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便箋小町  作者: 藤光一
第一章 始動編
4/33

4悪魔退治におまかせを

 夕暮れ、橙に染まる太陽が建物に隠れ始めている。オレンジから薄い紫、そして黒へ。黒を潜ませるグラデーションがもうすぐ夜になろうと、空がもう一つの顔を覗かせようとしている。六月と云えど肌寒い湿気混じりの風を靡かせ、夜の合図を導く。目論み通り、この公園には僕達と目の前に対峙する悪魔しかいない。これなら、最小限の被害で済む。願くば、もう少し時間があればと思うと悔やまれるところではあるが仕方ない。本当ならば、全くの人気の無いところ等が望ましかった。荒野や原っぱ等であれば尚良かった。けれど現実はそんなに簡単なものではなく、すぐ近くにそのような漫画みたいな都合の良い場所は無いのだ。時間的にもこの人気無い公園がベスト。場所取りは、何とかなった。問題は、この後だ。この“ギフト”と総称されるこの悪魔と対峙する事だ。恐らく一戦交える事は、避けて通る事が出来ない。禍々しくも影から現れた悪魔は、寝起きと云えど既に臨戦態勢だ。一応、交渉してみるか・・・。素人目でもわかるほど威嚇を放っている。嘴、鉤爪、無数の腕、そして黒く大きな翼。その全体像はおよそ三メートル程あり、僕の倍近くの大きさである。大きく広げた翼も野生動物でよく見る威嚇行動みたいだ。俺の方がでかい、俺の方が強いと相手に見せる為だ。そうする事で相手を萎縮させ、対峙を有利に持たせる。元の生物であれば、余計な争いを避けるのが目的だ。けれど、こいつは違う。戦う事を前提に捉えているのだ。自分の方が強いのだと絶対的な自信がある。前言撤回だ、これは交渉もクソも無い。殺す気満々で真っ赤にギラつかせた瞳をこちらに向けているのだから。さて・・・、戦闘力、体格差、経験値。どれを取っても勝てる要素が見当たらない。機転の効く主人公ならば、打開策の一つでも考え出して突破する事だろう。安心したまえよ、これといった手段がある訳では無いんだ。こちとら、ただの一般人なもんでね。せめて銃でもあれば、戦闘力が増していたかも知れない。生憎、僕の右手に持つのは、今や頼りなさすら感じる農作用の鎌だ。稲刈りと雑草を刈るのならば、適切なんだけどね。もはや、チャンバラソードで立ち向かう子供と変わらない。では、どうやって奴と対峙するか。簡単な事じゃない。けれど、まだ手はある。・・・ある筈だ。震える右手を抑え、今は出来るだけ虚勢を張る必要がある。


「便箋小町だァ?ちっ、あの狐野郎のか。」


 目覚めた悪魔はギョロつく右眼を細め、威嚇混じりに僕をグッと睨みつける。こいつ、便箋小町を知っているのか。いやむしろ、狐野郎って社長の事なんだろうか。そういえばこの悪魔は、ずっと桐谷の影に潜んでいたんだっけか。見たところ、社内での会話やファストフードの会話は聞いていない素振りだな。と、云う事はやはり桐谷の影の中で眠っていたというのが断定出来そうだ。それなら都合は良い。道具を揃える時も、桐谷から離れて行動していたが念を重ねておいて良かった。僕は鎌の切先を悪魔へと差し向けて、精一杯の威嚇をする。


「この桐谷さんの契約破棄に来た!申し訳無いけど、あんたと桐谷さんとは白紙にさせてもらう!」


 この鎌は“ギフトを引き摺り出す為の道具だ。奴を退く為に用意したものじゃない。大体、悪魔とは云えこんなでかい奴が現れるとは思わなかった。しかも明らかに自信家で好戦的だ。少しでも目線を逸らせば、夥しい数の腕達に捕まれそうだ。こいつを引っ張り出すまでは良かった。まぁ実のところ、ぶっつけ本番でもあった。悪魔との初めての交戦に対して、情報が少ないだけでなく無知だったからだ。あと、ロクに教えなかったメルのせいだ。あの野郎、こんな悍ましい奴が出るなら先に云えよな。それでもこの悪魔の思考は、実に人間らしいというか人間臭い。自分が見つけた獲物が美味しく実るまで近くにいる事、いつでも見れるように構えている考え。誰しも自分が丹精込めて育てたものを横取りされるのは、不服だと感じるから取る行動だ。直前で脅しをかければ、嫌でも様子を見たくなるのが心理。そう思って脅しを入れたのだ。こいつと真っ向勝負では勝てない。僕は異能力者じゃ無いからね。見ての通り、普通の人間だ。けれど、そんな僕でも対抗する手段は一つだけある。それは、相手が自分の方が強いのだと思えば思う程、絶対的な自信から来る過信があるだけ効果的なのだ。一瞬の綻びから狙う、油断を作る事が次のステップだ。


「滑稽だな、小僧。おい、このトリビュート様に、何をするって?」


 トリビュートと名乗る悪魔は、鋭く尖った嘴をこちらへ向けて凄む。一度(ひとたび)噛まれれば、骨まで食い千切られそうだ。その巨体ごと突進されれば、槍のように尖った嘴の先で身体に大穴が空きそうだ。プレッシャーで押し潰されてしまうのは、まだ熊やライオンに出くわした方が遥かにマシだ。震えた声は振り払え、せめてもの武者震いであれ。僕は緩めたネクタイに出来たゆとりへ、人差し指を入れる。シャツの第一ボタンを外し、ネクタイを更に緩める。良し、スムーズに呼吸が出来る・・・。すぅーっと息を吐き、僕は口を大きく開けた。


「聞こえなかったみたいだから、もう一度云おうか?彼との契約を破棄してくれ!」


「契約は絶対だ、俺も悪魔だからな。小僧の戯言でどうこうするもんじゃねェ。わかったんなら、とっとと小僧は帰れ・・・。」


 まるでゴミを払うかのように、一本の腕で数回振るう。お前なんか相手にならない、立場を弁えろとでも云っているようだった。挑発とはまた違う、こいつは純粋に僕を見下しているんだ。


「・・・嫌だと云ったら?」


 掴んでいた鎌を握り締める。トリビュートは、その鎌を見つめた後に長く伸びた指で差す。


「その玩具みたいな鎌ごと、てめぇの身体も握り潰してやるよ。」


「あんた、一寸法師の話を知らないのか?」


「クククク・・・、クフッ。クハハハハハハハハハァーーーッ‼︎」


 哀れに思ったのか、このトリビュートと名乗る”ギフト“は僕の発言に対し大きく高笑いをした。額に一本の手を当て、空を仰ぎながら下品に笑う。その高笑いですら、ビリビリと威圧を感じる。やはり真っ向での力差は歴然なのだろう。


「・・・ふぅ。面白い。良いだろう、小僧!やっぱり俺は運が良い!まさか、今日の飯がデザート付きとはなァ。」


 無数の腕の一本が僕に指を差す。笑いで震えが止まらないのか、数本の腕で腹を抱えている。もう一本の腕を伸ばし、今度は別の角に対し指を差す。


「それと、あー・・・。お前は不味そうだから良いや。」


 と向けられたのは、毛むくじゃらのマスコットことメルだった。まぁ、確かにこいつは全身が毛で覆われているし、下処理も面倒臭いだろうし食べ難いだろうな。


「あぁあ⁉︎んだとコラ、チキン野郎、てめぇ!」


 メルは大変ご立腹なようだ。ただ、そこに威圧は無い・・・。毛を逆立てプンスカ怒りながら飛び跳ねている。ぴょんぴょこ跳ねているだけのこの妖怪は、口は一丁前だが実に不憫だ。トリビュートとメルとでは、体格差が有り過ぎる。メル自身、戦闘向きな妖怪とは到底思えない。会社から出る時、社長は「いざという時に、こいつなら役に立つだろう。」とか云っていたけど。今のところ、こいつが役に立ちそうな要素が全く見当たらない・・・。本当に大丈夫だろうか。


「俺はよぉ、魂と肉を喰うのが好きだが人間は服を着るからイケねぇ。不味い上に邪魔でしかねぇ。」


 ズン、ズンっと極太の一本の足をジャンプさせ、こちらとの距離を詰めようとする。太く強靭の一歩が巨体を支えながら、近付く圧迫感。トリビュートはゆっくりとこめかみに指を当てながら、言葉を続ける。


「でもよォ、俺は頭が良いからいつもこうしてるんだ。」


 ゴキゴキ、と骨が軋む音が鳴り響く。四本の腕を伸ばし、何かを掴むように握り締める。まるでそこに人間の両手と両足を空中で掴み上げているみたいに、ギリギリと軋ませながら握る。


「こうやって、この腕でお前らを掴みとり、四肢を捥げばよォ。簡単に服が剥ぎ取れんだよ。断末魔も重なって1番美味い喰べ方だよなァ、おい!」


 そして、会話が止まった最中に背中に広がった複数の腕が扇状に伸びる。二本の腕を地面へと突き立たせ、トリビュートは体勢を異様に低く屈めた。禍々しい嘴を広げ、粘つく唾と共に咆哮を唸らせる。けたたましくも響くその咆哮に混じって、何本かの腕がこちらへ飛び掛かってきた。本当に一本一本が別の生き物のようで、その腕は伸び縮みを繰り返しながらグネグネと湾曲させる。一斉に襲い掛かる腕達は、降り注ぐ弓矢の雨のように掴み掛かろうとしていた。


「ぬぉおおおおお~⁉︎」


 驚きが混じる絶叫と共に僕達は全速力で左へ大きく旋回し、公園中を走り抜ける。触手のように襲いかかる腕は、公園の地面を穿つ。轟音と共に抉る穴は、重機でこじ空けたように力任せだ。一本でも一打でも喰らってしまったら、一溜まりも無い。僕と桐谷は、ネクタイを揺らしながら叫ぶ。全力で腕を振り回し、膝を上げ、これでもかと前へと出る。スタミナなんか気にしていたら、命がいくつあっても足りやしない。そんな満身創痍に向かってる最中、ちゃっかりメルは僕の肩に掴まっていた。なんかやけに重いと思っていたら、お前だったか。この野郎・・・。


「マジかよ、これッ‼︎バケモノじゃないか!」


「ヒィいいぃい~っ!」


 桐谷は怯える事を通り越し、漫画みたいな涙を流しながら全力疾走している。というか、この人四十代だよな?火事場の馬鹿力だろうか、僕と同じスピードで逃げ切っているじゃん。あれ・・・。ひょっとして桐谷が速いんじゃなくて、僕の走るスピードが十代の平均以下なのか・・・。そう思うと何だか悲しくなってきた。くそ、まともにスポーツ系の部活とかすれば良かったと悔やまれる。


「馬鹿か、新人~!今更か!」


 肩に乗っていたメルも大声で叫ぶ。掴み掛かろうとした腕は地面を穿ち、生身の拳では到底出来ないはずの抉れた地面が目に映った。あぁはなりたくないな・・・。即席マッシュポテトの餌食になってしまうじゃないか。再び数本の骨をゴキゴキと軋ませ、他の生物には無い独特な筋肉を蠢きながら、次の攻撃の準備が入る。トリビュートの背中からまた数本の腕が、追い打ちを掛けるようにこちらへと向かってきた。


「そらそら!逃げてみろよ、小僧!」


 公園の代表格である滑り台の影へ逃げ込む。滑り台の筐体、手すり、足場が襲いかかる腕に掴まれる。ガゴンと鈍目の音を軋ませ、あっという間に崩壊させた。まるで油粘土でも掴んで握り潰したような意図も簡単に、逃げ込んだ障壁は、三秒と保たなかった。


「ガハハッ。やっぱり俺は、運が良いぜェ!」


「うげぇ・・・。嘘だろ・・!」


 ・・・運が良い?さっきからこいつ、何を云っているんだ?これだけの巨体であんだけブンブンと腕を振り回していれば、物の一つは壊せるだろう。流石にあの滑り台を一瞬で壊した事はびっくりしたというか、ドン引きしたけれども。こいつ、もしかして何かカラクリでもあるんじゃないか・・・。


「おい新人、逃げてばかりじゃ勝てねえぜ?」


 あぁ、もうクソ。毛むくじゃらは黙っていろよ!なんか浮かびそうだったのに。そう何かだ、こいつには独特な違和感がある。運が良い・・・。そんなに気になる事か。こいつと対峙するに当たって、何か物凄く重大な何かを見落としてしまっている気がするのに。


「賢いじゃないか、毛むくじゃら!小僧、そいつの云う通りだぜ?」


 崩壊させた滑り台の衝撃で砂塵が舞う。お互いを遮るように目の前を包み込んでいた。そんなゆっくりと立ち込める砂塵の奥からは、トリビュートが余裕を見せるようにおちょくる。僕は肩に乗っていたモジャモジャを掴み取り、自分の目線へと持ってきて凄む。


「おい、メル!何か弱点とか無いのか?」


「ん?俺のか?そうだなぁ、ギャルに尻尾撫でられると弱いな!うん。」


「お前のじゃねーし、知りたく無かったよ‼︎」


 こちとら文字通り必死になって戦おうとしているのに、この毛むくじゃらは素っ頓狂な解答をする。お前がギャルに弱いという要素は求めてなかったよ。額の堪忍袋が暴発し僕は、メルを鷲掴んで声を荒げた。荒げた声をビリビリと受け止めたが、メルは先程の会話が無かったかのように真顔を見せつける。


「そりゃあ、お前、弱点といえばだな。」


 今怒鳴られた本人とは思えないくらい冷静に、淡々としたメルは少し上目使いでこちらを覗く。キラリと光る青い眼がこちらへと語りかけ、普段と変わらない落ち着いた様子だった。


「あぁ。」


「あのタイプの野郎は、角ブチ折ればイチコロなのが定番だぜ?」


 ・・・角か。確かに奴の頭には三本の大きな角がある。昔、子供の頃に恐竜図鑑で見たトリケラトプスのように大きく黒く伸びた禍々しい角だ。あの角が弱点なのか。あの角があいつの力の源だと云うのなら、やってみる価値はあるのか。ただ、メルを信じる事が前提条件になる訳だが・・・。


「信じていいんだな?」


 僕は眉を細め、疑心暗鬼に問い詰める。社長の云う「いざと云う時に。」と云う言葉が、今なのであるならば。今この場では、こいつが最も異形な者への知識がある。対抗手段の(すべ)を持ち合わせている。何も意固地になる必要は無い。頼らざるを得ないのが現状だ。


「バッチグーよ!」


 密集させた自分の毛でグッドサインを模って、こちらへ向けている。キラリと光るドヤ顔に腹が立つ。だから、こいつムカつくんだよ。信用しようとしているのにさ。


「それ、もう死語だからな?」


 ドヤ顔を決め込んだ妖怪はさておき、奴の頭にある3本の角をどうすべきか。そういえばあの悪魔、腕で攻撃する時はなるべく遠くへと伸ばす為か、かなり低く体勢を屈めていたな。他の何本かの腕で身体を支えており、まるで陸上選手のクラウチングスタートのような仕草だった。今だってそう。砂塵の奥で身構えているトリビュートは、狙うべき頭が丁度手に届く高さにある。


「成程な・・・。まぁ・・・、あれなら狙えそうだな。」


 僅かの緊張が汗となって頬へと滴る。震える手を抑え込み、ターゲットを絞り込む。全く何でこんな事になってしまったんだか。結局、やるのは僕じゃないか。何事も経験?馬鹿云え、悪魔と対決なんて漫画だけで充分だ。


「で、どっちの角を狙えば良いんだ?」


「あみだくじで決めるかぁ?」


 メルはどこから取り出したのか、紙とペンを用意し提案してきた。こいつの体のどこに収納されていたのか、手品師も驚く芸当だが今はそんな時では無い。


「んな時間ねぇよ!わかんないのかよ⁉︎」


 シュンとなるメルを横目に再び戦闘体勢へと戻る。とにかくこちらも攻撃を加えなければ、この戦いは終わらない。何かしらの動きが無い限り進展は無いのだろう。最大の奴の隙は、腕を伸ばした攻撃を行った後。それはとりあえず理解した。とは云え、理解したのとやるのは全くの別問題だ。ジリジリと迫り来るプレッシャーを押し切り、前へと踏み出すのだ。それなりの勇気がいる。


「小僧、ビビってんのか?さっきの威勢はどこ行ったんだろうなァ?」


 再びトリビュートが鼻で笑うように挑発を繰り出す。まるで闇雲に獲物が飛び掛かるのを待つハンターのようだ。


「に、逃げましょう!垂くん!このままじゃ皆んな、殺されてしまう!」


 なんだかんだ誰よりも速く逃げ切った桐谷は、公園の隅にある木の陰に身を寄せてしがみつき怯えていた。余計に緊張を荒立たせてしまい、つい後退りしてしまいそうになる。彼の言葉は無視して目の前に集中する事にした。桐谷の言葉には振り返らず、首を横に振り「ノー」と示す。ジリッと靴底と公園の荒い砂が擦れる。砂煙が前方を通り過ぎた瞬間、思いっきり蹴り上げ走り出す。走り出す第一ポイントは、先程ギフトに破壊された滑り台。唯一この公園で大きな障害物であり、僕の盾だ。高リスクな真っ向からの突撃は出来ない。物陰に隠れながら、大量の腕を回避する必要があるからだ。


「ははは!血迷ったか、小僧!」


 笑いながら、腕を伸ばし攻撃を仕掛けてきた。くそ、どこまでもおちょくりやがって。こっちだって何かしらの能力があるなら、とっくにやってるよ!一本、また一本と悪魔が振りかぶる腕を寸前で回避し、崩壊した滑り台を回り込むように走り続ける。それが盾となり襲い来る腕が鉄製の滑り台は、鈍い音と鉄が拉げる音を奏でながら衝撃を与える。まただ・・・。また不自然に滑り台が崩れた積み木のように吹っ飛んでいる。やっぱりこいつには何か不自然な何かがある・・・。振り翳した腕はぶつかる度に砂煙が舞い、視界を覆う。


 だがこの瞬間を待っていた、そう・・・、ここだ。ぶっきらぼうに、力任せに、この障害物を吹っ飛ばそうとする瞬間を。握り締めた鎌をトリビュートへと投げ込み、この煙を縫うように左へと旋回しながら奴へ全力疾走をする。この瞬間なら、死角が生まれて流石の悪魔でも気付くのに時間が掛かる筈だ。鎌が回転しながら、風を切る。放物線を描くように、悪魔のあの角目掛けて。


ーカンッ・・・。


 と、トリビュートの三本角である左角へと放り投げた鎌の切先が刺さる。



「ん?んだこれ?」


 ギョロリと角へと瞳を動かし、トリビュートは確認をしていた。少しだけだが、鎌は悪魔の角に食い込んでいた。だがまだ、刺さっただけだ。手応えは無いようで他の生物のようにあの角には、神経は通っていないみたいだな。痛覚は感じてないようで、刺さったのが鎌であると解ったトリビュートは嘲笑うようにこちらを見下ろす。


「残念だったなァ・・・、小僧。せっかくの攻撃チャンスが決定打にならないでなぁ!俺の眼でも刺されば、確かに致命傷を与えられたのに運が悪かった!その上、やっぱり俺は運に恵まれているぜ。どうするよ?もう武器が無いじゃねぇか。」


 怯むな、勝ち取れ。これがこいつの最大な隙だ。絶対の自信から生まれた過信、こいつに負ける要素は無いと確信した油断。その一瞬の綻びから生まれる一筋の光。全てはこの隙を作る為に、爪を隠してきたんだ。つまり今が、最大の攻撃チャンス。失敗は許されない。そのプレッシャーは、逆に震えていた手を抑止させた。僕は走りながら、背負っていたリュックに手を入れた。ずっと悟られないように中に入れていたモノの枷を外す。すぐさま取り出し、空となったリュックをその場で投げ捨てる。目の前にいる悪魔は全ての腕を伸ばし切っていた。僕は知っている・・・。この動きは、こいつの癖だ。攻撃を全て出し切ってから、漸く腕を自分の手元と戻す動作を持っている。一度手元に戻さないと次の腕を伸ばす攻撃は出来ない、良く出来た仕様だ。右手で掴んだモノを自分の体勢で隠しながら構え、一気にトリビュートの懐へと近付く。伸び切った腕の死角、直前まで作り上げた油断、全てはこの一撃一打の為。


 この振り上げた#石頭__せっとう__#ハンマーで。


 重さ二キロの鉄の塊、握り拳程の大きさではあるがその重量感は手に力が入る。支えるように柄のグリップ部分はしっかりと握れるが、思った以上に見た目を上回る重さで出来ている。手首のコントールが失いそうになるが、柄にも無く「根性!」という言葉が脳裏に浮かぶ。全速力で助走を加えた速度を利用しながら、一回転とステップを加えた身体全体を延伸力が加わるように捻る。僕は渾身の思いを込めて、下から掬い上げるようにハンマーを振り上げた。


バゴォォォォンッー


 鈍い音と合わせて、突き刺さった鎌もろとも左角がハンマーによって打ち砕かれた。折れた角の破片がパラパラと朽ち落ちていき、その衝撃に驚いた悪魔は咄嗟に伸びた腕を戻し頭を抑える。


「ぐぬぉぉお⁉︎」


 通常の打撃では、恐らくこの角はビクともしないだろう。一打目に刺した鎌の刃が弾け飛んで、傷んでいるくらいだ。鎌で釘代わりにしハンマーでの打撃を与えることで一点集中させなければ、破壊する事は出来なかっただろう。流石に思いもしない攻撃で、悪魔はよろめいた。僕は振り上げたハンマーを肩に添え、様子を見ていた。


「なぁ、悪魔。『窮鼠猫を噛む』って言葉知ってるか?」


「クソガキがぁぁぁあああッ‼︎」


 再び強烈な咆哮を発する。ギョロついた一つ眼が赤赤しくギラめつく。先程とは違う異様なオーラを纏い、やはりそれは禍々しかった。黒い巨体を際立たせるような紫色の気を全身から放出させ、思わず恐怖に押し潰されそうになる程だ。腕の一本一本が重なり合い、交わり凝縮させている。蠢くような鈍い音を擦り切らせながら重なっていく。悍ましくもうねる腕達は徐々に形状を変えていき、大きな一対の翼へと変形させていった。バサッと羽ばたき、突風が吹き荒れた。その風は凄まじく腕で顔を守りながら立ってるのがやっとだ。


「ちっ、お前のせいで魔素が乱れてやがる。」


 ゆっくりと、バサッバサッと大きく作り上げた羽を羽撃かせながら上昇する。先程までその身体を屈んでいた為か、背を起こすことでその三メートル程の巨体は余計に大きく見えた。僕は目の前に覆い被さろうとする黒い恐怖を横目に、メルへと声をかける。


「なぁ、メル・・・。どーすんだよ、これ。」


 ほんの少しの静寂が生まれた後に、毛むくじゃらはボソリと呟くようにこう云った。


「新人、お前にしては頑張った方だよ。」


 半ば諦め気味の表情で空を見上げながら、呟くその姿は舞い散る木の葉を見てるようだった。もはや打つて無しと匙を投げるように、チッと舌打ちをしながら外方(そっぽ)を向いていた。


「おい!角攻撃したら、イチコロじゃなかったのかよ!」


「怒らせてしまっただけみたいだなぁ。」


 こいつを信じて文字通り、命懸けで特攻したもののただ怒らせてしまっただけだと。そんな仕打ちがあるだろうか。沸々と湧き出る怒りが高調し、僕はメルを鷲掴んだ。


「他人事みたいに呑気に云うんじゃねぇーよ!」


 どうやらこの悪魔は角が弱点という訳では無いようだ。むしろ竜の逆鱗に、悪魔の怒りに触れただけのようで劣勢の低空飛行は未だ続く。トリビュートは、まるで虫を見るような目でニタリと薄ら笑みを浮かべながら口を開く。


「やってくれたじゃねぇか、小僧!冥土の土産だ、一つ良い事を教えてやるよ。俺は、運を操れる悪魔だ。今、こうやって俺がピンピンしているのもこの力のお陰だ。」


「運を・・・、操る悪魔・・・。」


 あの時の違和感は、それが原因だったのか。やけにこの悪魔が、運に固執しているのも頷ける。トリビュートは、ゆっくりと木に隠れていた桐谷へ指を差す。


「あぁ、そうだ。今そこで震えているおっさんが、ギャンブルでバカ勝ちしたのもそうだ。俺の攻撃でそこのガラクタが一発で壊れたのも、お前が致命傷を外したのも。俺が強制的にクリティカルを移動させているからだ、全ては運を操る芸当が出来ての話ってやつだ。」


 次に指を差したのは、奴の云う通りガラクタと表現されても頷ける原型を失ってしまった滑り台。そして、僕が先程破壊した左側の悪魔の角にも指を添える。そのいずれも、こいつが運を操作する事で成り立つ結果。強制的にクリティカルを移動させる。つまりあれか・・・。どこを狙って攻撃しようとも致命傷へと発展させる事が出来るって事か。こちらが攻撃しても、運を操作する事で逆に致命傷を避けられるそんな能力だって云いたいのか!けど、こいつ。何で今になって自分の能力を暴露し始めたんだ・・・。


「マジかよ・・・。」


「なんで、今ネタバラシしてるんだって顔してるな?簡単だぜェ・・・。これがわかったところで、お前に何一つ俺を倒す術が無いからだ!さて、小僧・・・。」


 軋むような笑いを交えながら、悪魔は見下ろしていた。確かに悔しいがトリビュートの云う通り、倒す術は無いのかも知れない。


「マグレ当たりも奇跡も一度だけだ。これから、しっかりキッチリ料理してやるよ。」


 トリビュートは、上空から僕らを見下ろし静かに憤怒していた。あの一発はマグレ当たり。同じ手は効かないどころか、空へと距離を取られてはハンマーの射程範囲外だ。とても届きそうもない。打つ手無しの詰みなのか。この状況下であの腕で攻撃されては、まさに一方的だろう。こちらには防御の手段が無いのだ。片角を失った悪魔が不気味な笑みを浮かべ、僕らを見下ろしていた。罵声と暴言、脅迫と共に複数の腕がこちらへと雨のように降り注ぐ。完全にこちらの射程距離外からの攻撃。ヘリから機関銃でも放たれているみたいだ。上空から降り注ぐ奴の腕は、一本一本が人の二倍程も大きく問答無用で襲い掛かってくる。これではまさに奴の独壇場だ。反撃の術がない。ただただ、必死こいて逃げ惑う事しか出来ないのだ。走り回る事で寸前に回避は出来ているものの、命を狙われるという緊張で徐々に体力は消耗している。額に落ちる汗、普段よりも心臓の鼓動が大きくなり、自分の身体から引き剥がされている感覚に陥る。負のループとなったこのサイクルはスタミナを激しく損なわれ、疲労がピークへと加速させてしまう。その証拠を照らし合わせるように慣れない動きに足がガクついてきた。


ーーガッ・・・。


やばい・・・。そう思った時には既に遅かった。踏み込むところが悪かった。踏み込んだ左足には小石があったようで、思わずグラつく。重心を保てずバランスを崩した身体は、よろめき片足分の一歩を踏み間違える。当然、このピンチを見逃す訳が無いトリビュートはその腕を伸ばした。地面へと転ぶ寸前の僕を掴み上げ、ぶっきらぼうに右足と左腕も捕まえる。


「ハッハーッ!ようやく捕まえたぜ、小僧‼︎ゴキブリみたいに、動き回りやがってよォ!」


 手首、足首と僕を掴み上げ、身動きが取れない僕に対し歓喜を上げた。がっしりとその複数の手でミシミシと音を立てながら握られる。恐らく、もうほんの少しでも力を込められたら人の骨を折り曲げる事など容易いのだろう。こう、間接の付け根を掴まれたら力の入れようが無い。身体を動かす為の軸を抑えられているのだ。握り締めていたハンマーも遂には握る力も失われ、するりと抜け落ちてしまった。


「く、くそ・・・!」


 必死に抵抗しようとするが、ビクともしない。僕を捕まえて安堵したのか、悪魔はもはや余裕の表情だで浮かべ出している。トリビュートは飛ぶ事をやめ、翼を巧みに調整しながらゆっくりと降下を始めた。嘴からは涎を撒き散らし、鼻息が荒くなっている。こいつが最初に云ったように四肢を捥ぐ気なのか。悪魔が食事しやすいように、こいつなりの下ごしらえの為に・・・。


「さて、小僧。ここからは、ディナータイムだ。おっと、そうだ・・・。」


 そう云うと、トリビュートは右へと視線をずらす。次の刹那には腕を大きく伸ばし、公園の隅に立ち並ぶ木々へと真っ直ぐ伸ばした。その内の一本の木を掴み取り、力任せに捻り取る。メキメキと音を軋ませながら、もぎ取られていく。もぎ取った木を放り投げ、また一本、また一本と次々にもぎ取る。そして最後に残った細い木の影に居た桐谷の姿が露わとなってしまった。木々に惑うように隠れていたが、周りの木がガラリと無くなった事で震える桐谷も露呈しまう。


「俺は頭が良いからよォ・・・。忘れてないぜェ、おっさんッ!」


「ひ、ヒィ、ヒィィィイイイッ⁉︎」


 震える桐谷をまるで、猫の首根っこでも掴むかのように摘み上げる。ゆっくりと自分の胸ぐらまで腕を戻し、桐谷の身体を嘴で舐めるように押し付け始める。


「覚えておきなぁ、おっさん。悪魔とは軽はずみで契約するもんじゃねぇぜ?まぁ、その絶望感溢れるその顔が最高に美味いんだけどなァ・・・ッ!」


 トリビュートの真紅の一つ目が鋭く細めていた。ニタリと笑う口元からは、その隙間から涎がひたりひたりと漏れ出していた。“お前にしては頑張った方だよ”なんて他人事のように投げたメルの言葉が脳裏に響く。何で今更そんなのが流れてくるんだよ。状況は素人目でもわかる、これが所謂、絶対絶命であると。あぁ、そうかこれ、走馬灯って奴か・・・。参ったな、これが僕のラストかよ。まだ二十歳(はたち)にもなってないし、お酒だってまだ居酒屋で飲んでないんだぞ。あと、そうだ。彼女まだ居ないじゃん!あれ、童貞のまま死んだら、転生して魔法使いになるんだっけ?いや、何を云っているんだ僕は。くそ、メルの野郎・・・。今、僕が死んだら末代まで呪ってやるからな。・・・メル?そういえば、さっきから見えてないな・・・。


ーピリリッ


 視界の端に閃光が瞬いた。その光に向かって振り向くと数メートル離れた付近にメルは居た。ただ、いつもとは雰囲気や様子が違う。メルの頭上に電流のようなモノが走る。心無しか淡く青白い光がメルの身体を纏っている。パチパチと電流が弾けるような破裂音も混じる。トップスの髪がアンテナのように逆立ち、メルは星を見るように空を見上げ始めた。


「来たか・・・!」


メルの身体が更に濃く青白く発光し、微弱な電流を纏いピリリと弾ける。


「・・・伝送解離(デンソウカイリ)ッ!」


 そう叫び出した瞬間、ドンっと雷でも落ちたような衝撃が響き渡る。青白い電流を纏ったメルは、先程とは別物のように異様なオーラを放っていた。そして、先程の衝撃を塗り潰すように今度は独特のノイズ音が鳴り響く。まるで、拡声器のようなキィーンと耳を掻き毟るような、つい耳を押さえたくなるような音だ。


〈あー、あー、あー。〉


 メルから発した声はメルの声では無い。女性の声だ。それもどこかで聞いた事がある女性の声だ。マイクテストみたいに音量を調節し、発声練習のような音が公園中に響く。そのノイズは、徐々に鮮明に。限りなく透明に近い一滴の雫のように、鮮明に・・・。

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