40その出会いは春風からおまかせを
桜模様の封筒が一通。少し気の強い季節風と共にその手紙を送った届け主は春風だった。街の至る所にも薄く彩られた桃色が春の訪れを現してくれているというのに、どうやらここ一帯はまだ一足先のようだった。残雪による数カ月ぶりのコンクリートなども無く、まだまだ辺りを氷の膜で埋め尽くしてしまう程の極寒とも呼べる冬真っ盛り。そう、僕は今まさに断崖絶壁の就職活動における氷河期から未だ抜け出せない日々を送っていたのだ。およそ十社目を超えた辺りから不採用までの流れという感覚が伝わるようになってしまった。履歴書に至っては最早ノーテイクで書ける程に身体がすっかり慣れてしまっている。一体、あとどれだけ自分の写真を撮れば良いのかと思うと、良い加減両手で頭を抱えてしまいたくなる始末だ。
「むぅ・・・、参ったな。」
そう思わず苦言を漏らしてしまったのは、云うまでもなく僕自身の口からだった。普段よりも重く放たれた二酸化炭素は、名の知れた大手チェーン店であるこの喫茶店に僕の溜め息が混じり込む。昼時を迎えたこの時間帯は知名度が高いだけあって、混雑という賑わいを隠し切れないでいた。ピークタイムを迎える一足先に店内に入った僕は、優雅に二人掛けの席に座れている訳だがそれはあくまでその空間だけの話。ゆったりと座れているだけであり、僕の心境となる就活成果は絶望という言葉がシンデレラフィットする程なのだ。
「これで二十社目か・・・、就活氷河期時代は終わったんじゃないのかよ。」
指折り数えた結果、どうやら僕は今し方二十社目の面接を終え無事に不採用というお達しを頂いた訳だ。二十社目にして異例の速さ。通常なら一日二日でも経ってから通達してくる所、ものの数時間で返答が来たのだ。しかし意外にも肩を落とす程の落胆がその時にあったかと云えば、恐らく嘘になるのだろう。確かに一社目の時では悔しさが滲み出てしまい落ち込む時間もあったが、今日に至っては半ば開き直っているみたいだ。それでも隠し切れない絶望というこの道程は、前に進もうなら明かりなしでは踏み外してしまいそうな黒暗暗。マッチの灯火すら摘みたい地図の無い旅路に、僕はその一歩を中々踏み出せないでいた。
「お待たせしましたー、アメリカーノのアイスになりますー。」
およそ五分足らずで運ばれてきたコーヒーは、びっしりとコップに敷き詰められた氷を携えてやってきた。冬が去ったとはいえ、まだまだ肌寒い本日の気温では実に張り切り過ぎた氷の量である。やはりホットにすべきだったかと、半ば後悔が脳裏を通り過ぎていくのがピシリと伝わった。
「あ、はい。どうも。」
「ごゆっくりどうぞー。」
とはいえ今更、「やっぱりこれキャンセルで。」なんて笑顔で運んできたこの店員にさっと云えるだろうか。答えは当然ノーだ。僕にそんな度胸も無ければ、そんな気分屋でも無い。ましてや、就活に手一杯の中なのだ。つまりそう、こんな些細な事はもはやどうでも良いのだ。何故、僕がここまで焦っているか?君たちはそう聞きたいのだろう。 先に結論から述べよう、それは母からの仕送りが今月でストップする予定だからだ。仕送りがストップするという事は、来月からは資金が回らなくなる。すると真っ先に錘が降ってくるのは家賃。次いで光熱費、食費、携帯代、エトセトラ、エトセトラ・・・。どうする?最悪、母にもう一度交渉すべきか。一度、はいと云い放った以上、その安売りされたプライドを早くも投げ売りするべきか。大丈夫、まだ大丈夫だ。午後にはもう一社、面接が残されている。ここを受けて最悪ダメだった時に検討しよう。そんな人生における光と闇の分かれ道に立ち止まった最中だった。もしかしたら、それはまだ些細な悩みだったのかも知れない。僕が座るこの席が一つの運命だったのかも知れない。それは今思えば、偶然だったのか必然だったのか。春一番と呼ばれる目を閉じたくもなる荒い突風が目尻を逆撫でる。桜の花弁を空へと踊らせ、ノスタルジーを彷彿させた。
「ふむ。済まない青年、ここ良いかな?」
一陣の風が吹いたと思えば、それは女性の声でどこよりも凛と咲かせた春の花のようだった。ガヤガヤと聞こえる雑音を退いて、その静寂にも感じさせる彼女の声はまだ小さな声だというのに何故かはっきり聞こえた。早朝の雨上がりに細波に紛れた風の音に酷似したその声色は、ずっと落ち着いていて凛としていた。僕が顔を挙げると対面の椅子へと掌を置き、すぐ傍らで彼女は佇んでいた。スーツジャケットを肩に羽織り、ピシリとネクタイを寸分の隙間無く締めスーツベストでしっかりと収めている。身長は僕よりも少し低いくらいの筈なのに、凛々しく佇むその姿が功を奏しスレンダーさが強調されている。そのせいかスラリとした高身長だと錯覚を覚えさせ、まるで芸能人のような独特なオーラを演出させていた。絹のように整った栗色の髪は、膨らみの無い綺麗なポニーテールを一本結びにしている。針金のように釣り上げた眉、そんじょそこらのモデルすらも顔負けにさせる整った容姿は薄く笑みを送っていた。
「え?・・・あぁ、まぁどうぞ。」
「いやなに、こうも席が空いていないとはね。君が一人で助かったよ。」
時刻は既に正午を迎えてから数十分が過ぎたところだ。某チェーン店と云う事もあって、ふと目線を切り替えれば注文をするレジは長蛇の列を形成している。そのまま周りを見渡せば、広かった店内の客席もあっという間に埋まり切っていたのだ。こうなれば相席を伺わざるを得ない。しかし、不思議だ。何故彼女は、僕が一人だと知っていたのだろうと。見渡せば他に僕のような対面が空いている客席がいくつもある。たまたま、彼女が向かう進行方向の関係で僕が近かったからか?
「お昼時ですからね。」
「うむ。ピークタイムとはいえ、ここまでこの群衆と足並みが一緒だと逆に面白いものだな。」
「ところでなんで僕が一人だと断言出来たんですか?」
不思議な云い回しをする人だな。どことなく古風で、まるでタイムスリップした昔の人と会話しているみたいだ。僕は興味本位で訊いてみた。何故、彼女が僕が一人だと断言出来たのかと不思議に興味が湧いていた。
「伊達に人間観察はしてきていなかったさ。」
「それだけで判断出来るもんですか?」
「それが人間観察の面白さの一つであるのだよ。」
そう云うと彼女は空席だった対面の椅子に腰を掛ける。一冊の古びた本をテーブルに置いた後に、腕を組みながら深く腰を下ろしながら足を組み始めた。興味から生まれた僕の揺さぶりなんてモノは小石でも眺めるように動じる事は無く、真っ直ぐな目で僕を見ていた。人間観察というだけで確信へと固め、ここまで自信を込めて云えるだろうか。
「待ち合わせ中かも知れないじゃないですか。」
「それは無い。まず君の格好だ、仕立てたばかりのリクルートスーツにやけに整えた髪。恐らく君は就活生だろう。その為に用意した鞄も真新しく見えるのに中身は空に近い。恐らく、財布と今日の面接に向かう企業の資料と履歴書くらいだ。鞄自体が自立させずに椅子に寄り掛けているのが証拠だ。」
彼女の言葉に戸惑いは無かった。僕の事を的確に云い当ててしまうのは、ドラマなんかで見る探偵もののようだった。丁度そう、シャーロック・ホームズが人の何でも無いようなその時までの行動を云い当ててしまうアレだ。彼女はそのまま休む事なく、人差し指を静かに立てながら悠長に唇を動かす。
「ズバリ次の面接先もある事から、誰かと予定を入れる余裕は無い。春を迎えたというのにこの時間に動く人間は限られる。既に新入社員として働いている者が殆どで、一緒に就職活動を回る者ももう周りには居ない事になる。大方、就活大戦に敗れた一人であろう?例えるなら時期を逃し、売れ残った恵方巻きのような存在かな。だから私は、君が一人であると断言出来た訳さ。」
「あなたは探偵か何かですか?」
僕の気分は、まさに名探偵の傍らに慌てるワトソン君だ。悉くここまで的確だと、想像よりも気持ち悪さが勝ってしまう。まるで、つい先程まで監視されていたのでは無いかと疑ってしまう程だ。それだけの寸分の狂いの無い推理力に脱帽した訳だが、彼女は僕の問いに対しノーと首を横に振るう。
「私は運び屋さ、ちょっと特殊なね。それにその返答は、はいそうですと断言しているようなものだぞ?」
「別に嘘を付く理由なんてありませんからね。」
「何、君が不機嫌になる必要は無いさ。正直な心というのは、いつの時代でも大事なものだよ。」
「稀に馬鹿正直とも云われますけどね。」
「それは相手の捉え方次第だろう?仕事するなら、そっちの方が好感を持てるさ。」
「あなたこそ、どうなんですか?今日はお休みか何かですか?」
「今は見ての通り、午前の仕事を終えて休息に至る次第だ。」
仕事を終えてからの昼休憩?果たしてそうだろうか。どちらかと云えば、午前中をいっぱいに活用し古本屋巡りを存分に楽しみ、お目当ての本を探し終えたばかり。家に帰ってから読むのも待ち切れず、大事そうにテーブルに置いたその古本を読み漁ろうとするようにも見える。常に目線はこちらに真っ直ぐではあるが、時折一拍を置くように手に入れたばかりの古本をチラチラと見ていたのだ。それに運び屋って、そんな運送業を営んでいるような風貌にも見えない。何よりも感じるのは妙な既視感。彼女と会うのは初めての筈。それなのに、何故かこれが初めてでは無いのだという違和感。この不思議な風貌、オーラを纏うこの女性は何者なのか。僕は怖いもの見たさにも似た興味を薄らと浮かべていた。
「とてもそうには見えないですけど・・・。」
「あぁ、これは私の趣味だ。古本が好きでね、知識を深めるのに丁度良いのさ。」
「丁度良い・・・ですか。」
「ところで本は好きかね?」
「まぁ、人並み程度にはって感じですかね。」
「本は良いぞ。人の発想力や想像力には興味を唆られるばかりだ。漸く出会えたこの本もその一つさ。」
そう云うと彼女は大事そうに程よい分厚さの古本を持ち上げる。表紙に描かれていたのは英語の表記、黒ずんだ赤色の本で真っ黒な五本指が爪先立ちをしたイラストが施されている。彼女はその本を僕に渡し、奇妙なその赤い本のページを捲らせようと促した。無言で訴えかけられた彼女の眼差しに翻弄され、ページを捲るとやはりその中身も英語表記だった。生憎、僕の英語力は実に乏しい。一つ一つの単語の意味はなんとなく分かるが、文法になってしまうともうお手上げだ。ニュアンスで恐らくこう云っているのだろうと云う解釈程度であり、著者が何を訴えかけたいかまでなんて到底辿りつかない。数枚パラパラとセピア色に少し滲んだこの赤い本を静かに閉じ、読み終えるのに数年かかりそうな物語を閉じた。
「難しそうな本ですね。」
「難しいなんてほんの一瞬さ、案外紐解けば簡単なものだよ。何事も難しいものなんて、基礎の応用に過ぎん。時に、物事に触れずに所感だけでモノサシをするから複雑だと錯覚するだけだとは思わんかね?」
「確かに・・・、それは一理ありますね。」
「数学も言葉もそうだ。様々なピースが複雑そうに並べられているだけなのだ。それが見えるようになれば、普段君が一歩前に歩き始める時、右から出すか左から出すかとなんら変わらんのだよ。」
「それは少し極端過ぎません?」
「所詮は人が考えた事だ。努力次第で、同じ人ならば行き着く筈さ。」
彼女の言葉には不思議にも何処か説得力があった。簡単なものも誰もが頭を抱えたくなる難問も、複雑に絡まった紐を丁寧に取り除けば結局は基盤となる基礎そのもの。一見複雑そうに見えてしまう構造も、しっかりと順序立てされた計算されたパズルに過ぎない。難しい・無理だと感じてしまうのは物事に対し、ただ遠くから見つめているだけでその薄い一枚の皮すら触れていないから。それこそが世に蔓延る盲目の正体だと彼女は云うのだろうか。しかし、口が出る言葉と行動は全くの別物。実際に行動するのは、口に出すより数倍も難しい。・・・そうか、これこそが実行に移れていない良い証拠か。それは今まさに本を読まずして手放してしまった僕の行動と同義。難しいものなんてない。ただ、誰もが最初そう感じてしまうだけ。そう、錯覚してしまうだけで実際のところは基礎の応用に変わりない。まるで世界の理という風呂敷をこの喫茶店の二人掛けのテーブルに広げられたみたいだ。彼女は胸ポケットに挿していた万年筆を取り出し、くるくると巧みに指で回し始める。
「ところで、仕事はまだ決まらないのかな?」
そういえば彼女には、僕がまだ就活生である事はバレていたんだっけな。もはや、ここまで云い当てられてしまっては隠す必要も無いか。一応に僕はポケットに仕舞い込んでいたスマホを取り出す。スリープを解除し、スケジュールを取り出す。みっしりと埋まっていれば忙しさアピールで少しは気分が良いのかも知れない。けれど生憎の空白が多忙を埋めている始末だ。十四時に某印刷会社の面接があるくらいか。その先は、今のところ残念な事に予定は無いに等しい。
「どうでしょうか、次の面接次第ですかね。」
なんて苦し紛れの見栄っ張りなのでしょう。むしろこの面接を逃せば、また黒暗暗とした旅路に支度をしなくては。僕はその苦し紛れを少しでも隠すように、頭を掻くフリをして額に滲み出た汗を拭った。拭った冷や汗は体温から滲み出たとは思えない程冷たく、内心よりも自分が焦っている事に気付く。その仕草に気付いたのか、彼女は口角を少し上げながらニヤリと静かな笑みを浮かべ始める。指揮者が演奏者に合図を送るように右手を差し出し、自信に満ち溢れた声色を加えた。
「そうであろうな、では履歴書。・・・あるのだろう?」
「あ、はい。まぁ・・・、面接の練習相手にでもなってくれるのですか?」
彼女の言葉に翻弄されてか、僕は吸い込まれるように彼女が差し出した右手へ履歴書を渡した。いや、どちらかと云えば渡してしまったの方が正しいのか。これから最後の面接が控えているというのに。今思えば、何故彼女に渡してしまったのか分からない。けど、心のどこかで渡した方が良いと思ってしまった。普段ならば、絶対にしない行動だ。まぁ、それでも本番を控える中での練習相手になってくれるのなら有り難い話でもある。この機会に自分の指摘を貰って、本番を迎えた方が自信が付くかも知れない。過ぎてしまった事は都合の良いように転がすのが一番だ。
「いや、これは本番と思いたまえ。」
驚く事に彼女は声色をスッと落とし、ナイフの切っ先を向けるような眼差しでこちらを見ていた。そんな眼差しから加えられた言葉は、今からやる事を本番だと思う事だと。あ、そうか。それだけの意気込みで挑んでこいと云いたいのだろうか。練習で成果を出せないと本番では、と云うしな。彼女は渡した履歴書を片手で摘み上げ、まじまじと凝視する。時折、間違い探しでもするようにこちらを見つめていた。ここは一つ、彼女の提案に乗ってロールプレイングを試みてみるか。
「しかし君はあまりにも純情だな、見ず知らずのモノに個人情報満載の履歴書を提示するなんて。今の時代なら一歩や二歩くらい、警戒するであろう。」
僅か一分に満たない時間で彼女は、渡した履歴書を静かにテーブルの上へと置いた。
「はぁ。」
僕は思わず溜め息を吐き溢した。履歴書を見せろと云ったのはそちらではないか、と。その理不尽な台詞に僕は溜め息と共に苦言を呈したかったが、無意識にその音を喉の奥へと押し込んでいた。今更彼女に抗議したところで、時計の針を巻き戻そうとしているような事と同義だろう。
「ふむ、垂・・・イサムくんか。履歴書は、これでざっと二十二枚目くらいかな?」
「二十一枚目です。よくニアピンで当てますね。」
一々彼女の発言には驚かされる。まず、名字の読み方をピタリと読み当てられたのは初めてかも知れない。馴染みの無い名字だけあって、学生時代でも現文の教師ですら「これは何て読むんだ?」と尋ねられたくらいだ。だから、こちらから正しい名字の読み方を伝える場合が圧倒的に多かった事から、何だか新鮮味もあって意外だった。次に履歴書の書き溜めた数もそうだ、云い当てられたのはほぼ正解に近い。この人は何者なのか。周り回って叩きつけられた驚きにより、彼女の洞察力に感服してしまう。
「筆跡が書き慣れているからな、僅かだが走り書きが目立つ部分もある。後半の字は特に億劫そうに書かれているのが実に目に浮かぶ。ところで、この名字はどちらの親の性だろうか?」
「母です、うちは母子家庭だったので。」
「なるほど、良い名字だな。」
「そのせいで変なあだ名で呼ばれる事もしばしばありましたけどね。」
「ほぅ、ちなみにどんな?」
「タルミ・・・、と。」
「ある意味、君にピッタリかも知れんな。」
「呼ばれ慣れているんで、褒め言葉として受け取っておきますね。」
僅かな時間で人の書く字の癖を見つける事が出来るのだろうか。何か専門的な分野で働く者もしくはその知識を学んでいるのならまだ話は分かるところだが、彼女は運び屋だという。運び屋・・・、今で云えば運送業とかその類の職種だろうか。身なりからして、直接運ぶ者ではなく彼女は営業か何かか。スーツを羽織りネクタイまでしっかりと隙間無く締めてまで、運送しているような姿には見えないのだ。そんな彼女はテーブルに置かれた履歴書に再び目を落とし、くるくると回していた万年筆をそっと傍らに置いた。
「高校はごく普通の一般高校を卒業か、特に文武に長ける実績は無し、資格は運転免許のみか。ふむ・・・。」
「はい・・・。」
この流れも何度溜め息混じりに云われた事か。僕が受けた数々の面接官たちは、まるで苦虫でも噛むような目をしていた。時には呆れたように欠伸をしたり、腕を組むどころか退屈そうに頬杖を突かれたりもした。自分という存在がここまで興味が無いと思われると逆に清々しさすら覚えてしまう。
「これで採用する方が不思議なくらいだろう。」
「まぁ、そうですよね・・・。」
そう。大体はここで特に何も発展する事無く、面接は終了してしまう。志望動機も自己PRも趣味や特技すらも聞かれる事も無く、まさに履歴書一枚で門前払い。いっその事だが書類選考の時点で落としてくれれば、かえって気が楽だと思えてしまうくらいだ。僕の選んだ会社が自身の身の丈に合ってなかっただけなのか、そう思うと世の中で稀に見る面接恐怖症の気持ちは少し分かる。さて、練習といえこの面接もそろそろお開きだろうか。そろそろ彼女も、先述にあった面接官のように頬杖を付く頃だろう。
「では、いくつか質問しよう。」
「はい・・・?」
あろう事か彼女はテーブルの上で指を交差させながら、じっとナイフを研ぐようにこちらを見つめている。それは今までに無い反応。どの企業も、どの面接官も彼女のようにまじまじとした目で質問を始めようとはしなかった。彼女の意外性こそは、やはり驚かされてばかりだ。しかし、改めて思うと質問とは何が飛んでくるのだろう。あまりに門前払いで終わるばかりだったから、面接らしい質問をここ暫く受けていない為に耐性が乏しい。すると彼女はニヤリと口角を上げ、人差し指を一本だけ立たせて手前へと寄せる。
「垂くん、これは何に見える?」
「指・・・、ですか?人差し指の。」
それは何の変哲も無い一本の指。一本の槍を地に突き刺し、ポツリと立たせた人差し指。何だこれ、噂で聞く有名な海外企業の変わった面接の質問みたいなものの一つだろうか。これをどう答えるかで、回答者の想像力やら発想力を試す問題だとでも云うのだろうか。僕は特に疑いも無く咄嗟に答えた。それが直感といえば聞こえは良いだろうが、自分で云っておいて正直面白みは無い。
「・・・ふむ、結構。」
「は、はぁ・・・。」
「では次に、これは何に見えるかな。」
彼女はポケットから取り出した一枚の紙をテーブルの上に置く。メモ帳の一枚を千切って取り出した一枚の紙。そこには全くの無地の白一色で罫線もなく、何も描かれていない一枚の紙。
「紙・・・ですよね。白紙の、何も書いていない紙です。」
「成程。」
「あの、これ何の意図があるんですか?」
すると彼女は、何かに納得したように首を縦に振るう。本当にさっきまでの質問は一体どんな意図があるんだろうか。これも何かの発想力を見極めるテストなのか。一人でに納得した彼女は差し出したメモ紙を元にあったポケットへと仕舞い込む。暫く置いていた万年筆を掴み取り、タクトのように小さな円を描くように天井へと振るう。
「では、身支度をしたまえ。案内しよう。」
「え?案内って?それにこの後、次の面接が・・・。」
「ふむ、これは本番だと伝えた筈だが?それにだ垂くん。もう、君にその必要は無いぞ。」
「さ、さっきから何を云ってるんですか⁉︎」
そうだ、この人はさっきから何を云っているんだ。案内する?もう面接をする必要が無い?この面接連敗記録更新中の僕をおちょくっているのか。だとしたら質の悪い時間帯だった。・・・いや、そうだろうか。彼女の眼差しに悪びれは無い。そこにあるのは、先程からずっと変わらない真っ直ぐな眼差し。スーツジャケットを靡かせ、深く腰掛けていた椅子から堂々と立ち上がる。それはまるで信念を持った騎士のように真っ直ぐに。大きく開いた右手をこちらに差し出し、整った眉を吊り上げると同時に笑みを僅かに含ませていた。
「今から私の事務所に行くのだと云っているのだ、青年。」
「あ、あなたの?あなたは一体・・・。」
差し出した右手は開いたまま、自分の胸へと軽く触れる。これは偶然か、必然か。後にも先にも誰かが分かる事なのだろうか。この堂々とした彼女のような人に出会う事を。彼女は混み合う喫茶店の人の目など一切気にする事なく、歓声のラッパでも吹くかのように大声を出す為の息を整える。
「光栄に思うが良い、私は飛川コマチ。便箋小町の社長、飛川コマチである!」
それが彼女と出会った最初の日である。その物語はあまりに突然で、表紙すら見せずにページを捲り始めたのだった。まるで春に訪れる季節風のように、荒々しくも。




