表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
便箋小町  作者: 藤光一
第二章 胸懐編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/57

42始まりはあの日からおまかせを

 一難去った次の日。相変わらず春の風ときたら、陽の光よりも少し冷たい。髪が多少なりとも靡く程度ならまだしも、時に顔を塞がなければ前に進めない程の強い風も通り抜けていく季節だ。今日も懲りずにスーツを羽織ってはいるけれど、それでもひんやりと冷たい風が僅かに肌を凍えさせる。とりあえずの一手で辛くも入社即決を退ける事には成功した訳だが、あくまで引き伸ばしただけに過ぎない。


「結局、話の流れで来てしまった・・・。」


 なんだかんだと云っても、僕は昨日訪れた例の雑居ビルの近くに居る。いつもより重い鞄を握り締めていたのは、とある理由あっての事だ。でなければわざわざ自分の荷物を増やそうとは思わない。鞄の中に敷き詰めたのは、ノートパソコンである。持ってきたのは、ここの女社長がパソコンに興味を注いでいたからだ。アナログ事務を続けていたこの会社に何の為に使うのかはさっぱりだけれど、曰く何かしらの効率アップを図りたいらしい。その為、普段は空にも近いこの鞄も自前のノートパソコンによりギッチリと重みを感じている。

 集合時間は、朝九時丁度。流石にピッタリ過ぎてしまうと、彼女の事だ。きっと何かしらの指摘を云われてしまうだろう。そう思った僕は少し早く出るように準備しておいた。予定では十分前には到着出来るだろうと推測して。しかし、一つ矛盾に感じてしまっている点があるだろう。それは、何故僕がここに訪れる事が出来たのかという事。便箋小町は一度訪れてから外に出ると、たちまちその存在を認識出来なくなる。それは自称半妖だと謳う飛川コマチという女社長が施した結界のせいだという。この場合は、お陰というべきか。幸か不幸か、僕はこの事務所の存在を忘れる事も認識を阻害される事なく悠々と辿り着いてしまったのだ。では、何故ここに来れたのか。それを話す為に、ぐるりと時計を巻き戻そう。


・・・。



・・・・・・。


 時を巻き戻したのは、丁度僕がこの事務所から立ち去ろうとした時だった。辛くもなんとか云い包め、明日体験しに行くという内容で事は炎上せずに半妖と妖怪を納得させる事に成功した。そんな中、彼女はどこか含みのある云い方で切り出してきた。


「確かに、君たち人間が風任せに流れ着いた噂の内容は強ち間違っていない。現にここから一歩踏み出せば、忽ちここに来た事や存在を忘れる事になるだろう。いや、この存在自体を認識させなくする、の方が正しいか。」


「俺たち妖怪は、偶然に触れ合う事はあっても慣れ親しむ間柄じゃねぇからな。」


「だからって、何もそこまでする必要は無いじゃ・・・。」


 それは、僕のような人間とは違う境遇だからこその距離感を保ちたいからなのだろうか。メルと名乗るこの妖怪も、ツンと目付きを冷たくさせながら鋭い目線を置き去りにしていた。彼女らは妖怪、都市伝説そのものだ。彼女らの存在は、人の一生でたった一度出会えるかどうかのレベルだ。その一度きりの一期一会以上を、求める気は無い。だから、記憶と認識を狂わせる。そもそも、そんな超常現象のような奇怪に何度も巡り合わせる事はあってはならないのだと彼女は言葉を添えていた。


「こーまでしてねぇと、寄ってくるんだよ人間って奴は。」


「我々は後処理に余計な二次災害は好まないのだよ。だから、この場所の認識だけは消すのさ。」


 それは知りたいという知識欲が生み出す好奇心。決してそれ自体に関して云えば悪い事ではない。しかしその好奇心こそが人の領域から外れてしまい、気付かぬ内に危険の火の粉に触れてしまう事になる。だから便箋小町へ訪れたという記憶だけを残して、後の存在の認識を阻害させる。彼女はまるで事前に用意されていた台本でも読み上げるかのように、雄弁に語っていた。いずれ誰かにそう説明出来るように予め用意していたみたいに。けれど、それは同時に僕の心の中でもホッとする瞬間でもある。


「じゃあ、僕がここから出たら、もうここには来れない訳ですね!良かったです。」


 そう、元々はこれが僕の狙いでもあったのだ。便箋小町から一歩でも外に出てしまえば、ここの住所を認識出来なくなる。それはオカルトを信じていなかった僕でも知っている事であり、この状況から抜け出せる最良の方法。トイレの花子さんに答案用紙を見せて撃退させるのと同じくらい、この世界では知れ渡っている話なのだ。何も反発して逃げ出す必要は無い。適当な話を持ちかけて、ここから出れば良いだけの事・・・、と思っていたのだが。


「と、なっても大丈夫なようにこちらを君に授けよう。」


 捨てるように吐いたそのセリフと共に、突然彼女は僕の腕を掴み取る。ふと僕が気が付く頃には、彼女の左手には実に禍々しく錆び付いた金属製の輪っかを握り締めていた。丁度腕輪にでもなるくらいの大きさで、中心部にはこれまた禍々しい髑髏のような模様を浮かべている。彼女は、有無を云わせる隙も与える事も無くその怪しい腕輪を僕の手首へと無理矢理付けたのだ。


「って、何を勝手に付けてるんですか、これ!」


「なーに、気にするな。ちょっとした呪物だよ。」


「呪物の時点で、気にするなは無理ですよ!」


 呪物と云い残したこの腕輪は、中心部に模られた髑髏模様から紫色の怪しい光と何かの叫び声が微かに聞こえた。太い杭にでも刺されたような断末魔の叫びは不気味に耳へと残り、この髑髏がこちらを睨みつけているみたいだった。これを気にするなと云うのは無理な話だろう。というか、何故この人は詫びれる事も無くここまで澄ましてるのか。挙げ句の果てには両手を上に挙げて、数回横に振るうようなシュラグまで振る舞う始末だ。そんな彼女から追加オーダーとして振る舞われたのは、こんなセリフだった。


「別に害は無いさ。君が人間である証拠でもあるな。」


「うわー・・・、なんか身体の中に入っていったんですけど・・・。」


 その怪しい腕輪はみるみる僕の腕の中へと入っていく。確実に僕の腕の中へと入っていっているのに不思議と痛みはなく、まるで身体の一部だったかのように一体となる。その光景が余計に不気味で独特な嫌悪感が背筋を舌で舐められた感覚に陥った。勝手に付けられたと思ったら、勝手に身体の中にその禍々しい腕輪は入り込んでいったのだ。ワハハハと悪役の高笑いで断末魔を添えながら。どうしようもなくご機嫌を斜めにした僕の顔は場違いではない筈だ。


「案ずるな青年。これで君はここのパスポートを文字通り手に入れた訳だ。」


 彼女は不安がる僕に対し、ブラウン管テレビでも叩くかの勢いで背中をドンっと叩く。何も産まない喝に、空っぽな檄が空間を静まり返らせる。ここのパスポートを手に入れた?文字通り?何を云っているんだこの人は。仮にも人の身体だぞ。どこの何か分からんものを勝手に入れといて・・・。


「つまり、どういう事っすか?」


 僕は恐る恐る訊いた。けれど、内心は大体勘付いている。


「君がここから出ても、この便箋小町という存在を認識する事が出来る。」


 ほら、見た事か。なんて余計な事を・・・。


「これ、外せないんですか?」


「それには新人、良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きてぇ?」


 僕の問いに対し、彼女の代わりにスッと前のめりに乗り出したのはメルだった。尻尾をバネ代わりにして、その場で飛び跳ねながら自分の存在を誇張する。こういう質問をしてくる時、どんな映画でもどっちから聞いたって良い事なんて無い。だったら僕はどっちから来ても後味が悪くならないように、こんな質問がもし来たならばこう答えるようにしている。


「おすすめの方で。」


「じゃあ、良いニュースからだ。マチコは解呪や封印に特化した半妖でな、その手の解呪はディナーを用意するより早い。」


「わ、悪いニュースは?」


「そりゃあ、その解呪を行うのはマチコの気分次第ってとこだぜ。」


 お分かり頂けただろうか。案の定、良いニュースと悪いニュースのくだりには大抵ロクなものが待っていない。これで晴れて嫌でもここにいつでも訪れる事が出来てしまった訳だ。なんて事は無い、強いて云えば、最悪だの一言だ。曇天に差し掛かった僕の表情に添えてきたのは、右手を腰に当てながらニカっと微笑む女社長からの言葉だった。


「とにかく、これで君はいつでもここに訪れる事が出来る訳だ。だが、安心し給え。明日は、このビルの入り口で待ち合わせをしてあげよう。」



・・・。



・・・・・・。



 かくして僕は、今日もまたこの古びた雑居ビルの前に佇んでいる訳だ。さて、この場合はどこにクレームを付ければ良いのだろうか。消費者センターか?それとも労基か?いずれにしても、よく分からない不気味な髑髏模様の腕輪を付けられ身体に入っていったなど信じてはくれないだろう。ましてや勤務先はあの都市伝説でもある便箋小町で、社員は人ならざる者。一晩寝てこれは夢だと現実逃避を試みたが、ツネった頬の痛みは現実だったのが実に悲しい。

 すると程なくしてビルの入り口から、コツコツとヒールで叩く音が聞こえてくる。外の筈なのに、オペラホールの中にでも居るようなコツンと叩く一つ一つの音が反響し、独特な木霊を演出させていた。裾の端までピシリとアイロン掛けされたスーツを見に纏い、一本結びに束ねた長い髪を靡かせる女社長の姿。曇天の僕の顔色とは裏腹に、雲一つない晴天を表す太陽のように彼女は古びた雑居ビルの入り口から現れた。


「あ、おはようございます。」


 彼女は僕の顔を見るとすぐに取り出した携帯電話を開いた。折り畳み式の携帯電話で型はだいぶ古そうだった。本体の角には擦り傷が目立ち、表面のメッキはところどころ剥がれていた。


「うむ、五分前行動なのは関心だが及第点だな。欲を云うならもう五分、十分前行動が妥当だぞ。」


 そう云うと携帯電話を畳み、すぐさまスーツパンツのポケットへと仕舞い込む。人差し指を立てながら軽めの説教を僕に浴びせた。


「は、はぁ・・・すみません。」


 五分前?可笑しいな僕の時計ではまだ八時五十分なんだけどな。ひょっとして彼女の携帯の時計がズレているのかな、型もだいぶ古そうだったし。けれどそれを云い返したら、火に油を注ぐのと同義。ここはそっと胸に押し殺して仕舞い込んでおこう。そう思い、僕は軽めの会釈で平謝りをしておいた。


「しかし君は、何とも覇気が感じられないな。今の時代の若者は、皆こうなのか?」


「それは、人それぞれかと。」


 両手を腰に当てながら僕の顔色を伺い、手の届く距離で彼女は大粒の溜め息を吐き溢した。こんな目の前で溜め息を吐かれるのも、中々にしんどいな。ましてや昨日今日で会ったばかりだというのに。すると彼女は、そういえばと思い出すように顔を上げて歪めた眉を僕に見せつけた。


「君が云うタルミというあだ名も、案外しっくりくると云われても仕方ないであろう。」


「余計なお世話ですよ、それ。ところで、最初に何をすれば良いですか?」


 僕も彼女に習うように右手を腰に当てながら、不貞腐れつつも言葉を返した。しかし何にしても今日来た理由は、あくまでここ便箋小町の体験だ。正式な稼働日でもなければ、まだ晴れて入社した訳ではない。口を酸っぱくして云うがまだ決めてはいないのだ。まずは体験という形で、ここのじゃない事情を探ってからゆっくり考えよう。さて、それでは彼女の口から話してもらおうじゃないか、最初の業務内容とやらを。すると古びた雑居ビルに佇むこの女社長は唇を和らげ、ふふん口角を上げた笑みを浮かべた。


「何、簡単な事さ。それでも君にしか出来ない重要な役割でもあり、大事な業務でもある。」


「それは・・・?」


「まぁ、まずは我が社に来たまえ。」


 そう吐き捨てると彼女はくるっと身を返し、こちらの有無を云わせずに再び雑居ビルへと入っていった。僕も吸い込まれるように彼女の背を追い、人気の無い古びて廃れた床のタイルを踏んだ。



 辿り着いたのはやはりここ。男子トイレと女子トイレの間。その間には質素で無機質な白い扉。前回は彼女が結界なるものを閉じて漸く見えるようになっていたが今日は違う。僕の腕に無理矢理押し込められた呪物だかを装備されたせいで、今日ははっきりと僕にも見えてしまう。

 扉を開けると、そこに広がるのは開放感溢れる理想的なオフィススペースとは程遠いゴミ屋敷。窓はピシリと閉め切られ、陽があまり差していないのか妙に暗い。散乱したゴミ袋の山に、投げ捨てられた飲み物たち。ここで一体どんな仕事を、というかどんな生活したらここまで汚くなるんだ。仮にも事務所だぞ。そんな思いを喉の奥へと呑み込み、僕は中へと入っていった。足元も当然、散乱したゴミのせいで足の踏み場が少ない。正直、こんな状況であれば虫が湧いてきても、やはりそうかと驚かないだろう。


「さぁ、武器を持ちたまえ。好きなだけ使い、ここにあるゴミというゴミを焼き払ってしまえ!」


 と豪語した彼女の姿は、顔をすっぽりとフルフェイスのガスマスクを装着していた。埃や塵防止にしてはオーバースペックだろ。右手には箒と雑巾、左手には洗剤スプレーとゴム手袋を入れたバケツ。まさかとは思うが、最初に受ける便箋小町の業務内容が掃除をしろって云いたいのかこの人は。


「って、これじゃただの掃除屋じゃ無いすか!僕、歩くダ⚪︎キンじゃ無いんですよ‼︎」


 僕は思わず受け取った雑巾を床に思いっきりぶん投げた。水分を含んだ雑巾は想像以上にビタンっと破裂音を弾かせ、メンコ少年も驚きの叩き付けだと我ながら思う。


「まぁ、まずは口より手を動かしてくれ。あ、そうだ。私のデスクは掃除するなよ?人間である君では見えない特殊な結界を施しているんだ。下手に触れれば、焼き払われるのは君になるからな。はっはっはっはー!」


 手なら既に動かしましたよ。あなたから頂いた雑巾を床に叩きつけるのにね!叩き付けて考えが一周回ったのか、はたまたもはやどうでも良くなったのか、僕は彼女から掃除用具を受け取った。我に返りなんとも納得のいかない冷静さを取り戻したのか、この醜くなってしまった汚事務所を一掃してやろうと奮起したのだ。どうせなら徹底的にやってやる。掃除や整理整頓は得意なんだ。塵も染みも残さず、床を舐められるくらいまで掃除してやる!



・・・。



・・・・・・。



 さて、時刻は正午もすっかり回り切り十四時のお知らせをラジオがアナウンスしてくれた。メルが作業中のBGM代わりにと掛けてくれたのだが、お昼の知らないラジオパーソナリティが時刻を告げる。床のゴミたちを払い除け、埃を払い、欠けてしまったタイルの補修と雑巾掛け。乱雑に置かれていた書類の山も全てソート分けし、不必要な物は全て容赦無く処分した。途中、僕のやっている事がまるで抜き打ちで店舗巡回により現れた執行役員のようだった。むしろ途中からそんな気分だった。するとどうだろうか。床は本来の姿と美しさという輝きを取り戻し、業務上必要最低限に置かれたデスク。心無しか掃除する前と比べると明るさを増したかのような錯覚さえ覚えさせる。綺麗さっぱりにコントラストを取り戻したデスクに腰掛け、自前のノートパソコンを取り出す。つい先ほどまでは、このノートパソコンすら置くスペースも無かったが今は伸び伸びと余裕とゆとりがある。人差し指でデスクをなぞって指の腹を見ても、小さな指紋にこびれ付く埃はもうそこには無い。制約上の関係か何かは分からないが、掃除する際に許されなかったのはただ二つ。社長のデスクの掃除と窓を開けない事だった。一万歩譲って彼女のデスクは諦めたとしても、いかんせん窓をピシリと閉じた状態でのゴミ事務所を掃除するのは苦痛だった。

 何故窓を開けないのかと何度か懇願したが、頑として彼女は僕の意見を突っぱねた。どうやら特殊な結界を施しているらしく、こればかりは譲れないだと彼女は云う。くそ・・・、だからか。だから、あの人大袈裟なガスマスクをしていたのか。どうせなら人数分用意してくれよ。なんで自分だけなんだよ。唯一この空気を循環してくれたのはカラカラと異音を鳴らす扇風機と壁に備え付けられていた換気扇。正直、どちらもいつ止まってしまっても可笑しく無いくらい年季が経っている。恐らく換気扇も相当汚れているだろう。それはまた今度、時間がある時にでもしっかり掃除してあげよう。・・・・・・ん?これじゃあまるで、僕がここに来るみたいじゃないか。いかんいかん、今日はあくまで体験だ。むしろ、今日を境にいそいそとお(いとま)したいくらいなのだ。僕の悪い癖だぞ、垂イサムよ。周りに流されてはいけない。時にはしっかりと自分の意見を貫き通し、真っ直ぐに伝えるのが大事だと何かの本にあったぞ。僕は一人腕を組み、頭の中で意見を輪唱させ頭ごなしに納得出来るように数回頷いた。


「ふむ、それが噂に聞くパソコン、というものか。」


 パソコンの電源を付け、作業に取り掛かろうとした時、彼女は物珍しさに惹かれたのか興味津々にやってきた。まるで初めて見る手品か電化製品でも見るような興味に唆られた眼差しで、こちらをいやパソコンを見ている。ひょっとして見た事が無いのか、この自称半妖だと名乗る女社長は。


「え、見た事ないんですか?」


「生憎この手は疎くてね。色々と私とは相性が悪いのだよ。」


「へぇー、まぁそんな人も居ますよねぇ。」


 余りにも物珍しそうに見ていたので、僕はつい席を譲り彼女にパソコンを託した。不慣れながらに人差し指でキーボードを叩いたり、マウスパッドを動かしその一つ一つの動作に感動を覚えている。まぁ確かに僕もパソコンを初めて触った時は、どこをどう触れば良いのやらと思いながら興味に唆られていたが。こうも無邪気に自分より歳上の人が楽しそうに触るのも実に新鮮に感じてしまう。


ブ、ブブブブブブブー・・・、ーーーーブツンッ。


 と、突然聞き慣れない嫌な予感を覚えさせる音が僕を振り返させる。寸前まで触っていた彼女は頬に冷や汗を添えながら、恐る恐るとこちらの顔を伺っていた。


「・・・垂くん、どうやらそのパソコンとやらが壊れたようだ。」


「どうして⁉︎」


「訂正しよう。()()()()()()()()()壊れた!」


「何かしたから壊れたんです!あぁ、もうブルーウィンドウになってるし!一旦、これは電源を消すしか・・・。一体、どこを触って何をしたらこうなるんですか⁉︎」


 ほんの少しの時間、目を離したかと思えば僕のパソコンは奇妙に羅列した文字列と青色に発光する液晶になっている。ブルーウィンドウ、俗に云うフリーズ状態だ。そんなオーバースペックな事はしていない筈なのにどうして・・・。というかなんでこの人は、ケロッとして腕を組んでいるんだ。仮にも壊したのは自分だろ。するとどうだろう、彼女が次に発したセリフは現代社会では俄かに信じ難い事実なのである。


「ふむ、動かないのでな。こう、この辺りをスッと・・・。」


「ておぉおぉぉぉい!ブラウン管テレビじゃないんすよ!」


 魂の叫びとは、この事か。僕は事務所を覆い尽くす程の勢いで声を荒げた。どうやら彼女は、まさにブラウン管テレビのようにモニター部分の角に目掛けて軽い手刀をしたと云うのだ。所謂ショック療法。これで直るのは一昔前の電化製品に限る迷信だ。何故デリケートなパソコンを、人の物にかますのだ。何よりも何故動かなくなったところで、手刀を施す前に声を掛けないのだと焦りと怒りで渋滞気味だ。しかし彼女は、まぁ待てと云わんばかりに軽く手を挙げ、荒げる僕の勢いに静止を促した。タクトを振るうように人差し指を立たせ、実に落ち着いた眼差しに合わせて言葉を添え始める。


「ちなみに、こういった機械や電子装置に触れただけで壊してしまう体質というのは実際に科学的にあるらしくてな。とある理論物理学者の名から取って、“パウリ効果”と云うらしいぞ。」


「やめてください、今そんな蘊蓄(うんちく)云われても、スッと入っていかないです。ていうか、なんで壊した張本人が一番冷静に蘊蓄語れるんですか!」


 残念ながら今の僕のキャパシティでは、彼女の提示してくれた蘊蓄はものの一分で忘れてしまいそうだ。そんな中、横槍を入れるようにデスクへピョンと飛んできたのはあのモジャモジャ妖怪。


「そういう訳だ新人。こいつを擁護するつもりはねぇが、マチコが電化製品を持たないのはこうなるからなんだ。」


「いや、でも誰もがスマホを持つ時代なのに⁉︎」


「こいつの携帯とやらは、未だガラケーという奴だぜ。」


「む?携帯というのは電話をするのがメインであろう?ごちゃごちゃ混ぜ込むのだから直ぐ壊れるのだ。」


「そんな無茶苦茶な・・・。」


 そうかこの一連の流れで漸く思い知らされた。この事務所にプリンターはおろかパソコンすら無く、挙げ句の果てには本人がスマホじゃ無いのも漸く分かった。彼女は極度の機械音痴なのだ。それも並大抵のものじゃない。触るだけで壊してしまう程の文明科学ブレイカーなのだ。


「だから云ったであろう。私はこの手が疎いのだと‼︎」


「疎いとかのレベルじゃないよ‼︎もはや魔法だよ‼︎」


 何故彼女は腕を組みながら仁王立ちで凄みを与えながら、そんな事が自信たっぷりに云えるのだろうか。さっきから情報が渋滞してて、クラクションの嵐だ。肩を落とす僕に対し、メルが近寄り背中をポンと摩る。


「つまりだ新人。マチコは何かと卒なく熟す事が出来るが、整理と機械だけはからっきしだ。だから、お前みたいな整理が出来てそういうパソコンとかが出来る奴が必要なんだよ。今の時代はな。」


 出来れば、彼女がパソコンに触れる前にその情報を知りたかったよメルとやら。僕は再びパソコンに電源を入れる事を諦め、そっと蓋を閉じた。



・・・。



・・・・・・。


 そんなこんなで時刻は夕暮れ時。春とはいえ、未だ陽が沈む時間帯は早く、十七時迎えた頃にはすっかり橙の空を染め上げる。西から差すオレンジの仄か暖かい光がこの事務所にも僅かに入り込んでいた時間帯だった。あれやこれやと彼女たちの業務に携わっている内に、驚く程に時間はあっという間に過ぎ去っていた。学校ではあれだけ長く感じた授業時間が、ここでは比較にならないくらい短く感じてしまう。それだけ夢中だったのだろうか。それともこの空間での仕事という物に携われて楽しかったと感動とは少し違う達成感があったのだろうか。いずれにしても事実、僕は未だ飽きる事無くこの事務所に居る。彼女が居る限り、今日はあれ以来パソコンを起動していない。本当は幾らかの事務作業に取り掛かりたかったが、またフリーズを起こされたら溜まったもんじゃない。


「と云う訳だ、垂くん。」


「どう云う訳ですか、飛川さん。」


 そんな今日一日を振り返っている最中、彼女は何の脈略も無く話題を切り出してきた。云うまでもなく僕の眉は実に不機嫌であろう。自分でもわかるくらいに不貞腐れた眼差しで彼女を覗いた。


「見ての通り、今の状況下では我々に足りない部分を補う為に君が必要なのだ。」


「そうなんですかね。これくらいの事だったら、僕じゃなくても誰でも出来るスキルですよ。」


「そうとは限らんさ。確かにスキルはそうかもしれんが、素質だけはどうにもならん事がある。生まれ持っての才能というのがあるだろう?少なくとも私が見る限りは、その素質を君は持ち合わせているのだよ。」


 彼女の云う素質とは何の事やら。仕事を行う上での効率性とか考え方とかセンスなんかがそうだろうか。もしそんな事であるなら、敢えて声に出して返事をしよう。


「どうでしょうか、僕にはまるで実感が湧きませんけど。」


 大体、何でこの人は僕に固執するんだ。何度も云うがまるで実感は微塵も無いに等しい。今頃、僕に効率性があるなら起業してるだろうし。奇抜な考え方を持っているなら、誰も驚くビジネスを初めている事だろう。極め付けはセンスがあれば、間違いなくこの場にいる事はない。これは、ある意味自信を持って云える。僕がそう投げ掛けると、ふふっと少し笑みを浮かべていた女社長。そうして、一小節も必要としない休符を交え口角を上げる。


「で、一日経って考えはまとまったのか?」


「まぁ、確かにこちらも切羽詰まってる訳ですからね。仕事が決まるのなら、これ以上の事は無いです。」


「つまり、重畳(ちょうじょう)という訳だな⁉︎」


 重畳。その意味はこの上もなく満足な事、大変喜ばしい事など感動詞的に用いる言葉。爛々と輝かせた彼女の視線は、漸く実験が成功した科学者のような瞳をしていた。両手で僕の肩をがっしりと掴み取り、興奮混じりに鼻息を鳴らしているのがちょっと怖い。


「うむ!その返事を待っていたぞ。では、これが雇用契約書、それと健康保険がこれだな。あとは誓約書と、これだ。」


 するとどこから取り出したのか、次から次へとデスクに契約関係の書類を見せびらかすように叩き付ける。昨日のうちに予め用意していたのか、ご丁寧にどこに記入すれば良いのかマスキングで印をつけている用意周到さだ。しかし、最後の一枚だけ妙に違う。


「随分と準備万端ですね・・・。ってあれ、これだけ妙に紙質が違うような・・・?」


 他の契約書はごく一般的なコピー用紙で印字されたものだが、その一枚だけは妙だった。明らかに材質が違うセピア色の古びた紙、そこにはこの国のものとは思えない不思議な文字。どの国の言語とも結びつかない異様な文字の下には、丁度サインが書ける程のスペースが用意されている。明らかに怪しい・・・。何となくではあるが、きっとロクなもんじゃない。すると彼女は詫びれもなく、スラリと口を滑らせる。


「あぁ。これは便宜上、ここを出入り出来るようにする為だ。」


「あれ?でもさっき、僕の腕に無理矢理入れた呪物だかってやつは?」


「ん?」


 ポツンと時を足元に落としたかのように僅かな静寂が訪れる。問い詰められた当の本人は、いかにも“君は何を云っているのだ?”とさぞ不思議そうに目を点にして見つめていた。その静寂にふと僕は我に返り、しんと静まり返った休符に特大のフォルテッシモをお見舞いさせる。


「ん?・・・じゃ無いですよ!完全に被ってるじゃないですか!」


 さてこの事務所に来てからと云うものの、何度声を荒げただろうか。というか今までこう、なぁなぁに生きて来た訳だがここまで何度も荒げた一日は無かった気がする。そんな意味で掻い摘んで話すのであれば、新鮮といえば新鮮な瞬間でもある。彼女は荒ぶる僕に対し、興奮した馬でも遇らうようにどぉどぉと両手を軽く上げながら落ち着きを促していた。


「まぁ、細かい事を気にしては今の世の中生きていけんぞ、垂くん。」


「今の時代だからこそ、細かい事気にしたいんですよ!取ってくださいよ!さっきの気持ち悪いやつ‼︎外さないとその書類に印鑑捺しませんよ!」


「待て、垂くん!取らないとは云っていないだろう!だから、まずはサインと捺印をしたまえ!」


「外すのが先です‼︎」


 以下、このやりとりは陽が落ちるまで続いた。結局のところ僕は全ての書類にサインと印を押し、同時に埋め込まれた謎の呪物を取り出して貰った訳だが。度重なる押し問答という説得により、僕は渋々ながらこの事務所に入社したのだ。世間が密かに賑わいを見せる都市伝説の一つ、便箋小町の社員として入社した記念すべき一日目である。そう、あの日から僕はここにいる。よく分からない毛むくじゃらの一頭身お化けと。自分が半妖だと云い張る独特な覇気を持ち合わせた不思議な女社長、飛川コマチの下で。


 それが僕の便箋小町に入社した出来事。



・・・。



・・・・・・・。




「・・・と、まぁこんな感じであの会社に入社した訳なんだよ。」


「・・・・・・なんつーか、思ってたのとだいぶちげーわ。」


 一頻り話し終えた僕に対し、チップの顔は物凄く引きつっていた。それはどこか哀れむように瞳を薄く開け、僕の事が不憫だと云いたげに開いた口が塞がらないといった表情だ。どうやら僕のこのエピソードは、この悪魔が抱いていた期待とは大きく違っていたようだ。


「残念だけど、これが現実だ。」


「もっとこうあるだろ!こうドラマチックな出会いがあってとか、ハラハラする事件に巻き込まれてとか!お前のなんか、展開も中身の薄さもギャグ漫画みてーだぞ⁉︎」


 チップは両腕をブンブンと振り上げながら、思いの丈を全力で表現しながら抗議していた。ギャグ漫画ってお前・・・。僕だって、もっとドラマチックだったらなと思っているさ。けれど、現実なんて大抵こんなもんだろ。ただ一つ、思いがけない出会いであった事だけは間違いない。


「そんな顔で僕を見るなよ。お前が聞きたいって云うから答えたのに。」


 僕は腕を組みながら、夕闇に染まった絶妙なコントラストの夜空を見上げていた。発した言葉に添えるように白く半透明の息がふわりと舞う。やはり秋はなのだなと思い知らされる。


「で、お前はこの先どうするんだ?」


 チップは不意に黄昏ていた僕に対し、目線を合わせるように身を乗り出す。この先どうするか。それは過去にあった僕のエピソードを語っている内にそういえばと疑問に思う点がいくつかあった。彼女は何故、僕を社員として選んだのか。喫茶店で質問したあれは何だったのか。何故、一度僕に呪物を埋め込ませたのか。そして、彼女が見た僕の素質とは何なのか。挙げれば黒板はびっしりになりそうだ。いずれにしても今はまだ、直接あの事務所には行かない方が良いだろう。もう少し調べてから、材料を集める必要がある。そんな中で飛川コマチと接触する事なく情報が掴めそうなのは一つ。恐らく、あそこに行けば何かまた掴めるかも知れない。


「そうだな、少し確認したい事がある。チップ、明日時間あるか?」


「まぁ、あるけどよ。どこに確認するんだよ?」


「とある喫茶店さ。」


 冷え込んだ夜風がはらはらと冷たさを教えていた。あの時と同じ日暮れ時だ。けれど一日一日でその感じ方は、パレットに注いだ絵の具のように様々な色へと変えさせていく。それは胸懐という胸の内にある心と同じように、数え切れないほどのコントラストなのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ