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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 雨やどり編

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47街外れの森へおまかせを

「・・・で、イサム。ここ、何処だよ。」


「僕に聞くなよ。」


 幼女が苦言を呈するのも無理はない。なんだって僕だって、ここが何処なのか知らない。車に乗せられ一時間半。徐々に街並みは消えていき、家の数より畑の数が増えていくほどの距離を進んだ。N市の外れ町というところか、昼下がりの快晴はその長閑(のどか)な風景をより誇張させる。長い距離を運転していたレタは、意外にも安全運転を心掛けた実にストレスフリーの乗り心地だった。無理な速度は出さず、危険な蛇行運転も無く、何処かの社長のようなドリフトをかます事無く、全てに置いて規則正しい。それでも乗っている車が気に食わないのか、彼女の顔色は終始イライラしている様子だった。アクセルを踏む時も「立ち上がりが遅い!」と愚痴を溢し、右折する時も「ハンドルが硬い!」等と舌打ちをする始末である。

 暫く走らせたところで鬱蒼とした森に入り、僕らを乗せたバンは、ギリギリ整備された山道を駆け上がっていく。コンクリートは張られておらず、ほぼ土の道路で道幅は狭い。丁度、車一台分しか無い道路で対向車が来たら、どうなる事か。ガードレールの代わりに立てられているのは自然に生えた雑草たち。ハンドル操作を誤れば、下り坂真っ逆さまである。レタ曰く、普段乗っている車よりも馬力が足りない為か中々スピードが乗らないこのバンに苛立ちを覚えていた。「もう、こんなにアクセル踏んでるのにッ!」等と馬の尻を蹴る勢いでハンドルを叩いていた程の憤りを見せる。

 森を進み続けて三十分程経ったところで、彼女はブレーキを踏み込みエンジンを停止させる。見るからに目的地ではないこの道中で立ち止まったのは、アジトで待機していたジェニーからの通信があったからだ。どうやらここから先にある道に土砂崩れがあったようで、車での通行は不可能との事。一歩先回りしていた彼のドローンがリアルタイムでルート変更をするよう指示があったようだ。丁度、車一台分停めれるスペースもあったのでそこで駐車し、僕らは山登りを余儀なくされた訳である。

 幼女が苦言を漏らしたのは何処だか知らない山を登り続ける事、おおよそ三十分が経過したくらいだろうか。保護活動とは聞いたけど、まさかいきなり山登りをさせられるとは思いもしなかった。どうせなら山登り用の服装とかもっと動きやすい格好で来れば良かったな。そう心で文句を吐き散らしているところ、耳元にザザッと砂で削るようなノイズ音が聞こえてくる。


〈ここはN市の外れ、東山町の森だよ。外れだけあって自然豊かなところだから、それなりの動植物も多い筈なんだけど。実際、町とは名ばかりで面積の八割以上がこの森で埋め尽くされてるのは面白い話だよね。〉


 耳元から聞こえてきたのはジェニーからの通信だった。ジェニーと通信が取れているのは彼らのアジトから出る前に渡されたものの一つ、イヤホンタイプの無線機だ。これにより、離れた地域からでも互いにリアルタイムでやり取りが出来るらしい。映画なんかで見たよりもずっと小型でポケットに仕舞っても邪魔にならないくらいの、手の平サイズ。イヤホンは、何故かカナル型だ。これちょっと苦手なんだよな、なんか耳の中が圧迫されるみたいで・・・。


「いや、そうなんだけど・・・、そうなんだけどさー・・・。」


 そう云うと眉をひそめ、歩きながら周りをじっとりと見渡す幼女。


「はぁ、はぁ・・・。」


 決して平の道ではないこの山道は、前日に土砂崩れがあった為か僅かに湿っている。そのせいで、余計に一歩踏み出すのも徐々に体力を奪っていくのだ。ろくに普段から運動をしていない僕には中々に堪える。ふくらはぎに蓄積された乳酸が少しずつ圧迫させていくのは、まさに文字通り足取りが重いというべきだろうか。チップが疲れを見せるのも仕方が無いのだろう。


「周り見ても、木!木!木ぃーーッ!もう見飽きたっての‼︎んなところに何があるってんだよ!」


 いや、と云うよりは同じ景色ばかりで見飽きたようだ。背を逸らし、雄叫びのように声を大にして不満を爆発させていた。確かにまぁ、幼女の気持ちは同情出来なくも無い。こうも同じ景色が続く森の中では、新鮮味が無いというかゴールの見えない道を延々とループしているように錯覚させる。我慢に弱いこの幼女には、右を見ても左を見ても秋色に染まった木ばかりでは当然面白みも無いのだ。紅葉狩りを楽しむ貴婦人とは程遠い性格のチップには、駄々をこねるには丁度良いタイミングでもある。

 そんなチップを見て、ニヤリと口角を上げたのはソーア。パーカーのポケットに両手を突っ込みながら、ズカズカと近寄る。下からのし上がるように顔を上げ、小馬鹿にするような目でソーアは幼女を睨み付けた。


「おいおいおい、チキン野郎。もうへばってんじゃね?」


「おぅコラ、舐めんなよワンコ!とりあえず、お手しろや。」


「今なら()()()()も付けて、そのアホ面凹ませてやんよ!」


 これで何度目のぶつかり合いか。互いに手をギチギチと握り締めながら歯を食い縛っている。仕舞いには互いの額をピッタリと擦り付け、啀み合いながらも押し相撲まで始めてしまっているのだ。良い加減呆れ返っていた僕とレタは、彼らの争いにもはや仲裁を挟むような水を差す真似はしなかった。そっちはそっちで気が済むまで勝手にやってくれと放置する事を僕らは選択し、景色の一部なんだと認識する事にしたのだ。挙げ句の果て、頬を抓り合ってるその様はまさに園児たちの喧嘩に酷似していた。彼女は再び歩き始めながら、右耳に掛けていたインカムを押さえつけるように手をぐっと添える。


「ジェニー、ポイントはまだなの?」


〈うん、あともう少しだよ。あと三キロ程で目的地に着くから、頑張ってくれ。〉


 彼らから渡されたこのインカムは想像よりも遥かに鮮明で、僅かな砂が混じったノイズすら無かった。まるで間近でその声を聴いている程の鮮明な声による辛辣な一言で、僕の方は竦みそうになった。ここまで登って、ここまで歩いて来ておいて、目的地までまだ三キロも距離があるだと・・・?ハーフマラソンを終えたと思えば、実はフルマラソンだとゴール直前で宣言された気分に近いだろう。どんよりと落胆を露わにする者も居れば、貯めに貯めた憤慨を放出する者だって当然居る訳で。


「おい、頭でっかち!“あと少し”の意味分かって云ってんのか?三キロのどこが、あと少しなんだよぉ‼︎こんな獣道みたいなところを歩いたり、登ったり降ったり繰り返すなんて聞いてねーぞ!」


 恐らくこの中で最も短気で喧嘩っ早い“ギフト”、狛犬のソーアだ。その場に彼の首があるのなら、真っ先に容赦無く首を絞めている事だろう。それだけの勢いで拳を握り締めながら荒ぶる。少年の怒声はビリビリと雄叫びを挙げるが如く、つい反射的に耳を人差し指で塞ぎたくなる程だった。


〈仕方無いじゃん、この間の雨で土砂崩れが起きたんだもの。車が使えないなら、歩けば良いじゃない。〉


「どこのアントワネットだ、お前は。」


 しかし、そんな罵声すらも彼には凪でも引き受けるかのように軽く受け流す。確かに彼の云う通り、この森の地面は少し濡れており所々ぬかるんでいた。山や森の天気は変わりやすい。それは余程の天気予報士でも読めない程だと聞く。本来は車を使える道があったのだが、止むを得ず僕らは徒歩を選択した。先日の雨の影響のせいで水分を多く含んだこの地面は、登り歩くだけでも充分に体力を消耗させていくのだ。それを車が駄目なら歩けば良いのだと軽々しく世間知らずをひょっこり口に出すものではない。


〈確かに僕は美男子だけど、そこまでじゃないし生憎女装には興味無いよ。ほら、大声出してたら余計に疲労が増すだけだよ。自分のペースで良いから、ゆっくり進んでねー。〉


「だったら、せめて登山する為の道具くらい用意してくれよ!登山家連中が黙ってねーぞ!」


 ある意味、減らず口に限ってはあの社長以上なのかも知れない。成程、これは確かにこの狛犬の兄との相性はどうにも噛み合わない訳だ。ましてや彼は現場に居ない、文字通り僕らを上から見下ろしてナビゲートする立場である。当然、現場主義であるソーアとは意見が食い違う。まるで会議室の役員と現場で汗を流す作業員。食い違う口論は耳元で火花を散らしていた最中(さなか)、頭を傾げながら幼女は木々で埋め尽くされた空を見上げる。


「なぁ、ねーちゃん。これ、どこに向かっているんだ?」


「今向かっているのは、とある廃れた神社よ。」


「神社?・・・廃れた?」


 チップの素朴な疑問に対し、レタは素朴だった質問に飾りを加えるように答えた。思わず彼女の言葉を復唱した僕は、余計に疑問が募っていた。こんな森の中に、神社がある?周りを見渡したって人の気配どころか町並み一つ無いこの森の中に神社があるのか。しかも廃れたって事は、もう人が立ち寄らなくなってしまったと云う事か。


「ほら、悪魔くんが云った通りにここは全く人気が無いどころか、ポツンと一軒家も無いでしょ。そう云うところってあたしたちみたいな妖怪は、棲家にしたがるのよ。」


「確かに街からもだいぶ離れてますよね、ここ。」


 妖怪の棲家、彼女は人差し指を振るいながらそう告げた。人が寄らなくなったところというのは、確かに彼女の云う通りその類が住むイメージはなんとなくある。それは妖怪たちにとって都合が良いのだろう。何故だか人に姿を見せたがらない彼ら妖怪は、そんな場所を好む。昔は知らず知らずに共存していたとも、何処かの本で読んだ事があった気がする。いや、これは社長が云っていたか。何かがきっかけで彼らは、人に姿を見せなくなったのだと。諸説があり過ぎて、ここでは野暮だと社長は締め括っていたが。本当のところは、どうなのだろう。やはり原因は、僕たち人間にあるのだろうか。それで彼らは愛想を切らし、距離を置いてしまったとでも云うのだろうか。ここはいずれ何処かのタイミングで調べてみるか。


「数百年前までは、ここにも人里があったのよ。」


〈都市開発が進んで今じゃ皆、里を下りてあの街に移住しているわけ。〉


「成程・・・。けどなんでこんなところに孤児が居るんですか?」


 神社を奉っている以上、当然その昔ここにも人が居たのだろう。それは何となく大方のところは理解していた。数百年の内に集落の移住先が変わる事は良くある事だ。けど分からない事は、何故そこに孤児だけが残ってしまっているのかだ。先の話でいけば人が居なくなった分、妖怪としてはこれ程の住み心地が良いところは無い筈だ。

 それなのに何故、妖怪たちの集落ではなく孤児だけになってしまった“元集落”と化してしまったのだろう。ここにその妖怪たちが、もとい仲間が居た筈だ。何故、今から向かうその廃れた神社には一人しか居ないんだ?僕は彼らに向けて疑問をぶつけた。するとほんの一瞬感じ取れたのは、急に風が止まったような静けさ。中でもソーアは、誰よりも僕を冷たく睨み付ける。細い眉を尖らせ、研いだばかりの刃物をこちらに向けるようだった。するとコホンっと、一拍を置いたジェニーが小節の頭に踏み入る。


〈都市開発するって事は、その土地を開拓する訳じゃん?そこに元々居た動植物も生きる為に移動しなければならない。つまりさ、こんな話聞いた事無いかい?海外から輸送時にコンテナに紛れて、外来生物が移住先で暴れ回る話を。〉


「聞いた事ありますね。本来の生態系を狂わせて、食物連鎖がぐちゃぐちゃになってバランスが崩れるとか。」


〈そう、これは妖怪たちでも同じ話でね。餌を求めて森に避難した外来種が、元居た在来種を食い荒らす。今回、ここに移住してしまった妖怪は相当の大喰らいのようでね。我が物顔で相当威張り散らかしているらしい。時間が経った今この森は、在来種である妖怪たちが全滅の危機に迫っているみたいなんだ。〉


 ジェニーは淡々とそれは冷静に物語っていた。彼が例に挙げたのは、まさに外来生物の理。本来の生息地では無い地域に人間の活動によって持ち込まれた生物を指す。それに連鎖して起きてしまう問題は、元々生息していた動物や植物を荒らす捕食行為。近縁の種同士の交配が起こり、雑種が生まれてしまう遺伝子汚染。そして、同じような食物や生息環境を持っている在来の生物から奪い、駆逐してしまう競合行為。これらは、一般の人には見えない妖怪たちにも起き得てしまう事象なのだと彼らは説く。そうか、だから孤児が生まれてしまったのか。都市開発が原因で元居たその妖怪が、この森に流れ着いた訳か。そいつがここの妖怪たちを、生態系を食い荒らしてしまって今の現状に至るって事なのだろう。

 何だかそんな経緯を辿っていくと少し気が病んでしまうな。ソーアがこちらを睨み付けるのも無理は無い。どの面を下げて、何故ここに孤児が居るのかと訊けるだろうか。知らなかったとはいえ、少し失言だったかも知れない。そう考えに至り気付き始めた頃、僕は反射的に「済まない。」と口を滑らせていた。けれど、彼女は首を横に振った。「君のせいじゃない。」と云おうとしていたのだろうか。言葉は音を乗せずに、彼女の唇の動きがそう云っていたように見えた。代わりに彼女が音を奏でたのは、勢い良く両手をパンっと叩き付ける。会話の節目を付けるように、その音を弾ませる。


「そこであたしたちの出番な訳。」


「つまり、そいつをとっちめれば良いんだな!おっしゃ、なんか気合い入ってきたぜ‼︎」


 彼らの話を呑み込んだチップは、俄然やる気を満ち満ちと湧き立たせ拳を握り締める。線香の僅かに燃える炎のように鎮まり返っていた幼女の瞳にも、ここに来て漸くやる気を見せ始めていた。


「悪魔くん、残念だけどそれは違うわよ。あたしたちは、あくまで保護活動するだけよ。」


「へッ?」


 けれど、そのやる気は先走った早とちりなのだとミリタリー調の雪女に気付かされる。憐れむように幼女の肩をポンと空気を抜く程の力で叩かれ、申し訳無さそうにレタは訂正させた。そんな彼女の言葉に、なんとも間の抜けた声と共に目が点となっている幼女がそこに居た。時間に置いてけぼりにされたチップは、朽ちたコンクリートでも眺めているようだった。


「オレたちはその孤児になった妖怪を保護しに来ただけだぜ、鳥野郎。」


 ソーアくん、もうやめて。チップのライフはもうゼロ間近だよ。硬直していたチップは崩壊する石像のように、モチベーションが駄々下がっていた。しかし、“鳥野郎”というワードに耳を立てたチップは一気に沸点を上げ立ち上がる。わしゃわしゃとご自慢のボサボサ髪を掻きながら、中指をこれでもかと酷く真っ直ぐ突き立てながら少年の顎下へ押し付けた。


「チップだ!良い加減名前ぐらい覚えろよ、犬っころ!」


「へぇー・・・、鳥頭でも名前は覚えれんのか!初めて知ったぜ。良いかちゃんと覚えろよ、オレはソーアだからな。」


 ソーアはピキピキと額の血管を浮き立たせ、気色ばんで怒声を漏らす。チップに押し当てられた中指をへし折るような勢いで、歯を食い縛りながら押し返そうと力のぶつかり合いが始まっていた。


「にににに兄さん、喧嘩ダメだよ⁉︎チチ、チチチチップくんと、なな仲良くしてぇーーッ!」


 一目散に駆け付けたのは、それまでそっとソーアの影に居たシウンだった。どうどうと喧嘩を始め出した雄牛同士を(なだ)めるように、あたふたと両手を大きく振りながら仲裁に入っていた。やれやれ・・・。教えてくれ、いつかの何処かの先生よ。こいつらは目的地に着く前にあと何回喧嘩をすれば良い・・・?



・・・。



・・・・・・。



「ここが、例のポイントのようね。」


 あれからやんやと愚痴を溢しながらも約一時間と云ったところか。僕らは半ば獣道にも似た道を歩み進め、彼女の一言で漸く目的地に到着したようだ。辿り着いたその先は少し開けた地で、すっかり木々や雑草に覆われた神社が一つポツンと取り残されていた。相当の年月が経過してしまったその神社は、遠目でも分かるくらいにあちこちヒビ割れを起こし風化してしまっている。建物の殆どが緑に覆われており、一目でずっと昔から手入れされていないのだと判断出来る程だ。

 彼女の言葉に漸く安堵を手に入れたのか、僕らは倒れ込むようにその場で身体を預けた。水があれば今すぐにでも齧り付きたいくらいだが、生憎手持ちの道具には在庫を切らしてしまったようだ。


「ぜはぁーッ!やべーって、もう足パンッパンなんだけど‼︎」


 誰よりも大きく大の字で寝転がるチップは、腹を大きく膨らませながら呼吸を整える。かく云う僕もその一人で膝をつきながら、額から流れる汗の量が止まらなかった。それに足の裏も砂利道を踏み歩いた為に痛みがジンジンと響き渡り、幼女同様にふくらはぎは乳酸が溜まり切っているのだ。まさかいきなりにして、ここまで体力を使う羽目になるとは思いもしなかった。くそ、ほんとに。なんで森の中を歩くなら、最低限の道具を用意してくれないんだよ。せめて靴ぐらいは用意して欲しかった。そんな苦言を頭の中でぼやくばかりで、僕の口から溢れ出る事はなかった。


「た、確かに・・・、これは流石に堪えるな・・・。てか、レタさん何でそんなピンピンしてるんですか。」


 そう、ふとレタを見ると同じ道を歩いてきたとは思えない程に健全なのだ。宛ら軽いジョギングをしてきたような、準備運動程度の感覚に近いのか。むしろこの森に来た時よりも整って見える。


「あたし?あー、元々雪山みたいな里に住んでたからね。これくらいの、大した事無いわよ。」


「大した事、無いっすか・・・、ははは。」


 全く彼女の足腰はどうなっているんだ。僕なんかよりもずっと細い脚をしているというのに。良く見れば彼女だけでなく、“ヤドリ”のメンバーであるソーアもシウンもまだ息が上がっている様子が無い。今思えば、彼らが僕やチップのペースに合わせて歩いてくれたのかも知れない。あぁ、でもそうか。元々、雪女も狛犬も山育ちだっけか。ポテンシャルも人間の比では無いし、体力は備わっているのか。するとこれ見よがしにソーアはチップの元へと近付き、パーカーのポケットに両手を突っ込んだんまま威勢を張る。


「おー、チップ!良いツラになったな、おい?」


「うるせ、はぁはぁ、この・・・、この身体にはまだこんな動く程、そんな慣れてねーんだよ、クソが!」


 虚勢による反撃を叩くが、未だ幼女は立ち上がる素振りは見せず息を整えながら大の字になっていたままだった。チップは悪魔といえど、今は小学生の低学年程度の体力しか持ち合わせていないのだ。こうなるのも無理はないか。しかしその体力差に不甲斐なさを感じてしまっているのか、頬と耳は少し赤らんでおり何処か恥ずかしさも持ち合わせていた。


「ちちちちチップくん、だだ大丈夫?」


「おぅ、さんきゅ。まぁ・・・、なんとかな。」


 真っ先に駆けつけてきたシウンは、幼女と僕に水の入ったペットボトルを渡してくれた。その水は限りなく常温に近く、疲れた身体を癒すのに適した温度だった。確か、冷やし過ぎた水は良くないと聞く。胃腸への負担も少なく体温も奪われない為、水分補給をするに適した温度が常温だと聞いてはいたが・・・。チップは上体を起こし少女から手渡されたペットボトルを受け取る。軽くお礼を返したチップは蓋を開け、一気に放り込む。


「んご、ンゴ、ふーーーー。・・・てか、お前まだ緊張してんのか?」


「ベベベ別にそんなわ訳じゃないの。ななんかいつの間にか、こ、こういう喋り方になっちゃって・・・。」


 慌ただしくもそう返すシウンは、両手をあたふたと一際騒がしく動かしていた。何だろう、緊張しているとはまたちょっと違うような・・・。何か歯痒いが、それは気のせいでは無い筈。必死に接しようとしているのはあるが、何かクッションのような見えない壁のせいで上手くコミュニケーションが取れていない。そう、まるで常に見えない何かに首を締め付けられながら話しているような、そんな話し方を彼女はしているのだ。すると、何かを悟ったのか。耳元でザザッと独特なノイズ音が短く噛んできた。


〈君、聞こえるかい?〉


「は、はい。」


 耳元から流れてきたのは、やはりジェニーの声。しかし、いつもと違うのはこの空気感。彼自身の声も何処か周りの様子を気にしながら話しているように聞こえるのだ。


〈一応、君にだけに音声を送ってるから安心してくれよ。彼女は、吃音(きつおん)を抱えているんだ。とあるトラウマが原因でね、極度なストレスからあーなったみたいなんだ。〉


 確かに彼の云う通り、周りには彼の声は届いていない様子だった。吃音・・・。話す際に音や音節・言葉が無意識に途切れたり、繰り返されたりする言語障害の一つだったか。あんまり詳しい知識は持ち合わせてはいないけれども、精神的なストレスでそうなる事もあるとは聞くけど・・・。そうか、彼女もその発症者の一人な訳か。知らなかったとはいえ、下手に深入りするのも野暮だろう。ここは適切な距離を保ちつつ接していくように心掛けるべきか。


「成程、そういう事でしたか。」


〈だから、あまりその件については触れないであげて欲しい。それに、実際の彼女の声はもっと小さいんだ。彼女が付けている特別製のインカムで、拡声機能も施してるくらいなんだ。〉


 そうか、だから彼女のインカムだけにはマイクのような突起が備え付けられていたのか。所謂拡声器のような機能を備えているのか、少女の声量を補助する役割もある訳なのか。小動物にもストレスによる精神的な病気にもかかるとも聞くし、妖怪や聖獣にだって何かと関わる以上起こり得るのだろう。きっと僕が想像しているよりもずっと深く、痛々しい程に触れる事も見える事も出来ない大きな傷を抱えているのかも知れない。シウンは眉を垂らし、誤魔化すように手を振るう。


「うん、だだ大丈夫だよ。き緊張してない、よ!」


「そうか?」


 幼女にはまだ理解出来ないか。心の傷を抱えた人と接する機会なんて無かったもんな。良い意味でも悪い意味でも裏表の無いチップには、生憎デリカシーというものを持ち合わせていない。自分が思った事をそのままストレートに口に出す奴だ。さて、幼女が失言を漏らす前にワンクッション入れるべきか。


「チップ、なんだかんだ云って僕たちは彼らとまだ会ったばかりだろう。誰しもお前みたいに距離感ゼロお化けじゃないんだ。人見知りな子だって居るんだから、適切な距離があるんだよ。」


「まぁ、わかったよ。悪かったなシウン。」


 精神疾患を抱えた者の治療法も対応も様々だ。これだという断定的な答えはそこには無い。考え方や心の感じ方が人それぞれのように、その子にあった適切な治療法と接し方がある。私はこうしたから克服出来た、こう考えるようにしたから改善された等は正直なんの解決にも至らない。それは本人が巡り合わせ、周りの支えから導き出されたその人の答え。それが決して万物に至る絶対治療薬ではない。

 僕もつい先日まで一度はうずくまった一人だ。彼女は今も戦っているんだ。自分の中に潜む、見える事も触れる事も叶わないマイナスの心を抱えたもう一人の自分という存在と。それは時に恐怖の産物に感じる事もあるのだろう。その恐怖も震えも本人にしか知り得ない唯一のもの。だからこそ、時間をかけてゆっくりと。僕たちはシウンと云う少女にとって適切が何かを見つける事から始めるのだ。

 チップはもう一度シウンから渡された常温水を口に含ませ喉を潤わせる。すると、幼女の真正面にドカッと少年が座り込む。鬼のような形相で鋭さよりも鈍器を握り込むような重い眼差しを浴びせながら、チップの胸ぐらをぶっきらぼうに掴み上げた。


「おい、チキン野郎。妹泣かしたら殺すからな?」


 それは敬愛する主人もしくは大事な家族を守ろうとする威嚇そのもの。今にも噛み付かんとする食い縛った鋭い犬歯を露わにし、犬独特の低い唸り声を微かに震わせていた。そんなソーアとは対照的に珍しくチップは落ち着いた表情で、ダウナー気味の眼差しでジットリと見つめている。幼女の真紅に輝く瞳には何が見えているのか。その眼差しは、まるで点と点を結び付けるように何かを察したようだった。


「んな事しねーよ!だって、大事なんだろ?」


「は?」


 一瞬、ソーアは呆気に取られる。自分の威嚇で怖気付くかと思えば、意図も容易く冷静に弾かれる。さっきまで自分自身と似たようなリアクションを取っていた筈なのに、この悪魔は別人のように落ち着いているのだ。そして追い討ちを掛けるかのように、チップの口から発せられたのは意外な一言である。その一瞬が、彼の脳内では時が止まったかのように思考が停止してしまう。幼女の胸ぐらを掴んだ指の力は次第に離れる。ゆっくりと潮が引いていく程の速度で、チップは固まったソーアの隙を突く。少年の額に弾いた人差し指をトンっと当てた。


「見りゃあ分かるよ、お前ずっとシウン守るように歩いてたもんな。つまりは、大事な家族ってヤツなんだろ?俺にはそういうの無ぇからイマイチわかんねぇけどよ。まぁなんだ、もしそんな奴居てみろ。俺が殴ってやるわ。」


 幼女はそう云いながら、先程弾いた人差し指でこめかみをポリポリと掻いていた。最近何となく分かったのは、こいつは柄にも無い事を云う時の癖がまさにこの仕草だった。少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、決して相手を直視せず何も無い明後日の方向で目線をずらしながら話すのだ。


ーザザッ。


〈ありがとう、君に伝えといて正解だったみたいだ。〉


「そうですかね。あの悪魔がやった事です、僕は何もしてませんよ。」


 彼の言葉には、僅かに拍手を響かせていた。僕は何かをした訳では無い。たまたま、彼からシウンの事情を聞いただけだ。実際に行動を起こしたのは、この悪魔。それにお礼を云うのはまだ早いだろう。まだ彼らと交流したばかりなのだから。問題もまだまだ山積みだし。チップに一喝されたソーアは滲み出た恥ずかしさを隠す為か、スッと立ち上がり再びパーカーのポケットに手を突っ込む。やはり似たような性格なのか、この少年もまたそっぽを向きながら言葉を溢す。


「・・・うるせ。それは、オレの役目だ。」


「あんだとー?!折角、人が気ぃ遣ってやってんのによぉ!」


「けど・・・、ありがとな。」


 その一言は、不思議と彼らとの間の距離がほんの少しだけ縮まったような気がした。それでも透明で分厚いその壁は、まだまだ手の届く距離ではない。心の扉は、まだ硬いようだった。鋭くも冷たい秋風が小枝に掴まる枯葉を振り子のように揺らす。それは何かが変わった瞬間。この幼女と狛犬兄妹の距離が変わった瞬間でもあり、物語の賽が振られた瞬間。


「あなたたち・・・、誰?」


 僕たちは、その言葉で漸く気付かされる。ここに居る誰一人として、その気配に気付かなかった存在。声がした方に目を向けると、拝殿にその者は居た。烏の羽のような黒い髪を肩まで伸ばしていた。東雲色に染まった真っ直ぐで冷たい瞳。黒を基調とした女性物の着物を羽織り、その腰には日本刀らしきものを携えていた。

 年齢はおおよそ十代後半くらいだろうか、その女性は刀の鍔に手を掛け警戒を露わにする。彼女を一目見て“ギフト”だと直感したのは、彼女の背中からは漆黒の大きな翼を生やしていたからだ。


「レタ、例のか?」


「そうね。こんにちは、お嬢さん。あたしたちは・・・。」


 彼らの口振りから恐らく、あの少女こそが今回のターゲット。保護対象の孤児なのだろう。レタは慣れた素振りでフランクに挨拶を交わし、ゆっくりと黒羽の少女へと近付こうとした。


「近付かないで!……斬るわよ!」


 その言葉と共に少女は、刀の(こじり)を上げ身体を低く構え始める。ジリっと右足を僅かに前へとずらし、待ったなしの臨戦体制を取っていた。レタは止むを得ずに、その突然のプレッシャーに圧倒され立ち止まる。あと一歩、あと数秒遅れていたら・・・。拝殿で構えていた少女が鞘を抜き、躊躇無しに飛びかかってきた事だろう。まるで大粒の氷柱が降ってきたような緊迫した瞬間。黒羽の少女は絶句を誘う瞳で、気を許そうとはしなかった。


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