59夕暮れ山の決戦へおまかせを
「父上!本当に行くのですか⁉︎」
「これ以上、この山で奴を野放しにする訳に行かぬ。ここで食い止めねば、我らに明日は無い。」
時を巻き戻し、センの脳裏から呼び出されたのは少し遠い記憶。黒羽の少女センは、懇願していた。けれど、少女の言葉に耳を傾けてはいたが、その父は目を合わせる事は無かった。センが住む青天狗たちの里に、突如として襲来した妖怪。それは八本の巨大な脚を持ち、人のような上半身を持つ化け物。異形の姿をしたその化け物の名は、八握脛。戦力は圧倒的だった。鍛え抜かれた力も刃も、傷一つ通さない。先遣隊は、既に壊滅。彼女らが住まう住居区に侵入されるのも、時間の問題であった。時は一刻も争う。苦渋の決断を余儀なくされ、青天狗の里は危機に瀕していた。何としてもあの化け物たちを退けなければ。そう思うのは皆同じ。喉を震わせながら決意したセンもその一人だった。
「・・・であれば、私も!私も参ります!」
「ならぬ。」
父は顔を合わせる事なく、静かに首を横に振った。
「何故ですか!私も皆と同じ、鍛錬を積んだ者!同じ青天狗として、一つの刃に!」
「もしもの事がある。その時、お前は我らの血を繋ぐ為の軌跡となるのだ。」
「な、何を言っているのですか父上!ですから、私がッ!」
少女の必死な懇願は、扉を開けようとする父には届かなかった。受け入れようにも受け入れられなかった。その理由は二つ。センの父は悟っていた。この戦に勝利は無い。報告によれば、夥しい数の人や妖怪を食ったという妖怪。妖怪の種類によっては、食った数だけ自分の妖力を増幅させる。今、この里に現れた妖怪は、その巨悪の一つ。
戦力は、恐らく相打ちに出来るかどうかも断定出来ない。二つ目に、まだ若過ぎる娘を戦場に出す事が出来ない親心。それがセンの父を固く結んでしまい、懇願するセンを強く突き放していた。センもまた自分自身に哀れむ。どうしてこんな時に限って、私の身体はこんなにも震えているのかと。そんな情けない自分の心に鞭を打っていた。すると父は、腰に携えていた一本の刀を鞘ごと抜いた。他の者が持つ刀とは一風違い、限りなく漆黒に近い色が塗られた鞘。時計の針のような緩やかな速度で父は振り向き、その一本の刀を両手で持ち、センへと差し出す。
「セン・・・。これをお前に・・・。」
「父上・・・、けれど、これは我が一族の宝刀・・・。そんな大それたもの、私の手には収まり切れません。
それに、どうして・・・今になって?」
突然の父の行動に、センは唖然として言葉が喉に詰まる。何故、父はこのタイミングでこれを渡そうと思ったのか。この刀は、センの父が護神のようにいつも携えていた宝刀。いかなる時もその刀を抜いた日は無かった。一族の宝刀を手渡す意味・・・。それはセンとしても、その脳裏に理解しつつあった。これを受け取るという意味を。受け取らなければならないのだという意味を。
「良い・・・。もう、今しかないのだ。本当であれば、もう少し後に渡すつもりだったのだがな。これは宝刀にして妖刀。扱う者を選ぶ刀である。私も扱えなかった者の一人。だが、お前は違う。」
カチャリっと金具が擦り切る音が弾む。宝刀を受け取ったセンは、その違和感に気付く。それはあまりにも拍子抜けしてしまうくらいに、違和感は彼女の感覚を鈍らせてしまっていた。
「どうだ、セン。この刀は重いか?」
「いえ・・・、紙のように軽くて、まるで重みを感じられません。」
手に取った刀はあまりにも軽かった。センの父が持っていた時は、あんなにも重そうだったのに。彼女の手に収まった時にはその重みは無く、紙のように軽く、羽根を手に乗せているようだった。センの父は彼女の反応に対し、確信した。静かに頷き、重い表情の奥に僅かな希望を含ませた光を放つ。
「やはり、そうか。その刀は本来、鍛え抜かれた大人でも両手で持つのも一苦労の刀だ。それを紙のようにと申すなら・・・。セン・・・。お前はこの刀に選ばれていた存在なのだ。」
「私が・・・、この宝刀に・・・。」
父の言葉が少女の心臓を強く打つ。自身の力がこの刀に選ばれていた事に信じられないでいた。言葉を失う事実に、センは動揺を隠せなかった。その弾みで刀身を抜こうとするが、鍔にガッシリと緒で結ばれて外れない。これでは刀としての本来の力を発揮出来ないではないか。と少女は思っていた。こんな刀に一体どんな力が・・・、こんなのが本当に宝刀なのかと疑念を抱く程だった。少女をじっと見つめる父は、乾いた唇を震わせながら囁くように告げる。
「その宝刀は血を欲さぬ。悪しき邪気のみを払う光のような刀よ。それ故に、無闇矢鱈にその刀を抜くものではない。誰が為に抜き、己の信念の為に振え・・・。その時のみ、その刀に掛かる鞘は封を切る事だろう。」
「父上・・・。」
「案ずるなセン。必ずお前は守る・・・。それに、親より先に旅立つのを我は許さぬ。」
父は、センの頭をポンっと手を置き優しく摩った。ごつごつとした硬い皮膚で覆われた一本一本の指が、少女の頭を優しく包み込む。その時に見せた父の顔は、重く鈍器のように強張っていた表情は消えていた。それは実の娘だけに見せた朗らかな笑顔。少し皺が目立つ笑顔でセンへと送った。だが、受け取ったセンはその真逆。今にも溢れ返りそうな大粒の涙を瞳に浮かべている。何か言わなければ、それでも今は違う。皆の為に私も戦うと宣言しなければ、私は一生後悔してしまう。感情が入り乱れる中、彼女の想いは思うように口から放たれる事は無かった。喉は震え、嫌に乾く。
「ち・・・父う・・・。」
「長ッ!八握脛が複数の子蜘蛛も引き連れ、住居区襲来により被害は甚大!このままではッ!」
火を飛ばすような勢いで扉は開かれる。扉を開けたのは、切迫が詰まり険しい表情を浮かべた青天狗の兵。必死の思いで伝令を言い渡したその兵は、息を切らしながら声を張り上げていた。その言葉にセンの父は摩っていた手を離し、伝令兵へと振り向く。静かに頷き、もう一本背中に携えた刀を抜き出した。
「分かった・・・。我らも向かうぞ‼︎皆の者、死力を尽くすのだッ!」
そして、その場に居た兵にも檄を飛ばす。誰もがその時に、理解していた。これは勝つ為の戦ではない。ここを守る為の負け戦なのだと。
「父上!」
「お前は、ここに隠れるのだ。ここなら・・・、安全だ。」
「嫌です!私もッ!私も・・・、この里の為にッ!戦わせて下さ・・・ッ⁉︎」
トン・・・ッ
必死に喰らいつこうと飛び出したセンを、父は片手で優しく突き飛ばした。残った兵がセンを取り押さえたが、センはそれでも諦めきれず踠きながら前へと進もうとする。けれど、取り押さえられた力が彼女の行く手を拒む。その時、静かに振り向いた父と顔を合わせる。戦火の逆光でその瞳はまともに見る事が出来なかった。
「その一振りが、お前の軌跡となる事を願う。」
「父上ーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ‼︎」
そして、扉は閉められる。その時になって、漸く溢れ返った涙たちは濁流のように頬を伝っていた。悲痛にも似た彼女の悲しい叫び声と共に、その頬に鹹味を含ませながら。決して遠くない彼女の記憶。父と最後に会話した一時だった。
そして、彼女は・・・、その刀を今初めて・・・、解き放つ・・・。
・・・。
・・・・・・。
「セン!その刀は一体・・・⁉︎」
「 白凪ノ虚・・・、代々伝わる一族の宝刀。刀身を極限まで薄くする事によって、その刃は風と一体となる。けれど、私も実際に見るのは初めて・・・。まさか、こんな形をしていたなんて・・・。」
改めて彼女は抜いた刀身をまじまじと見つめていた。彼女の云う通り、恐ろしい程にその刀身は薄かった。角度によっては、鍔から先は刀身が無いのではないかと錯覚させてしまうくらいだ。あんなに薄い刀で彼女は、あのヤヅギの脚を断ち切ったのかと今でも不思議なくらいだ。当然、それを直に受けたヤヅギ本人も動揺を隠せなかった。恐る恐る震えながら、人差し指をセンに向けていた。
「何よ、その刀は!?そんなに鋭く、そんなにも薄く・・・。まるでそれじゃあ、刃がついていないみたいじゃないぃぃ!」
「そうよ、だからほんの一振りするだけでこの刀身は姿を消す・・・。ほら?全然見えないでしょう?あんたがどれだけ目が良くたって、この太刀筋は避けられない!」
彼女はその言葉通りに上から下へと刀を軽く振り下ろす。通常の刀であれば、どんな達人でも刀は残像を残しその軌道が現れる。その切先が見えるからこそ、防御や回避を試みる事が出来る筈なのだが、この宝刀は本来の常識を覆す。振った瞬間に刀身は風に塗れるように姿を消し、刀身の長さも軌道も視界から居なくなるのだ。これは刀を交えた戦いに慣れている者ほど、その感覚を狂わせるのだろう。今は軽く振るうだけで見えなくなるくらいだ。実際に相手の肉を、皮を斬り落とす勢いで振り下ろしたらどうなる事か。恐らく、それを瞬時に見切れる者はそう多くは無い。それは目の前に対峙するヤヅギ自身も、その例外では無い。
「ぐぅう!こ、小娘のくせにぃ!」
「ずっと・・・、ずっと待っていた。あんたが油断するこの瞬間を・・・!」
「調子付きやがってぇ小娘がぁぁあ!あんなにビクビク震えやがってたのに‼︎刀も抜けなかった意気地無しがぁあ!ワタシがぁあ、折角!せっっっっっっっっっかくぅぅ、生かしてやったっていうのにぁいぃい!!」
あの化け物にとって思わぬ攻撃だったのだろう。その切り傷は、うっとりするぐらい綺麗な断面を見せる。レタが決死の思いで吹っ飛ばした第ニ脚は、既に再生している。傷は完治しており、背筋を凍らせる程の生命力だ。だが、センが斬りつけた箇所は先程とは違い、やけに回復の速度が遅い。それもあの刀が作り出した力だというのか。回復を遅めると云う事は、妖怪たちの身体に巡るマナの回路ごと切断したというのだろうか。
あの刀は、一体何なんだと、思わず息を呑んだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁあああッ‼︎」
少女の雄叫びが轟く。それは声にならない怒りの叫び。漆黒に染まった大きな羽を広げ、体勢を低く屈ませ剣を構える。大きく前に出た右足がピクリと動いた頃には、少女の姿は目の前から消える。
「ぎいやぁぁあぁああああっー!」
「ほら、私はここよ。目が沢山あるんだから、見えて貰わないと。」
瞬きをした頃には、センは既にヤヅギの頭より高く飛んでいた。そして広がる汚らしい悲痛の叫び。それもその筈。彼女が次に斬り落としたのは、上半身に付けられた大きな左腕。ぼとりっと無造作な音が地面に響く。本来であれば血吹雪が上がっても可笑しく無い切断だが、ヤヅギの血は一滴も溢れる事は無かった。恐ろしく速いのだ、彼女の斬撃は。そして何よりも血吹雪すら許さない切れ味を実現させているのは、彼女の持つあの宝刀。彼女は空中に浮きながら血を拭き取るように刀を素早く振り回し、嘲笑うようにヤヅギを見下ろしていた。
〈成程、あの刀はマナを切断する力を持っているのか。それも断ち切っているのは、ただのマナじゃない。ヤヅギの持つ邪念のみを断ち切る訳だけど、あいつの身体はほぼ自分のマナでコーティングしてる訳だから・・・。それがあの刀に反応しているせいで、あの現象を引き起こしているって事か。全く、良く出来た宝刀だよ。〉
「詰まり、なんだ?あのカラスの技があいつの対になるようなもんって事か?」
〈どうやら、そのようだね。〉
「ったく、だったら初めからそーすりゃあ良いのによ!」
チップは腕を組みながら、不満そうにぼやいていた。確かにそれはそう。けれど状況は、そうはさせてくれなかった。僕には何となく分かる、彼女の気持ちが。きっとそれは。
「それは違うぞ、チップ。どれだけ強い武器を持っても、どれだけ強い力を持ってもさ。結局のところ、その原動力となるのは、心なんだよ。多分、そんな感じなんだと思う。」
僕がそうチップに告げると、「そんなもんかねぇ~?」とシュラグを振る舞った。だがきっと、そうなのだろう。彼女はずっと誰かに背中を押して欲しかったのだ。手を差し伸べてくれる誰かを。一方の片腕を斬られたヤヅギは、失った片腕があったその付け根を摩り、わなわなと震え始める。一度までに留まらず二度もその身体を斬りつけた事に、逆鱗に触れたかのように怒りを露呈しようとしていた。まさか自分より格下の妖怪にここまでコケにされただけに、そのプライドを大きく傷付けた事に憤慨する。
「ま・・・、また、またアタシの身体が!ふ、ふふふ、何よ。動く必要無いじゃないぃい。ただ、こうやって・・・。糸をばら撒けばあぁァアア、容易い事よおぉおおお!」
するとヤヅギは腹部を前に向け、尻の先端を銃口のように構え始める。あの技は、確かレタを捉えた時に使った拘束用の糸を吐き出す気か!ムズムズと動く尻穴から極太の糸が放出された。ここら一帯を覆い尽くすような蜘蛛の巣状の糸を吐き出す。動作から発動までがあまりにも速すぎる。これでは逃げられない・・・、下手に避ければ、あの糸に絡み取られて身動きが出来なくなってしまう。・・・と、思っていた矢先の事だった。
ピシシシシシィィィ・・・
「六花!」
ヤヅギが飛ばした蜘蛛の糸は空中で一瞬にして氷漬けとなり、こちらへと降りかかる前にピタリと静止した。やがて、外気温に耐えられなくなった氷に包まれた蜘蛛の巣は形状を保つ事を諦め、粉々に塵状となり砕け散った。この技は・・・、もしかして・・・!いや、でも彼女は確か・・・。
「なっ、氷っ⁉︎け、けどあいつはもう指が折れて、もう撃てない筈なのにぃぃぃ⁉︎」
「誰が、トリガーを引かなきゃ撃てないって・・・、云ったのよ?」
そう、その技を放ったのは他の誰でもない。この場で唯一、氷を操れる雪女のレタだ。ギリギリまで治療を施した彼女は、地面に座りながら氷の銃を構えていた。けれど、彼女の指はまだ完治していない。銃を握る人差し指も中指も酷く折れ曲がっている。あの状態で氷の銃を出したのか・・・。けど、あの状態でどうやって発砲を・・・?それは思わぬ方向からの攻撃に面を食らったヤヅギもその一人。言葉を失い、戸惑いを隠せないでいた。
「えっ?・・・へ?」
「お生憎様、私の・・・、この銃のトリガーはね。私自身の意志よ!」
すると握っていた氷の銃は水のように溶け、再び大きく形状を変えていく。氷で出来たスナイパーライフル。両腕で押さえ込むように銃を構え、長く鋭く前へと迫り出した銃口をヤヅギへと向ける。じっと鋭い眼差しでヤヅギの身体へと睨み付け、狙うべき標的へとロックオンしていた。
「な、何よぉ!アンタのハリガネ玉なんてっ!」
「良い?あんたに百発百中って奴を教えてあげるわ。私はね、狙った標的は・・・、絶対に外さないの!行けぇーーーーーーッ!!雪月花ッ‼︎」
トリガーは彼女の言葉に呼応するように、カチッと弾みの良い音を奏でながら弾かれる。スナイパーライフルの弾速は種類にもよるが、音速を超える速度で放たれる。レタの撃つあの銃も例外ではない。それでもヤヅギの反応速度も負けてはいない。即座に弾の軌道を読み、残った右腕でかざすように防御へと入る。
「小癪なっ!」
キシュッ・・・ンン
レタが放った氷の弾丸は、ヤヅギの手の平に命中した。だが弾丸の威力は弱まる事無く真っ直ぐ腕の中を通り抜けていき、肩まで貫通していった。先に放ったスナイパーライフルとまるで威力が違う。弾の軌道も必ず当たるように追尾したという訳ではない。マニュアルで照準を定めた真っ直ぐに飛ぶスナイパーライフル本来の軌道だった。
「ご・・・、ごぼぉおお?な、なんで・・・ぇええ?」
「さぁ、なんでかしらね?あんたには一生教えてやんない!」
明らかな威力の違い。それはヤヅギ自身が万全では無くなっているのも、理由の一つなのかも知れない。だが、性質的に彼女の放った技には似て異なるものがあった。恐らくあの銃は、二つの性質があるんだ。一つは予め付着させた氷目掛けて放つ追尾型、そして照準をマニュアルにする代わりに威力を最大まで高めるタイプ。彼女はその二つの性質を使い分けて、二手目の射撃を行ったのだろう。これは単純に見えて受ける側にとっては非常に厄介だ。特に一度目の追尾型は緻密な照準が出来る分、威力が下がっている事からこの技の威力はこの程度なのだと誤認させる。次に放つこの二手目は、その真逆。威力が先程とは桁違いに異なっており、誤認した防御は簡単に貫かれる。
この人、見かけによらず相当トリッキーな戦い方をするんだな。まぁ、ここまではあくまで憶測ではあるけれど・・・。けれど、奴の身体を貫いたのは間違いないし、確実にダメージは通っている。これで奴の上半身はほぼ再起不能まで持って来れた。
「鋼鉄以上の強度なのよ、アタシの糸もこの身体も!?強度も粘度も最大限まで引き上げた糸のはずなのに!どうして!どうしてあぇぇええ?なんで、アンタ達の攻撃がぁ、通るのヨォぉぉおおおおおーーーー⁉︎」
焦りに駆られたヤヅギは後退りをし始め、キョロキョロと周りを見渡しながら退路を探しているみたいだった。この状況下で戦況を不利と判断したのか、ヤヅギは左右にふらつきながら攻撃の構えをやめて退路へ進もうとする。
「うぉオオオラぁァアア‼︎」
「だぁあああああーーー‼︎」
「くっぅううう、今度は犬っころ・・・ッが・・・⁉︎」
ヤヅギの退路を塞いだのは狛犬兄妹だった。シウンであろう狛犬が左脚に噛み付き、その関節が動かないようガッシリとしがみつく。更にシウンの上にはソーアが跨り、太刀で第三脚の関節を突き刺していた。しかし、何故かソーアの様子が可笑しい。刀は握り締めてはいるが、自分の手に布のようなものでグルグルに巻き付けて離れないようにしている。しっかりとその刀から離れないようにだろうか・・・。それに、どこか顔色も悪いようにも見えるのはまさか・・・。逸れてしまった時に敵の攻撃で毒でも食らってしまったのだろうか。それでも渾身の想いでヤヅギの脚を離さない。それは云うならば、執念の塊。ソーアは歯を食い縛りながら、ギロリと握る太刀に酷似した瞳で睨み付ける。
「おいおい、フィナーレだぜ。どこ・・・、ッうぉっととと、行こうってんだよ?」
「にに逃がさない・・・ッ!あなたは、絶対にッ‼︎」
狛犬兄妹はヤヅギの脚を押さえ込み、その退路を塞いだ。何とか足掻こうとバタバタと脚を動かすも、関節の節に掴まる彼らに取り押さえられ身体がもたれている。
「あ、あぅう、痛い、いだぁいいい!なんで、あんたなんかにぃぃいい、アンタたちなんかにぃぃ!このアタシがぁああ!」
あれだけ優勢だったヤヅギが急に苦しみ出している。刀や銃弾を弾くくらいの硬い装甲だった筈なのに、今はすんなり通る。これもやはりセンの持つ宝刀の効果なのだろうか。明らかにダメージが通っているぞ。
〈チップ!身体の関節を取り押さえた今なら狙える筈だ!分析したところ、奴のマナが最も集中している箇所・・・。あいつの腹下に潜り込んで、一番装甲の薄い腹を狙うんだッ!〉
「なるほどな・・・!ご丁寧にずっと隠すように動いてたもんな!うっし、任せとけッ!」
〈あぁ、そこを狙えばあの化け物の自然治癒を著しく低下させる事が出来る筈だよ!〉
ジェニーのアドバイスを聞いたチップは舌をペロリと出した。今のヤヅギは、上半身の両腕は機能していない。狛犬達の活躍により、動きも封殺出来ている今がチャンスだ。センの攻撃でマナの流動が低下している内に、自然治癒で脚が復活する前に決定打を与えないと・・・!
するとチップは、一本の帯状となった影を飛ばす。影はヤヅギを通り抜け、その先にあった一本の木に括り付けられる。帯状の影を幼女の体へグルグルと巻き付け、ギリギリまで引っ張りながらピンと張り合わせた。まるでその影はゴムのようにピンと張っていて、一度手を離せばそれまたゴムのように遠くまで弾かれてしまいそうだ。
「イサムーーーーッ‼︎道は、作ったぜ!一緒に派手に行こうやッ!」
準備が整ったチップは大声で僕を呼びかける。僕はアイコンタクトで頷きナイフを取り出した。今のヤヅギならこのナイフでも攻撃が通る筈だ。殺傷や切り傷は要らない、突発的な瞬間威力があればそれで良い。このワスプ・インジェクター・ナイフなら、それが可能な筈だ。念の為、ガスを充填しておいて良かった。あいつがしようとしている事は、何となく理解している。あぁ、そうだ・・・。そうだとも・・・。僕も黙っているだけの僕じゃあ駄目だ。自分を払拭しろ、目の前の事に恐るな、立ち向かえ!
それが、その一歩が・・・。自分を変える瞬間だ・・・ッ!
「まるで、片道切符だな!」
「あぁ、最大全速の特急付きのな!」
僕はチップが差し出した手を握る。するとチップは僕の腰回りにガッシリとしがみつき、真っ直ぐナイフを握るよう指示する。云われるがままに僕は両手でナイフを握り込み、真っ直ぐに獲物を捕捉した。そして、合図が来る。チップがパチンと少し掠れ混じりの指を鳴らすと、張り詰めていた影が一気に解放された。限界まで引っ張っていたゴムが弾かれるみたいに、ヤヅギの方向へ一直線に猛突進する。
「うぉおおおおお・お・お・おぉぉぉぉおおおお!」
っておいおいおい、そんなの聞いてないって!め、めちゃめちゃ速いし、対抗する風で顔や口がブレブレに揺れる。けど、これだけは絶対に離さないぞ。こいつに当てるまでは、こいつに一泡吹かすまでは、絶対に!勢い付けた特攻は、影で作られたレールを直進する。猛スピードでヤヅギの腹下まで入り込み、目の前に巨大な肉の塊。分厚い装甲で覆われた脚とは違い、奴の腹下はブヨブヨとした柔らかい肉質だ。ここが奴の腹下、弱点の一つ。こいつをずっと隠していたんだな、この化け物は。マナの貯蔵庫であるここを狙えば・・・。僕は両手で握り締めたナイフでそのブヨブヨに膨れたヤヅギの腹目掛けて、思いっきりぶっ刺した。
ドスッ
良し、入った!思った以上に肉質が柔らかくて、ナイフも根元まで突き刺す事が出来た。あとは、ここで・・・。
「セーフティを外して、スイッチ・・・ッ!」
ボシュッウゥゥゥゥゥウウウーッ
『だあぁああああああああああああああああああああ‼︎』
突き刺したナイフのスイッチを押し込み、ナイフに内包されたガスが勢い良く噴出する。強烈な爆発音だけでなく、チップの影に引っ張られながら、その慣性に従ってヤヅギの腹を切り裂く。指先に伝わるビリビリとした感触は気を抜いてしまったら、つい手放してしまいそうな衝撃だ。チップとリンクした叫び声が相まってか、普段なら出せない力が不思議とみなぎる。こいつはこの爆発だけで済ましてたまるか、限界までその身体を切り裂いてやる・・・ッ!僕は握り締めたナイフをヤヅギの腹の奥まで突き刺し、必死に喰らい付きながら化け物の身体を一直線に引き裂いた。
「これが、一般人のぉおおおお、意地だっぁあああああああ‼︎」
「ギッ⁉︎あがががががッ・・・、ワ、ワタシの身体が。か、回復が・・・、回復が追いつかないィィィ・・・ッ⁉︎」
ヤヅギのお尻の先まで一直線に引き裂いたところで、勢い良く弾かれた影のロープによりその慣性のまま僕ら諸共吹っ飛ぶ。戦い慣れたチップはその反動を受ける事なく、くるくると空中で回転しながらしっかりと着地していた。かく云う僕はというとこのザマである。ゴロゴロと地を這い回り、頭は地面に寝そべりケツを突き出した状態の何ともギャグ仕様。くそ、決まったと思ったのにこれじゃあ格好が付かないじゃないか。けれど、明らかな手応えだ。ヤヅギはさっきの攻撃で、確実に苦しみ出している。案外、このナイフなら妖怪相手でも戦えるんだな。
「ナイスガッツよ、イサムくん‼︎」
その光景を見ていたレタが遠くから声を張り上げながら、サムズアップを高く挙げていた。
「そんじゃあ、こっちも持っていけぇえええええ‼︎」
彼女の声と共にマナの流動が突然激しくなる。荒々しい風は雪山の吹雪を彷彿とさせ、肌を切り裂くような冷たい風が舞う。右手を手前に突き出し、右腕を添えるように左手で掴む。荒々しい風は彼女の右手に集まり、やがてそれは一つの物体となる。
・・・巨大な弾丸。氷で出来た巨大な弾丸だ。拳銃に詰め込む弾丸をただそのまま大きくしたような無骨で、大きい氷の塊。キラキラと青白い光を放ち、吹雪のような荒々しい風を吸い込むようにその弾丸はまだ大きくなる。それを作り出したレタの方が小さく見えてしまう程に、無骨に大きな塊は少しずつ回転を始める。
「氷華・繚乱ッ!!」
レタの掛け声と共に、その回転は徐々に速さを増す。彼女のありったけのマナを詰め込んだ弾丸は高速で回転を始め、トリガーから放たれる弾丸そのものだ。そして、時は満ちる。たんまりとマナ詰め込んだ巨大な弾丸を彼女は撃鉄の如くその拳でぶん殴った。
ずっ・・・ドゥンッ!
フルスロットルまで回転した巨大な弾丸は、ヤヅギ目掛けて突進した。弾丸の巨大さは、いつの間にかヤヅギよりもずっと大きくなっていた。まるで普通の蜘蛛に指で押し潰す光景に酷似する。それだけの体積差もあって、ヤヅギは押し返す余力も無く、弾丸の意のままに空へと吹っ飛ばされた。
「ぎぃいややあああああ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・ァアアあああああああ‼︎」
まるで打ち上げ花火のように空へと上げられたヤヅギ。僕らが付けた斬り傷には、レタが飛ばした巨大な弾丸が回転を交えながら、ドリルのようにめり込ませていた。腹に溜め込んだ空気をそのまま吐き出すような断末魔の叫びは、耳を塞ぎたくなるような悲痛を響かせていた。巨大な弾丸に成す術無く、脚でわしゃわしゃと踠くが弾丸の回転は緩む事を知らない。はぁ、はぁ、と息を切らしていたレタは、額に広がる大量の汗を拭っていた。背中からは大量の熱波が溢れ出している。相当のマナを消費したのか、彼女のミリタリージャケットの冷却でも追いつかないくらいだった。彼女はそれで力尽きてしまったのか、ペタンと座り込みながら拳を空へと突き上げた。
「さぁ・・・、セン。打ち上げて、やったわよ・・・。存分に、・・・やっちまえッッ‼︎」
彼女のバトンパスが高らかに響き渡った。その声を耳にしたセンは静かに頷く。漆黒に近い黒い羽をバサっと広げ、刀を握り締める。チラリと見えたセンの東雲色に染まった瞳には、静かな闘志が見えた。ビュオッと一波の風が吹いた時、そこにはもうセンの姿は無かった。
「ああああああああああああああぁぁぁーーーーッ‼︎」
「ヒィイイイ!?」
そう、彼女は一瞬にして空へと高く舞い上がっていた。それも打ち上げられたヤヅギよりも更に高く。黒羽の少女の雄叫びが蜘蛛の背筋を凍らせる。それはヤヅギ自身、今まで味わった事の無い強烈な殺気。レタが放った巨大な弾丸のせいで身動きが殆ど出来ないでいるヤヅギは、もはや無防備状態だ。握っていた刀を振るい、その一刀をヤヅギ目掛けて振り下ろす。
「あ・・・がっ・・・まっ・・・、まっべ、も、そんなに、斬られた、ら、ばはぁ、ぶぇっ⁉︎」
一閃・・・、一閃・・・、また一閃・・・。その一振りはどれも慈悲が無い。ヤヅギの脚を一本切り飛ばしたと思えば、その吹き飛んだ脚を更に細切れにする。また一本、また一本。ヤヅギの脚を確実に切り落としていく。細切れにしていく中、やはりその血吹雪を一滴も許さない。そして全ての脚を切り終えた後に、両腕を失った上半身に狙いを定める。
「くたばれっ!この、ブ・サ・イ・ク・蜘蛛野郎ぉぉぉぉおおおおおおーーーーーーーーーーッ‼︎」
高速で旋回したセンは勢いを緩める事無く、ヤヅギの上半身とレタの弾丸ごと切り捨てた。弾丸は二つに割れ、氷が炸裂弾のように弾け飛ぶ。その衝撃も相まって人型の形をした上半身を横一閃に切断した。ヤヅギの顔は捩れるように苦しんでいるが、声にならない悲痛が擦り切れていた。そして脚を失ったダルマ状の身体が重力に逆らう事を知らず、地面へと真っ逆様に堕ちていく。
ドゥオオオオオオオオオ・・・ン
「形勢が逆転したわね・・・、ヤヅギ様。」
全ての脚を失ったヤヅギはごろんと横たわるように、地面にひれ伏していた。これだけ斬り付けたというのに、蟲の生命力というのは本当に異常だと思う。ピクピクとその身体は動いているのだ。少し間を置いて、センも羽を下ろし着地する。ヤヅギの顔に宝刀を向け、ギラリとその刀身にヤヅギの顔が映り込む。その表情は地の底まで醜く、八つの目には希望や勝機を失ったドス黒く歪んだ眼差しだった。
「センンンッ、お願いぃい!お願いよぉおお!もう脚が無くて動けないのぉおおよぉお・・・。か、回復するのに妖力を使い切っちゃってるから動けないのぉおお。ほ、ほらぁあ、もう何もしないからぁあ!ほらぁ、ね?ね?・・・ねね?ワタシの可愛いィィ、可愛いィィぃセンなら分かるわよね?」
だが驚く事に、まだつらつらと口だけは動く。ヤヅギ最後の足掻き、醜くも粘着質な懇願。まだ死にたくないという渇望だけは一級品だが、根の腐った言葉や音がどこまで不快だった。生かすか殺すか・・・。その選択は刀を握り締める彼女に委ねられている。
「申し訳御座いませんヤヅギ様。何を、ご冗談を。・・・というか・・・。あんた、私の仲間たちが今みたいな命乞いをした時、一度でもその願いをあんたは聞いたのかしら?」
彼女の決意は、最初から決まっていた。そう最初から。きっとそれはヤヅギにこの里を滅ぼされた時からずっと。自分の仲間や家族を仇を取る為に、ずっとこの時を待っていたんだ。だから、この一振りには、もう迷いは無かった。センはそっと刀を鞘に納め、再び体勢を低く屈み、浅い呼吸を吐きながら構えた。
「ま・・・まっ、待ってぇええ!もぉお、この通り動けないじゃないぃい!?だから、命!命だけは助けてよセンンン!」
化け物の必死の懇願。だが、それは彼女にとってありふれた雑音に等しかった。更に前傾姿勢になり、前足がそっと動く。
「抜刀・・・。」
「あ・・・っ。」
「・・・朝霧。」
ーピシン・・・、ピシシシシシシシシシシィィィィーーーッン
それは時が加速したのか、それとも感覚が鈍って遅く感じているのか。巨大な蜘蛛の化け物が一瞬にして、細切れにされた。そこにはもう、形は無い。風に飛ばされた砂のように紛れ、ヤヅギの血液すら残さず彼女は葬った。
「あなたもケジメをつけるのよ。」
ヤヅギへ、どこまで冷たく鋭い眼差しを送る。すると、役目を終えたのか彼女の握った宝刀に異変が起きる。柄に亀裂が入り、ヤヅギと同様に粉々に砕け落ちる。紙のように薄い刀身だけがすっぽりと抜け落ち、地面へと突き刺さった。指でも簡単に曲げられそうな刀身はひしゃげる事無く、真っ直ぐに凛と咲き誇る花のように地に立つ。まだビリビリと伝わっているのだろう。センの手は震えていた。いや、きっと震えていたのはそれだけでは無いのだろう。何故なら彼女は空を見ながら、大声で泣いていたのだから。泣いているのは、悲しいからではない。
歓喜による福音なのだから・・・。




