51忍び寄る戦慄へおまかせを
巨大蜘蛛の襲撃を受けた僕たちは、あれから距離を取り少しずつ帰路へと修正して進む事にした。狛犬の姿だったソーアはあの後すぐに変身を解き、元の少年の姿へと戻っていた。いや、この場合は本来の姿が狛犬なのだろうけど。人の姿の方が色々と都合が良いんだろうか。けれどメルのように燃費が激しい能力では無いようで、変身を解いた後もピンピンしていた。まぁ、あいつの場合は能力が言霊だけに消耗が激しいのだろう。ソーアは元の隊列にシウンと共に僕らの後ろを歩いていた。しかし進む事、実に三十分余りが経過した。登ったり降ったりと高低差の激しい勾配を草木を掻き分けながら進む。ぐるっと迂回してしまったが為に、出口である車を停車したところまではまだ随分と距離があるようだった。
「なぁ!」
「・・・。」
「なぁってばよ、おいレタ!」
ソーアは両手を頭の後ろに添えながら、痺れを切らし始めているのか不満を投げかけるように先頭のレタを呼んだ。ほんの少し目線を下げながら歩く彼女の後ろ姿は、何処か神妙でもあった。何かを考え込むように、今は少しだけ考える時間が欲しいと、背中で語っているようにも見えた。確かに、彼女にとっては予想外の出来事だったのだろう。本来は、青天狗の孤児とコンタクトを取るだけの事だった。それだけの筈だった。なのに自分の苦手な生物に似た妖怪に襲われ、出口まで迂回を強いられている。多少の危険はあれど、彼女にとってアレは別問題なのだ。どうやらレタは、相当虫が苦手らしい。顔を真っ青にしながら目を瞑る程だ。恐らく小指に乗るくらいのサイズでも悲鳴を上げてしまうくらいなのだろう。傘を広げたくらいの図鑑にも載っていない規格外のサイズが現れたものなら、絶句もしたくなるに違いない。詰まるところは、なんとしても一刻も早くここから抜け出さなくては。彼女の思考は、今まさにこの一つに絞られる。そう一点集中に考え込む彼女を叱咤するように声を掛けるソーアに、苛立ちを覚えたのかレタは首だけを振り向き少年を睨み付けた。
「何よ、聞こえているわよ。」
「じゃあ、返事くらい出来るだろ!本当に、この道で良いのかよ?」
やはり彼女の機嫌は、虫の居所が相当悪いらしい。眉を吊り上げながら、ぶすっとした不満そうな顔でメンチを切る。レタの表情はまるで黒い雨でも降っているかのように、憮然たる面持ちで返事はするものの中々煮え切らない様子だ。その様子にソーアは舌を静かに切る。道案内に関しては正確に云うと、ルートを提示しているのはジェニーだ。僕らの上空を飛んでいるドローンが位置をしっかり見つめてくれるお陰で、恐らく迷う事は無い筈。しかし帰路に向かっているとは、ここもまた油断出来る道のりでは無かった。安心も束の間、という奴だろうか。
「そうですね、出口までだいぶ遠回りしている気がするし・・・。それにさっきみたいな蜘蛛・・・。」
「ん!」
「もとい・・・、八握脛ですかね。その幼体がうじゃうじゃ居ますよね・・・ここにも。」
どうやら“蜘蛛”というワードは彼女にとってタブーのようだ。今後は、少し気を遣って控えた方が良さそうだ。物凄い剣幕で睨み付け、即刻修正しろと云わんばかりのほぼ無言の圧力。僕はその圧倒に、汗を滲ませながらたじろいだ。だが、その八握脛の幼体なるものは、やはりここにもあちこちに点在している。けれど先の集団とは違い、一向に襲ってくる気配は無い。明らかにこちらには気付いている筈なのに、襲う素振りを見せない。別に腹が減っている訳では無いからか。ここに居る幼体たちはじっと木影で、時が止まったように寛いでいる。さっきと違うのはなんだ?彼らにとってのテリトリーがあるのか?巣を持つ虫は、それに近付くと警戒心を強めてくる。触れようものなら、侵入者を追い払う為に牙を向ける。さっきは、たまたま彼らのテリトリーに踏み入れてしまっただけ?ここにいる幼体は、まるで僕らに興味を示さない。この違いは、この違和感はなんだ・・・。別の条件が楔になり、歯止めとなっているのだろうか。
「えぇ、そのようね。・・・はぁ、嫌でも視界に映り込むわ・・・。」
彼らが襲ってこないのは幸いではあるが、余り良い気分ではない。どうしたってこんな巨大蜘蛛の群れに囲まれながら、森を散策しなければならないのかと嫌でも思うだろう。レタは、実に不服そうな深い溜め息を吐き溢していた。まだ奴らが動いていないだけ、幾許かマシではあるのだが。せめてウサギやら小鳥やらが見れれば、少しは気分は晴れるところではある。・・・そういえば。ここの森、なんでこんなに静かなんだ。ずっと思っていた違和感の正体に、微かに触れた感覚に陥る。何故、この森には動物の姿も小鳥の囀りも聞こえないんだ?冬に近付いてきた秋空とはいえ、少しは見えても可笑しくは無い。この森で出会った生き物なんて、さっき遭遇してしまった巨大蜘蛛しか見ていないぞ。ふと、ジェニーの言葉を思い出す。
ーーー餌を求めて森に避難した外来種が、元居た在来種を食い荒らす。それが今、この森で起きていると云うのか。
だが、この状況はまるで侵略に近い。その場の生態系や環境を壊し、突如としてこの蜘蛛たちは生態ピラミッドの頂点に立つ。鳥の囀り一つ聞こえないこの森こそ、外来種に汚染された不気味な静寂と化した姿。その瞬間、脳裏に焼き付く。僕らはもしかしたら、初めからこの森に入った時点で奴らのテリトリーに踏み入ってしまったのでは無いのかと。
「なぁ、ねーちゃん。俺たちもしかして騙されたんじゃねぇかな?」
「どうだろうなぁ、元々ここはこの妖怪が多く棲息している地域なのかも知れないな。既に、奴らに侵略されたのかも。ほら、ジェニーが云っていただろ?外来種によって生態系が崩れるって話がさ。もし後者の方が正しいのならば・・・。逆に僕らがあの八握脛たちのテリトリーに踏み入れてしまったのかも知れないよな・・・。」
「だとしたら、やっぱあの青天狗のガキが吹き込んだ罠かも知れねーじゃん!」
幼女がそう思うのも無理はない。僕らは青天狗の指示に従ったルートを選択し、巨大蜘蛛の群れに遭遇したのだ。奴らのテリトリーに踏み入り、僕らは襲われた。知らず知らずに蜘蛛の巣の網に引っ掛かった状態に近いのかも知れない。だとするならば、何故この蜘蛛たちは興味を示さないのだろう。ここには何かあるのか・・・。
〈あぁ、この森は既に生態系が崩れてしまっているみたいだね。元々ここは、青天狗たちが棲家にしていた地域なんだ。けれど、こんなに土蜘蛛の幼体が居るなんて正直予想外だった・・・。レタ、一刻も早くここから抜けないと。〉
「えぇ、端からそのつもりよ。ジェニーこのルートだと、後どれくらいなのかしら?」
「生憎、地形がどうなってるかまでは分からないけれど、何事も無ければおおよそ一時間は掛かると思うな・・・。〉
レタの足は早まる。先程よりも足早になり、周りをキョロキョロと見渡しながら帰路へと向かう。とは云えここは、崖の目立つ実質一本道。足場はぬかるんでおり、踏み外してしまえば地面まで転げ落ちてしまう。まだ断崖絶壁という程ではないが、急勾配となった坂は水気の多い土と相まって止むを得ず足に力が入る。ジェニー曰く出口まではまだ一時間と掛かるらしいが、悪条件が重なった地形は徐々に体力を蝕んでいく。
「何事も無ければ・・・か。随分なフラグを立ててくれるじゃない。」
こめかみに指をトンっと添えながら、レタは苦虫を噛み潰すような面持ちで色を暗ませる。何か嫌な予感がすると云わんばかりの彼女の瞳は、灯火で徐々に溶けていく蝋燭のように少しずつ歪めていく。それは彼女の“女の勘”と云う、第六感が働いているからだろうか。脳裏に不安を掻き立て、焼き付ける。口にこそはそう出さなかったが、どうにも煮え切らない表情だ。兎に角、今はジェニーのルートを頼りに進むべきか。少しでも早く、一歩でもここから遠くに。そんな焦りが垣間見えた時、気まぐれな嵐は突如としてその陰りを見せる。ソーアの傍らを歩いていたシウンが突然、全身の毛を逆立てるように吃驚し立ち止まった。思わぬ方向から電流でも浴びせられたように反応した少女の視線は落ち着きを忘れ、周りをキョロキョロと見渡し始める。
「レレレレタ、たたぶん、きき来ます!何かが、物凄い勢いで、ここここっちに向かって‼︎」
一刻もまずは皆に伝えねば、そんな思いが焦りを掻き立て半ば興奮気味に荒げていた。シウンの眼差しは怯えるように震えており、高鳴る鼓動を和らげようと両手で胸を押さえ込んでいる。
「来るってどう云う事、シウン⁉︎」
「どこにもそんな気配なんかねーぞ?」
異常なまでに反応する彼女を見て、チップやレタも吊られるように周りに警戒を広げる。しかし、チップもレタもその危険視するようなものをキャッチしていない様子だった。当然だが、ただの人間である僕には一切の気配は感じなかった。“ギフト”と遭遇する時の独特の感覚。ピリリと背中を駆け巡るような電撃、全身の毛穴に空気が入り込むような感覚、それは所謂、霊感の一種。そんな身の毛がよだつような感覚は未だ僕には無く、どうやらそれを感じ取っているのはこの場に居るシウンだけのようだ。
〈シウンは、妖怪たちの気配を索敵するのに長けているんだ。並のレーダーより遥かに優秀だよ。残念だけど、僕からではレーダーに感知されていないから正確には分からないけれど・・・。〉
成程、だから彼女をメンバーに選んだ訳か。索敵をする能力自体、妖怪や悪魔によって様々なのだろう。それが特に長けているのがこの狛犬兄妹の妹、シウンであるとジェニーは語る。ジェニーが云うレーダーとは恐らく上空に飛ぶドローンが、その役割を果たしていると云う事か。それでも探知されない妖怪を、この少女は勘付いている。しかし、一体どこだ?周りをどれだけ見渡してもそんな気配は無い。周りに居るのは、一向に動かない八握脛の幼体ばかり。
「だったら、一体どこからなの⁉︎全くだから、蜘蛛は嫌なのよ!」
「ししし下ですッ‼︎それもすぐ真下!みみみ皆さん、離れてくださいッ‼︎」
シウンは、地面に矢を放つように指を差す。下・・・、下ってここ地面だぞ⁉︎シウンの咄嗟の号令に、その場から急いで離散した。一体、何が僕らの下に近付いて来ているって云うんだ。森が、いや大地が揺れている。先程まで居た地面に亀裂が入り始めた。地鳴らしと共に地面は盛り上がり、姿を現す。
ズ・・・、ズモモモモッモモモモモモ、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォオォオオオオッ
『なんじゃあぁあああああああああああああああああああ、ありゃあぁぁぁぁぁぁぁぁアアアアーーー⁉︎』
それを見た僕らは一斉に悲鳴を上げる。衝撃的な驚愕とは、まさにこの時に使うのでは無いだろうか。これがギャグ漫画なら、間違い無く髪を逆上げて目を大きく飛び出していた事だろう。地面から現れたのは、巨大な蜘蛛。それも周りに居る幼体の比ではない。その全長は十メートルくらいだろうか、巨大な身体に不釣り合いな八本の細長い脚がよりその化け物を大きく見せる。頭は鬼のような顔を持ち、紫色の目を八つ。剥き出しになった大きな牙を持ち、粘液の強い涎を垂らしている。だが幼体との差に最大の特徴はその大きさだけではない。胴体の上部に普通の蜘蛛には無い異形なもの。巨人の上半身をそのまま縫い付けたようなものを持ち、所々隆起した骨が飛び出しており、全体的にゴツゴツしていた。腕は八本の足のようにやけに痩せ細っており、三本の尖った爪を生やしていた。顔となる部位には、目が無い。唯一あるのは大きくしゃくれた口だけ。大顎からも牙が飛び出ており、云わずとも噛まれたら一溜まりも無いだろう。こんな巨体が地面から現れるなんて、物理法則を完全に無視してやがる。くそ、これだから妖怪って奴は!
「あぶぶぶぶ・・・。」
「ちょ、レタさん!こんなところで失神しないで下さいよ‼︎」
その馬鹿デカい異形なものを見たレタは、苦手要素の臨界点を突破してしまったのか白目を剥きながら泡を吹く。僕はたまたま近くに居たので咄嗟に、彼女が倒れ込む前に掴み取った。酷くぐったりしており、目を回している。無理も無いだろう、幼体サイズで悲鳴を上げていたんだ。あんな怪獣パニック映画に出て来そうなサイズなんだ。大の大人だって突然襲いかかるように現れたんじゃあ、悲鳴の一つ上げない方が逆に異常者だろう。語気を強めて声を掛けるが彼女の耳には届いていないようで、近くに居ても聞き取れない言葉をブツブツと呟いている。
「蜘蛛じゃん!すっげぇデカいタランチュラじゃん‼︎」
蜘蛛の化け物を指差しながら、チップは叫び散らかした。いや・・・。あれは最早、蜘蛛と呼んでいいのか。あまりにも巨大過ぎる・・・。そして、今更になって第六感も騒ぎ立てた。ピリリと感じる電流。うるさい、そんなの一々出さなくても見ればわかるよ。あれが化け物であり、妖怪だって事くらい。地中から出たばかりのその化け物は、体表に付着した土を身震いを起こしながら払った。そして、人間の上半身のような身体がキョロキョロと辺りを見渡す。一人、また一人とそれぞれの目が化け物と視線が合う。口だけの顔がグニャリと引き伸ばしたような薄ら笑みを浮かべ出す。
「あらあららあらァァ、なんだかワタシの子達の様子が可笑しいと思って来てミレバァぁぁ。今日はついてるわぁネェえ!生きた人間も居るなんて、良い食事出来そうねェェ!」
その化け物は口を開いた。その声は、男女の声を混じり合わせたような音。ノイズがそれらを歪め、耳に寒気を感じる。狂気に満ちたその化け物の顔と声は、僕らの脈をゾクリと打ち特大級のプレッシャーを放つ。それは自分の方が格上であるというオーラ。弱肉強食、自分がこの生態系ピラミッドの頂点に位置するのだと。圧倒的な暴力によるドス黒くも歪んだマナ、一目見てすぐに僕は理解した。こいつは、獲物を、遊ぶ事を楽しむタイプだ。
「喋ったぁぁあー!おいイサム、聞いたか!蜘蛛が!タランチュラがぁ!」
〈バカか君たちは。あれこそ、この子蜘蛛たちの母体である土蜘蛛という妖怪だッ!〉
「あのバカでかいタランチュラが妖怪だってか⁉︎おいおいおいおい、ほぼモンスターじゃねーか!あんなの薄い本に出たら何されるかわかったもんじゃねーぞ!」
薄い本ってなんだよ、バカ悪魔。まぁけれど、こいつは妖怪とかそんな次元じゃない。チップの云う通り、怪獣然りモンスターそのものだ。これが、八握脛の母体・・・。幼体が傘を広げたサイズだから成体はもっと大きいとは思っていたが、これは完全に許容範囲外だぞ。
「ちょ、レタさん。起きてください、こんなところで気を失ってる場合じゃないですよ!」
僕は彼女を大きく揺さ振った。ずっと、ぶつぶつと念仏を唱えるように何かを詠唱しているからだ。揺さぶっても手応えが無く、首をぐらんぐらんと舟をこきながら魂ここにあらずの有様である。ただ先程よりは揺さ振った効果があってか、少し焦点が合うようになってきた。それでも未だ顔を真っ青にさせており、目を瞑りながら小声で何かを呟いているようだった。少し耳を澄ましてみると・・・。
「嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ、あんなデッカイ蜘蛛居る訳無いじゃない。そう、そうよ。あれはでっかいモンブラン・・・。動くでっかいモンブランよ。そっかぁ、今って旬だものね。栗だもの、美味しい季節だから相当美味しさが詰まってて。ほら、こうやって目を開ければギャァああああアアアアーー‼︎」
「何、変な現実逃避してるんですか!早く、こっちに!」
どうやら彼女は、等身大以上の自己暗示をかけていたようだった。あれを、どこをどうアレンジしたらでっかいモンブランに見えるのか。人をじゃがいもだと思えと同じ理屈だろうか。にしても、あれをモンブランに見立てるのは無理があるだろ。案の定、目を開いた途端に一気に現実へと引き戻される始末。自分が最も嫌いな生き物であろう超巨大サイズの蜘蛛を目の当たりにして、本日最大級の悲鳴を森中に轟かせていた。僕は止むを得ず彼女の身体を無理矢理引っ張り、化け物から距離を置いた。
〈ちなみに今タランチュラって言葉が挙がっていたけど。タランチュラって名前の生き物は居ないからね。調べてみると、元々は毒蜘蛛の伝説があるイタリアの港町タラントが起源と云われているらしいんだ。その蜘蛛に噛まれると精神的に可笑しくなるタランディズム病を発症すると云われたのが始まりなんだよ。そんな恐ろしい見た目で大きな蜘蛛という先入観が働き、世間ではタランチュラと安直にそう呼ばれるようになったらしいよ。ちなみに、君たちが一般的にいうタランチュラって呼ばれる蜘蛛はルブロンオオツチグモ。別称でゴライアスバードイーターが良い例だね。〉
すると彼の中で何かのスイッチが入ったのか、急にタランチュラについて雄弁に語り始めていた。なんだこの蘊蓄・・・。多分、一生で一度使うかどうかの知識だし、出来れば暫く蜘蛛は見たくないよ。どうやら言葉に出さなかったが、皆その事については同意見のようで強制的に耳元で流れる無駄知識に呆れを示していた。あ、そうか。空気読めないってそう云う事か・・・。やっぱ、このヤドリという保護活動団体、癖強いの多くない⁉︎
「知らねーし、あんなの居るなんて聞いてねーよ!」
〈危険だとは云った筈だけど?あと、こいつも宣言通り人とか捕食するから気を付けて。といってもバリボリ食うとは違って、獲物を毒牙で刺して身体を溶かしながらチューチュー吸うらしいよ。〉
「身体を溶かしながら吸うだって⁉︎うげっ、気持ち悪っ・・・。」
ソーアはそんな蘊蓄を払い捨てるように突っ込むが、追撃するジェニーの情報に顔色を青冷めた。あんな巨大な身体しておいて、食べ方は蜘蛛そのまんまかよ。少し蜘蛛に捕まった羽虫の気持ちが分かった気がする。すると八握脛の母体は、ぐるんと身体を捻りながらソーアの方をじぃーと見つめ始めた。長い舌を不気味に伸ばしながら、粘液の強い涎を溢しながらニッタリと薄気味悪い笑みを浮かべ始めた。
「アラぁ、お生憎様ねエ。ワタシこう見えて、バリボリ食べる方なの。」
〈おいおいマジかよ。こ、こいつ・・・。まさか・・・。〉
化け物は、ねちっこい口調でソーアに語りかけてきた。いや、違う。そうじゃない。こいつ、僕たちの会話が聞こえているんだ。しかも、わざとらしくジェニーが云ったセリフを拾い上げて話した。
「聴こえているわよ、ボゥウヤぁ?ワタシ、耳は良い方なの。コソコソ話は無駄ヨぉ?」
こいつは、この場に居る僕らだけに話しているんじゃない。モニター越しに居るジェニーにも語り掛けているんだ。この耳元のインカムの音声を拾って、この化け物は僕たちの会話を聞いていたんだ。
〈並大抵の者にはハッキングされない周波数使ってるんだけどな。・・・正直、驚いたよ。普通の蜘蛛でも音や振動を感知する感覚受容器が備わってるとは聞いた事あるけど、あんたもあるとはね。〉
思わずジェニーは舌打ちを走らせていた。声だけでなんとなく分かる。モニター越しでナビゲートするジェニー自身も、奴の思い掛け無い異常な能力に驚愕しているんだ。八握脛の母体の視線は、狛犬兄妹へと向け始める。その瞬間、異様なプレッシャーが追い込みを掛けてくる。それはまるで重力を直に押し付けるような、巨大な鈍器でぐりぐりと押し潰してるようなドス黒い圧力。二本の長い前脚を大きく広げるように高く上げ、こちらの逃げ場を塞ぐ勢いで包み込もうとしている。この行為は、蜘蛛が使う威嚇行動の一つ。本来は自分を守る為に使うのが自然界の威嚇行動ではあるが、こいつの場合は違う。こいつは明らかな殺意を持って、威嚇をしている。
「ところでぇぇ、アナタたちがワタシの子供たちをヤッタのかしらぁぁァ?アナタたちからぁぁぁ・・・。ワタシの子供の臭いがするのよねぇェ?ベットォォリと生臭ァい血の臭いがァア?」
「だとしたら、なんだって云うんだよ?」
八握脛の二つに重なった面妖な声がゆったりと滲み寄る。人のような顔には目が無い為、表情が読みにくい。だが、この化け物から飛ばしているその殺意は本物だ。長い舌を舐め回し、狛犬兄妹を見つめる。高く上げた二本の前足を痙攣させている。他の脚はバランスを取る為に何度かバタつかせ、いつでも襲い掛かれるよう体勢を整えているようだった。蜘蛛の頭に付く八つの目がぎょろぎょろと動き回る。それは一つ一つの目が別の生き物かのように忙しなく動く。この化け物を中心に散開した僕らの位置を把握しているのか。こいつ、まさか視野範囲も広いのか。正面に近い肉食動物の視野は約百二十度、人間でも二百度近く、外敵から逃げる為に特化した草食動物は約三百三十度と聞く。こいつは、あの八つの目で草食動物とほぼ同じ視野でここが見えているというのか。それじゃあまるで、本当に化け物そのものじゃないか。その化け物は、ニッタリと粘着質な笑みを見せつける。
「決まってるじゃないぃ・・・?子供を殺されて怒らない親がァ、どこにいるのかしら・・・ネェッ‼︎」
ズドォォ・・・・ッン
すると高く上げていた右脚を大槍の如く突き刺してきた。地面の硬さなぞ物ともせず、豆腐のようにブッスリと突き刺す。その威力は見た目通り地面に大きな亀裂を作り出す。だが恐るべきはそれだけじゃない、振り翳したその反応速度だ。あまりに速過ぎる。正直こちらから見ても目で追うのがやっとなくらいだ。寸前で身を躱したソーアとシウンは距離を取る。
「うわっと⁉︎ ・・・こいつ。デケェ図体しておきながら、めちゃくちゃ速ぇぞ⁉︎」
そうだ、ソーアが云うようにこんな巨体でありながら、反応速度が恐ろしく速い。それもジェニーが云っていた、感覚受容器が蜘蛛と同様に発達しているが故の結果だと云うのか。あの図体のせいで、電撃を流すような速さで襲い掛かる攻撃はこちらの感覚を狂わせる。
〈草木が枯れている?それも物凄い速度で・・・、て事は神経毒か何かの類か。皆、気を付けてくれ!アレに刺されたら、一溜まりも無いよ!血清なんて無いんだから・・・。〉
モニター越しのジェニーはもう一つ、あの化け物の攻撃に気付いた。むしろ、こっちの方が本質で厄介なのかも知れない。奴が繰り出した攻撃は外れはしたが、突き刺された地面は突如として腐食を始め出す。ぬかるんでいた地面は一気に乾き、まだ青々しかった草が枯れ始めてしまい物凄い勢いで萎れていく。あの脚から毒を注入させる毒腺があるって事かよ。奴の脚を良く見ると、脚先とは反対方向に反り返った棘が生えている。恐らくあれが毒腺。刺されたら、ただじゃ済まされない。注入された草木や地面の反応速度が異常なまでに侵攻している。どれだけ毒が強力であっても、地球上にそんな異常な速度で活発に侵攻する毒は少ない。これは憶測ではあるが、その毒自体も奴の妖力やマナを糧とした力なのだろう。
〈油断するなよ、ソーア。素早さもあの毒だって、持ち前の妖力でいくらでもバフ上げ可能なんだ。それに・・・。〉
「なんだよ、勿体振りやがって!」
〈間違い無くこいつが、この森を牛耳っている親玉だ!ここに住まう妖怪たちを根絶やしにした元凶そのものだよ!〉
まさかボス自ら、乱入してくるとは思わなかったよ。奴の身体能力、反応速度・・・。間違いなく僕が見てきた“ギフト”の中でも群を抜いて強い気がする。ビリビリと伝わる身震いは、所謂武者震いだろうか。一人は勝手に戦意喪失しているし、僕は無能力者で戦う術が無い。実質、今戦えるのはソーアとシウン。それと徐々に時間経過で力が使えつつあるチップの三人。
「へっ!指揮官様よぉ。云われなくても、見りゃあ分かるぜ!イサム、離れてろよ!」
僕はただ見守る事しか出来ない・・・。チップは物陰に隠れるよう合図を送り、前へと出る。拳をボキボキと骨を鳴らしながら、唾を吐いた。幼女は戦闘態勢となり、化け物を睨み付ける。
「さぁぁア・・・。遊びましょォォ、ボウヤたちィィ?」
戦慄が走る森の中に、巨悪が不気味な微笑みを誘う。




