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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 雨やどり編

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54それぞれの決意へおまかせを

「はぁ・・・・、はぁ・・・。」


 蜘蛛の襲撃から逃げ(おお)せたチップたちは息を切らしていた。地面にどっと倒れ込み、呼吸を整えていた。どれだけの距離を進んだのかは無我夢中に茂みを駆け抜けたせいで、彼らにも分かっていない。少しでも遠くに、追っ手に察知されないように走り抜けた。幸い、ジェニーが撒いたカフェイン付きの煙幕で効果はあったようだ。先述した通り、高濃度のカフェインによりあの大蜘蛛の動きを一時的に封じる事が出来た。止むを得ず戦場から逃げ出した三人は束の間の休憩を得る事となる。


「おい、ソーア。」


「何だよチップ。」


 まだ整い切れていないチップの声は、狛犬の少年へと向けられた。ソーアはむくりと上体を起こし、不服そうに答える。額に滲んでいた汗がゆっくりと頬へと伝っていく。まだチップは大の字になって倒れ込んだままで、酸欠になった身体は大きく呼吸をしていた。 


「こっからどうすんだよ?」


「・・・。」


 ソーアは悪魔の言葉に沈黙する。チッと舌打ちを溢し、チップから目を逸らしていた。彼はチップの言葉を無視した訳では無い。答えたくても、その答えが分からなかった。口を噤み、沈黙のカードを切った。一向に返ってこないその答えに痺れを切らしたチップも上体を起こし、そっぽを向くソーアへと睨み付けた。


「おい、まさかだけどよぉ・・・。俺らだけでここから逃げる気か?」


 幼女の疑心を込めた視線は、赤い瞳の色をより濃くさせていた。何故、こいつは答えないのか。今すぐにでも引き返して合流すべきでは無いか、戦力は分断されているが実際は違う。戦える者は実際のところ、レタぐらいしかまともに戦う術を持っていないのだ。垂は戦えない、戦う力を備えていないのだ。さっきは止むを得ずその戦況から離れなければならなかったが、あの化け物と出会す前に合流すべきだとチップは考えていた。語気を強めた幼女の言葉が、ソーアの逆鱗に触れる。勢い良く幼女の胸ぐらに掴み掛かり、血走った目で睨み返す。


「じゃあ、お前はあの化け物に勝てるのかよ⁉︎見ただろ、オレたちが束になって戦っても敵わなかったんだぞ!」


「にに兄さん・・・。」


 雑巾を搾り取るような力でチップの服を捻りながら掴み掛かり、罵声をチップへ浴びせていた。掴みかかったソーアを止めようと、シウンは自分の兄の背中に掴み掛かる。妹の抑止すら振り払い、怒りの犬歯を光らせていた。


「だからって見過ごす訳には行かねぇだろ。」


 しかし、チップは凄む少年に対して動じなかった。ジトっとした目でソーアを真っ直ぐに見つめている。やり返すように掴み掛かる事もせず、ぶらんと両手の手は宙にぶら下がったまま。じっと冷静な目で押し寄せる波のようにチップは、彼の答えを待っていた。


「オレの刀もシウンの攻撃も、レタの氷だって弾かれちまった・・・。一旦ここは退却して、体制を整えてだな!」


「それであいつらはどーすんだよ。あの化け物に喰われちまったっていう報告でも待つのか?」


「そ・・・、それは・・・。」


 少年の必死の弁解は、幼女のたった一言で呆気なく砕かれた。言葉を失い、苦虫を噛み潰すような表情でまた目を背ける。当然、ソーアもその事は気付いていた。分断された戦力は、離れてしまったレタ側の方が劣ってしまっている。万が一、彼らの方にさっきの化け物が来たら・・・。自分たちは助かっても、チップの言うようにやられてしまうかも知れない。けれど、自分たちの力では対抗する手段が無い。また立ち向かって戦う事は出来ても、次も上手く逃げ出す事が出来るのか。そう彼には、あれを倒すという手段が見出せなかった。自分の判断が誤り、かえって返り討ちにあってしまうのではないか。そう思っていたが為に決断を歪めていた。

 そんな中、彼の中で最もベターだったのが一度自分たちだけでも退却し、戦況を立て直す事。しかし、それもどうか・・・。彼はその判断に迷いを滲ませていた。その様子に何となく悟ったチップは、はぁっと溜め息を溢しながら右耳を手で添え始める。


「おい、頭でっかち!話は聞こえてんだろ?俺のバディは、今何処に居るのか分かるか?」


〈済まない、さっきの攻撃でインカムが壊れてしまったのか。そのせいで完全にロストしてしまってるんだ・・・。〉


「でも、落ちちまったところの大体の場所はわかるんじゃねーの?」


「おい、お、おい。チップ何をする気だよ?」


 やはりチップは諦め切れないでいた。もう一度戻り、垂とレタを助けにいくととっくに決意していた。呼びかけるソーアの言葉は、幼女の耳には届いていない。ただじっと、ジェニーの返答を目を瞑りながら待つだけだった。


〈落下予測地点は、大まかだけど絞る事は出来ると思う。・・・ちょっと待ってくれ。〉


「あぁ、頼む。」


 プツンと張り合わせた線を切るように、ジェニーとの回線は一時的にここで途切れた。カタカタとキーボードを叩きつける音が聞こえた事から、画面越しのジェニーもやはり彼らを諦めていなかったようだ。言葉には出していなかったが、その様子にチップは少し安堵していた。気付けば、ソーアの掴み掛かった力は失っていた。ネジが外れてしまったかのようにその手は離れ、力が抜かれてしまった彼の腕はそっと地面に触れる。


「あー、シウンだっけか。お前、索敵が出来るんだろ?どれくらいの範囲が可能なんだ?」


「え、えええっとと、意識を集中させればだけど、だいたい半径一キロくらいかな・・・。でもあまり長くは出来ないの。常にだと、だいたい百メートルくらい・・・。」


 シウンの察知能力が他よりも長けているのは、ストレスにより発症した吃音症の副作用の一つから生まれた後天的なもの。彼女の耳は音だけでなく、ほんの僅かな殺意を察知する事が出来る。その探査方法は超音波を使ったソナーに酷似する。自分の周りに殺意や殺気があると、音波のように対象のモノを察知し、距離とその強さを測り取る事が出来る。意識的に集中を施せば、その範囲を広げる事も出来る為“ヤドリ”にとって重要な役割を果たしている。ただし、彼女の索敵は主に殺意や殺気に限る話で、殺意の無かったセンに反応しなかったのはその為である。また、長時間連続での索敵作業は出来ず、小まめに糖分を摂取する必要があるのが欠点。シウンはその事を事細かくチップへ教えた。


「つまり、殺意以外は反応しねぇって事か?」


「うん・・・。」


 握り拳ほどの空気を飲み込みながら、シウンは深く頷いた。そのままポケットから取り出したのは、チューブ型の容器。少女は徐にキャップを開け、口元へと持っていき勢い良く吸い上げる。


 チュゥぅぅぅぅうぅうぅ~


「お、おい・・・、お前何やってんだよ・・・。」


 少女の幼児染みた行動につい驚いてしまったチップは口を開けたまま、あんぐりとドン引きしていた。一頻り吸い終えたシウンは、パッとチューブから放し息を整えている。そのチューブに書かれていたのは「ピーナッツバター」。


「ささささっきも伝えた通り、とと、糖分摂取しないと長くは続かないの。」


「だからってお前、直で吸わなくてもよ・・・。俺でもあんまり、それやらないぜ・・・?」


 その行動は彼女にとって重要であり、車を動かす為のガソリンに近い。しかしその光景は中々に異様なものであり、初めて観る者は気でも狂ったのかと心配になる程だ。ピーナッツバターの百グラムあたりのカロリーは、およそ六百四十前後。大さじ一杯分でも百グラム前後だ。塩分や脂質が多いピーナッツバターであれば、瞬時に糖分を摂取出来る実に効率の良い即効薬ではある。ただし、それはシウンなどの特別な訓練を受けた者に限る話である為、決して見様見真似でお勧め出来るものでは無い。

 

「だだ大丈夫!ウチ、特別な訓練受けてるから!」


「いや、もう良い・・・。とりあえず、索敵は頼んだぜ・・・。」


 その仕事を任されたシウンはまたチューブを口に含みながら、余った右手で渾身のガッツポーズを見せた。いつもあちこちにツッコミ役として動いている垂の気持ちが少しわかったチップであった。成程、確かにこれは中々に気が疲れるな、とチップは声に出さずに心の中でそう思っていた。


「ねね、ねぇ、チップくん。あの、あのの人間さんとはもう長いの?」


「まだ半年も経ってねぇ仲だよ。あいつ、弱っちい人間だからさ。ほっとけねぇんだよな。」


 シウンは不思議がりながらもそう尋ねた。悪魔であるこのチップは、何故あの人間に拘るのか。悪魔と人間の関係。それは一般的に、契約上の中でしか成り立たないもの。それも悪魔に優位がある物に限る話ばかりだ。しかし、この悪魔に限ってはそうとも軽々しく言えない。あまりにも対等過ぎるのだ。何かの対価を貰っている素振りも無い。ただ彼が弱いから?たったそれだけの原動力で、この悪魔は人間の為に動いている?少女は、その行動が解せなかった。自分の知っている悪魔とは、余りにも違い過ぎる。何か特別な、彼らにとって特別なものがあるのかと疑念が絶えなかった。だから、彼女は訊いた。震えた声をキュッと振り絞って、満杯の水の入ったコップを運ぶように慎重に頷きながら。


「ででででも、なんで君にそんなに、そんなにそそそうさせているの?」


「決まってんだろ?・・・バディだからさ。俺は一度決めた事は揺るがねぇ。」


 チップが発した言葉は揺るがない一つの信念。垂とのバディを結んだ事のみ。どちらが下で、どちらが上という話ではない。互いに背中を合わせ合い、対等に協力し助け合う堅い絆。ピンと張り詰めた、細く一見頼りない小さな糸。けれどそれは何にも差し替えられない彼らだけの絆の糸。それを手繰り寄せ、チップは今助けようという一心で動こうとしている。


「バディ・・・。」


 その言葉に狛犬兄妹は胸を撃ち抜かれる。時が止まったかのように、呼吸を忘れてしまったみたいに静止する。ずっと奥にあった、長い間、顔すら出す事も無かった忘れかけていた言葉。互いを信じ合う言葉である。懐かしい響きでもあり、すっかり日陰で埃被ってしまったもの。そんな言葉に翻弄され、ソーアは恐る恐るチップへと返す。


「お前、あいつを・・・。人間の事を信用してるのか?」


「信用して何が悪いんだよ?あいつがピンチなら俺が助けに行く。俺がやべー時は、必ずあいつがそばに居る。バディってのはよ、そういうもんだと俺は思ってるぜ。」


「もし・・・、もし、あいつが裏切ったり見捨てたりしたら、お前はどうすんだよ。」


 それは少年の遠い過去の映像とリンクする。脳裏に焼き付けられた遠い記憶。人間に裏切られた、見捨てられた兄妹の哀しい雨の記憶。切り取られたセピア色のフィルムが彼の視界に覆い被さる。自分たちも元は人を信じていた。けれど、それはガラリと急変してしまう。そんな苦い過去が彼らを縛り付ける。こいつは、この悪魔も同じ道を歩んでしまうのでは無いかと懸念してしまっていた。人を信じても碌な事なんて無い。痛い程味わった彼らのトラウマだ。しかしそんな懸念の声に、あろう事かこの悪魔はポカンと口を開けて呆然としている。


「ん?そうだなー・・・。そんな事、考えた事も無かったや。」


 下顎に指を添え、立ち並ぶ木々を眺めながらチップは囁くようにそう返した。その瞬間、ぷっと少年と少女は吹き出す。先程まで張り詰めていた緊張を忘れ、幼女のあどけない顔にすっかり翻弄されていた。


「お前、やっぱ馬鹿だろ。考え無しで突っ込んでばっかじゃあ、いつか後悔するだけだぞ。」


「じゃあ、後悔しねぇようにもっとバカしねぇとな。それによ、俺、悪魔だからよ。裏切るのも裏切られるのも慣れてんだよ。」


「は?お前、何言って・・・。」


 ソーアはチップの言葉を聞き逃さなかった。この悪魔は、初めからそんな人間の事を理解しているのかと。理解した上でこいつは動いているのかと。ソーアはさっきまで張り詰めていたものに対し、段々とバカバカしく思えてしまった。そんなシンプルな考えで行動出来るこの悪魔に、半ば呆れてしまっているのかも知れない。けれど、彼の中でずっと厚く張っていた壁に、小さな綻びが見えた瞬間でもあった。


「あー、今のは忘れろ。」


「ふ・・・ふん!おいジェニー、まだレタたちの場所はわかんねーのかよ⁉︎」


 ソーアが微かに見せたのは、クスリと笑う小さな表情だった。けれど、チップには見せない。唯一見せたのは、たった一人の肉親であるシウンにだけ。それを見た彼女は、ほっと安心するように慈悲深く笑った。同時にシウンは、心に思った。「本当に素直じゃないな、兄さんは」と微笑ましく見つめる。


〈そう、急かすなよ。今ログを辿りながら探してるんだ、もう少しだけ待ってくれ。」


「お前・・・。」


 チップは目を丸くさせながら驚いていた。さっきまであんなに磁石のように反発していたのに。どういう風の吹き回しでこいつも動くようになったのかと。実際は自分の言葉で揺れ動いた事に、当の本人はまだ気付いていない。そんなソーアは少し恥ずかしそうに頬に紅を染めさせ、腕を組みながら視線をずらしていた。


「か、勘違いすんじゃねーぞ。オレはレタが心配だから、探しに行くだけだからよ。」


「ふふふ、にに兄さん多分ね、イサムさんの事も心配なんだと思うの。」


 そう微笑ましく兄を見つめていたシウンは、こっそりとチップへ耳打ちでそう伝えた。


「そうかー?あんなツンケンしといてか?」


「だだだって、ウチの兄さんだもん。」


 そう言うとシウンは、ニッと八重歯を見せながら笑って返した。これが自分の自慢の兄ですと言わんばかりに。今日一番の満面の笑みを浮かべる。


「おい!何コソコソ話してんだよ、あとチップ!オレの妹にベタベタくっついてんじゃねーぞ!」


 ただ一人、その光景を良しとしないソーア。何となく自分の事をバカにしているのでは無いかと悟っていた。槍でも振り下ろすような勢いで指を差し、がみがみとチップにだけ皺を寄せながら怒っていた。

 しかしその時、ほんの一時だった安らぎは一打の電流により塗り替えられてしまう。ピシリと最初に感じ始めたのはシウン。白目を大きく強調させるように丸くさせ、背筋が凍りついてしまうような緊張が再び訪れる事を察知する。


「まま待って、二人とも!何か、来る!」


「な・・・、ま、またかよ⁉︎」


「でででも、さ、さっきよりずっと小さい・・・。ずずずっと小柄で、けど凄い妖力で・・・、こっちに・・・ッ!」


 不気味な妖気を発した者はひたりひたりと滲み寄る。チップとソーアは周りを見渡しながら、警戒をし始めた。


「おやおやおやおやおやぁ~ん?こーんなところにまだ妖が一匹、二匹、三匹。」


「誰だ⁉︎」


 その声は幼く、まだ年端も少ない男の子のような声だった。木の枝に糸を括り付け、逆さで吊られた少年のような風貌。真っ黒に染まった筒袖を羽織り、下はグレイの括り袴を着用した少年が尻から出した糸で吊られている。風貌こそは少年そのものだが、顔は人間のそれとは似て非なる。目は四つあり、口元からは鋭い牙を剥き出している。目を細めながら薄笑いをし、チップたちは舐めるように見つめていた。


「おいおいおいおい~、そりゃあ無いだろ、そのセリフは無いだろおい。だってここは、俺ちゃんたちの家だぜ~?」


「お前、まさかさっきの蜘蛛の・・・。」


 チップは悟った。こんなところに普通の人間の子供が居る訳が無い、十中八九それは妖の類であると。それもただの妖ではない、恐らくは八握脛(ヤツカハギ)の仲間。けれど、その風貌はその幼体よりもずっと小さい。不気味な笑みを見つめるそれは先の巨大蜘蛛と酷似する。そして何よりも、幼体の非では無い強さを風を通して感じ取る。逆さ吊りのまま胡座をかき、ケタケタと笑いながら余裕を見せつけていた。


「答えは教えてやんな~い!だってさ、だってさ、お前らこの後喰われちまうんだからさ。意味無いじゃ~ん?」


「吊られてんのに、釣れねーな。名前くらい教えてくれても良いだろ?」


 ソーアは瞬時に太刀を取り出し、刃の切先を蜘蛛の少年へと向けた。薄気味笑う蜘蛛は両手で指を差しながら、チップたちへ挑発を送り続ける。すると、この瞬間になってザザっと砂を削る音が彼らの耳元で鳴り響く。


〈チップ、垂たちの場所が分かったよ!ここから北東に直線四百メートル先の地点だ。どうやらレタとも一緒みたいで・・・。〉


「ジェニー、わりぃな。ちょっとこちとら現場では取込み中なんだわ。」


〈あ、あれは・・・。〉


 漸く通信に帰って来たジェニーも、モニターに映った異形な少年を見て気付いた。


鬼哭丸(きこくまる)、それが母さんから貰った俺ちゃんの名前だよ。」


「随分と厨二くせぇ名前じゃねぇか、お前の母ちゃんって厨二病か、おい?」


 鬼哭丸と名乗った蜘蛛の少年は、吊るした糸を伸ばしゆっくりと下へと下がっていく。地面スレスレまで頭を近付け、人の関節を無視した体勢で右手の手首をぐるりと一周捻らせながら地面に触れる。吊るしていた糸を切り、胡座になっていた足は垂直に立ち上げ、まるでブレイクダンスのように体全体を捻りながら回す。それはコマのように支点となった手は回転の軸となり、何度も身体を回転させる。それは格闘術の一つ、カポエイラに酷似していた。

 カポエイラは足技を基本とした格闘術であり、後世のブレイクダンスにも影響を与えた武術でもある。

時に手枷をされた奴隷がその拘束を解かれないまま鍛錬したが為というのは、想像の範疇に過ぎず実際には誤りだという説もある。実際のところはサンバなどのダンスに欠かせない基本ステップに酷似している事から、踊りから発展されたともある。その為、音楽をかけながら踊りの練習をしていると見せかけ、その鍛錬を欺いてきた。皮肉にもカポエイラの語源は、現地の言葉に表すと“刈られた森”という意味で伝わっている。器用に手首を捻らせ、肘を屈伸させると勢い良く腕の力だけでその場で高く飛ぶ。着地はスマートに、そっと撫でるように。如何に自分が身軽であるかを見せつけるかのように、面妖な四つの目はニヤリと笑って見せた。


「これは母さんが取り逃した獲物だから、別に俺ちゃんでも良いよね~。最近ずっと自分で狩りしてないからヘマるんだよ。」


 鬼哭丸はブラブラと手首を回しながら、自分の母に対し悪態をついていた。妙に人間染みたその容姿は、まさに異様だった。八握脛の幼体とも母体とも、全くその要素が外見状では見当たらないのだ。彼ら八握脛の中には稀に特異となる幼体が生まれる時がある。それは、その時に母体が喰ってきた量と質。それらがマッチして条件が整うと数百の内のその一体が誕生すると言われる。幼体を超えた知能を持ち、力も当然向上されている。身体の大きさこそは小柄にはなってしまうが、内包するその力は幼体の何倍も上である。特異の身体を生まれながらにして手に入れた鬼哭丸は、雄の蜘蛛とは思えない程の残忍さと凶暴性を持ち合わせているのだ。


「おい、チップ。」


「あぁ、分かってる。こいつあんな飄々としてっけど、めちゃくちゃ強ぇぞ。」


 ソーアとチップは互いに横目で確認し合い、囁くような声で互いの戦闘準備を整えていた。シウンの索敵に反応したと言う事は、目の前に対峙するこの男は殺意、殺気を持ってここに居ると言う事。その殺意も殺気も目の前に対峙する事でより一層強固になり、研いだばかりのナイフを更に研磨させるようだった。

しかし、ソーアはもう一つ懸念していた。


「けど、お前・・・。戦えんのかよ?」


 それはチップの戦闘力の事である。チップのみ未だ実力を発揮出来ないままである事。飛川コマチに弄られて以降、能力は限定的に制限されている。コマチの“開”を行う事で限定的に解除されているというのは誤認であり、実際は時間に関係している。それは、最も影が色濃くなる夕方にかけてチップの本来の能力が開花されていくのだ。コマチが行なってきたのは、一種のプラシーボに過ぎない。垂に教えられ、漸く自分の力を理解したチップ。だが、その時間はまだ幾分か早い。時刻は夕暮れにはまだ早く、この戦場となる森の中ではまだ影が薄い。チップが満足に戦う為には、時間が必要だった。


「ま、それなりには・・・な。お前らはどーなんだ。」


「だだ大丈夫だよ、チップくん。ささサポートするから、任せて!」


「それをオレに聞くって事は、それなりの案はあるって事だな。」


 その言葉にチップは無言で頷いていた。策はある、と真紅の瞳でソーアへ訴えかけていた。チップは手のひらに向かって拳を叩き付け、鬼哭丸に挑発を放つ。


「おう新顔、別にタイマン張る必要ねぇだろ?ルール無用で行かせてもらうぜ!」


「オレたちのロードマップに邪魔だ!」


 それぞれが武器を持ち、対峙する特異の蜘蛛に刃を向ける。だがその殺気を撫で下ろすように、クスクスと鬼哭丸は不気味な笑みで返した。


「おやおやおやおや~ん。なーーーーーーーに、勘違いしてくれちゃってんの、君ら。」


 両手を広げ、怪しげな闘気を見せつける。それは色濃く強調され、蜘蛛の背後には紫色に光る蜘蛛の巣を模った闘気を放つ。


「これから起こる事は狩りだよ。俺ちゃんの、鬼哭丸様のただただ一方的な、狩りという名のゲームだよ~!」


 そしてここでもまた、狩りと名を打たれたゲームが始まる。それは年端もない少年が無邪気にゲームに触れるような。純粋に楽しむように、四つの目が獲物をロックオンしていた。

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