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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 胸懐編

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41噂の都市伝説からおまかせを

「さぁ、入りたまえ垂くん。」


 半ば強制的に彼女に案内された僕は、とある雑居ビルに押し込まれた。有無を云わせずに僕の腕を引っ張り、フラグシップのように堂々と先陣を切る。彼女の名前は、飛川コマチと云うらしい。どこか古風な喋り方で、堂々した眼差し。絵に描いたような袖の先までピシリと整ったシワの無い漆黒のスーツを身に纏う彼女の姿は、凛々しいの一言が似合う。本当にこんな女性が世の中にいるのかと疑いたくもなるのは、彼女自身が現実離れした存在だからだろうか。

 そんな彼女が案内したのは、実に古めかしい今にも倒壊しそうな雑居ビル。映画なんかで観るゴロツキが屯してそうなビルだ。当然そんな風貌だからこそ、このビルの中には人の気配がまるで感じられない。何故、今に至るまで解体させないのだろうと疑問が残るほど、このビルはガランと静寂を気取っている。タイルはところどころ剥がれ、打ちっぱなしのコンクリートにもヒビが悪目立ちしていた。もう何年もまともな管理も補修もされていないこの廊下は、歩く度にピシリと鳴きながら新たなヒビを作らせる。エレベーターの無い事からこれまた古びた階段を登るよう案内され、薄暗い空間に足を進めさせる。三階まで登ったところで彼女は厚めの扉を開け、昼間だと云うのに陽も差さない薄暗い廊下を進む。そうして案内されたのがここである。


「は、はぁ・・・、ってここ・・・、どこですか?」


 そう右を見れば男子トイレ、左を見れば女子トイレ。しかし何故か、この空間に見合わないくらいに綺麗だ。壁も床のタイルもボロボロだと云うのに、このトイレ達だけは異様に補修が施されており、やけに綺麗過ぎる。そんなバリッバリに補修された男女のトイレの間の壁へと、彼女は大きく掌を広げエスコートした。これは何の冗談だろうか、伝う汗が頬を滑り抜けていく。僕とは対照的に自信に満ちた表情で案内を施す飛川コマチ。周りにはいくつか扉はあるようだが、どれもガムテープでバツ印を模すようにバリケードされている。やはり案内されているのは、このトイレ・・・の間の壁のようだ。


「何って、君は何度云わせれば理解出来るのかね!」


「いや!全然わかんないっですよ!・・・だって、ここトイレじゃ無いですか‼︎」


 苦言の色を加えた溜め息を吐き溢し、彼女はその細い眉を釣り上げさせていた。・・・というか何度云わせればって、我が社を案内しようと云われたっきりただのその一度しか聞いてないんですけど。まぁ、初対面の人にホイホイと着いていく僕も僕なんだけど、これはひょっとしてヤバイ何かに巻き込まれたのでは。そう思うと生唾を飲みたくもなる程の異様な光景に出会されてしまっている訳だが、引き下がれる状況では無い。今、引き返してしまったら何かマズイのではと、見知らぬ第六感が警鐘を鳴らしている。そんな中、彼女はそういえばと何かを思い出したのか開いた掌を拳で叩く。


「あぁ、そうか。そうだったな、()()()()()であればそう見えてしまうんだったな。」


「普通の・・・って、え?」


 彼女は何を云っているのだろうか。普通も何も、そこにあるのは今にも剥がれそうな壁とやけに綺麗なトイレだけ。それ以外に目を凝らそうが努力を注いでも、それしか見当たらない。


「いや何、失礼した。君がそうであった事を失念していたよ。」


ーパチンッ


 言葉の休符の代わりに添えられたのは、一打の指を鳴らす。その瞬間、背筋を震わせるような微弱な電流が駆け足で過ぎ去っていった。一瞬の出来事だったのかもしれない。ほんの少しの瞬きで、目の前の光景はほんの少しだけ一変する。


「こ、これは・・・トイレとの間に扉が・・・。」


 目の前に現れたのは一枚の両開きの扉。お世辞にもその扉はあまりに質素で無機質な白い扉が、何も無かった壁から突然現れたのだ。ただ、なぜかその扉はちょうど男女のトイレの間となる絶妙なスペースにすっぽりと収まるように現れる。何故・・・トイレの間に・・・?何となくではあるが、またもや僕の中に住み着く第六感が嫌悪感を示し出していた。


「ここが我が社、便箋小町の入り口となる扉だ。生憎、秘密主義なもんでね。普段は見えないようにしているんだ。」


 しかし、そんな僕の嫌悪感とは裏腹に彼女の自信満々に満ちた表情は麗らかに露わになる。まるで初めて披露した手品が成功して、その自慢を褒めて欲しそうな子供みたいな顔をしている。こんな時、どんな顔をしてあげれば良いのか。とりあえず、愛想笑いでも振る舞えば良いだろうか。けれど十九歳の僕にはそんな下手な演技はそう上手くは願わずに、への字を曲げていた僕の唇はついほろりと本音が滑り落ちる。


「え、なんか滅茶苦茶入りたくないんですけど・・・。」


「全く、君は失礼な奴だな!便利であろう、職場の近くにトイレがあるというのも!」


「だからって、その間に作らなくても・・・。」


 風船が弾け飛ぶような驚きはほんの一瞬だけで、後味は呆れの方が優っていた。自分の会社はトイレの間にありますなんて、便利で分かり易くてもイマイチ気が乗らないのは不思議な話では無い筈。彼女の凄みを加えた語気は何故もここまで作り出せるのだろうか。何よりも突然現れたこの扉自体が満点の怪しさだ。いつまでも進もうとしない僕の足取りに彼女は痺れを切らしたのか、自らその扉の取手に手を掛けこじ開ける。



ガチャ・・・。


 質素な扉からは想像出来ない程の重い金具が弾ける音を、しんとした雑居ビルの廊下に響かせた。疑問に思うのも今更なのかもしれない。これは明らかな非現実的であって、日常から掛け離れた非日常。僕は大粒の生唾を飲み込み、目の前の光景に目を丸くしていた。


「ここは、一体・・・。」


 その空間はやけに広々とした事務所・・・、なのかこれは。先程こじ開けた扉と並んで質素な事務所のような空間がそこにあった。不思議だったのはその広さ。とてもトイレの間に構えた広さと比べると数倍も空間があり、十人くらい入ってもまだ余裕がある。まるでSFやアニメなんかでも観る、無理矢理に本来ある筈の空間を捻じ曲げて広げられているみたいだ。彼女のこの自信に満ち溢れた声色は変わらずに、鼻息を鳴らすのもこの為か。


「驚いたであろう、意外と広いとは思わなかったかね?この空間を用意するのには一苦労したものだよ。」


 飛川コマチと名乗るこの女性は人差し指を一本立て、くるくると指揮棒のように振るう。ピンと張り上げたその細い眉から有り余る自慢を披露するようだった。しかし、凄いと思ったのはその広さだけ。ダイレクトに視界へと映り込んだその感動は、瞬く間にそっと幻滅する。その理由は、簡単だ。嫌でもそれは視界に入り込む。事務所と呼ばれるその空間は、これまたお世辞にも綺麗とは呼べない。パンパンに詰まったゴミ袋が溢れ返っている。空き缶やまだ一口ほど残ったペットボトルは床のあちこちに散乱としており、独特な異臭をほんのりと放つ。本来、事務を行うべきである筈のスチール製のデスクは書類と本が積み重なり、とても作業出来るようなスペースは無い。包み隠さずはっきり云おう、(まご)う方なきゴミ屋敷である。これが正常なのか?これがこの事務所のデフォルトなのか。

 とはいえ、初対面の人の会社に「お前の会社、ゴミ屋敷ー!」なんて口が裂けても云えない。僕はダウナーな気分を押し殺したと同時に、直前まで出掛かっていた感情を思いっきり喉奥へと仕舞い込んだ。代わりに僕は彼女へ別の話題を問いかける事にした。


「あなたは、一体何者なんですか?」


「それも先程云った筈だがな、私は飛川コマチ。便箋小町の社長だ。」


「いや、それは聞きましたけど、もっとその、詳しくというか・・・。」


 そう肝心なのは、そこじゃない。彼女そのものの存在というべきか。この空間を作り出したのもそう、彼女が指を鳴らすまで姿を見せなかった出入り口の扉も手品とかそんな次元の話ではない。魔法や幻術でも見せつけられているみたいだ。いずれにしても、この光景は人間が成せる業では無い。これがもし手品やハッタリであるならば、そろそろタネ明かしが始まっても可笑しく無いだろうが彼女にその素振りは無い。


「お、なんだマチコ。客人か?」


 すると扉の向こう側から声が聞こえてきた。その声は妙に厚みがある低い男性のような声色で、扉の前に立っていた僕らに注目を集める。しかし、その声の先に振り向いてもそこには人影どころか人の気配を感じさせていない。代わりに映り込んだのは、視界を大きく下げたところに位置する。出入り口の扉の前には丸く束ねたモップのようなものが一つ。大きさは丁度サッカーボールくらいの大きさだろうか、それがモップのような毛で覆われている。ピクリとその毛玉が動いた時にそれこそが声の主なのだと漸く気付く事が出来た。


「うぉ⁉︎なんだこいつ⁉︎毛むくじゃらが喋って!」


 驚くのも無理は無いと我ながらに思う。この世に人間以外の生物が言葉を発する生物がいるだろうか。それこそまさに、漫画やアニメの世界でしか考えられない存在だ。毛むくじゃらのモノをよく見ると、白く長く伸びた毛量の隙間からは人の目よりも遥かに大きい青い眼がこちらを見ている。なんだこの生き物は、僕は夢でも見ているのだろうか。恐らくどの生物図鑑にも文献でも発表されていない生き物。しかも悠長に言葉を発し、コーヒーブレイク中に宅配荷物を受け取りにきたような実に人間臭い素振りを見せる。


「ふむ、丁度役者が揃ったな。では・・・、改めて紹介しようか。」


 彼女は右手を腰に当て、どこか安堵したような表情で軽めの溜め息を吐く。この犬でも兎でも無い毛むくじゃらの生き物へ、空いたもう片方の手で差し示す。それは自宅に帰ってきた時に出迎えてくれたペットを紹介するというよりは、古くからの友人を紹介するような素振りだった。


「メル、彼は今日からここでは働く事になった新入社員、垂イサムくんだ。お互い、挨拶をしておきたまえ。」


 彼女がそう云うと、白いモジャモジャの表情は暴落した株グラフのように斜め下へと急降下を始める。客では無いと分かった瞬間に態度を一変させ、怪訝そうな瞳でこちらを見つめていた。


「なんだ、客人じゃねぇのか。なら、茶菓子は要らねぇな。」


「え、あのコレは一体・・・。」


「おいおい、お前。初対面の奴に、コレ扱いは随分じゃねぇか。俺はメル・・・、妖怪のメルだ。」


「あ、はい。えっと垂イサムです。」


 妖怪のメル・・・。妖怪って何だっけ……妖怪って、妖怪じゃん!あの妖怪じゃん‼︎って事はやっぱり人でも図鑑に載っているような生物じゃない。まぁ、言葉を発している時点でそうなんだけども。そして何故、僕はこのよくも分からない生き物に対して律儀にも敬語で返してしまったのだろう。一頻りに簡単な会話を終えたのを見計らった飛川と名乗る女性は、白い手袋で覆い隠された両手でパンっと一拍弾く。


「うむ、簡単な挨拶はそれくらいで充分だろう。さて、垂くん。それでは我が社の事を少し話そうか。」


「いや、あの。まだ入るって僕云ってないんですけど。」


「なんだ、マチコ。まだ何も説明もしないで連れてきたのか?」


 簡単な自己紹介が済んだと思えば、次の展開の準備を進めようとしていた。いやいやいや、話がトントン拍子で進んでいるみたいだけどこの流れ任せに動いてはいけない気がする。どうみても怪し過ぎるし、このまま流れでここに入社させられそうではないか。この毛むくじゃらの云う通り、彼女からはまだ何も説明を受けられていない。ここがどう云うところなのか。彼女らが何者なのか、彼女はただ自分の会社を案内すると云っただけだ。あぁ、なんでホイホイと着いて来てしまったのだろう。


「メル、誤解を招く聞き方はやめろ。ちゃんと説明はしたさ。」 全く受けてないんですけど。


「そうか、なら良いか。」 なんでそれで良いと思うんですかね・・・。


「我々、便箋小町は現代でいうところ運び屋だ。」


「ん?そういえば、ちょっと待って下さい。なんか聞き慣れているなと思っていたんですが、便箋小町ってまさか・・・。」


 そうだ、この言葉にはどこか聞き馴染みがある。便箋小町というワードを。僕は知っている、その存在が何かを。度々SNSやオカルトの番組なんかでも取り上げられる都市伝説の一つ。実在するかも怪しい不思議な事務所、・・・便箋小町。事務所を構えているというのに、それがどこにあるか誰も分からない。地図にも存在せず、電話番号も無い。広告も打ってなければネットですら情報は乏しい存在。依頼されたモノなら何でも運ぶという不思議な運び屋。けれど、依頼をした者ですらその存在を知らない。その理由は様々だ。いつかのたまたま観たオカルト番組で聴いていたのをこの土壇場になって思い出す。

 飛川コマチ、彼女はここの女社長だと云っていた。彼女こそがそうであるならば、まさか・・・。そんな不安が僕の背筋を舌で舐め上げられる中、薄ら笑みを浮かべた彼女は漸く腰から手を離し、堂々とした腕組みを見せる。


「そのまさかさ。現代のこの国でも“都市伝説”と呼ばれる類で話題になっているそれこそが。今まさに君が床に踏み入れているこの場所こそが、噂の便箋小町なのだよ垂くん。」


 彼女の豪語と共に、ぴょんっと一打のジャンプを弾かせ毛むくじゃらの生き物が彼女の肩へと飛び移った。その白く長い毛をまるで手足のように巧みに扱い、兎や猫のようなしなやかさで華麗にジャンプして見せる。メルの青く発した眼光が槍のようになって、僕の水晶体目掛けて突き刺してくるみたいに鋭く通す。不安と合わせてその影から覗き込むのは一種の恐怖。不慣れなポーカーフェイスでは防ぎようが無い。僕は掻き立てられる感情に左右されながら、恐る恐る唇を震わせた。


「その便箋小町が、何故僕を・・・?」


 鏡を見なくても多分そうなのだろう、今の僕はきっと水槽に入れられたばかりの魚のように泳いでいる。


「それは君が仕事を探していたからさ。そしてもう一つ。」


 ごくりと再び、僕の声道に生唾が通り抜けていく。冷や汗は頬を伝い、独特なシリアスが素肌を身震いさせる。彼女はまだ静寂しきっていない言葉の残響を置き去りに、一本の人差し指を立てながらそっと言葉を添えた。


「君の名字が“垂”だからだ。むしろ、これが決定的だと云った方が早いかも知れんな。」


「そ、そんな安直な。」


「何を云っている、実に運び屋らしいじゃないか。郵便と良く似た漢字でもあり、ある意味ルーツはそこにある。君を採用するに当たって充分な材料が揃っているじゃないか。」


「出来ればもう少し、中身を見て欲しいんですけど・・・。」


 僕を選んだ理由が滅茶苦茶だ。そんな小学生みたいな理由で僕をヘッドハンティングしたなんて。郵便がどうのとか最もらしい理由を付け加えて見せていたけれど、あまりにも味気なくてスライスハムのように薄い。あの喫茶店で履歴書をまじまじと見ていたのは、まさかそこだけか。この人は一体、どんな選別をしているんだ。今思えば、唯一突っ込まれた質問も強いていえば名字の事くらいだったし。


「何云ってやがる新人。中々無い機会だぜ、大船に乗るのも悪くねぇ時代だ。」


「いや、でもやっぱり辞めときますよ、ははは。」


 いずれにしても僕はとんでもないところに来てしまった。なんとか理由を付けてここから退散しないと。・・・だと云うのに、面白いぐらいに気の利いた云い訳がまるで思い浮かばない。これがハリウッドなら視聴者の度肝を抜くような発想で機転を作り出し、上手くここから脱出しているのだろうけど。生憎、僕は何の変哲も無い一般人だ。今ならオーディエンスからのブーイングが飛んできても甘んじてう受け止める。


「ほう、何か問題でも?」


 彼女は組んでいた腕を解き、顎を摩りながらこちらを見つめている。瞳を閉じながら微笑みで言葉を返すが、それが逆に怖かった。何となくだが、もしも万が一この人の下で働く事になったのならきっと逆らうような素振りは出来ない気がする。それは、上司から発する特異なスキルでもある無言の圧力により近い。


「えっと、ほらだって確か都市伝説では、便箋小町って人が営んでる訳じゃないって・・・。」


 僕の返しと来たら、我ながらにして見事なしどろもどろだった。両手を阿波踊りでもしているかのようにあたふたと仰ぎながら、冷や汗を散布する。機転の効く主人公であれ、僕は切に思う。噂では、彼ら便箋小町は人にあらずと聞いている。そう伝わってしまった理由は、依頼人が彼ら便箋小町に殺されるまたは依頼の報酬として魂を抜かれたと聞く。もしくは彼らのディナーとして食卓に並べられてしまうから、辿り着いた依頼人はまさに死人に口なし状態となる。つまり便箋小町に関わった者はどうなってしまうか分からないのだ。肩に乗っていたメルが長く伸びた毛を指先のように操り、彼女の頬をツンと突く。


「だってよ、マチコ。意外と俺たちも名が広がってきてるじゃないか。」


「確かに我々は君達の云う“人”ではない。こいつも見た通り妖怪である。そして私は・・・、所謂、半妖というヤツだ。」


 妖怪に、半妖・・・。いずれも僕とは違う人ならざる存在。メルはまだ分かる。この姿で人語を話している時点で認めざるを得ない。けれど彼女こそは半妖と云われて、スッと飲み込めれるだろうか。まず云われなければ気付かないレベルだ。何ならあの喫茶店でも堂々と闊歩しており、見た目も人間の女性そのまんまだ。まるで妖怪要素が無い。しかし、この便箋小町の扉を出現させた芸当は人間の成せる業ではなく、汲み取るなら妖術とかそんなところだろうか。何というか人を惑わすようなそんな類な力を見せているあたり、これもまたメルと同様に認めざるを得ないのか。


「ははは、ですよねー。じゃあ、そういう事なんで、なんていうかその・・・、そういう事で!」


 僕は誰よりも早く二度お辞儀を高速で振る舞った後、一目散に振り返り逃げようと走り込んだ。けれど僕の行動をある程度予測していたのか、彼女はそんな僕の安い逃走路を意図も容易く塞いでしまう。


バンッー


 有料駐車場のバーでも下されたかのように、彼女の腕で目の前の経路をピンと縫われてしまい塞がれた。彼女の目はまだ微笑むように閉じられており、ぱっと見は朗らかそうにも見える。だが、どうだろうか。妙に張り詰めるこの緊迫感は、彼女の顔に浮かべる朗らかさだけが真意とは思えない。


「なーに、待ちたまえ垂くん。何も私たちは人食いでも無ければ摂って食おう等とは微塵も無いさ。それにだ・・・、君も我々のオフィスを見ただろう?」


「だから、タダで帰す訳には行かない・・・と?」


「はっはっは、それは深読みし過ぎだ。生憎、社員は私を含めて二人。片や妖怪で片や半妖だ。見ての通り整理整頓も出来なければ、現代社会にそぐわないアナログ事務なのだ。」


 彼女はドッと笑ってみせた。柳の葉を叩くようにシュラグも振る舞う。それは些細な誤解の絡まった紐でも解くように、彼女は落ち着いていたようにも見えた。確かに彼女の云う通り、この事務所にはプリンターも無ければパソコンすら無い。代わりにあるのはデスクに散乱された書類の山々と、床に散らばるゴミたち。事務所の汚さもそうだが、現代社会とは思えないアナログさ。今時、パソコンの無い会社があるだろうか。これは間違いなく理不尽な残業祭りが待ち受けているに違いない。僕は素人ながら、そう思えてしまった。


「いやいやいやいや!それは意識一つで整理は出来る訳ですし、努力と資金次第でデジタル化も可能かと!・・・僕じゃあ、ちょっとこの辺でお(いとま)を・・・。」


「頼むとは云わないが頼む!一つの人助けだと思いたまえ!人である君であれば、我々には無い目の配り方がある。そして、その若さ故の汎用性にしてデジタルにも我々よりも強い!つまり、君に相応しい職場はここにあるのだ‼︎」


「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい!それ、完ッ全にそっちの都合じゃないですか‼︎」


 さっきまでの落ち着きのある佇まいはどこへ行ったのやら。彼女は僕の胸ぐらを両手で掴み掛かり、焦りをブレンドした眼差しで落ち着きのない凄みを浴びせる。その必死の懇願で勢い良く頭を下げたと思ったら、ナイフのような目付きで滲み寄る。詰まるところ、この便箋小町と呼ばれるこの会社も人手不足なのだろう。離職率でも多いのだろうか。いや、そう云う問題ではないか。どことなく情緒不安定にも見える程に彼女の起伏の波は激しかった。相当切羽詰まっているのか、猿の手でも借りたい勢いだ。


「むッ何を⁉︎珍しくこっちがさっきから頭を下げているというのに、まだ会釈が足りないというか‼︎」


「まだ一度しか下げてないでしょ、あなた!」


「何でも良いけどよぉ、さっさとやるかやれねーか決めてくれねーか?」


「そんでもって、お前はどうしてそんな態度でそれ訊けるんだよ!」


 これ見よがしに彼女らは、後半にかけて中身の無い憤慨でグイグイと畳み掛けてくる。もはやロジックも何も無い空っぽの凄みに圧倒されそうになったが、骨が折れる思いで僕は踏み留まった。いつの間にか就職させて貰うようこちらがお願いしているのではなく、半ば強制的に会社側から懇願されてしまっているのだ。僕は今までとは違う大きめの溜め息を吐き溢した。絶妙な機転も妙案も思い浮かばない自分自身につむじを曲げてしまった。その内どこで心の隅に回っていた歯車が崩れたのか、僕も躍起になってしまいついに吹っ切れる。


「もーーー!わかりました!じゃあこうしましょう、明日もう一度だけ来ますから。」


 どうせならきっぱり断るべきだっただろうか。しかしこうでもしないと彼女たちは、日が暮れようと朝日が登ろうと諦めはしなかっただろう。未だ僕の胸ぐらを掴む彼女の真っ白な手袋で包まれた両手も離す事は無く、すんなりと帰すつもりは無い。ここは一旦この話を断ち切り、この場から去る事が最良だと思ったのだ。


「ほう、つまり晴れて我が社に入社という事で良いのだな。」


 すると漸くにして彼女の掴み掛かる握力はほんの少しだけ弱まる。朝日と共に花開くアサガオのようにパァーっと明るさを取り戻した彼女の表情は、大きく逸脱した勘違いの希望を向ける。


「違います!明日来るのは、ただの体験しに行くだけです!」


 そう僕が彼女の言葉に対し訂正すると、またシュンとなって開いた花は蕾に戻っていった。つい勢いでそう云ってしまったが、さてこの先どうしたものか・・・。もう一杯だけ、苦味が効いたコーヒーに浸かりたい。そんな小さな食指が動いていた。

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