50蜘蛛の奇襲へおまかせを
これは夢か幻か。いや現実であって欲しくないという、そんな逃避行が脳裏を駆け巡る。今まさに僕らを追いかけてきているのは、傘を広げたくらいに巨大な体を持った大蜘蛛が大量に押し寄せて来ているのだ。一匹二匹なら、いざ知らず。数えるのも億劫なくらいな量で、紫色の目を光らせながら突進する大蜘蛛たち。まるでそれは生きた津波の如く、こちらの匙加減などお構いなしに突っ込んでくるのだ。そんな気持ちの悪い大群が押し寄せて来ているんだ、当然僕らは今まさに全力疾走で逃げている最中なのである。
「おい、イサム!なんだよあれ、なんだよアレは?!」
「ぼ、僕が知るかよぉ!!何なんですか、アレは!レタさん!」
「あたしが、知る訳無いでしょォォおおおおおおおおおおおおおー‼︎むりむりむりむりむり、マジ無理だって!!大体、脚四本以上の生き物なんて受け付けないのよ、あたしはぁ!」
慌てながら蜘蛛の大群に指を差すチップ。何なんだよなんて聞かれても、僕が知る訳が無い。少なくとも今分かっている事は追い付かれて捕まりでもしたら、アイツらは慈悲もなく僕らを食べようとしている事ぐらいだ。頼みの綱であるレタに訊いてみても、ご覧の有様である。涙を振り溢しながら同じく全力で逃げているのだ。ここにいる誰よりも大きく絶叫を上げる彼女は、余程あの手の類が苦手なのか拒否反応が激しい。宛ら絶叫系お化け屋敷に入り、恐怖をふんだんに味わっている状態だ。つまりすっかり取り乱し、無我夢中で走っている訳だ。そこへスタスタとペースを上げ、何食わぬ顔でレタに近付いてきたのはソーア。
「レタ、あいつら斬れば良いんだろ?逃げてちゃ、一生あいつら追いかけてくるぜ?」
ソーアは、ここに居る誰よりも冷静だった。平然とした瞳でレタを覗き、実にグゥの根も出ないド正論をぶつける。襲い掛かる蜘蛛の大群に指を差しながら、レタの行動に対し不思議そうな面持ちで見つめていた。そう云われてしまったレタは、顔を真っ赤にしながら暴風雨のような剣幕で眉を尖らせ、空に向かって吠え始める。
「それが出来たら、苦労しないわよッ!!ちょっと、ジェニー聞いてる?!見えてる!?何なのよ、アレは!」
〈何なのよって云われても、蜘蛛じゃん。〉
「そんなの、見りゃあ解るわよぉ~~~!!あんなの居るなんて聞いて無いんですけどぉぉぉぉぉぉぉお?!」
レタは情報のスペシャリストでもあるジェニーに問い詰めるも、返ってくるのは至極シンプルな答えだけだった。心の昂ぶりと焦りを抑えきれない乱れた彼女の声音は、巨大蜘蛛の大群が押し寄せる森に響き渡る。しかし何だってあの巨大蜘蛛たちは、執拗に僕らを追い掛けてきているんだ?もしかしてここは、奴らの縄張りか何かか。というかアレを蜘蛛と呼んで良いものか、いや見た目はまんま蜘蛛なんだけど・・・。やはりアレらは“ギフト”・・・、もとい悪魔か妖怪の類だろうか。そうじゃないと、こんな巨大蜘蛛が居たら大騒ぎだ。既にあの世に旅立ったダーウィンもファーブルも、さぞ腰を抜かして目を丸める事だろうさ。だとしたら、やはり僕らの常軌を逸した異形なるもの。悪魔か、妖怪か・・・。
〈まぁ、普通の蜘蛛にしてはデカイよね。多分、八握脛の幼体じゃないかな。〉
「や、八握脛って、、、?」
「妖怪の一種で、土蜘蛛って云った方が良いんじゃねぇかジェニー。」
ジェニー曰く、僕らを追い掛けてくるこの蜘蛛のようなものはやはり妖怪のようだ。彼がその名を“八握脛”とそう呼んでいたが、直様ソーアがそれを“土蜘蛛”と訂正する。確かに土蜘蛛なら聞いた事あるぞ。と云っても具体的な生態とか全く知らない、蜘蛛のような妖怪って程度だけど。そういえば蜘蛛の幼体は生まれて間もない頃は、独立して生活せずにそのまま集団を作って活動すると聞いた事があるな。これはまだ生態としての機能が備えきっていない間は、群れを成す事で餌を効率良く捕獲する為だ。その他にも食べられるリスクを分散させる為だったり、集団でいる事で温度や湿度を調整しやすくする為だと聞く。何故、僕がここまで蜘蛛に詳しいかって?何も好きで調べた訳では無い、逆に嫌いだから調べたんだ。どうやったら家に侵入してこないかと調べてる内に、こういった生態だけは詳しくなってしまった。ん、幼体?これが八握脛の幼体だって⁉︎幼体って事は、まだ生まれて間もない状態を意味する訳だろ?通常十センチ以上の全長を持つアシダカクモでさえ、生まれたばかりの幼体は僅か数ミリのサイズだ。これ、完全な生態になったらどんだけ大きくなるんだよ。単純計算でも三十倍近くの大きさって事だよな。願わくば出くわさない事を酷く祈りたい・・・、と僕は脳内でとっておきのフラグを立てた訳だ。
〈・・・それぐらいの知識はあると思ったんだけどな。〉
インカム越しでもはっきり聞き取れる程の深い溜め息を吐き溢したジェニーは、嫌味ったらしく言葉を返した。耳を澄ますとマイク越しに聞こえるように行なっているのか、わざとらしく胡桃をコリコリと握り鳴らしている。何となくだが、恐らく今のやり取りでだいぶイライラしているのだろう。声に出さずとも「この低脳が」とでも云いたげな彼の顔が目に浮かぶ。
「イチイチ回りくどいな、頭でっかちはよぉ!」
〈けど、集団戦なら君ら得意だろ?〉
「そりゃ、どーも。」
コリっと弾みの良い胡桃を握り鳴らす音が拍子を変えた。集団戦?やっぱり彼らもまた、ただの保護活動団体という肩書きだけでは無いという事だろうか。レタもあの狛犬兄妹も、戦闘経験を持ち合わせた妖怪たちという訳か。妖怪たちといえど大きく二種類に分類される。単純に戦闘を得意とするものと、河童のコツメのように戦闘には不向きなタイプ。彼らはいずれも戦闘が出来る分類。恐らくモニタリングしているジェニーは非戦闘向きでサポートタイプ。現地に向かう者は皆、戦闘向きという訳か。そう思うとほんの少しだけ安堵が顔を見せ、ほっとした安らぎが立ち込めていた。だったら、ここは現場リーダーである雪女レタを筆頭にして華麗にあの化け物サイズの蜘蛛たちを一掃してくれるに違いない。そう思い僕は期待の眼差しを込めながら、レタへと目線を送った矢先だった。
「蜘蛛はムリ!もう、あの脚の動き何なの?!蜘蛛じゃん、アレ!八握脛だか何だか知らないけど、ただのデッカイ蜘蛛じゃん!!そんなのギャグ漫画だけにしてよね!ばっっっっっっっっっっかじゃないの?!」
彼女はまるで、空でも落ちてきたかのような見事な慌てっぷりを見せつけてくれた。両手で頭をわしゃわしゃと掻きながら、悲鳴混じりにレタはやり場の無い怒りを訴えかけていた。もはや誰に怒声を浴びせているのか分からないくらいの取り乱しようで、追い掛けてくる蜘蛛に槍投げのように指を差す。半狂乱のようになって今にも泣き出しそうな目で訴え掛け、右手でソーアの胸元を掴み掛かった。ソーアは冷静に「落ち着け。」と軽い手刀をレタのおでこに当て、雪女らしくクールを取り戻させる。半ばムッとなっていたレタの顔を見たところで、ソーアはくるりと反転し土煙を蹴りながら立ち止まった。
「仕方ねぇ・・・。奴さん、まだだいぶ取り乱してるみてぇだから、俺らでやるぞ。」
少年はまるで殿を務めるかのように、僕らの退路を確保する為に蜘蛛の大群へ対峙した。
「やるって、何する気だよ!」
チップが狛犬の少年に凄むのも無理はない。何しろ彼の両手には、武器という武器を持ち合わせていない。まさか、あの巨大蜘蛛の大群相手に素手でやり合う気なのか?それにあの余裕そうな顔・・・。小柄な少年には似つかわしくない独特な覇気を放出させ、チラリと見えた彼の目には揺らぐ闘志の炎を輝かせていた。少年の覇気に当てられてか、先程まで物凄い勢いで追いかけ回して来ていた蜘蛛たちも一定の距離を保ちながら立ち止まる。追い掛ける事をやめた蜘蛛たちに合わせて、漸く僕やレタも走る事をやめた。
「戦うに決まってんだろ?行けるな、シウン?」
「ううううん!だだだ大丈夫、ウチ頑張るよ。」
彼のすぐ傍らに居たのは、その妹ことシウン。兄に鼓舞された事で眉にやる気を跳ね上げさせ、両の握り拳でガッツポーズを作り出していた。ソーアが真っ先に自分の妹を指名したという事は、彼にとって戦闘においても信頼をしている証拠。それはつまり、彼女もまた戦闘に長けた存在であるという事なのだろう。しかし、彼女もまた手ぶらだ。ソーアに至っては、どれだけ余裕をかましているのかパーカーのポケットに両手を仕舞い込んでいる始末だ。いくら戦闘に長けていても、何十体と居る蜘蛛の群れに立ち向かうには骨が折れるだろう。
「チップ!こっちも加勢して・・・。」
そう思い至った僕は、勢い任せにチップへと振り向くがそう上手くはいかなかった。幼女はすっかりその場で胡座をかき、右手で横を払うように“ノー”とサインする。
「まぁ、そうしてぇとこだけどよイサム。この時間じゃその辺のガキと変わらねぇみてぇだ。」
「時間も・・・、そうか夕日が出ていないもんな・・・。」
「もう少し影があれば、何とかだけど。悔しいが、何の力も出やしねぇや。」
「じゃあ、やっぱりここは・・・、彼らに任せるしか・・・。」
幼女は仕方ないという潔くも諦めの表情を浮かべる一方、どうにもやるせない歯痒い眼差しを真紅の瞳に宿らせていた。あれから時間は経ってはいるがまだ、夕陽が差し掛かる時間ではない。あと少し、ほんの少しでも傾いてくれれば・・・。幼女は影が増すだけ本来の力を発揮させる事が出来る。だがその反面、影が少なければ見た目通り幼女そのものである。その悔しさは僅かに掻き毟った歯軋りでギリっと鳴らし、重い眼差しで戦況を見つめていた。
「行くぞ、シウンッ!」
そうシウンへ掛け声を送った後に、アイコンタクトも付け加えた。互いに目が合った時、シウンは無言で頷く。するとその合図と共に、季節風のような突風を巻き起こす。それらはあの二人が放つ闘気が起因しているのか、彼らを中心にマナの渦を作り出していた。ソーアは右手を高く上げ、遥か遠くの空を掴み掛かるように。彼の高く上げた握り拳には音を置き去りにした稲妻を纏い、パチパチと火花を散らすような雷鳴が嘶く。シウンは両手をクロスさせながら掌を大きく開き、巻き起こす風を掴み取るように。肩まで伸びたツインテールはその風に優しくも暖かく舞い踊られ、やがて螺旋状になった旋風はこの秋風よりも鋭くなる。
「装填・天壌雷刃ッ‼︎」
「装填・・・、天壌風刃・・・っ。」
一瞬の閃光が辺りを照らした時、彼らの様子に変化を起こす。さっきまで手ぶらだった彼らの掌には、自信に満ち溢れた武器を手にしていた。ソーアは右手に太刀を、シウンは両手に短刀をどこからともなく取り出した。しかし、一体どこからそんなものを・・・?そういえば彼らは妖怪・・・、じゃなかった聖獣である狛犬という種族だったか。となると、これは彼らの“術”的な何かか。彼らが握る刀は一つの刃こぼれも無く、キラリと光を反射させる。彼らがその武器を軽々と持っている事に違和感を覚える。短刀はまだ良いとして太刀の重さは、平均でも約六百グラムほどと聞く。それを軽々と片手で持つにはそれなりの筋力が必要だ。それにも関わらず彼はその重さを物ともせず、まるで競技用のチャンバラを振り回すように余裕がある。何か、これには仕掛けがあるのだろうか。突如として現れた鞘を持たない彼らの武器は、どこか異様に感じてしまった。それは僕やチップだけに収まらず、僕らの目の前に対峙する巨大蜘蛛たちも警戒を見せていた。
「キシュルル・・・ッ‼︎」
大顎から見せる牙を擦りながら、排出口のように溜め込んだ空気を漏らしている。先頭に立つ蜘蛛は前傾姿勢を取り、長く伸びた脚をわしゃわしゃと準備運動のように動かしている。明らかに目の前で対峙しているこの兄妹に警戒している。ギョロリと無機質に動く八つの目は、動物よりも機械的だ。むしろ捕食までの一連の動作を、システムとして汲み取っているロボットだと云い聞かせた方が納得出来るくらいだ。いつでも飛び掛かる準備は出来ていると云わせるように構え、一体でも飛び掛かれば後は雪崩の如く、後続もそれに続く。その瞬間はきっと、互いの|間合いテリトリーに入った時に全てが動き出す。
「おぉーーっと、何だあいつら!どこから武器取り出したんだ⁉︎」
チップは彼らの姿を見て、目を輝かせていた。まぁ、確かに何も無いところから魔法のように武器を呼び出すなんて、男の子の心を鷲掴む要素としては充分だ。
〈彼らは、自分のマナで武器を生成して呼び出す事が出来るんだ。とは云っても何でもって訳じゃない。最も自分が一番イメージしやすい武器に限るけど、自由に出し入れ出来るのは便利だよね。〉
すかさずジェニーは、事情を知らない僕らに対して解説を始めた。成程、宛らマナで生成した自分専用の武器って訳か。自分が扱い易いように作られているからこそ、重さを軽減出来る。今思えば、武器を使う仲間なんて居なかったもんな。飛川コマチもメルも基本素手で戦ってたし、チップ本人もそうだ。幼女の場合、武器というよりは周りの影を利用して戦う訳だから、物理的な武器という事ではない。太刀に双剣・・・。そんな光ものを掴み取り、敵に振るう姿は幼女にとっては、なんだかんだ云って新鮮なのかも知れない。そんな真新しいものを目にしたこの悪魔の次のセリフは、大方予想が付く。
「イサム、何だよアレ!ズルい、俺もやりたい‼︎」
「お前は、何でも影響され過ぎなんだよ。」
ほら、見た事か。まるで、好きなアーティストのCDが発売されたのを目にしたような浮かれっぷりではないか。鼻息を鳴らし、少々興奮気味で彼らに指を差す幼女。「お前だって影を使えるだろ。」と。額を小突くと少しニヤつく。「あ、そういえばそうだった、俺の方がスゲーじゃん。」などとよく分からないイキリを見せつけていた。さて、幼女との茶番はここまで。最初に痺れを切らしたのは、無機質に殺意を飛ばす巨大蜘蛛の先頭陣。それは一種の本能というべきか、長い脚をバネのように屈伸させ勢い良く飛び掛かる。
「にににに兄さん、くっく来るよ!」
「シウン、お前は左な。」
「うん・・・!」
数体の蜘蛛が飛び掛かる中、二人は陣形を模った。シウンは直ぐ様、両手に持った短刀を逆手に持ち大きく左へ旋回する。ソーアは飛び掛かろうとする蜘蛛に対し、太刀を漸く構え始める。左足を前に出し、太刀の刃を顔の横に構える。少年の特徴的な構えにある既視感を覚えた。学生時代、剣道の授業で有段者のクラスメイトが行っていた構えと酷似する。その構えの名は、“霞の構え”。現代剣道でも対上段用に用いられた防御に特化した構えの一つ。攻める側としては非常に打ちにくい構えであり、踏み込みが甘ければカウンターを打たれてしまう二段構え。この状況下において防御を主体とした構えを取るという事は、如何にこのソーアという人物が冷静に戦う者だとうかがえる。
「やっちゃえ、ソーア、シウン‼︎そんな虫ケラなんかー!」
そうエールを飛ばしてきたのはレタだった。気が付くと彼女はいつの間にか僕の直ぐ後ろに避難しており、拳を振り上げながら彼らを応援していた。あれ、この人。何かあったらあたしが何とかするとか云ってなかったっけか・・・。そんなに虫がダメなんだろうか。良く見ればこの人はエールを送ってはいるけれど、死んでも蜘蛛を見たくないのか目を瞑りながら叫んでいる。
ーザシュッ
ソーアは最初に飛び掛かってきた蜘蛛を、縦一線にし両断させた。その切れ味は見事なもので、大蜘蛛の身体に紙一枚を差し入れるように切り込んだ。彼は適切な力加減であの蜘蛛を切ったんだ。その証拠に彼の太刀には殆ど蜘蛛の血が付いていない。真っ二つに割れた身体が地面に叩き付けられてから、漸く青紫色の血が炸裂するように弾け飛ぶ。次に襲い来る蜘蛛も、今度は横一閃。長い脚ごと身体を横一列に真っ二つへと切り裂いた。ジリっと土を滑らせながら、今度は柔らかく膝を曲げた超前傾姿勢。それは次に飛び掛かる蜘蛛を向かい撃つ為。案の定、ソーア目掛けて牙で噛み付こうとする蜘蛛が直ぐ目の前まで飛び掛かってきている。それはまさに数の暴力。これは群れを成す生態ならではの戦い方でもある。次々に襲い掛かり獲物の疲労を狙う為だ。しかしそんな蜘蛛の期待とは裏腹に、ソーアは疲れを感じるどころか先程よりも目に輝きを加えている。飛び掛かる寸前で蜘蛛の腹下まで潜り込み、蜘蛛の頭と胴の付け根へと切れ込みを入れそのまま頭を切り飛ばした。蜘蛛の頭が宙に舞い、まだこちらへ飛び掛かろうとする紫色の瞳と目が合う。その光景にソーアは薄笑いで返す。一連の動作は全て、彼だけの力で斬っている訳ではない。猛スピードで飛び掛かる蜘蛛の慣性を利用しているんだ。突進してくるスピードを利用し、その物体が最も風の抵抗を受けているところに斬り込み、後はその筋に沿って流すだけ。それは一朝一夕で成せる業ではない。それなりの鍛錬と何よりも抜群の戦闘センスがあってこその成せる業。すっかりソーアの剣捌きに圧倒された僕らだが、ここでふと流石にこの光景にチップは一つの違和感を覚える。その幼女はレタの方へと振り向き、彼女の服の裾をチョイっと摘む。
「てか、ねーちゃんは戦わねーの?」
幼女の純粋無垢な言葉は、当事者じゃなくても不思議と胸に突き刺さる。すると彼女はチップの両肩にバンッと勢い良く掴み掛かり、良い加減さなど微塵も感じさせない表情を見せつける。いつに無い真剣な眼差しは、彼女の緑色に輝く瞳をワントーン下げるくらいに運命と取り組むような表情だった。
「悪魔くん、よく聴きなさい。この世には得手不得手があるのよ。レディに虫なんて以ての外。ていうか無理。あれと戦うくらいなら真夜中に電気消して、一人でホラー映画観てる方がよっぽどマシなの。」
しかし彼女の唇から出た言葉はその真剣さからは大きく離れており、驚く程呆れた現実逃避である。厚さ二十ミリの鉄板でも引いたような拒絶でガードし、如何に自分があの大蜘蛛たちと戦いたくないかを力説している。流石にレタの言葉に唖然としたチップは、呆れ混じりの頬に滴る汗を隠せないでいた。
「でも、シウンも女の子だけど戦ってるぜ?」
と、幼女が指を差した先は今まさに大蜘蛛の大群と戦っているシウンだった。意外だったのは彼女の動きそのものである。ソーアのように“後の先”を狙った攻撃ではなく、名の通り“先の先”。自ら蜘蛛に飛び込み、一体ずつ確実に且つ的確に切り刻む。本当に今戦っている少女は同一人物かと目を疑う程だ。両手に握る短刀を巧みに操り、まさに旋風のように速く動き回る。ソーアのような大胆な一撃必殺とは異なる手法。一体ずつ的確に一本の短刀で頭を刺し、反撃の隙間を与える事無く頭の節目掛けてもう一本の短刀で切り飛ばす。これをまるで一連動作のシステムとして汲み取るように、的確に蜘蛛を倒して行っているのだ。その一連の作業を真顔で熟す少女の顔は、意外性に駆られ色んな意味で驚きを味合わせる。短刀の刃に青紫の返り血が付けばすぐに払い、次のターゲットへと向かう。彼女もまた息を切らす事なく無言で捌いていく。彼女の動きにもまた無駄が無く、必要最低限の動作で処置をしているイメージだ。あのあどけない少女は一体どこへ・・・。
「どりゃあぁぁぁあああああ‼︎そぉおい!」
「二つ・・・、三つ。まままだ、結構こっちに来るね兄さん。」
「関係ねぇよ!全部叩っ斬れば、答えはゼロだ‼︎」
後続の蜘蛛たちが続々と牙を剥き、第二波、第三波と襲い掛かってくる。狛犬兄妹はその猛攻を物ともせず、また一体また一体と確実に仕留めていった。片やソーアはやはり蜘蛛を一刀両断に真っ二つにし、片やシウンはすっかり型に嵌った動作で頭を斬り飛ばす。まさに二人の活躍を合わせて言葉に云い表すならば、疾風迅雷と表現すべきだろうか。
「い、良いわよ二人ともー!その調子でガンガン倒しちゃいなさい!」
「ねーちゃん・・・。」
レタは意気揚々とガッツポーズを叩き込みながら、戦う二人へ喝を入れていた。その横では、哀れみを込めた幼女の冷たい目線が当たっている。
「無駄だ、チップ。彼女を見てみろ、惨状をあまりにも見たくないのか目を塞ぎながら応援してるくらいだ。」
「うへー。お前と一緒じゃん。」
「やめろよ、複雑な気持ちになるだろ。」
そう僕の直ぐ傍らで応援している彼女は、現実逃避をこれでもかと云うくらい拒否反応を示し目を塞いでいる。まぁ気持ちは分からん訳でもない。何しろ彼らの周りではボタボタと大蜘蛛だった残骸で溢れかえっているのだから。これを惨状と云わず、なんと云おうか。これが戦場の足跡だと云うなら、敵の残骸とはいえ中々に酷い。地面には蜘蛛の骸と青紫色の血痕が染み渡っている。これを普通に目の当たりにしている僕も少しは異常なのかも知れない。確かにこんなのを見たら、女性に関わらず「キャアー!」の一言でも悲鳴を上げても可笑しくは無いのだ。
「っっっしゃあああ!これで六ー!シウン、そっちはどうだ・・・ってうえぇぇええ⁉︎」
また一体、両断した蜘蛛の死体を踏ん付けていたソーアが刀に付着した血を振るう。してやったりとした顔で自分の成果を声に挙げる。その中で、シウンの戦果を確認しようと横目にすると少年は度肝を抜いた。
「ななな何匹だろ、たたたたぶん、十・・・八くらい?」
「お、おおう、・・・やややるじゃんシウン。」
シウンの周りには蜘蛛の残骸に溢れかえっていたのだ。それも全て急所を狙った攻撃ばかりで、いずれも首を跳ね飛ばしている。どの首も目を切り刻んでいるのは、虫の生命力を知っての事だろう。脚や首を捥いだところで、僅かな時間は活動出来る。特に生命力が特に強いと云われるゴキブリに至っては、首だけの状態でも一週間も生きたという研究結果もあるくらいだ。こいつらはただの虫でも蜘蛛でもない。形は似ていても正体は、八握脛と云う妖怪である。首だけを刎ねたところで、虫本来の生命力と妖怪としてのマナを活用すればその首だけでも噛み付く事もあるだろう。だから彼女は短刀を巧みに操り、二撃一殺をコンセプトに処理していたのだ。その働きぶりは、目を見張るものである。ソーアは自分の三倍以上の働きをしているシウンに対し、空いた口が塞がらず絶句していた。本当は「オレはもうこんだけ倒したけど、お前はどうだ?」と兄としての威厳とイキリを見せたかったのだろう。唖然として表情からの先は、ちょっと悔しそうに口をへの字に曲げながら、顔を紅く染め上げていた。少年ならではの、まだまだ本心を隠し切れない絶妙な表情からは動揺をひっそりと露わにしている。
「に兄さん、や闇雲に攻撃しないで。間接とか、急所狙った方が、ここ効率良いから。ほほほら、まだいっぱいいる!」
シウンは蜘蛛の頭の付け根と目を短刀で指し示し、なぞるように何処をどのように斬れば良いかを的確に説明する。ただ正直、こんなに辿々しく話し普段はオドオドしていた少女が戦闘になると一変。その腕前も肝っ玉も、宛らひっそりと実直に仕事を熟す暗殺者そのもに見えてしまう。そして次の殺気を感知したシウンは、再び戦場へ目を向ける。まだまだ数は減らしたとて、蜘蛛たちはワラワラと湧いてくる。
「だったら、短期決戦だぜ!」
眉を高く吊り上げたソーアは、何かにピンと閃いたかのように目を輝かせる。右手に掴んでいた太刀の柄を歯で突然咥え始め、身体を低く屈め獣のような四つん這いとなる。それは獲物を狩る直前の獅子の如く、ゆらりと逆立った銀髪を靡かせていた。太刀を咥える犬歯が露骨に大きくなっていき、パリパリと淡い黄色の電流を纏わせ覇気を強める。素人目でもなんとなく分かるその異常さは、次の瞬間に少年の小さな身体に秘めた力を一気に解放させる。
「獣刃ッ‼︎」
少年の身体から一瞬の稲光が放電される。僅か一秒に満たない閃光は、彼を中心に発せられた。ビリリと伝わる肌の感触は、彼の放電された光だけではない。それは彼自身の闘気やマナから抽出されたプレッシャー。
「あ!にに兄さん!すすすぐそうやって!ままま、マナがすぐ無くなっちゃうよ⁉︎」
瞬く間とは、コンマ一秒に近いまばたきに匹敵する。少年だった姿を瞬時に変えたソーアは、この戦場に雄々しく現れる。その姿はまさに狛犬そのもの。獅子のような黄金色の毛並みを持ち、獲物を捉えるには十分な爪を拵える。最も特徴的だったのは、その狛犬はソーアの持っていた太刀をがっしりと咥えていた事だ。ギラリとナイフを向けたような鋭い灰色の瞳が、巨大蜘蛛たちに威圧を込めて睨み付けている。
「おぉー変身した‼︎おい、イサム!あいつ変身したぞ!」
「確かに凄いな・・・。あれは、狛犬・・・か?」
〈あぁ、その中でも彼の方は“阿形”だから、獅子にあたるね。ほら、角も無く全体的に黄色っぽいだろ?何より面白いのは、あんな尖った性格のくせに耳だけは垂れ下がってるのが実に興味深い。〉
彼の云う“阿形”とは確か、狛犬の中でも口を開けてる方を指している筈。ジェニーに指摘され改めて気付かされたが、変身したソーアの姿はツノが無く耳が垂れ下がっている。容姿や身に付けている物で性格が浮き出るとは聞いた事はあるが、どうやらソーアに至ってそれは該当しないようだ。そういえば、こんな目の前で変身なんて妙技を見たならば、てっきりこの傍らで見ている悪魔が恨めしそうにするかと思った。実際のところは思った以上のリアクションは無く、少し不服そうに眉を歪めていた。「俺もあれやりたい!」などと今すぐ出来もしない願望を提げるかと思いきや、チッと短く舌を切るだけ。同世代くらいの容姿だからこそだろうか、チップの中でも対抗心が芽生えているようでどちらかと云えば悔しさが勝っていた。
「うるせーぞ、ジェニー!見た目も性格も生まれつきだっつーの!」
どうやら狛犬の姿、もとい獅子の姿になってもジェニーの声は聞こえるようだ。容姿が変わっても中身がガラッと変わる訳ではない。獅子の姿のままコミカルな怒りをジェニーに返す。よく見るとソーアの耳にはインカムのイヤホンがしっかりと付いており、右前脚にはインカム本体が括り付けられていた。違和感を覚えたのは、彼の喋る時の動作。太刀をがっしりと咥えているのに、はっきりと口を開いた時のように声が聞こえる。まるで腹話術師と対話する時のような奇妙な既視感でもある。その事について、チップに尋ねてみると・・・。
「そんなもん、妖怪や悪魔なんて大体そんなもんだぜ。俺らの口は元々、対話する為に作られたもんじゃねぇからよ。法力やら魔法やら、マナやら色々あるだろ。俺らはそういうのを使って発音してるんだよ。」
との事だ。成程、それは一理あるのかも知れない。元々は対話する為に作られた訳じゃないのは少々引っかかるところだが。まぁ、その辺は考えてみれば人間も歴史を辿れば大体似たようなところか。
「一気に片すぜ!うぉおおおおおおおおおお‼︎」
そう雄叫びを上げるように檄を飛ばす獅子になったソーアは、その咆哮と共に首を反りながら空を見上げる。彼が発するオーラは、まさに雷そのもの。先程からバチバチと小さな放電を繰り返し、電流を獅子の身体に纏わせた。そして、瞬きをしたほんの僅かな時間、少年だった獅子は雷光の如く動く。
〈あぁ、頼むよソーア。一応、これでも僕はね・・・。〉
雷を飛ばすような速度で周りの木々に飛び移り、どんどん上へ上へと舞い上がった。ついには立ち並ぶ木のてっぺんすら飛び越えてしまい、その最高打点で鋭く光る灰色の瞳が狙いを定める。
〈こと戦いにおいては、君を信頼しているからさ。〉
太刀をがっしりと咥えたまま、真っ直ぐ大蜘蛛の大群目掛けて急降下を始める。ただ落ちているだけとは違う。彼が放つマナが推進を定めるジェット噴射の役割を果たし、落下する速度を更に速める。その落下は、ほんの一瞬だったのかも知れない。刀身を向けるのは蜘蛛本体ではなく、地面そのもの。
「落刃ッ‼︎」
流星の如く斜めに高速落下してきたソーアの切先が地面に触れた瞬間に、高圧電流のようなエネルギーが一気に放出される。放たれた稲妻は蜘蛛から蜘蛛へ、そのまた先の蜘蛛へと感電させた。そして第二波が訪れる。
「ピ・・・!ピギュゥぅぅぅぅぅウウウウウッ⁉︎」
轟音と共に感電させた蜘蛛たちを追い払うように強烈な衝撃波で、次々に吹っ飛ばしていったのだ。恐るべきはそのマナの放出量。伊達に守り神として奉られた聖獣では無いと云う事か。その豪快な一撃は、まさに圧巻の一言。先程の一撃で巨大蜘蛛たちを宣言通り一気に薙ぎ倒し、一掃してみせたのだ。確かにこの威力とマナの放出量。先程、シウンが懸念していたのも頷ける。素人目から見ても、これは相当燃費が悪いのだろう。
「凄い・・・、まるで落雷みたいだ・・・!」
ただ、何はともあれ。彼のお陰でこの一難を潜り抜けれたのは間違いない。
「ねぇ、イサムくん。倒した?倒したの?目、もう開けて良い?」
「はい、まぁ・・・、倒しましたけど・・・、回れ右した方が良いかもです。」
レタは自らの手で覆い隠し、目隠し状態で戦況を確認してきた。結果はご覧の有様。ソーアとシウンの活躍により、見事大蜘蛛軍団を一掃させてみせたのだ。しかしまぁ、ここは戦場跡の焼け野原と表現すべきか。青紫色の血痕と夥しい数の蜘蛛たちの死骸。苦手の人には吐き気を催すシーンである事だろう、これがテレビ放映であれば間違いなく自主規制ものだ。あれ、でも確かこの人も一応妖怪だったよな。大丈夫?本当に大丈夫なの?この先、ちゃんと帰れるのかな。
「わかったわ!ほら、さっさとこんな森、降りるわよ!」
はい、歯切れも良くとても清々しい返事でございます。僕に云われるがままに素直に彼女は従い、くるっと回れ右をしたのならばスタスタと早歩きで帰路に戻っていった。
「ちょ、ちょっとぐらいオレの事、褒めろよ!」
そう未だ獅子のままの姿で突っ込むソーアの声は、もう届いていないのか。彼女は誰よりも足早に、この森を抜ける為に先を目指していってしまった。やれやれ、相当彼女は虫嫌いのようだ。本当に大丈夫だろうか、そんな不安がこの帰路に後退りしながら追ってくるみたいだ。




