程の臭いを発しているとは感じないし、少なくともチップのように眉をひそめるほどではない。幼女にはその臭覚を感じ取れたのか、まるで生ゴミを嗅いだようなしかめた顔で少年を見つめていた。すぅっと息を吸い、チップは少年へと徐に近付く。何かを確認する為に、確信を得る為なのかゆっくりと。幼女はエプロンで手を拭き、そのまま右手を伸ばす。その動作には迷いは無く、少年の被っていた帽子へと触れる。そしてチップは帽子を掴み、奪い取るように取り上げた時だった。僕は漸く、その異様に気付く事となる。


「ギっ⁉︎」


「やっぱりな、イサム。」


 チップは、取り上げた帽子をこちらへと渡す。その帽子は汗なのかどうかわからないが、妙に湿っていると云うよりは雨にでも被ったかのように濡れていた。触れた指に水滴が付着する程だ。いくら気温が高いとはいえ、この濡れ具合は異常だ。付着した水滴は、ほんの僅かだが滑りを帯びていた。自然に出来た水と云うよりは、また少し感触が違う。生き物が分泌させる事で体表を覆うカエルのような粘膜に近いのかも知れない。いや、異様なのはそれだけでは無い。目の前に突如として現れたこの謎の少年自体に、違和感があったのだ。疑心から確信へと変わったのか、チップは親指を少年へと突き出し合図を送った。


「こいつは、“ギフト”だ。本業開始だぜ?」


 帽子を取り上げた刹那、そこには少年の姿は無く、代わりに異形の存在が佇んでいた。体格は少年の姿と余り変わらないが、全身は緑色で鱗のような物で覆われている。口は短い嘴、背中は亀のような甲羅、手足の指の間には水掻きのような扁平したヒレがあった。髪は茶髪、頭頂部には皿がある。皆が云うまでも無い、僕でも知っている“ギフト”だ。先程まで少年だった者は姿を変え、怯えるように佇む。いや、初めからこの姿が本当の彼なのかも知れない。彼が、“ギフト”と呼ばれる存在であるならば。


「ゴゴ、ギンゲンゴガギ?」


 河童の容姿をした少年が問いかけるが、明らかに言語が違う。何を云っているのか全然分からない。疎通出来ない事に気付いたのか当の河童も困惑していた。身振り手振りでジェスチャーを施すが、お互いやはり伝わらない。便箋小町に用があるくらいなのだから、こちらに敵意は無いのだろう。怯えながら必死にこちらへと何かを伝えようとしているのが何よりの証拠だ。何としても伝えたい。だからこそ、言語の壁は険しくもどかしい。しばしの間、何とか思いの丈を伝えようと方法を用いるが互いに一方通行が続くばかりだった。言葉の壁に手を焼いている最中、ふと出張する前に社長から預かっていた物を思い出す。古臭くも拳でもう一方の掌を叩いてしまったが、今は気にしない。僕は急いでキッチンカーへと戻り、車内にあったある物を取り出す。中に忍ばせていたのは、社長から預かっていた銀色のアタッシュケースだ。よくドラマなんかで観る、札束が大量に入ったアレを想像して頂ければわかりやすいと思う。何が入っているのかはよく分からないが、そのアタッシュケースは、想像よりもずっと軽かった。本当に、中に何か入っているのかと疑いたくもなる程だ。ケースを取り出した僕は、再び二人の近くへと戻る。そうして中身が空っぽにも近いアタッシュケースを開けてみると、そこにもまた珍妙な物が目に飛び込んだのだ。『便箋小町七つ道具』と書かれた紙切れが一枚。それとよく分からない道具と呼ばれた物が四つ。包装されら栄養ゼリー剤のようなもの、スイッチの無い懐中電灯、インクの無いボールペン。そして東を指す銀色のコンパス。七つ道具なのに、道具は四つ・・・。嫌味だろうか。社長が予め用意してくれた物で、“ギフト”と対峙した時に使えと云われ渡されたのだが果たしてどうか。七つ道具と書かれた紙切れの裏には、各道具の説明書のようなものが書かれていた。それも明らかな殴り書きで記されており、他人のメモ帳を見るような状態だった。紙切れに書かれた説明書を辿っていくと、こういった場合の対処にも想定されたそれらしいものを掴み取る。見た目は栄養ゼリー剤のような包装で飲み口があるタイプ。手のひらサイズで丁度握り込める程のフィット感。パッケージには『ほんにゃくゼリー・いちご味』と書かれている・・・。大丈夫か、色んな著作的に?


「イサム、それ何?ゼリー?マスカット味は、無いのか?」


「お前のじゃないし、無い物強請りしないの!」


 チップは物欲しそうな表情でこちらを、というよりはゼリーを見ていた。欲しがる悪魔を手で払いのけ、ゼリーの飲み口の蓋を開けた状態で河童へ差し出す。少し警戒気味だったが、その震える手で掴み取り少年はその口元へと持っていく。嘴を大きく開き、勢い任せで包装を握り込み一気にゼリーを押し出す。流し込むようにゼリーを口の中へと放り込んだ時、その味に気付いたのか大きく目を開く。そのハニーイエローの瞳を瞬きし、こちらへと振り向く。


「・・・い、苺の味だ。」


 先程の濁音混じりの声は微かに残るが、しっかりと言語は聞き取れていた。というか本当にいちご味なんだ・・・。そもそも何で社長はこんな物を持っているんだろう。普通のスーパーには勿論無いだろうし、どこかで仕入れた物なのだろうか。それとも社長が、自ら作っている?いや、変な想像をするのは今はやめておこう。この便箋小町七つ道具なるものを社長が作っている姿が頭に思い浮かび、思わず幻滅してしまった。料理も出来なければ、機械音痴な彼女にそんな芸当が出来るとは思えなかったからだ。自信満々にカップ麺を料理と称して提供するくらいなのだから、彼女の手先のズボラさから首は縦に触れない。まぁ、何はともあれだ。この河童の少年とのコミュニケーションの壁がだいぶ低くなったのは助かった。


「おっ!言葉がわかるぞ、成功じゃないか?」


「おいらの言葉がわかるのかい?」


 漸く互いの言語が理解できるようになり、思わず歓喜したのと同時に少し安堵する。お互いに自分の胸に手を当て、浅く呼吸をし気持ちを落ち着かせていた。チップは、どうやらこの河童の臭いが苦手なのか終始眉を歪ませ鼻を摘んでいる。河童と悪魔は何かしらの相性が悪いのか、この河童の少年もチップとは目を合わせようとはしない。性格上の問題でコミュニケーションを避けているのか、彼の目はやはり怯えるように泳がせていた。僕は少年へと手を伸ばすが、それすらもナイフでも見たかのように身体を萎縮させ、一歩たじろいでいた。何か事情があるのか・・・。何かそれなりの状況を抱えているのだろう、僕はそう思った。


「ようやく君と話せるようになったね。君は・・・、なぜここに?」


「君たちは便箋小町なんだろう?おいらは・・・、おいらは、君たちを探していたんだ。」


 やはり河童の少年は、便箋小町に用があったようだ。それも並の事情では無いようだ。妖怪である、強いては“ギフト”である彼の身に何があったのか。“ギフト”に厄介事を憑けられた者ではなく、当の“ギフト”が今回の依頼人とは思いもしなかった。となれば、これはイレギュラー。訳あっての事なのだろう。その証拠を裏付けるように、彼の顔は蒼白だ。年端のない少年が伺える表情とは思えない程に、動揺を隠せていない。


「僕たちを?」


「これを・・・、これをある人に届けたいんだ。」


 そう云って、背中の甲羅に忍ばせていたモノを取り出す。その時の顔は、とても深刻そうだった。何か詰まるような表情は、鉛色の空気を吸い込んでいるみたいだ。気を許せば奥から覗かせるプレッシャーに押し潰されてしまいそうなのに、彼はその小さな心で押し殺す。塞げ、塞げと呪文を唱えるように。心の背後から押し寄せる恐怖を堪えるように。河童の少年はハニーイエローの瞳を潤わせ、そっとこちらの顔を伺う。


「いや、正確には・・。おいらは、これを返してあげたいんだ。」


 河童は首を左右に振り、先程の自分の言葉を撤回して何かを決心するように僕と目を合わせた。取り出した少年の手に持つモノは、パール模様に輝くビー玉くらいの大きさの珠だった。淡く青と緑が混じり合ったような、極彩色とも呼べる色合いで揺らぐように発光する小さな珠。その珠は一つの生命を包み込むように封じ込ませ、人の温もりのような暖かさを纏う不思議な力を感じる。


「・・・これは?」


 河童の掌に置かれた珠を見つめながら問い出す。同じくこの不思議な珠を見ていたチップは目を細めていた。見て間も無く幼女は何かを直感する。恐らくこれは自分の知っているモノ。ただの骨董品や宝玉というようなモノではない。確証は無いが、チップは確かめるように指を差す。


「たぶん、これは尻子玉だ。俺も間近で見るのは、初めてだけどな。理屈はわかんねーけどな、これを河童に取られた人間はな。・・・フヌケになるって云われてんだ。」


 尻子玉。確かに名前くらいは聞いた事がある。河童に取られると不味いモノなのだという程度だが。一種の魂みたいなモノなのだろうか。淡く発光しているのは、魂に近い力を持った物をこの小さな球に封じ込めている為。その証拠にビー玉程度の大きさだと云うのに、それ以上の器を超える大きさの力を感じる。もしこれが一種の魂であれば、その犠牲者が出ている事になる。つまり、この尻子玉を抜き取られた者がいると云う事になるのだろう。けれど何故、河童であるこの少年がわざわざ僕らへ見せるのか。それも自分達が取ったものを返すと。この少年は、一体何がしたいんだろうかと沸々と疑問が顔を覗かせている。いずれにしてもわかる事は・・・。


「そんな大層なモノを返すってことは、訳アリなんだよね。」


 僕は少年に疑問をぶつける。まずは本人の意思から確認する必要がある。心情を察するに他者から無理矢理、押し付けられた命令では無いのだろう。このただのクレープ屋にしか見えないここが、便箋小町だと認識しているのならばその想いは固まっている筈だ。河童は、どこか思い詰めた表情で掌にある尻子玉を見つめていた。


「うん・・・、あの子に返してあげたいんだ。」

 

 深く頷き、ハニーイエローの潤んだ瞳と目が合う。間違いなく本人の意思だった。誰が決めた訳ではない。この河童の少年本人が覚悟して決心した目だ。少なくとも敵だと疑う必要はもう無いだろう。こんな時、社長ならどうするかなんて聞くまでもない。ただ、救いを求める者へ手を差し伸べるだけだ。僕はもう一度右手を広げて、包むように腕を伸ばす。


「わかった。君の希望のモノを無事に届けよう。」


「おいおい、イサム!勝手に決めていいのかよ?」


 チップが焦るように横槍を入れてきたが気にはしなかった。本来ならば、依頼を受けるかどうかは社長次第だ。けれど僕は、彼を放っておく事が出来なかった。僕には、皆のような特別の力は無い。今、唯一出来る事は話を聞く事ぐらいだ。この小さな身体に思い詰め、張り詰め、張り裂けたくもなる心情を振り絞りやってきた少年に。僕がやるべき事、出来得る事を差し伸べるんだ。・・・だからこそ。


「構わないさ。河童くん、そういえば君の名前は?」


「コツメ。おいらの名前はコツメって云うんだ。」


 コツメと名乗る河童は、憂いを帯びた眼差しでこちらを見ていた。それは暗がりの部屋から覗き込む一筋の光を掴み取るように、暗闇を掻き分けたコツメは手を伸ばす。


「コツメ君。」


 差し出されたコツメの手を握り取る。少し湿った彼の手もバトンを受け取るように握り返す。何かがトンっと胸を打つ鼓動は、ほんの刹那の間だけ時間を凝縮したような静止を作り出す。その高鳴りは、一種の武者震いなのかも知れない。彼を何とかしてあげたいという想いが原動力となって回り出す。一つの歯車がカラカラと回り出したけれど、まだ空回りをしている歯車が点々と浮いている。少しずつ紐解き、埋めていくんだ。今、彼の身に起きている事を。これから起きようとしている何かを。それは一歩踏み込んで行く事に徐々に鮮明となって、淡く揺らいだ半透明を浮き彫りにさせていく。まさか、僕がこの台詞を云う事になるとは思わなかった。


「便箋小町に、おまかせを。」


 やれやれ、漸くゼロ件報告は免れそうだ。瞬間的に訪れた安堵の深呼吸を整える暇も無く、また奇妙な一日が始まるのだろう。

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