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便箋小町  作者: 藤光一
第一章 河童編
6/33

6共同生活はおまかせを

薄暑の風は毒の味がする 肌に触れれば幽香(ゆうこう)かも知れない


言霊に盲目だから 人は(いなな)くのだ

本当の意味など磁石のように 目に見える現実が瞳には見えない

惹かれ合うのも 離れていくのも 引かれ合うのも 放れていくのも


あなたは 毒ばかりを送り付ける

どれも大切だから 今日も飲み干すのだ

気付かない内に この星は 毒で出来ているのだから



・・・。



・・・・・・。



 ピピピ・・・、ピピピ・・・。

照り出した太陽は、朝陽とは思えないくらい張り切っている。東の空から覗かせた太陽に感化されたのか、電線に止まっているであろう雀達の囀りも聴こえてくる。照り続ける熱波は、窓から見える景色を僅かに歪ませる程に外気の気温が暑い事を示唆させる。生憎なところ、僕は朝が弱い。めっぽう弱いのだ。特に雨が降る日は、科学的な証拠は一切無いが特に眠い。何を隠そう本日は、仕事の無い非番。謂わば休日なのだ。それもあって、目覚めの時間はいつもより緩やかだ。今日のような爽やかとは少し外れた晴れた朝でも、例外無く瞼は重いのもあり起きるか二度寝に走り出すか。休日だからこそアラームを止める前に、その葛藤が繰り広げられる訳だ。携帯電話と云う日常のパートナーは、朝だけはどうしても嫌悪を示す視線で睨んでしまう程。つい先程まで身体を包んでくれたこの布団すらも、時に悪魔と化してしまう。「まだ大丈夫、あと五分いけるよ。」などと、弱いところを柔らかくも甘い誘惑を耳元で囁くのだ。包み込む温もりが籠った布団を捲り上げ、鉛のように沈んだ上体を起こした。まだ、頭の回転が緩やかで寝癖となって跳ねる髪を掻き上げながら窓を見つめる。一向して繰り返されるアラーム音に休止符を与え、無意識が入り混じりした動きでテレビの電源を入れる。テレビの左上に表示された時刻は、七時十五分と表示されていた。なんだかんだでいつも通りの時刻である。だが本日の天気情報が映り込んだところ、僕は思わず落胆してしまった。朝一番だと云うのに既に気温は二十度を超えており、このまま三十二度まで上昇する勢いのようだ。連日の雨続きは漸く過ぎ去ったのだが、長いインターバルを挟んだ日照りがエンジンを掛け始めているのだ。この国は何故こんなに暑いものなのか。まだ七月でもない本日は、例年の更新気温を塗り替えたらしい。一体どこまで記録を伸ばせば気が済むのか、その飽く無き向上心には関心は生まれず呆れるばかりだ。寝起きでまだ思考が働いていないのか、本能的にエアコンのリモコンへ手を伸ばす。考えるよりも身体の方が反応しており、ピっというエアコンの目覚めと共に我へと返り始める。日の出から三時間弱で炎上し、宛ら戦場と化したこの部屋に風の精霊とも呼べる冷風が舞い降りる。さらりと一変させた冷たく爽やかな風が部屋中に旋回し始めた。朝一番、火照り切った身体を全身へと行き通るように癒す。目を閉じる事で風の精霊が舞い踊るようなイメージが浮かび上がる。それは、灼熱砂漠を乗り越えたオアシス。この汗だくの身体を少しでも長く、そして多く溢れ出す冷風を深々と全身で出来る限り受け切るのだ。


「寒いっ!」


 とぶっきらぼうに叫び出すその声の主は、まだ半覚醒状態の幼女だ。その怒り混じりの声と同時に、ピッとリモコンのスイッチが切れた音がする。先程までの癒しの風が徐々に弱まり始め、無情にも僕の周りを舞っていた精霊達は消え失せていく。視界をリモコンがあった方へ向けると、そこには幼女がこれまた寝ぼけ眼でこちらを見ていた。半目で開いた瞳と阿呆面で開けた口をこちらへと向け、まだ小鰭(こびれ)付いた眠気をまだ纏っていたのだ。幼女が着ている部屋着は、僕が用意して間もないというのにだらんと伸びており、シワとヨレだらけだ。その無垢で真っ白だったTシャツは、ワンサイズ大きくて幼女の身体には合ってはいない。寝相の為か長く伸びた黒髪はあちこちに跳ねており、相変わらずボサついている。シワの目立つTシャツの前裾を、無理くり伸ばして口元まで持っていきヨダレを拭いていた。ヨレたTシャツとボサついた髪とは対照的に、煽り返ったシャツの奥から覗かせるのは白い肌。年相応の幼女そのものの白い肌は潤いを纏った餅のようで、逆にそれが苛立ちを彷彿させる。そんな憤りを感じずにはいられない理由は、こいつの中身が悪魔である事から。ついでに云わせて貰えば、先日僕を食い殺そうとしたのもコイツであるから尚の事。先程までフル回転していたエアコンのモーターは、徐々に力を失い緩んでいってしまう。遂にはその冷風は止み、外の日照りが忍び込みまた室内温度が上がろうとする。そんな状況を黙って見る事が出来るだろうか・・・、否っ!僕は高らかに抗議するだろう。


「お、おまっ!なんで止めるんだよ‼︎」


「うるせぇ!なんでもキカイに頼りやがって、カゼ引くだろうが!」


 本日の六畳間戦争の始まりでもある。よくもまぁ、朝っぱらから六畳というワンルーム空間で喧嘩出来るもんだとある意味自分に尊敬してしまう。だが、こいつの云っている事は丸っ切り間違っている訳では無くて寧ろ正しい部分もある。


「エアコンの風は、喉にも身体にも良くないんだぞ!」


 そう、決して間違っていないのだ。ただ、エアコンを操作する前に一言くらい声を掛けるのが常識というか最低限の配慮だろう。勝手に涼やかな風を止められたもんなら、誰だって講義を申し立てたくなるものだ。


「うるせ、ここは僕ん家だ!」


 チップが持っていたリモコンを奪い取ろうと右手を伸ばす。幼女はすかさずリモコンを天高く掲げ、寸前で強奪を回避し奪い取ろいうとした僕の右手は空を掠めた。そのまま、幼女の後ろへポイっとリモコンを投げ捨てる。への字を曲げたチップがこちらへと睨みつけ始めた。


「見ろ!この純白の肌がカサカサになっちまうだろーが!」


 ぐいっとこちらに左腕を差し出し、上腕を上下に摩りだす。つい先日まで真っ黒な悪魔とは思えないくらい白い餅肌を露わにし、自分の美肌を誇張させる。鳥頭の悪魔がやけに美肌に拘っている事にどうにも腹立たしかったのだが、拍車をかけたのは幼女から漂う香り。どこか嗅いだ事のあるその香りは、ふわりとしたとても身近でフローラルな香り。幼女の身体から草原の丘に咲き並ぶ花たちが風の吹くままに甘い香りを漂わせていた。その香りはチップのボサついた髪や身体から匂わせていたので、直ぐに何か判断出来た。


「お前、また僕のシャンプーとコンディショナー使ったろ?」


 僕は、とびっきりに尖らせた眼差しで言及した。案の定、その言葉にチップは丸く目を大きく開いたかと思えば図星だったようで身体をビクつかせていた。どうやらこの悪魔は、嘘を吐くのは得意では無いようでリアクションがとても分かり易い。しかし嘘が苦手なのを良い事に、こいつは直ぐ開き直って逆上し出すタイプなのだ。なので僕は逃がさないようにチップの頭を鷲掴みにし、こちらへと方向を強制させた。


「お前には、アフローマン・ゼンブウォッシュがあるだろ!そっち使えよ‼︎」


「あれ、髪がパサつくからキライなんだよ‼︎だいたい何だよ、アフローマンって。

ガキが、ガキ扱いするんじゃねー‼︎」


 対抗するようにチップも僕の胸ぐらをその細い両腕で掴みかかる。もうトリビュート時代の力は無く、見た目相応の腕の力で幼女は怒り任せに畳み掛ける。ちなみにアフローマンとは、幼児向け特撮番組“天体仮面アフローマン”の主役ヒーローだ。仮面を被ったアフロが正義の為に日夜凶悪な怪人たちと戦い、平和を守るヒーローである。グッズ展開も豊富な知らない子供が居ないくらい人気の作品でもある。


「良いだろうが、ゼンブウォッシュ!髪も身体にも洗える新社会人の財布にも優しいコスパ重視の洗剤だぞ‼︎」


 そう、このゼンブウォッシュ。髪も身体も洗える仕様の全てを兼ね揃えた洗剤だ。普通ならシャンプーにリンス、ボディソープに洗顔とそれぞれ必要なところ、これ一本で賄える。この幼女ならこれが適正だろうと、いやこれで充分だと思い用意した訳だが当の本人には不評のようだった。


「良いわけねーーだろーが‼︎あんなのずっと使って見ろ!俺のキューティクル達まで洗い流されるわ‼︎」


 普段シャンプーハットを付けて髪を洗う悪魔が何を云うか。目に入るから嫌だとか子供みたいな理由を話して、ハットを身に付けながら髪を洗うのは幼女そのもの。パタパタと僕のシャツを揺さぶり必死の抗議を訴える訳だが、あまりの非力さに虚しさすら募らせる。


「悪魔がキューティクルなんか気にするなよ。」


 しかしながら、コイツの意見を聞き入れる気はない。こんなチンチクリンにキューティクルがどうのと云われても、なぜか説得力が湧かないからだ。眉を吊り上げ寝起きから声を荒げている幼女に、僕はノールックで顔面を鷲掴みそのまま突き放す。


「どわぁ!」


 チップはそのまま無様に布団へと転がり回り、反るように倒れ込んでいった。そういえば、何故僕の部屋にチップが居るのか。何故僕がこの幼女の世話を請け負う事になってしまったのか。まずはその話をする必要があるだろう。思い出すのにも頭を抱えたくなってしまうけれど、仕方が無い。では、時間を巻き戻そう。あれは一週間前の事だ。







 さて、先日は僕にとって現場初任務ともあるが、いきなりの一発勝負を受けた訳でもある。桐谷という中年男性が事務所に訪れ、受けた依頼は知らぬ間に契られた悪魔との契約をクーリングオフさせる事。なんやかんやと、公園で対峙した悪魔との差は歴然。三メートル程の巨鳥の悪魔と僕は対峙したのである。喧嘩どころか猛獣とも戦った事が無い素人当然の僕には、まさに必死。逃げ惑う事だけでも精一杯だった。それなりの準備を済ませて挑んだけれど、ホームセンターで用意出来る武器なんかじゃ当然歯が立たなかった。決死の隙を作り、漸く一本の角を砕いても逆上を買っただけで一気に返り討ち。四肢を掴まれ、いよいよ駄目だと思った時にまるで遅れたヒーローのように登場したのがあの女社長である。僕とは対照的に、比類無きその戦闘スタイルでトリビュートと名乗る悪魔を滅多撃ち。無事、完全に悪魔を鎮圧させクーリングオフは完了したのだ。後日、桐谷からは三百万の報酬を受け取り依頼完了。巨鳥の運を操る悪魔トリビュートは、社長に色々と弄られ今は幼女の姿と化した“チップ”となり我が社に居る。そんなひょんな事から今は、僕ら四人でこの会社「便箋小町」をやんやと切り盛りしている訳だ。これまでの内容を報告書にまとめていると、槍でも降ったかのような溜め息と共に回転を始める。


「・・・暑い。」


 室内にカラカラと音を奏でながら回り出す扇風機。その風は回り出す音とは割に合わない微風。自分のデスクで頬杖を付いていた社長からは、珍しくも苦言が漏れていた。普段ピッシリとした佇まいで仕事をしている彼女にも、人間らしいというか生物らしいというか。こういう仕草もするんだなと思うと、何だか安心してしまった自分が居た訳で。流石の社長もいつも肩に掛けていたジャケットは脱ぎ捨てており、その降り注ぐ暑さを凌いでいた。旋回し続ける定年越えの扇風機からは、中で何かが咬んでいるのか今にも壊れそうである。長年の日焼けにより色褪せており、本来の色より茶けてしまっており良く云えばセピア色だ。絶賛三十度前後をキープしている室内温度では、壊れかけの扇風機では中々追い付く事は当然無い。社長は、ブルーグレイのスーツベスト姿で不満気にデスクを右の人差し指でコツコツと叩く。


「そんなに云うんなら、クーラー導入して下さいよ。」


 僕はYシャツを腕捲りし、額の汗を拭う。この拭う行為は、今日で一体何回目の事だろうか。すっかり僕の腕は自分の汗で湿っており、ネットリとした水分が纏わり付いていた。そんな思いの丈を伸ばしていても現実は、カラカラと異音を掻き鳴らす扇風機のみ。せめて窓くらい開けても罰は無いと思うけれど、その願いすら叶う事は無いようだ。どういう訳か制約上、窓を開けてしまうと結界が解かれてしまうようでガンとして開かずの間と化している。だったら尚の事クーラーだ。この国において、クーラー無しの生活程の生き地獄は無いのだから。そんな社長は、明後日の方向を見ながら指を叩く音が強まる。ギシっと椅子を軋ませながら、社長は言葉を返す。


「垂くん、クーラーの経費知っているか?初期費用も継続費もバカにはならんのだぞ?」


「じゃあ、せめてその壊れかけの扇風機を買い替えてみたらどうですか?」


 リモコン機能なし、首振り機能はあったけど今は壊れており固定されたまま。それどころか風量の強さを“中”以上にしようもんなら、モーターが悲鳴を上げて五分持たずに緊急停止。流石に御役御免では無いだろうか、と思うところではあるがそう簡単な話では無いのだ。


「次の依頼の報酬が出たら、検討しよう。」


 頬杖から枷を外し、社長はデスクへと項垂れる。我が社が特殊な系統というのもあって、定期的に利益が出る訳では無い。寧ろ日別で考えれば利益ゼロなんてザラであり、仕事柄リピーターがある訳でも無い。その分一発の収入がデカいので、それでなんとかやりくり出来ているのが今の現状なのだ。経費は潤う程回っていない。彼女が今日、非番で僕を呼び出したのは我が社の経営についてだろう。今まさに回ろうとしているのは火の車だ。太陽が照り出すタイミングとは滑稽やいかに。


「最近なら二千円くらいでも、それなりの扇風機買えますよ?」


「馬鹿か、君は。二千もあれば食費に充てないと、それこそ我々は干物と化すではないか。」


 依然として項垂れる彼女は、もたれる身体が鉛のように重くデスクにへばり付いていた。そんな中、平然と悠々とアイスコーヒーで一服していたのはメルだった。この時期なら、暑苦しそうに見えるモジャモジャの塊は特に何一つ変わりなくルーティンを崩さない。コーヒーを啜りながら朝の新聞に目を通し、優雅にブレックファーストを決め込んでいる。隣に溶けるように座り込むチップは、ダボダボのシャツの前裾を両手で掴みながら項垂れていた。暑い暑いと呪文を唱えるように苦言を漏らし、パタパタと仰ぎながら幼女はメルに尋ねる。


「なんで、お前この暑さが平気なんだ?」


 チップはその暑さで真紅の色が弱まった目線でメルへと送る。いつも子供のように騒ぎ散らかすこの幼女でさえ、覇気をすっかり失ってしまっていた。抑揚の無い口調で尋ねるも、この毛むくじゃらは素っ気無くも返事を送る。


「あー・・・、お前らとは、出来が違うからな。」


 自分の毛を束ね、まるで人の手を模した形を作りながら新聞を握り締めていた。ハタリと薄い新聞紙の旗めく音を奏でながら、読み進めていた手を止めて、天井を見上げながら話す。あの毛だらけの身体のどこに涼しい要素があるのか、妖怪とは実に不思議である。あれ・・・でも、社長は暑がっているな。一言で妖怪と云っても耐性はそれぞれ千差万別なのだろうか。


「毛むくじゃらに云われても、うらやましくもねーぞ。」


 反論はするがその声に覇気は無い。悪魔も暑いのは苦手なのか。チップは少しでも熱を体内から逃そうと、スチール製のデスクに先程から頬をスリスリと擦っていた。それでも幼女はいよいよ、この強制我慢大会に耐えきれなくなってしまったのか何かの線が切れる。


「なぁーーー、キツネーーー!クーラー、買ってくれよぉぉぉーー!」


 ついに我慢の緒が切れたようで、暑さで頭のネジがぶっ飛んだみたいだ。喉仏を高らかに震わせながら、苦言を呈した絶叫を事務所内に轟かせる。両腕を高く広げ上げ、チップは駄々をこねるように泣き叫んだ。まさにその行為は子供そのもの。そんな阿鼻叫喚に耐えかねた社長は、幼女が放つ特大のクレッシェンドを休符にさせる。


「黙れ、チップ。」


 鋭い舌打ちと共に社長は、ナイフのような冷えた言葉をチップへと投げ込む。先程まで机に崩れ込んでいた姿から一変し、しんと静寂を打つように顔の前で手を組み座り込んでいた。社長のオーラは、非常に冷淡でそれを目にした者は脊髄まで凍らせるかのような佇まいだ。その証拠にダイレクトアタックを受けた当のチップは、小刻みに身震えをし涙目で怯えていた。余程怖かったのかフルボッコにされたトラウマが蘇ったのか、滑稽に幼女は震えていた。そんな幼女の事はさて置き、額に汗を一雫流し社長は再び唇を開く。


「さて、諸君。ご覧のように我が社は、死活問題だ。仕事は来ない!社内室温は灼熱!経費も火の車だ。垂くん、この状況下なら君はどう見解するかね?」


 握り締めていた万年筆をくるりと回した後に、名指しで問いかけてきた。火急のように詰められたが、こんな時こそ俯瞰すべきだと自負している。僕は顎に手を添えながら、上の空で考えてみる。どうしても仕事柄待つだけの防戦一方。それならば趣向を変えて、物事を別の角度から照らしてみる事。一拍の休符を挟んだ後に僕は口を開く。


「そうですね・・・。来ないなら、こちらから・・ではないでしょうか?」


 とは云えども突発的すぎて、何を答えたら良いのか分からず吃ってしまった。恐れながらの返答で、つい逆説を唱えてみたが社長の反応はどうだろうか。


「ふむ・・・、まぁ悪く無いな。やってみよう。」


 社長は鼻を摘み上げ深く呼吸をする。頭の中でバラけたパズルを組み上げるように思考を巡らせている。どのピースが当てはまるのか、どの手順が効率的なのか閉じていた瞼を開け全体を見回す。トンっと机を指で叩き、一種の号令のような合図を取った社長は視線を一点へと集中させた。


「では、これより我が社は一時的な出張所を展開する!ちょっとしたイベント企画とでも思ってくれて良い。事務所と出張所で二手に分かれ、それぞれのバディで開始しよう。」


「あ・・・、え?」


「垂くん、え?ではないぞ。兎に角だ。私は社長だから事務所。メルは私の補佐だ。垂くんとチップに出張所を委任するぞ。云い出しは、君なのだからな。」


 企画案が通ったのは嬉しいが、いやちょっと待て。よりによってバディがチップだと?バディって所謂、相棒みたいなもんだったよな。つい体が反応して頭を抱えてしまう。頭に錘がぶら下がったみたいだ。つい先日まで悪魔だったこの悪魔と手を組んで仕事しろと・・・?その横目に当のチップは、話を聞いていなかったのか呆け顔で天井を眺めていた。僕が腕を組みながら苦虫を噛んでいるところ、こいつときたら何を考えているのか。いや、何も考えてないのか。思わず僕は、チップに対して親指で怪訝に指を差す。


「え、社長。このガキんちょとですか?」


 僕が言葉を発したと同時に、馬鹿にされたと云う事は認識出来たようでチップが即座に睨みつける。苛立ちを織り交ぜたローキックが僕の膝下に直撃した。が、その衝撃はウレタン棒で殴られた程の痛みで鈍い衝撃だけが微かに奏でるだけだった。そんな状況を目にしても、社長は構わず話を続ける。


「あぁ、そうだ。しかしだ、バディとなれば連携がとても大事だ。以心伝心のように通じあってこそ、バディの仕事は成功に近付けれる。・・・そこでだ!」


 パンっ!と両手を強く合掌し、そのまま指を交差するように折り畳み握り込む。口角を上げ、云い放った言葉の尾鰭にくっついていたのはゾッとする程の彼女の笑顔だった。降り注ぐ現実から目を背けたくなる程に、僕は何かを企んでいる彼女の視線を直視出来なかったのだ。


「今日から君達には、同居してもらう!それが、最も早く意思疎通が取れるだろう。」


『はっ⁉︎』


 つい口を揃えて漏らしたのは、まさに当事者の僕とチップ。互いに相手へ指を差し、不満の表情を包み隠さず露わに浮かべる。ほーら、云わんこっちゃない。何をするって?こいつとバディを組むだけに飽き足らず、一緒に住めと。完全永久ストレス製造機でもあるこの幼女と一緒に住む・・・。想像しただけで、頭のネジが飛びそうだ。違う、これは暑さのせいだ。そのせいで幻聴を聞いてしまっているのだ。そう思いながら自分の耳を抓って夢から醒めようとしたが、痛みは確かに伝わっており僕は微かの涙目になった。


「何、心配する事はないぞ。経費は最低限に抑えておこう。それと共同生活に必要な費用も添えておくのだから、寛大だと思いたまえ。」


 と、どこから取り出したのかデスクに一万円札を僕に、五百円玉をチップへと差し出した。渡した当の本人の社長は、満足気な笑みでこちらを覗かせていた。これならば文句はあるまいと云いたげな、やり切ったような素振りで腕を組んでいる。当然、僕も幼女も納得出来る訳が無く同時に立ち上がって容赦無く、社長へと牙を向ける。


「・・・って、一万ぽっちで準備なんて無茶云わないでくださいよ‼︎」


「おい、キツネ!ガキのこづかいじゃねーんだぞ‼︎」


「大体、なんで僕がこいつと連まなきゃならないんスか!」


「俺だって悪魔だ!こんなナリだが悪魔のイゲンってヤツはあるんだよ!ってか選ぶ権利ぐらいあるだろ!」


 それぞれが断固拒否しようと、異議を剣にして戦陣へと赴く。納得の出来ない状況に戦士達は兜を被り突撃するも、彼女は依然として落ち着いた様子だった。抗議を申し立てるチップに対し、社長は徐にデスクに置かれた五百円玉を摘んだ。


「チップよ、聞いて驚け。この五百円玉はな・・・。」


 くるっとその小銭をひっくり返し、自慢気に彼女は語る。まるでマジシャンのような視線誘導に、思わず僕らは怒りの矛先を緩めてしまい、つい視線をずらされる。彼女は、僕らの意識が完全にずれた事を確認するとボソリと真実を呟く。


「新五百円玉だぞ。」


「うぉー!すっげぇ、マジだ!キラキラしてるー‼︎」


 まるで初めて見た手品を、はたまた真新しい玩具を披露されたように喜ぶチップ。デスクに置かれた新五百円玉なるものを手に取り、餌に喜ぶリスのように飛び跳ねていた。それでいいのか、最早“ギフト”の時の面影は無いじゃないか。悪魔の威厳は、どうしたんだチップよ。


「早々に息が揃っているじゃないか。私の見立ては、やはり間違いでは無いようだな。安心したよ。」


 この人の目は、節穴か。どう見ても性格は合わない。犬と猿の方がまだマシだろう。感情派と理論派の相容れぬ凸凹コンビの誕生である。・・・と云えば聞こえは良いが、冗談じゃない。冗談じゃないのだ。一度決めた事は徹底的で、ガンとしてテコでも動かないがこの社長の図太さだ。そんな腕を組んでいた彼女は、スッと右手を上げて合図を送る。


「・・・では、二人は明後日よりM市に向かってもらう!双方、悔いのないように!」


 いつの間にか決定事項になったようで、満足したのか社長は上機嫌である。そのまま彼女は、さっさと自分のデスクへと立てかけられていた古本に手を伸ばしている。ふぅーっと息を吹きかけて小鰭付いた埃を払い、いつかに仕入れた彼女にとっての新書を読み更けようとしている。


 それがコイツとの共同生活をする事になってしまった一週間前の出来事。そして僕とチップは、例の出張所となるM市でクレープを売り続けている。非番にも関わらず報告書をまとめ上げた僕は、一頻り作業を終えたノートパソコンの電源を切った。その報告の内容については、また次の話で詳しく話すとしよう。

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