34妖の焔でおまかせを
辛辣な音が秒針を噛む。あの社長が傷を負っている。今まで無敵と称しても恥じない戦いを見せた彼女がだ。左腕がへし折れ、乱雑に折れ曲がった獣の指もボロボロだ。あれではもう、満足に左腕を振るう事は出来ない。その光景は目を疑いたかった。一瞬の隙とはいえ、メリィを庇ったからとはいえ、真紅の少女の攻撃は圧倒を見せた。絶望を与えるには充分なスパイスだ。それは社長の苦痛を抑える眼差しが物語っている。彼女の力であっても防ぎ切れず、左腕を犠牲にしなければ凌げなかった一撃。少女の薄ら笑みから察するに、漸く本調子を見せたばかりの頃合い。まだ余力は充分に備えているのだろう。自分の方がやはり格上であると見せつけるように、リリィは不気味に歯を軋ませながら薄く笑っていた。
「あんたを狙う気は無かったけど、まぁ良いわ。そこの出来損ないを庇って、勝手に傷付いてくれたんだもの。かえって好都合だわ、あたしの可愛い人形を壊したお返しよ。次は右腕も・・・!」
それは、脅しの言葉ではない。人差し指で社長の右腕を狙い定めるように差し、威圧を加える。少女の指揮に従う忠実な大槍たちは、五線譜に並べられた音符のように切先を社長へと向けていた。元々は謂わば肉親でもあるメリィを一切の躊躇無く、賽を投げ入れたのだ。社長の左腕をへし折るくらいの威力。いくら“ギフト”とはいえ戦闘に不向きなメリィが受けていたとなれば、ひとたまりも無かっただろう。リリィは本当に殺す気でその指揮棒を振るった事から、少女の燻んだ瞳に映る決意は本物なんだ。社長は折れ曲がった左腕の上腕部分を抑えながら、真紅の少女を見つめていた。少女に吸い上げられるような錯覚を与えているのは、社長の指先からは行き場を失った血液が未だ滴り落ちているせい。僅かに締めそびれた蛇口の栓から漏れ出す水玉のように、真っ赤に染め上げられた彼女の左腕は云うまでもなく痛々しかった。
「ふむ・・・、中々の威力だな。」
彼女に慌てているような様子は見られなかった。乱雑に破れたワイシャツをちぎり、ぐるりと自分の腕に巻き付け止血をし急拵えの応急処置というところだろうか。ノールックで行う彼女の手際は、素人目でも冷静で手慣れているようにも見えた。折れた腕はだらりと垂れ下がったままで、歯を左手代わりにシャツを噛み締めながら右手で押さえ込むように結び付ける。
「そ、それよりも社長!う・・・腕がッ‼︎」
僕は聞かずにはいられなかった。それなのに彼女は自分の腕が折られたというのに、恐ろしいくらいに冷静で澄ましていた。こんな事は日常茶飯事だ、とでも云うように秋空の下で舞う落ち葉を眺めているようだった。社長はまだ戦える意思はあるようだけれど、状況は決して芳しくない。彼女は左腕を失い重傷、対するリリィは操っていた首なしゴーレムが壊されただけで少女自身はほぼ無傷に近い。それどころか漸く前哨戦が終わったばかりで、本戦は今まさに始まったばかりなのである。幸い彼女の利き腕は残ったとはいえ、片腕だけで、あの化け物みたいなマナを放つ自動人形とどう戦うべきか。そんな劣勢の中、彼女は右手で空を仰ぎながら痛みがあるとは思えないくらい澄ました顔で口を開く。
「垂くん。心配するのは自由だが、それこそ今はどうでも良い事だ。今の攻撃で分かった事もあるのだ。恐らくだが・・・、お前も気付いたのではないか?・・・チップ。」
「あぁ・・・、あいつは。間違いなくリリィは、悪魔に取り憑かれていやがるな。」
チップの口から飛び出た言葉は、耳を疑うようなものだった。リリィが悪魔に取り憑かれている・・・?一体どう云う事だ。事実がまるで理解に追い付かない。ただでさえオカルトで手が一杯なのに、オートマタに宝石魔法に、次に覆い被さったのが悪魔だと?今更ではあるが、良い加減に頭のキャパシティが崩れ落ちそうにもなる。チップの返答を聞いて、彼女は顎に親指を添えながら首を縦に振るう。
「やはりか・・・。同族が頷くのならば、私の仮説も信憑性はあるようだな。」
少し考え込むように俯き、チラリとチップへと目線を合わせる。彼女は知識こそはあっても、悪魔については専門外だと云っていた。以前よりこの幼女を便箋小町に招き入れたのも、悪魔に対抗する為の補填だと彼女は付け加えていた。いつもヘラヘラとしていたチップの表情は雲行きが暗く、ジッと見つめ合ったと思えば無言で首を横に振るった。
「へッ!あんな野郎と一緒にされるのは心外だぜ。けど・・・、ヤベェ事に変わりはねーが。」
浅く両手を挙げ、シュラグも振るう。まるで今の現状は、既にお手上げ状態なのだと云うように諦めすら見せていた。当の僕は未だその現状を掴めないでいる。見えない黒い霧に包み込まれた気分だ。目の前が見えていなかった僕は振り切れず、言葉よりも先に苛立ちを交えた両手が幼女の胸ぐらを掴んでいた。思わず・・・といった突拍子が一音溢れ、僕はチップへと凄む。
「どう云う事なんだ、チップ!と、取り憑かれているって・・・。」
「さっきから何を云ってますの・・・?彼女は、リリィの身体は・・・・、一体何が起きていますの?」
その疑問は当然、僕だけでは無かった。リリィの実の妹でもあるメリィもまたその一人である。目を泳がせ、心配という動揺が少女の脈を圧迫させる。この現状に最も理解したいのは、メリィだ。リリィの身に何が起きているのか、彼女にはそれを知る権利がある。知らなければならない。例えそれが思わぬ非現実的なものであっても、絶望に伏した物語の顛末だったとしても。その知るという恐怖を払い除け、声に出すのも彼女にとっては相当な勇気が必要だったに違いない。胸ぐらを掴まれたチップは僕と目を合わせる事は無かった。目を逸らし、怪訝そうに口を紡ぐ。ここで真実を伝えるべきか、そう悩んだ幼女は一呼吸の溜め息を吐き溢す。面倒臭いとはまた違う。それは、自分が次に云う真実を落ち着いて伝える為だった。青く潤んだ瞳と赤い隻眼が見つめ合い、漸く幼女は口を開く。
「あー・・・、辛い事に変わりねーから云うけどよ。あいつはリリィかも知れねーけど・・・。もうあいつは、リリィじゃねぇんだよ。取り憑かれた、って云うよりは乗っ取られたの方が近いかもな。」
「そ、そんな・・・。」
歯切れの悪い幼女の台詞はメリィに気を遣ってなのか、頭を掻きながらそう答えた。チップなりに言葉を選んでいたような気がする。メリィの今にも泣きそうな涙を浮かばせた青い瞳に感化されていた。その潤んだ瞳にとてもじゃないがまじまじと凝視は出来ないと思ったチップは、ウロウロと目を泳がせていた。しかし幼女の放った言葉は、オブラートを包んだとしてもメリィの絶句は避けられなかった。取り憑かれたではなく、乗っ取られた。この意味合いは大きく違う。敢えて云うのならば、寄生された状態に近いのだろう。もうあの身体にリリィの意志がない、もしくは彼女の意思ではもう抗えない状況下。今思えば彼女の発端となる動機も、感情の振れ幅があまりにも飛躍し過ぎている。行動に移るまでの起伏が激し過ぎるのだ。いくらメリィに対する多少の嫉妬はあったとしても、極端に悪意あるものとして解釈させた不信感と妄想性。初めはリリィの歪んだ妄想性だと思ったが、どうにも飛躍し過ぎて合点がいかない。彼らが云うようにその正体が、その黒幕が悪魔だと云うのならば、漸く点と点が線で結ばれる。
「あいつの意思は“エンヴィ”っつう悪魔によって完全に乗っ取られているんだ。」
「じゃあ、そいつを引っ張り出せば・・・!」
目の前に対峙する真紅の少女を蝕み寄生しているのは、エンヴィという悪魔。そう理屈がわかれば、もうこっちのもんだ。簡単な話だ、そいつを引っ張り出せば良いんだ。カマキリに寄生するハリガネムシも、カタツムリに寄生するロイコクロリディウムも意のままに宿主を操るという。いずれも宿主があって自分の生存能力が確保されている。だったら宿主から引き剥がせば、寄生虫自体に防御能力は無い。引き剥がす事が出来れば乗っ取られた身体を、リリィを救う事だって出来る筈だ。それは期待を膨らませた願望だったのかもしれない。未だチップの胸ぐらを離さない僕は、懇願する思いで幼女に訊いた。けれど、そんな淡い懇願はシャボンのように弾け飛ぶ。幼女は、首を縦に振らなかった。僕の言葉を返すのも億劫な程に、申し訳ないとでも云うようにチップは目を背けながら重い唇を震わせた。
「無理だな、イサム。そもそもエンヴィに原型は無いんだ。生きる者の感情、そのものが増幅して出来た悪魔。負の感情を餌とする為に、宿主の感情を自分の都合の良いように操る。一度取り憑かれたら最後だ。悪い意味で人が変わったようだ、なんて言葉があるだろ?負の感情に押し潰され、それが正常だと錯覚させるんだ。厄介なのは、死ぬまでその宿主は悪魔に取り憑かれているという事すら気付かない。それが感情に寄生する悪魔、“エンヴィ”だ。」
幼女は順を追って説明してくれた。まるで図鑑にでも書いてある文書をそのまま読み上げているかのように、淡々と口を歩かせた。実際に告げられたその言葉は、僕らにとってあまりにも辛辣なものだった。仔犬に腕を噛まれたかのような静かにじんわりとくる胸の痛みは、覆しようの無い事実に僕は思わず膝を突いてしまう。リリィの身体に宿るその悪魔には原型が無い、感情そのものが悪魔だと・・・。そんなの寄生虫よりもよっぽど陰湿で厄介な存在じゃないか。感情そのものという事は、怨念のような集合体なのか。故に原型が無い悪魔、詰まるところ引っ張り上げる実体それ自体が存在しない。その事実に触れて自分の考えがいかに浅はかだったのか、頭ごなしに思い知らされる。社長はエンヴィと名を聞き、ふむと一呼吸頷いた後にチップへ聞き返す。
「では、彼女の意思の殆どはその悪魔に掌握されている訳だな?」
「あぁ、それもかなり根深くな。エンヴィの好物は妬みと恨みだ。それをここまで掌握して、成長しているのも・・・。」
「やはりあの宝石魔法が原因か・・・。悪魔が好みそうな材料な理由だ。」
彼女の訊いた質問により、漸く全ての合点が行った。叱咤に他者を寄せつけまいとする拒絶反応も、妬みに対して異常なまでの執拗なまでの反応も。発端はメリィの行動であっても極端なまでに妬みを増幅させた張本人は全て、彼女の感情を支配する悪魔の仕業。さしあたり、僕らに対し極度の拒絶を行なっているのはエンヴィ自身の自己防衛というところだろうか。そして今回リリィが獲物となってしまった要因は、少女の瞳に眠る莫大なマナを蓄えている宝石魔法である。マナのプールに浸かりながら、感情の悪魔は悠々とリリィに寄生しご馳走を吸い上げているのか。寄生体として、この上ない実に理想的な環境という訳だ。だから躍起になって、他者が近付くの拒む。誰だってそんなユートピアから離れようとはしないだろう。必死に宿主を守る筈だ、感情を、思考を、身体を操って。故に少女の姿はリリィであっても、リリィの意思はそこにあらず、という訳か。いやしかし、一つ解せない点もある。このエンヴィという感情の悪魔を倒す方法は果たしてあるのだろうか。チップの先程の口振りから引っ張り出す事は不可能とは云っていたが、奴自身を退治する手段はある筈だ。嫌だな、この空気の流れは。一度悪い事起こると、悪い予想というやつは的確に尾を引いて姿を現すのだから。僕は恐る恐る口を震わせながら、手をかざしチップへと尋ねた。
「おい、待てよチップ。それじゃあ、そのエンヴィだかっていう黒幕を倒すには・・・。」
「・・・目の前に居るだろ?宿主のリリィを殺すしかない。あれだけ同調している以上、宿主が死ねばエンヴィも死ぬ筈だ。だが、宝石魔法で活性化した悪魔だぜ?ほっとけば後で何が起きるかなんて分かったもんじゃねーぞ?」
幼女は腕を組みながら生唾を飲み込み、そう重く云った。やはり、賽の出目は芳しく無かった。分かった事は最悪な状況だという事であり、あまりにもそれは後味が悪過ぎる。事実上このエンヴィという悪魔は、死ぬまで宿主にしがみ付く性分なのだ。恐らく、あの少女を救う手立てはもう無い。もしかしたら、ここに悪魔祓いなる者が居れば話は変わっていたのかも知れない。しかし、それは無い物ねだりだ。社長を含め僕らにはその術が無い以上、あの悪魔を倒さなければならないのだ。なんて事無い無情なシンプルな答え。実際は罪の無い少女である宿主に刃を向けなければ、エンヴィを退かせる事が出来ない。
「そうか、ならば話は早い・・・。」
社長は片腕をぶらりと垂らしながら、一歩前へと進む。彼女の足取りは大怪我をしていると思えない程にふらつきは無く、残った右腕で闘志を振るう。
「ちょ・・・!社長!そんな怪我で行ったら!」
「安心したまえ、垂くん。一度受けた依頼は、責任を持っているつもりだ。・・・それにだ。」
くるりと彼女は、こちらへと振り向いた。社長の目はどこか落ち着いていて、川のせせらぎの音か柳の葉が擦れている音か判断できるくらいに静かな目をしていた。骨折している腕をぶら下げながら、彼女はいつものように口角を上げ、ほんの少しだけ微笑む。
「あれがリリィ本人の本当の意思では無いのだと分かっただけでも、安心して力を出せる・・・。」
それは何か決意が溢れ出したかのように、開いた右手を握り込む。風を切り付けるように人差し指と中指を立て、じわりと浮かぶのは黄金色に輝く霧にも似たマナ。彼女の闘志に感化されたのか青嵐よりも強く、その風もマナは呼応して迸る。すると彼女の足元からは、すっぽりと体全体を裕に覆い尽くす程の巨大な印を作り出した。
「ブツブツブツブツ、話はもう終わったのかしら?」
「あぁ・・・。丁度、今・・・、整ったところだ。行くぞ・・・!」
僕らの会話に痺れを切らしたリリィは、腕を組みながらこちらへと凄む。そのプレッシャーは少女の台詞よりも高圧で、二重三重で畳み付けるように僕らを押し潰そうとする。それは、強者同士が見せる挑発だったのかも知れない。並の者が対峙してしまえば、足が竦むくらいだ。怖じける事無く社長はそんなプレッシャーを跳ね除け、あくまでも自分の呼吸を、ペースを崩さない。空の風を掴むように目を瞑り、耳を澄ませば彼女の呼吸音が聴こえる程だ。今まで彼女から感じた事の無い異様とも捉えられるその覇気は、凪のように落ち着いていたからか余計に怖かった。柳の葉が水面に落ち、ゆっくりと落ちた振動で波紋が円を描くように広がる。そんな音さえも今に響きそうな程に。静かで、それでいて背筋を凍り付かせる程にその正体が恐怖の一種だと思い知らされる。
「怪・・・ッ。」
ドンッと静寂という堪忍袋から解き放たれた重圧が、広大な書斎をビリビリと響かせる。それは一瞬の出来事だったのだろうか。彼女の唇から溢した小さな声と共に、異様が姿を現せた。真紅の少女の前に対峙していた彼女は、黄金色の毛を纏った一対の獣の耳と長く伸びた尻尾を垂らしていた。狐のように尖った大きな耳、筆を模したようなふんわりと束ねた尻尾。毛の先は白く透き通っており、風に揺れる麦を眺めるように美しいコントラストを彩っていた。
「まさか、ここまで力を引き出す必要があるとはな・・・。想定外だったよ。」
云うまでもなく姿を変えたそれは、便箋小町の社長である飛川コマチだった。ナイフのように研ぎ澄ませた彼女の瞳もまた、黄金色に輝かせながらリリィを睨み付ける。いや、睨み付けているとは少し意味が違う気がする。どちらかと云えば、他人を見下しているの方が正しいかも知れない。それは自分の方が格上であると云い聞かせるように、彼女のマナがより大きなプレッシャとなり包み込む。彼女のプレッシャーは、先程まで威圧させていたリリィの比ではなかった。まさに鼬と狐。それまで蹂躙していた環境でも、格上の者が現れれば弱者の縄張りなどあっという間に凌駕される。少女の威圧ごと吹き飛ばされ、自らの胸元へとカウンターブローを受け、一歩退く。“ギフト”同士の優劣は地位では無く、力そのものでありマナの総体量で決まる。少女はこの時、悟ったのだ。
「何よ、何よ何よ何よ何よ、それは!まだ・・・、まだそんな力残してたなんて・・・ッ!」
「案ずる事は無い、これでも君に対して敬意を評しているのだよ。」
まだ信じられないとさえ疑いたくもなるその事実に。自分が見た、宝石魔法を施した瞳で見た社長のマナ総体量も力も自分の方が上であると思っていた。しかしそれは誤り。社長は隠していたのだ、この姿を、この力を。リリィはそれを見誤った。自分の見た能力が傲慢だったのだとさえ気付かされる程に。少女はその苛立ちか激しく歯を軋る。それでも認めたくないという嫉妬心が、リリィを更に追い詰め悪魔が蝕む。淀む色は黒く、背後のクロユリが騒めく。心臓のメトロノームは一打強く弾き出し、そのテンポを上げる。今なら分かる、少女の操る黒い糸が。心までも掌握し、文字通り操り人形のようにリリィを操るエンヴィの影が僕の網膜に刻まれる。妬みを交えた怒りが加速していく。背筋を舌舐めずるような陰鬱なマナを放出している。獣人のように姿を変えた社長は、じっと冷たい視線で抗っていた。くるりと黄金色の尻尾を回し、その怒りに反旗を翻す。
「あ、あれが社長・・・なのか・・・?」
「あぁ、そうだ新人。あれがマチコの、本来の姿だ・・・。」
「でも尻尾と耳が・・・。」
「云わなかったか新人?あいつが半妖だってな。そりゃあ、耳や尻尾だってあるだろうぜ。」
何を当然な事を、とでも云うのだろうか。メルは溜め息混じりに言葉を返した。とは云えども、彼女があんな姿を見せるとは思いもしなかった。確かに半妖とは云っていた。その耳も、その尻尾も人の持つそれでは無い。丁度、人と狐の特徴を半分に分け与えたような容姿。リリィが彼女を見て最初に云っていた、半妖ならではの分離された印象という点を挙げれば、あながち間違いでは無かった。勿論、変化したのは容姿だけでは無い。もっと云えばこれが最大の違いであり、リリィが見誤った部分。社長が発するマナは、普段のその比ではない。その決定的な違いは、人間のマナとなる部分も妖怪の力で塗り潰された状態。彼女の対比する妖力と云うべき力が百パーセント切り替わったと解釈すべきだろうか。何度も云うが、オカルトは苦手だ。この手の話や流れに慣れつつある所だが、その原理をあまり知らない僕にとってはイマイチ未だピンと来ないのだ。だから雰囲気で何となく、そうなのかな・・・と勝手に解釈しているのが正直な所。ここに集う“ギフト”たちは、どうにも真っ当な解説役というのが居ないから余計に困る。
「いや、でも・・・ほら、だいぶ雰囲気が違うっていうか、なんていうか・・・。」
それらも相まって、僕は彼女に未だ半信半疑を上乗せさせた指で差し、メルヘと確認した。だってそうだろう、一歩でも歩けばあちこちで常軌を逸した超常現象が起き続けているんだ。何度大人しく事務処理を慎ましく引き篭もりたかったと思った事か。だが・・・。
「気にするな、新人。姿はどうあれ、あいつは・・・、あいつだ。」
いざという時に見せるこのモジャモジャの視線という奴は、理屈では無いそれ補う程の説得力があった。獣の青い瞳を真っ直ぐにこちらへと向け、自分の言葉に芯を貫いている。そこに嘘偽りは無い、こいつの云う通り彼女は、彼女そのものだ。会社で引き篭もりたかった、今はその考えがだいぶ薄れてきている今日この頃。彼女らと共に歩まなければ、きっと今の僕は居なかっただろう。その逆も然りであり、オカルト曰くそれもまた一つの巡り合わせ。困るとは云ったが嫌ではないのが本音。これだけ目の前で奇々怪界な事が起こりまくるのだ、自分自身も見えないものも見えるようになってしまった。なんだかんだで受け入れられている自分が、ここにいるのだ。
「ふ・・・ふん!何よ、その毛むくじゃらのゆー通りね!」
どうやら僕とメルの会話が聞こえていたのか、リリィはその言葉を掻い摘む。先手必勝、姿形が変わったとしてもそれは見た目の問題なだけ。恐らく彼女は、そう思ったのだろう。血走り燻んだ青い瞳はまるで二兎を追う獣そのもの。周りの視界を狭め、社長への一点に捉える。主砲の舵を握るように手を翳し、糸を束ねて作り上げた大槍たちを彼女へと狙いを定め始めた。
「見掛け倒しって事を、あたしの糸で証明してあげ・・・。」
ジュ・・・ッ
「あたしの糸が、さて・・・、なんだったかな?」
少女が言葉を云い終える最中、突如として異変がそれを啄む。丁度マッチ棒に火を灯す何かが焼け焦げたような焦燥感が、時を置き去りにして立ち込める。一瞬・・・。言葉で云えば、酷く簡単な言葉だ。それはあまりに強引で、時に乱暴に扱われる。リリィが構えていた無数の槍たちは、一瞬にして焼け焦げたように消え去り、僅かに漂う残り香だけが辺りを彷徨う。
凍り付いたように時が止まって何が起きたのか、その静寂になった結果だけが一人歩きをしていた。目を疑ってしまったリリィの瞳は、目の先に針を突き付けられたように固まっていた。その原因を、この事象を引き起こしたのは云うまでもない。凪を払うように手を翳していた半妖の姿が一つ。より獣へと近付き、トパーズにも似た輝く黄金色の瞳が少女を上から見下すように見つめていた社長だ。
「な・・・、え・・・?あれ、あたしの糸・・・?あれ・・・?」
焦る少女は辺りを見渡すが、万全に構えていた筈の槍は切先を失い、束ねた糸ごと散り散りに打ち消されていた。解れた糸の先は、何かに燃やされたかのように鈍く焦がされてしまっている。代わりに残っているのは、弾丸を弾き出された後のような焦燥感の香り。そして、鳥肌すらも感じてしまう程の奇妙な熱波。空気が熱い。その表現は一見首を傾げるような云い回しだが、それはあながち間違いでは無いのだ。瞬時に湿度を上昇させ、サウナのような熱波が辺りを包み込む。リリィが混乱するのも無理もない。先程まで戦況を蹂躙していたリリィすら、何をされたのかすら見えていなかったのだ。震える瞳孔は、自分の掌を見つめる。
疑う、自分の力を。さっきまで社長の動きは、手に取るように見えていた筈だと。何故、今は見えないのかと。少女は混乱する。今、震えているのはこの手か、それともこの自信に満ち溢れていたこの瞳か。少女は戸惑う。見据えていたこの力は過信だったのかと、それとも自分を凌駕する力があの半妖は持ち合わせているのかと。沸々と湧き出す妬み、怒り、そして僻み。その感情を暴走させ拍車を掛けるのは、エンヴィの黒い花。蠢く不気味な植物は少女を締め上げるように絡みつく。
「なぁ、メル。今のは一体何が・・・?」
「さぁな。」
そう問いかけた僕に対し、何の気遣いもなくモジャモジャは応えた。メルは澄まし顔で目を瞑りながら、そっぽを向いていた。そんな顔をする時、大抵この妖怪はちゃんと把握している。知っていても面倒臭がってわざと口を紡ぎ、決して話そうとしない。知らなければ、自分で調べろというスタンスだ。こっちは真剣に聴いているのに、この澄まし顔である。自分に興味が無いものに対しては、とことん塩対応を振る舞う。どうせ頭の中では社長が必死に戦っている姿を前にしても、明日のコーヒー豆はどれを使おうかと考えているくらいだ。
さて、戦況に戻ろう。
「おや・・・、まさかとは思うが。・・・見えなかった訳ではあるまい?」
「な・・・何よ。あんた・・・、馬鹿にしてる訳?」
社長は緊張に奮い立つリリィに対し、挑発を振る舞う。上に向けた掌で手前へクイっと手繰り寄せるように、少女の逆鱗を摩る。
「先程も云った筈だが、その敬意は重荷だったかな。」
「ふ、ふふふふ、そうね。・・・ちょっと油断しただけよ!」
尚も社長の減らず口は追い打ちを掛けていく。これでは敬意というよりは、腕を組みながら片足で顔を踏みつけながら嘲笑っている方がまだ正しい。当然、そんな仕打ちを受けた高飛車な少女は黙っていられる訳がない。リリィの逆鱗をまるで粗めの紙ヤスリで嘲笑うように削っているのだ、吹き溢れた笑いには怒りを灯していた。少女の怒声は強がってはいたが、癒えない焦りとして生まれた冷や汗までは隠せていなかった。
ん・・・?人形なのに汗?マナの塊か何かが溢れ出しているのか。それだけ感情が露呈し、今にも爆発しそうなのか。リリィは虚勢を自らの覇気で覆い隠す。腕を交差させ、空気の塊でも握り潰すように力を込め出した。再び少女の背後に聳えるクロユリがゾワゾワと共鳴するように蠢く。すると千切れた糸が再生し始め、無数の槍を生成させた。糸を何重にも絡め、束ねた槍は先ほどよりもより大きく鋭く、より攻撃的な大槍を向ける。
「あたしの糸でもう一度、あんたをズタズタにぃいいいい!!」
怒声と共に振り翳した大槍が再び、社長へと迫り来る。空気を、風をも侵攻に邪魔だと云わんばかりに、強く豪快に。
「・・・灰。」
ジュ・・・。
しかし、その大槍は社長の目の先で燃え尽きた。それはまるで、蝋燭の火に向かって飛び込んだ蛾が翅に炎が燃え移り、あれよあれよと焼け焦げていく様だった。太く束ねた大槍は一瞬にして消し炭となり、痕すらやはり残らない。チリチリと小さな火花が宙に散らす。大槍はおろか、それを操っていた糸自体を丸ごと焼き尽くす。
「あれは、炎・・・なのか?」
そう・・・、今のは、はっきり見えた。真っ先に襲い来る槍が、社長の小さく呟く詠唱を合図に炎が燃やし尽くしたのだ。何もない場所から突如として社長の前に炎が吹き荒れ、一瞬にしてリリィが振り翳した槍を薙ぎ払った。どうやらそれは、攻撃をしたリリィ自身も気付いたようだった。自分の攻撃を打ち消されてしまったショックよりも、その常識では説明しきれない速さに驚いていた。
「何なのよあんたは!本当に半妖な訳?!これじゃあ・・・、これじゃあまるで妖怪そのものじゃない!!」
漸く少女は、社長との格の違いが歴然としている事を知る事になる。これが同じ“ギフト”なのかと、疑いが確信へと変わる。天を見上げる蟻と、地を眺める鷹のように。今起きているこの状況がまさに格の違いであると見せつけるように、社長は炎を屠った。
「漸く見えたか新人。あれが、あいつの本来の妖力。」
ずっと黙って澄ましていたメルも漸くにして口を開く。本来の妖力・・・。彼女はずっと、この力を隠していたのか。メルやチップのように彼女もまた、彼女自身も制御していた。自分の力を抑止させ、いざという時まで温存させていた本来の力。それが彼女の炎。しかし、矛盾する点もある。彼女は、自分の能力を開放する時は決まって印を用いる。足元へと展開させ、その範囲内で能力を発揮させる。見たところ印のようなそれらしい面影は無く、彼女の瞬間的に爆発させた炎は刃を向けている。
そう不思議に思った僕に対し、メルは「あいつの足元を良く見ろ。」とでも云うように、指を差す。彼女の周りを良く凝らすと、そこで漸くその正体に理解する事が出来た。それは普段の印とは比べ物にならない。このライブラリー全体を覆い尽くすような巨大な灰色の印が彼女を中心に作り上げていたのだ。つまりこの印の範囲内が、この広大な書斎全体が彼女の攻撃範囲内にあると暗示している。印が大き過ぎて、逆に気付かなかったのだ。今までの印と比較しても、鈍くそこに煌々とした輝きは無い。影のようにお淑やかで、彼女の黄金色に輝く体毛とは対照的な灰色の印が書斎を覆い尽くしていたのだ。社長は浅く手を広げながら、自らが生成した熱く迸る炎を優しく包み込む。僅かに揺らめく炎を見つめ、乾いた唇を開いた。
「良い反応だ、これが私の力。・・・“灰”。対象の無機物を瞬時に灰へと期す炎だ。」
「無機物を燃やす・・・ですって?」
そうして社長は空気を摘むように指で何かを捏ね始め、マッチ棒に火を灯す手際で素早く擦る。ジリっと擦り付けた獣の指から火花が弾かれた。
「あぁ、そうだ。無機物とは、要は炭素を含まない物質の事だ。鉄やアルミニウムなどの金属、水や食塩が挙げられるな。」
「な、何云ってんのよ!無機物くらいあたしだって分かるわよ!それならどうして!マナで生成したあたしの糸を燃やしたのよって聞いてるのよ!」
自分の能力を、その正体を何故こうもあっさりと教えるんだこの人は。彼女が開放した力は無機物を瞬時に燃やすという至ってシンプルな力だ。つまり人形であるリリィの身体そのものも対象の一つ。社長が能力を発揮出来るのは、足元に展開させた印の範囲内である事。その範囲内であれば対象をロックし、彼女の鶴の一声でたちまち引火させる事が出来る。リリィに逃げ道は無いに等しい。だがそうであってもリリィの云う通り、無機物ではないマナで生成した糸をどうやって燃やしたのか。社長の説明通りであれば、謂わばエネルギー体でもあるマナ自体を対象に選び燃やす事は出来ない筈だ。ニヤリと嘲笑う社長は、リリィのその言葉を待っていたと云わんばかりに上顎に指を添える。
「おっと、そうだったな。良くテストに出るから覚えておくと良い。」
その仕草は何処かわざとらしく、添えていた人差し指を顎から離した思えば、くるくると宙に円を描くように回していた。まるで指揮者が振るうタクトで演者を指示するように、回した人差し指は緩やかな四拍子を刻むようだ。指揮者が指示する休符を与えるように、力強く握り締めながら空を引く。するとまた橙と赤を交えた炎が瞬時に迸る。
ボォゥウ・・・。
「くぅぅッ?!ま、また!?」
今度は真紅の少女から出す糸ではなく、リリィ自身に向けた炎が突如と襲い掛かる社長と同じく左腕をピンポイントに狙い定め、瞬時に煌めく炎が喰らい付いた。また何も無いところから炎が少女に降りかかる。やはり、その炎は彼女の云う無機物が対象ではない。空中で突然爆発するように、何も無いところで起爆させる。自動人形の左腕は焼け焦げ、煤混じりの煙が舞う。
原型を失った腕はボロボロに焼け焦げており、左肩から下は焼け解れていた。それでも人形であるリリィには痛覚は無い。痛みは無いが、それ以上の感傷を抉る。悔しさを滲み出した歯を食い縛り、鈍器で殴るような瞳で社長を睨み付けていた。そんな社長は、鎖にかけられたその仕掛けの鍵を開け始める。
「今も尚、この空気中に含まれているこの二酸化炭素も・・・、れっきとした無機物であるとな。」
そう社長が告げると、掌を広げながら目の前の風を払い除けるようにゆっくりと腕を振るう。すると彼女の振るった腕を追いかけるように、導線に沿って走る火花のように炎が舞っていた。彼女の妖力とも云えるその力は、対象が無機物という条件が整えば発動する事が出来るのか。曲芸師のようなパフォーマンスを見せたと思えば、ピクリと一対の狐の耳を揺らしながら少女を見つめる。
「君自身もそのご自慢の糸も、それらを燃やした訳では無い。君の周りにある二酸化炭素を燃やしたまでさ。」
「く・・・たったそれだけで、これだけの威力を・・・⁉︎」
リリィの腕や糸が何も無いところから炎が燃え盛り、焼け焦げた理由はそのせいだったのか。二酸化炭素って、そんな目に見えない分子レベルのものも無機物として対象に出来るなんて・・・。この書斎一帯を印で覆い囲った中で、リリィの体だけでなく彼女が指を差した二酸化炭素まで燃やす。リリィはこの時、悟ってしまう。社長が能力を開放した時点で、既にその妖力の術中にはまってしまったのだと。
「安心したまえ、これだけの威力だ。生憎、燃費は悪い方なんだ。」
ボォゥウ
そうして放ったのは、またも雷でも落ちたかのような速さで燃える炎。今度はリリィの右腕へと引火。いや正確には、右腕の周囲にあった二酸化炭素を燃やす。確かに分子レベルのものを燃やすだけでは、これだけの火力にはならない。せいぜい軽い火傷をする程度だろう。それを極限まで火力を上げ、あの自動人形の体躯やマナで生成した糸を燃やす程にしたのは彼女自身の妖力。はっきり云ってその原理は何一つさっぱり分からないが、そのトンデモ能力が宝石魔法の装甲すらも貫いた。ただ間違いなく現実となって目の前に飛び込んでいるのは、慈悲の無い炎がリリィを一方的に傷み付ける。
「ひぃう!」
「だから、この戦いは早めに決着を付けたい。」
少女の悲痛の叫びが響き渡る。痛みを感じない筈のリリィが、失った両腕を庇うように踠き始める。その様はまるで踠き苦しむ人のようだった。いや、違うのかも知れない。少女の姿はリリィであっても、中身はエンヴィに掌握されている。苦しんでいるのは、エンヴィ。少女の背後に咲くクロユリは、先程よりも苦しむように少女と共鳴して蠢く。そうして、僕は漸く気付く事になる。今まさに社長が攻撃している方法は、最も残酷であり何よりも効率を重視した方法であると。宿主であるリリィの両腕を裂く事で、攻撃や反撃を無力化させる。足がすくみ、尻餅をついた少女の背後には依然として咲く花。黒く不気味に、項垂れるように咲くクロユリへと漸く社長は狙いを定める。彼女はリリィを狙っている訳ではない。初めからそう、彼女が戦っていたのは真紅に咲くリリィではない。未だ正体を明かさず、感情を貪る悪魔エンヴィとだった。故に彼女はリリィと会話をしている訳でも、拳を交えている訳でもない。初めから、エンヴィと対峙していたのだ。
「何なの・・・、何なのよぉおおおお!あんたはぁああああああああああああああああ!!」
両腕を失った少女の拒絶が暴発する。これ以上、私に近付くな。これ以上、あたしに触れるなとでもいうように泣き叫ぶ。悲痛の叫びによる反動か。燻んだ瞳からは涙腺が漏れたようで、大粒の涙を少女は零した。それはもしかしたら、エンヴィにずっと感情を支配されていたリリィの本当の気持ちの現れだったのかも知れない。ほんの刹那の出来事。けれどもその一瞬の筈の出来事が、秒速五センチメートルで舞い落ちる桜の花弁のように遅く感じた。ゆっくりと、刻々と進む時計の針が誰かに遅められたかのようにゆっくりと。ずっと塞がられていた少女の気持ち。僅か一秒にも満たないその瞬間だけ、リリィの本心が解放されたように見えた。あぁ、漸く抜け出せたのだ、と。僕がそう思えてしまったのは僅かに見えた少女の瞳が、メリィと同じブルーサファイアの輝きを取り戻していたからだ。それは腕を振り上げた社長にも見えていた。だが、少女を救う方法は無い。エンヴィを退治するには、宿主を殺す他ない。
選択肢は一つだけ。彼女たちは、覚悟をしていた。いつかこうなるのだと。いつか、こうしなければならないのだと。だから、社長は振り上げた腕を緩めなかった。リリィは、目を瞑った。それが彼女たちの決意。二人の決意は漸くにして重なる。そして、撫で下ろすように社長は、炎のタクトを振るう。リリィの周りを取り囲む閃光。それは少女の周囲にあった無機物、二酸化炭素。今までよりも明るく、熱く、より大きな炎がリリィとクロユリを包み込んだ。
「これも云った筈だ、私は便箋小町・・・。便箋小町の、飛川コマチだ‼︎」
「あ、あ・・・あぁ・・・。」
背後に聳えていたクロユリが燃える。抵抗する気力はもはや無く、ただただ炎のなすがままに焼け焦がれていく。火薬の焦燥感が辺りを包み込み、それはどこか悲壮感すら漂わせていた。両腕は焼け焦げ、脚はボロボロに砕け散り、もう自力で立ち上がる事も出来ない。四肢を失ったリリィは、床に横たわっていた。やがてクロユリは静かに焼け、水分を失った枯葉のように萎れていく。
シュゥゥゥ・・・。
「ふむ、やはり燃費は悪いな。この能力は。・・・だがチェックメイトは済んだようだな、エンヴィよ。そして・・・、すまなかったな。・・・リリィ。」
彼女がそう云い残すと、全ての妖力を使い切ったのか獣の耳と尻尾は消え失せていた。複雑に折れた左腕を抑えながら、ふらりとよろけ始め膝を突く。彼女も体力をかなり消耗しているようだった。けれどそれは、彼女にとってどうでも良い事なのかも知れない。いつもよりも荒い息遣い。彼女は疲労から滲み出た汗と混じって、慈雨にも近い表情を溢しながら少女を見つめていたのだから。




