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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 雨やどり編

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49土蜘蛛の頤使へおまかせを

 ーもう何ヶ月も前の事。とある日に、センたち青天狗が住まうこの森に、突如としてこの化け物は現れた。里の者たちを次々と喰い荒らし森を傷付け、あっという間にたった一体の怪物により崩壊された。当然ただ黙って見ているだけでは無かった。この化け物に立ち向かい、刃を一斉に向ける青天狗も居た。だが必死の抵抗も虚しく、反撃の刃は…弾け飛ぶ。傷の一つすら付ける事も出来ず、やはりその者たちも喰われていった。また一人、また一人と同胞が減っていく中、ついに、鞘を握りながら恐怖に震えるセンだけが残ってしまった。


 一度は対峙するがその圧倒的な力の差、次々と目の前で同胞が喰い殺されていく様を目の当たりにした少女は愕然とする。耳元まで響く青天狗たちの断末魔、阿鼻叫喚の地にセンは膝を落としへたり込む。何よりも少女を恐々とさせていたのが、この蜘蛛の化け物はなぶり殺し、喰いながら満悦の笑みを浮かべていた事だった。

 少女の母も父も兄も妹たちもまた、乱れるように化け物の腹の中へと押し込まれる。散らばる血痕、バラバラに散りばめられた手足や天狗の羽は、もう誰の物だったかも判別出来ない程である。少女の頭にべっとりと付けられた同胞の返り血が、余計に慄然とした寒気に拍車を掛けていた。


 巨大な蜘蛛の化け物は、自分の名前を明かし一つの契約を提示する。少女に告げたその契約内容とは、生かす代わりに、“エサ”を献上する事。さもなくばお前を喰うと提示する。ここでの“エサ”とは死後間近の人間や低級妖怪である事。それを日没までに用意するのが条件だった。センは従う以外の選択肢が無かった。歴然とした力の差は、まさに弱肉強食。妖怪らが定める唯一の優劣。それこそが妖怪が持つマナ総体量であり、如何に自分が強いか。弱い者は強い者へ従うざるを得ない。

 だからこの森には、もう殆どの妖怪が居ない。この怪物を凌駕出来る妖怪など以ての外だ。彼女が、その辛さから未だ逃げていないのには訳がある。正確には、逃げても逃げられないからである。この化け物は、一度嗅いだ臭いを忘れない。どれだけ距離を離しても、化け物は追いかけてくる。前に一度この化け物から逃れようとした時、数刻と待たずに少女は見つかってしまった。その時に偶然居合わせてしまった低級妖怪たちも喰い殺し、また元の森へと連れ戻される。逃げても必ず、化け物が追いかけて来る。だから、彼女はレタたちの提案を断った。今度はこの人たちも巻き添えを喰らうと思ったからだ。これは自分が死ぬまで付き添わなければならない呪縛のようなもの。


 少女の身体の何倍も大きい脚で絡め取り、ゆっくりと鬼と酷似した顔をグイっと近付ける。剥き出しになった牙からは粘膜の強い唾液を垂らしながら、狂気を彷彿とさせる瞳を向けていた。センにとって恐怖の象徴とも云えるその元凶は、勿体ぶるように、ゆっくりとジワリジワリと滲み寄る。少しずつ少しずつと自分の身体に近付く度に少女の顔は青冷め、高まった恐怖心はガタガタと身を震わせていた。


「でもぉォォ、随分仲良さそうだったじゃナィいい?そォォォおいえばぁあ、まだ今日の“エサ”がまだだったわねェェ?」


「は、はい・・・、今、探しに行く・・・ところ、でした・・・。」


「良いィィのよぉおぉ?ワタシは、アナタから食べてあげてぇも?」


「いえ・・・、ちゃんと・・・・・・、ちゃんと探します・・・。」


 蜘蛛の化け物は、ねちっこくも語気を強めながら滲み寄る。セン自身も本当に誤魔化している訳では無かった。丁度、この化け物が言う“エサ”を探しに出かけるタイミング。そのタイミングで運悪く垂たちと対峙してしまったのだ。そのせいで一歩出遅れてしまった。蜘蛛の化け物が求める“エサ”とは単なる餌ではない。そこらの野生動物では腹の足しにもならない。この巨大な化け物が欲しているのは妖力。その糧となる低級の妖怪や人間を酷く好む。

 特に一度気に入った“エサ”は、この化け物が食べ飽きるまで欲するのだが、時にその場を刈り尽くしても飽きは満たされない。貪欲なこの化け物は自分でその狩りはしない。敢えて“エサ”となるモノの内、一つを残して自分の代わりに狩りをさせる。一見非効率に見えてしまうこの傾向も、この化け物にとっては一つの余興に過ぎない。そうしてだんだんと恐怖に縛り付けられたモノを最後に食すのが、最も極上であると感じているからだ。“エサ”を探さなければ、自分が食い殺されるという恐怖を常に背負わされながら。


「センは良い子だから、わかるわよネェぇ?ちゃんと毎日“エサ”を持ってこないとぉ?」


「はい・・・。」


「誰のおかげでェ、生きてると思ってるのかしらァアー?」


「はい・・・、ヤヅギ様の・・・、お陰です・・・。」


 ヤヅギ。それがこの化け物の名。その名を呼ばれた化け物は、もう一つの黒い影を現す。いや、正確にはこれもヤヅギの一部と言うべきもの。蜘蛛の胴体の上部から伸びる人の上半身。しかし人の形はしていても人あらず。紫と青をぶっきらぼうに混ぜ合わせた体色は禍々しさを誇張させる。女性のような髪を模しているが、酷く痛み所々縮れている。顎は二対の巨大な牙のせいで大きくしゃくれていた。その顔に目は無く、口と鼻だけがそこにある。人のような上半身はやけに筋肉質でどちらかといえば男性に近しい。身体の所々に突起した骨のような棘が隆起しており、それが相まって人とは程遠い存在を禍々しく映し出させる。

 この妖怪の正体は、八握脛(ヤツカハギ)。土蜘蛛の別称であり、その生態は極めて蜘蛛に近い妖怪である。人の何倍も大きく、性格は巨体でありながらも頭が切れ残忍な思考を持ち合わせている。少女の言葉にねちっこくケタケタと笑い、ヤヅギの巨大な口から伸びる長い舌がセンの頬をゾリっと舐め上げた。


「もう死んだ人間も、低級妖怪も食べ飽きてきた頃なのよォォォ。センならァ、何をしなきゃならないか分かるわよねェェ?」


 散々その妖怪や死人を喰ってきた為か、ヤヅギの口からは嫌悪感を植え付けるには、充分な悪臭を放つ。その臭気は堪らず嘔吐感と頭痛を引き起こしかねない程に色濃く、眉を歪ませ鼻を抑えずにはいられない。けれどそんな刺激臭すらも硬直させてしまう恐怖のせいで、センは俯いたまま指の一本動かす事すら叶わなかった。今必死に僅かながら動かす事が出来るのは、辿々しい言葉だけ。恐怖に掌握された少女の言葉だけだった。


「け、けど・・・、あの人たちは・・・ッ!」


「忘れちゃダメよォォォ?お前だけを敢えて生かして、他の烏ども喰ってやったのも、ワタシが楽する為なんだかラァ・・・。」


「く・・・っ。」


 ヤヅギのその言葉に漸く少女はハッと目を覚まし、怒りの篭った瞳が鋭い刃と化す。他の烏どもと投げ捨てられたその言葉は、謂わばセンの仲間である青天狗の同胞たちであった。怒りを募らせた瞳には一雫の涙を滲ませる。それは、復讐心に駆られた混同した思い。入り混じる感情は螺旋のように渦巻く。

 しかし現実は、そんな付け焼き刃など意図も容易くへし折られてしまう。異形の姿を見せたヤヅギはゴムのように柔らかく身体を伸ばし、目の無い顔をセンの鼻先まで近付ける。顎を伸ばし、大きく開いたその口は裕に少女の顔を一飲み出来てしまう程大きい。口の中を覗かせ、その奥は鼻を曲げる悪臭と共にどこまでもドス黒い深い闇の底を見せるようだった。歪ませた男女の混ざり合った声でヤヅギは、耳元で囁くようにこう告げる。


「あらあらアラアラぁ~?良い顔ネェぇ、センン。やっぱりそろそろアナタを食べちゃいましょうかぁ?」


「ひ・・・ッ」


 言葉だけでは、優しそうな口調に聞こえただろうか。その声の主は異形なモノである。強大な力に圧倒され狂気に駆られた時、妖怪である青天狗の彼女であっても萎縮は避けられない。反逆の灯火をフゥッと掻き消され、僅かな残り香は魂が引き抜かれたように喪失してしまう。彼女は悟っていた。やはり、自分の力だけではどうする事も出来ないのだと。自分は無力なのだと自覚してしまう。

 震える手は、刀を握る力を一点に集中させる事が出来ないでいた。怯える少女の眼差しは、ヤヅギのたったの一言で一変する。それは一種の洗脳に近いのかも知れない。対象を限界まで追い込み、囲い込み、そして心も身体も掌握する。


「冗談よぉ、セン。良いのよォ?また前みたいにぃ、逃げ出しても?」


「い・・・いえ、そんな事はもう・・・。」


「ほぉラァ?丁度助けてくれそうなヒトも来てくれたじゃないィ?お願いすれば良いのにィぃ。助けてェ、ワタシを助けてぇって。ほらほらほらホラほら、また逃げたって良いのよぉ?」


 ヤヅギから発せられた言葉は悪魔の囁き。当然センはそんな事をすれば、どうなってしまうかなんて理解している。どれだけ逃げてもこの怪物は追い掛けてくる。もし仮に逃げられたとしてもすぐに見つかってしまうのだ。そうして、また自分の周りの者をなぶり殺し喰い尽くす。また自分だけ残し、絶望の矢をまた一本と植え付ける。何をやっても無駄なんだと完璧に植え付けてしまうのだ。長く伸びた舌で少女の髪を絡め取り、飴細工を丁寧に味合うように何度もしつこく舐め回す。この残忍な芝居を打ち込むのもヤヅギの好みの一つ。最後に残した獲物を最も美味にさせる至高のスパイスだと思っているのだ。

 ヤヅギも理解している。この少女には最早(もはや)、そんな行動が出来る訳が無いのだと。自分を逆らわせないくらいに調教し、心の自由を縛り上げる。ヤヅギがセンを敢えて拘束させないのはその為だった。完全な絶望よりも、髪の毛一本を救いの縄だと錯覚させ希望を見せつける。それが錯覚であるとも隠しながら。センは幾度となくその希望の縄に手を掴もうとした。自分の体重で容易く切れてしまうような、劣弱な糸とも知らずに。出口に繋がる光を寸前のところでヤヅギは現れ、瞬く間にその希望を粉々に跡形も無く喰ってしまう。これはヤヅギだけのメリット。センが逃げればその先に居る協力者を喰べる事が出来る。

 そして、その絶望により打ち砕かれ膝を落とし、へたり込む少女の顔を見るのが何よりも愉悦なのだ。何度もそれを実行させ、その度にヤヅギは絶望というルートしかないゲームを時折楽しむ。大抵ヤヅギがセンにそんな提案する時は、その顔を見たいと思う時だった。


「もう、しません・・・。わたしはここでヤヅギ様の為に・・・。」


「アラアラアラァ、良い子ねセンはぁー。ほら、どうするかわかったでしょォ?アナタとワタシの為よォ?」


「はい・・・。」


 けれどやはりこの少女には、反逆の刃を向ける気力はもう残されていなかった。恐れ慄き怖ばるセンには、ただただ土蜘蛛の頤使(いし)に従うだけ。完全掌握にまた一歩近付く。半ば、また逃げ惑うセンを余興として愉しむ機会は失ってしまったのは心残りだったが、それでも構わないとヤヅギは思った。その光景はまるで親が我が子に対し、人殺しこそ良い事で当然の事なのだと歪んだ教育を教え込む様と酷似する。漸く自分の思い通りに動いてくれるようになったのだと、また一つ楽しみを手に入れてしまったのだから。しかし、それでも一つ気掛かりがヤヅギにはあった。


 ド・・・ッズン・・・。


 ヤヅギは余った自分の脚を大槍の如く地面に突き刺す。大木を突き刺すような轟音は、すっかり怯え切ってしまった少女を脅すには充分過ぎる物だった。これもまたヤヅギの愉しみ方の一つ。怯え震える顔を見るのもまた別のスパイスが効いて良い味を出しているからだ。ここで少女の瞳から涙の一つでも見せてくれれば、もっと唆るのにと傲慢なヤヅギは実に惜しそうな眼差しを見せていた。


「ところで、セン?なんでアノ人たちにィ、帰り道のルートを変えさせたノかしらネェ?」


「そ、それ・・・は・・・。」


 ヤヅギの問いに、少女は口を紡がせてしまった。化け物の二つの顔はセンの答えを待ち望むように近付けてくるが、少女は目を伏せながら口からは歯切れの悪い気持ちが漏れる。センは寸前のところで、逆流してしまったその言葉を咄嗟に口を塞ぎ飲み込んだ。これを言ってしまっては駄目だ。次は今日会ったばかりのあの人達まで、関係の無いあの人達までこの化け物の腹の中だ。僅かに残っていたセンの良心が針を通し、寸前で繋ぎ止めたのだ。けれど、それがどう結ぼうと結果は曇天。この八握脛に目を付けられた時点で、もう遅いのだ。この妖怪は、どこまでも貪欲で残忍で執念深い。今回訪れたのは人間に悪魔、それに妖怪と複数引き連れた粒揃いばかり。当然、強欲な化け物がおいそれと逃す訳が無い。


「折角、あちこちに罠仕掛けておいたのに、これじゃあ意味がないじゃないのォォォ?」


「は・・・い、申し訳、ございません・・・。」


 センの嫌な予感は、的中していた。やはりこの化け物は獲物を捉える為に、罠を仕掛けていたのだ。ヤヅギは、訪れた獲物を敢えて初見は見逃す。獲物が帰路へと向かうその帰り道に、罠を張り確実に捉えるという習性がある事をセンは知っていた。だから少女は、垂たちに帰りは別のルートで森を抜けるようアドバイスしたのだ。けれど、それはもう遅かった。例え、そのルートを変えさせたとしても執念深いヤヅギは簡単には諦めない。あれだけの上玉が揃った獲物は、滅多に出会う事も無いのだから。ヤヅギは地面に突き刺していた脚を引き上げる。鋼鉄の大槍にも近いその脚からは、べっとりとした紫色の粘液を垂らしていた。

 ふと、突き刺していた地面に視線を向けると異様な光景を見せつけられる。大きく空いた穴の周りにあった草が枯れている。先程まで青々と生い茂っていた筈の草は萎れ、養分も水分も引き抜かれた荒地と化す。その現象を引き出したのは、ヤヅギから放たれた毒腺。生体にはホメオスタシスと呼ばれる性質が存在する。これは外界の状態に関わらず、生体の状態を一定に保つ恒常性といった維持する力を備えている。ヤヅギから放たれた毒腺は、その生体の状態を乱す神経毒に類似したもの。この僅かな時間で草木が枯れてしまった事から、どれだけの即効性のある毒かは容易にイメージが植え付けられてしまう。それを垣間見た少女もまた、その光景に絶句した。もし、この毒腺が自分の身体に刺されていたらと思うと吐き気を催す。


「マァ、良いわ。あの道は、私の子供たちが寝ているところだから。」


「・・・はい。」


「どぉうなるか、ミモノダワぁ~!ねぇ、アナタもそう思うわねえぇ、センンンンンンン・・・?」


 粘着質に同意を求める化け物は、ケタケタと不気味な笑みを溢しながら次の愉しみを得ていた。あぁ、また無実で関係の無い人を巻き込んでしまった。そう(ひが)む少女は、震えながら目を瞑った。本当は助けて欲しい・・・。そう儚くも届かない願いが、目に見えない巨大な鉄檻の中で反響していた。まだその音は、誰の耳にも届く事は無い・・・。


・・・。



・・・・・・。



 センと別れを告げた僕たちは廃れた神社から離れ、広大な森を下っていた。青天狗曰く来た道を戻るよりも、別ルートで出口に向かうよう推奨された訳だけど。


「なぁ、ちょ、ちょっとねーちゃん!なんか来た道より、道が険しくねーか⁉︎」


「そう?ただ迂回しているだけよ?」


 先導して進む彼女の云う通り、来た道よりも大きく弧を描くように迂回して戻っているのだ。これが一体何の意味があるのかさっぱりな僕らにとっては、ただがむしゃらに歩を進めるばかりである。早くもスタミナを消耗し始めているチップは、息を切らしながらレタに問い詰めていた。そう、ここはただ単純に迂回している訳ではない。云うならばこの道こそ、獣道と云うに相応しいルートなのである。地面は相変わらず湿気で泥濘んでいるし、突起した大小様々の岩が飛び出しており足の踏み場に目を配らなければならない。秋とはいえまだ草木が目立つこの森は、平然と腰ほどの高さの雑草で満ち溢れている為歩くのもやっとである。そんな草木を掻き分けながら戻るのだから、来た時よりもかなり時間を消耗しているのだ。

 ポケットに仕舞っていたスマホを見れば、およそ歩き始めてから三十分が経過したくらいだろうか。それでも、出口まではまだまだ先のようだ。僕たちが迷わずにルートを確保出来ているのは、ジェニーのお陰でもある。予め僕たちと共にドローンを同行させていたので、そのGPS情報を頼りに道を失わずに済んでいる訳だ。ただ判るのは、おおよそのルートだけのようだ。この森の木達は背が高く、上空からでは地形がイマイチわからないらしい。それでも道に迷ってグルグル回るより、帰れるルートがしっかり出来ているのなら遥かにマシだ。先導はレタ、地形に慣れていない僕とチップは中央を歩き、その後ろに狛犬兄妹が歩く。道無き道を歩き続ける中、チップは肘打ちを当てた後に手を添えながらこっそりと僕に耳打ちをする。


「おいイサム、あのねーちゃんの足腰どーなってんだよ!下半身筋肉お化けじゃねーか!」


「そんなの僕が知るかよ!というか、下半身お化けとか云うなよ、聞こえるぞ!」


 僕が知るか。でも、筋肉お化けは流石に失礼だろ。下半身筋肉お化けはさて置き、確かに彼女の足腰の強靭さには目を見張るものはある。誰よりも前へと先導し、スタスタと歩道でも歩いているかのように自然に歩き進むのだ。進むだけならまだしも、彼女のコンディションは未だ疲れを見せようとしない。あぁ、そういえばそうか。彼女は雪山育ちとか云ってたもんな。自然と身に付いた体力ほど末恐ろしいものは無いな。だがそれ以上に驚いたのは、次の彼女の行動であった。チップの耳打ちに勘付いたのか、くるっとこちらへ振り返る。


「悪魔くん、何か云ったぁー?」


 振り返ったレタの表情は、口は笑っているが目元が笑っていない。完全に目が据わっているのだ。それどころか凄まじい怒りが眉の辺りを這っている・・・。皆まで云うな、あれは絶対聞こえていた奴だ。


「はい!イサムが下半身筋肉お化けって云ってました!」


「云ってません!今この瞬間まで思いもしませんでした!云っていたのは、このバカです!」


「そ。なら良いけど。」


「ふぅ・・・。」


 この悪魔はよくもまぁ、いけしゃあしゃあと口から出まかせを云いやがる。そして何故僕は、こんなにも必死になって弁解しているのだろうか。僕は幼女のデコを跳ね除けるように指を差した。けれどもどうやら彼女の怒りは鎮まる事は無く、腰に手を当てながら静かに立ち止まる。ガサゴソとミリタリージャケットのポケットを漁り始め、漸く見つけたとある物を取り出す。それを一振り軽く振り下げると、キンッと軽やかな金属音を弾かせる。


「悪魔くんとイサムくんは、後で覚悟してね?」


 と云い告げた彼女の右手に持つのは、手のひらサイズに収まるナイフだった。ただのナイフとは形状が異なっていた。持ち手にはリングが付いており、ナイフの刃は鎌のように屈曲している。それを逆手に持ち、人差し指をリングに通して深く握っている。


「全然良くないッ‼︎」


「なんで僕まで⁉︎あと、そんな物騒なもん出さないで下さいッ‼︎大体、何ですかそのナイフは!」


「カランビットナイフって云うのよ、これ。とある映画で使われていたのを観て、つい即買いしちゃったのよね。」


 ミリタリー好きな彼女の事だ、恐らくその映画もまたミリタリーものなのだろう。人差し指を軸にし、そのカランビットナイフだかという如何にも物騒なナイフを見せびらかすようにクルクル回していた。脅しのつもりで出したのかも知れないけれど、早く仕舞って欲しい限りだ。仕方無い、ここは話題をすり替えて何とか場を持ち直そう。


「・・・と、ところで、レタさん。青天狗ってどんな妖怪なんです?」


「んー、平たく云えば鴉天狗の親戚みたいなもんかしら。ほら、翼があって顔が鳥みたいなアレよ。」


「レタは説明が適当過ぎるぜ、親戚とはまたちょっと違うけどな。青天狗は山に篭って修行に励む事ばっかやってる連中だぜ。だから基本は一度決めた地に定住してるから、あちこち行くタイプじゃねーんだよ。」


「成程・・・、だからここから出たくないのかな。」


 そう気になったのは、青天狗とはどんな妖怪なのかと云う事だった。あまり聞き馴染みの無い妖怪だった為に、どんな特徴や生態を持つ種類なのか気になっていたのだ。途中僕らの会話にソーアが割り込み、彼女の説明不足な言葉を添えるように助言してきた。まとめ上げると青天狗は、鴉天狗の近縁種のような物だろうか。一般的に鴉天狗は、剣術に長けた武闘派というイメージだ。

 そんな鴉天狗とは違い、日常的に修行に励む天狗が“青天狗”と呼ばれる類なのかも知れない。彼らのそんな生態上、山や森から降りずに修行を続けているものであるならば、聞き馴染みが薄いのも納得が出来る。それ故に、この地から離れたくないというのは生まれ育った学び舎から追い出すようなもの。確かに中々簡単には出る筈もないか。しかし、本当にそれだけだろうか。その理由ではまだ何処か腑に落ちない。そんな簡単な理由だけで、あの黒羽の少女はあんなにも希望を失ったような虚な瞳をしてくるだろうか。

 この森は普通の森ではない。それはレタ自身も口に出し、そう云っていた。ここは、危険だと・・・。まだまだ真相を調べる必要があるようだ。まずはそう、ここから抜け出しじっくり調べる必要があるだろう。


「さぁ、どーだろうな。青天狗は変わりもんが多いからよくわかんねーけどよ。ん?なんだこれ・・・。うげェェー、蜘蛛の巣じゃん。んだよこれ、気持ちわりーなぁ!」


 少年の嫌悪感を抱えた悲鳴に振り返ると、どうやらソーアは枝木に括られていた蜘蛛の巣に当たったようだった。余程気持ちが悪かったのか、ブンブンと腕を振り回しながら手に引っ付いた蜘蛛の巣を払っていた。


「ななななんか、ここ、凄い蜘蛛の巣、多いね兄さん。」


 確かに少女の言葉通り、ふと周りを見渡せばやけにこの辺は蜘蛛の巣が多い気がする。それもどの蜘蛛の巣も一際大きいような・・・。虫を捕らえるだけにしては随分大き過ぎる。丁度、猪や子鹿程度でも捕えられるくらいに巨大で、何よりもそれが異様で不気味に見えてしまった。蜘蛛は基本夜行性だ、普段は巣に居座らず近くの土の中や物陰で寝ていると聞く。こんな巨大な蜘蛛の巣。一体、どれだけデカい蜘蛛だって云うんだ。そう思うと、ゾワっと鳥肌が立ち背筋に身震いを感じた。


「気を付けろよシウン、毒蜘蛛だったら大変だからな。」


〈その辺は安心しなよ。この国に居る毒性の強い蜘蛛は、カバキコマチグモ、セアカゴケグモ、ハイイロゴケグモ。確かに毒性はフグやハブなんかよりも強いとは云われているけど、その体長の小ささ故に毒自体は極めて少ないんだ。人のような大きさの動物が噛まれても致死量には至らないし、せいぜい発熱や嘔吐と痛みが何日か続く程度だよ。実際、今日に至るまで死亡例は確認されていないから安心しなよ。〉


「どっちにしても気持ちわりーよ。」


 ジェニーは狛犬の言葉を訂正するように、どこで調べ上げたのか正論をぶち込む。そういえば確かに毒性が強いと呼ばれるセアカゴケグモで、死んでしまったという話は聞いた事が無い。ソーアとしては兄のメンツを保とうと背筋を伸ばしたかったのだろうが、ジェニーの知識量に圧倒されてしまっていた。


「というか随分詳しいんですね。」


〈いや、これくらいの知識フツーでしょ。調べりゃすぐに出てくる時代だし。〉


 本当に今のネット社会というのは末恐ろしいものだ。西洋の妖精だって、こうも容易く使い熟す時代でもあるのだ。きっと彼はモニター越しで何食わぬ顔で平然とした表情で語っているのだろう。まぁいずれにしても気をつけて進む必要はありそうだ。何せ、道無き道を歩き進んでいるのだから僕らは。


「で、おいイサム・・・。」


「ん?」


 そう悪魔に指で服を摘まれた僕は、進もうとした足を無理矢理止めさせる。幼女の顔を見ると何か不味いものでも見つけてしまったのか、やけに青冷めた表情で口をぽっかりと開けている。わなわなと木々が並ぶ方へと指を差し、戦々恐々といった眼差しで見つめていた。


「あそこに傘広げたくらいのデケー蜘蛛が、めちゃくちゃ居るんだけど・・・。あれも、毒蜘蛛?」


 幼女が云う方角へと目を向けると、そこには夥しい数の蜘蛛が木の至る所に居座っていた。それもただの大きさの蜘蛛じゃない。チップの云う通り、まさに傘を広げたサイズの大蜘蛛たちがそこにいる。やけにデカい、デカ過ぎるのだ。あんなサイズ、図鑑でもテレビでも見た事が無いぞ・・・!


ガサッ。・・・ガサガサガサガサガサガガサガッ!


 するとその巨大な蜘蛛たちは、こちらに気付いたのか一斉にこちらへと向かってきた。わしゃわしゃと巨大で細長い脚を巧みに操りながら、猛スピードで突進してくる。云うまでも無い。あの目の輝きは、獲物を見つけた時のハンターの目そのものだ。


「うぉ、ぉおおおおおおおお⁉︎な、なんだよこれぇーーーーーー⁉︎」


「蜘蛛が、蜘蛛があぁあああああああああああああああ!!」


 そんなものが突然一斉に襲いかかって来てみたまえ。云わんこっちゃない……。怒号にも近い悲鳴を叫びながら、逃げるに決まっているだろう!僕らは呑み込む息も忘れて、全速力で足に鞭を打ちながら走り出した。

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