32紅のライブラリーでおまかせを
沈み行く陽の光は橙をより一層色濃くさせ、街全体をサンセットに染め上げる。一見不釣り合いな黄昏を彩る紺色と残照となったオレンジは、絶妙なコントラストを作り上げる。その風景を見て、人はそれをノスタルジックなどと都合の良い言葉を添えてみせる。あと数刻もしないうちに暗がりと月がステージへ上がろうとしている。僅かに照らす陽の光が、ホール中の薄暗さをより一層ブラックポイントを強調させていく。チップの活躍により動くベスクドールの群れは、全てバラバラに砕かれ塵芥のように散乱していた。さて、この先はどちらに向かうべきか……今回の首謀者であるリリィを何とかしない事には終わらない。自動人形の少女メリィの目的と依頼は、自分の家へと届ける事だったが・・・。流石にこれで終わりと告げる訳には行かなさそうだ。何より彼女の持ち主である都月ジュウゴにまだ届けられていない。まだ依頼は完遂してはいないのである。恐らく彼らは、同じ場所もしくはその付近に居る。リリィの発言から察するに、彼女はメリィを都月ジュウゴの元へと近付けさせはしないだろう。つまりジュウゴが居る手前には、リリィという障壁が立ち塞がっている筈。ならば、元住人にこう尋ねてみるか。
「メリィ、君のお父さんの部屋は何処なんだい?」
「それでしたら、この中央の階段を登った二階ですわ。廊下を渡って中央の扉に大きな書斎がありますの。」
そう少女は二階へと続く階段へと指を差し、僕らの視線を誘導させた。彼女曰く二階にも大きなフロアがあるようで、そこを書斎として扱っているらしい。
「書斎?」
僕がそう聞き返すとその言葉にピクリと反応したのは社長だった。一際右耳だけ大きくするように右手を顔に添えながら、彼女は興味をそそり始めていた。メリィはそんな社長の顔に引きつつも、説明を続ける。
「えぇ、元々お父様は魔術の研究家でもありましたから。その奥にある一室が彼の部屋になりますわ。」
「ほう、それは興味深いな。」
書斎、そして魔術の研究者が携える本となれば彼女が聞き逃す訳が無い。上顎に指を添えながら、ドルマークでも貼り付けたような目を輝かせていた。全くこの人は、現金な人と云うべきか。趣旨を引っこ抜いて、自分の興味に道草を食おうとしている。ここは早めに何か彼女が云う前にブレーキを踏ませておくか。
「ダメですよ、二、三冊程度を拝借しても問題無かろうなんて考えで盗ったら。」
「む。まだ何も云ってないではないか。」
ドキっと背筋を弾ませた彼女は、恐らく図星というところだろう。多分、社長の事だ。隙あらば、片手で仕舞える程度の数はくすねておこうなんて考えが見え見えだ。彼女は三の字になるように口を尖らせ、無言のブーイングを露呈させていた。さり気無く「ちっ。」と舌打ちをし、腕を組みながらそっぽを向き始める。・・・子供か。
「そーゆー目をしてるからだぜ、マチコ。」
案の定、その企みは長い付き合いのメルにはお見通しだったようだ。わなわなと震わせる彼女の手は、少々苛立ち混じりに装飾されていた。「そんな事よりさっさと行こうぜ。」と、すっきりと短髪になった幼女が不貞腐れながら吐き捨てる。よっぽど自慢のボサボサ長髪が無くなって不機嫌なのか、眼帯越しの右目からもイラついた視線が伝わる。眉を吊り上げたチップは両手に頭の後ろへ添えながら、ズカズカと階段を登っていく。
何はともあれ、目的地は分かった。僕らはチップを追いかけるように連なって階段を上がっていった。二階フロアも一階に倣ってシンメトリーに統一されており、左右に部屋へと繋がる扉が並んでいる。中央の奥には一際大きな両開きの扉がある。
「やけにここだけ扉が豪勢・・・ですね。」
そう、やけに豪勢なのだ。赤を基調としたその扉は他の扉よりも重厚で、存在感が強かった。何かの模様か、魔法陣かどこかの紋章か、何かの生物や植物をイメージしたような模様が金で装飾されている。あくまで赤を基調とした扉を損なわせない為か、その金はレッドゴールドで配色されその存在を際立てさせていた。ところどころには宝石だろうか、扉に装飾された模様のアクセントを付け加えるように宝石が散りばめられている。
「メリィ、彼は研究熱心だったのだろう?」
「はい、確かにこの書斎は特に篭りっぱなしなんて事も屡々・・・。けれど、なぜそれを?」
メリィは彼女の問いに首を傾げた。何故会った事も無い自分の主人の性格が分かるのかと、疑問を漂わせていた。先程少女が云っていた扉は恐らくここだろう。社長は装飾された扉を一目見て、どうやら何かに気付いたようだ。
「これは、音を遮断させる魔術が施されている。通常、術者が魔力を放出し続けて魔術は作動している訳だが。術者すら居なくとも魔術が作動し続ける事を可能にしているのが、この宝石だ。」
彼女は点在する宝石たちを線で結ぶように、指でなぞり説明を始める。術式と宝石・・・、そうかこれはメリィと同じあの魔法を使っているのか。
「あ、板さんも云っていた宝石魔法ってやつですか?」
そう僕が当ててみせると、彼女は目を丸くした。まさか君が知っているとはな、とでも云うように彼女は驚きの後には少し笑って見せた。
「む、なんだ?知っていたのか垂くん。ならば、話は早い。外部からの音を遮断させる事で、余計な集中を割く事無く研究に没頭していたのだろう。」
音を遮断させる魔法か。それが扉に設置されていると云う事は、それはきっと外部だけでは無い。内側からの音も遮断していると云う事。音を漏らす事も無ければ、外部からの侵入も無い空間。研究をする者からすれば、これ程の理想的な空間は無いだろう。何せ、余計な音という情報が無いのだから。その分、研究に没頭する事が出来るのだ。つまり、この部屋の中では何があっても外部からは気付かれない。きっとそれはダイナマイトすら弾け飛ばそうとも、その場にいた小鳥すら逃げ出さないのだろう。
「成程・・・、それじゃあつまり・・・。」
「あぁ、彼女らはこの扉の向こうで間違い無いようだな。」
そうして彼女は両手で、左右に設置されているステンレスで施されたドアノブを引き上げる。ガ・・・コン・・・っと、重厚な鉄の塊が動き出したような音を重々しく奏でながら扉は開き始めた。まだ照明が付かない薄暗い廊下、開いた扉からは橙の光がメスを通したかのように差し込んできた。それでも何故か温かみはそこには無く、むしろ外気で冷えた掌で覆われるような寒気すら感じていた。まるでこれ以上は寄せ付けさせまいとでも云うように、跳ね除ける拒絶感。一歩踏み込めば、その空気は肌をゾワつかせる。今も尚、誰かに見られているようで、一向に僕らを拒絶する。これ以上は近付いてはならないとまで、体躯が拒絶を起こす。皆もきっとこの異常な拒絶感に気付いている筈。けれど、彼らは違った。社長を筆頭に、その門を潜り抜ける。チップに至ってはこの緊張感すら跳ね除けるように、口笛を吹きながら突き進む。
どうやら要らぬ心配だったようだ。僕は胸に手を当て、一度だけ深呼吸を施す。・・・良し、何とかなれ。いつだったか、幼女が云っていた一言がふわりと浮かび出す。『アホか、押さなきゃ始まんねーだろ?』なんて事は無い何気無い時に出た幼女の一言だ。今に思えば、全く持ってその通りだ。この扉を押さなきゃ、何も始まる訳が無いのだ。
・・・。
・・・・・・。
扉の先は、少女の云っていた通り本棚がズラリと並ぶ書斎。フロア全体はビスクドールたちと戦ったホールと同じくらいだろうか、本棚が壁を沿うように並べられていて錯覚する。ホールと違う点はもう一つ、扉との対正面上には大きな窓がある。そのお陰で橙の残照がこの書斎を明るく染めている。いや、最早この広さは書斎と云うよりは書物庫やちょっとした図書館に匹敵する。一度、あっと声を上げれば反響しそうな程に、この空間は残響を生じさせようとしている。本棚一つ一つに本がぎっしりと詰め込まれ、不思議とこの空間は威圧感がある。その中央には丁度、人一人が腰掛ける椅子とテーブル。そのテーブルに足を組みながら座る少女が一人。
「ようこそ、都月家の屋敷へ・・・とでも云えばいいかしら?」
少女は妖艶な笑みを浮かばせながら、そう告げた。白い肌に、肩まで伸びた金髪。そしてメリィと同じ深みのある青い瞳。これだけで見れば、メリィと瓜二つだ。対照的なのは、その服装。真紅に染め上げたワンピース。その色は身近な色、血の色と表現した方が最も合点が行く。背丈も恐らくメリィと然程変わらない、双子として造られたというのも頷ける。同じ格好をさせられたら、恐らく見間違える程に彼女たちはそっくりだ。けれどそれは、見た目での第一印象。テーブルに腰掛ける少女の声は、メリィとは違い自信に満ち溢れていた。眉を吊り上げ、僕らを見て北叟笑む。まるで他人を見下すような瞳で僕らを品定めし、クスクスと静かな笑いを漏らしていた。そう、あれがきっとメリィの双子の姉となるリリィに違いない。
「おや・・・、茶菓子を用意する手立てでは無かったかな。」
社長はわざとらしく、キョロキョロと周りを見渡しながらそう切り返した。ピクリと動く少女の眉は、反感を買う。
「最後の晩餐として?」
「それは、君の返答次第さ。」
「あら、ピッツアは注文した覚えはないけれど?」
「生憎、ピッツアではないんだな。加えて云うのなら、届け先も君ではない。」
社長は人差し指を槍でも向けるようにリリィへと向けたと思えば、寸前で矛先をややずらす。彼女の指先は、少女の更に奥に控える扉。社長はその扉へと目線を向けていた。その行動は敢えて付け加えるのであれば、「君に用は無い。」と云っているようなもの。彼女の一言が余計にリリィの苛立ちを促進させていく。脚を組み直したもう一人の自動人形は、腕を強く組む。
「あら、わからないかしら?・・・出て行けって、云ってるのよ?」
「はて・・・、何を云うかと思えば。貴様こそ、わからんか?・・・そこをどけ、と云っているのだがな。」
それでも社長は、相変わらずの減らず口で言葉を返す。互いに手の平を挙げ、軽くシュラグを見せる。まるで映画のワンシーンでも切り取ったような一面だ。彼女達が口を開く度に、戦慄が走り抜ける。少女とは思えない自信に溢れた言動は、社長と対等に冷戦を繰り広げる。どこまで広げれば気が済むのかわからない程の冷戦の風呂敷を前に、僕は仲裁の余地が無かった。入り込めなかった。互いにボルテージを上げつつある彼女らの品定めは冷たく、空気すらも凍りつかせる。ふと、何かを思い出したかのようにリリィは人差し指を頬に当てる。
「下のメイドたちは?」
「木偶の坊どもは、全部俺が薙ぎ倒してやったぜ!へっへー!ざまーみろ。」
鼻の下を人差し指で摩りながら、チップは応えた。その仕草は宛ら、昔ながらの近所の空き地を屯するガキ大将みたいだ。尚も幼女はリリィへ挑発するように、摩った人差し指を豪快に天高くおっ立ててお決まりのサインをかざす。
「リリィ、もうやめましょう・・・。」
少女は一歩前に出て、小さくその声を震わせる。それでもこの空間の反響が手助けを施し、良く響かせる。右手で左腕を押さえ込み、少女は僅かに震える恐怖を隠そうとしていた。メリィの声を耳にした双子の姉が瞼を細めながら、堪忍袋の緒を噛み千切るように歯を食い縛る。
「うるさい・・・。」
その一言はあまりに冷たく、消毒もしないメスで肉を裂くようだった。例えその切れ味が鋭利であっても、心にも無い拒絶する一言だ。自分以外を一切寄せ付けないその拒絶感は、肉眼では見えない分厚い壁でメリィを突き放す。差し伸べた掌や言葉も跳ね除け、触れる息すらも嫌悪させる。同じ時間に生まれた双子とは思えない程の拒絶だ。少女は戸惑う。何故彼女がこんな事をするのかと、何故自分を拒絶するのかと戸惑いがメリィの一歩を抑止させる。
「どうして私を、私を遠ざけるのですか?私達、あんなに仲が良かったではありませんか!」
「何云ってんのよ!あんたさえ、あんたさえ居なければ・・・ッ!」
少女の弁明は届く寸前で、リリィが払い捨てる。やがてその嫌悪は怒りへと変わり、空気をひっくり返したようにどっしりと重い風が吹き荒れ始めた。あんたさえ居なければ・・・、その言葉が引き金となり、雷火のように迸る覇気が放出された。ビリビリと伝わるその覇気は何処か暗澹で、僕の第六感が危険信号を発している。社長はこれ以上メリィが前に出ないように右腕を翳し、距離を取らせる。非戦闘員である少女をこれ以上近付けさせてはならない。そう彼女は察したのか、珍しく頬からは冷や汗が流れていた。
「メリィ・・・、ちょっと様子が可笑しいようだ。」
「あぁ、急激にマナが上昇していやがるぜ。」
僕の方に乗っていたモジャモジャは、淡く青白い光を灯しながら頭頂部の毛を逆立てさせる。“ギフト”の気配に反応するアレだ。それは今までの非にならないくらいに、強く尖らせていた。真紅の色に染まったワンピースの為か、より一層リリィの怒りが具現化されているみたいだ。僕の目でも僅かに薄らと見える。少女の背からは無数で糸状の帯を靡かせる。一本一本が力強く、その細い糸で何かを通せば、たちまち鋼鉄すらも切り裂きそうな程に固く研ぎ澄まされているようだ。糸達は連なって様々な模様を形成させる。彼岸花のように花を開いた姿を見せれば、梟のように大きな羽を広げるように。いずれも紅く、痛々しい程の真っ赤な模様を形成させていく。命をも燃やすような、怒りに満ち溢れた覇気だ。メリィ程と変わらない小さな身体からは、不釣り合いなマナをこれでもかと露わにして尚も拒絶反応を示す。
「あんたが居るから良けなかったんだ。あんたが、あんたが居るから。双子だから、アタシ達が双子だから・・・。双子なばっかりに・・・。」
リリィは両の掌を握り締め、俯きながらブツブツと呟く。それは歯軋り混じりに言葉を呪文のように唱え、僕らには届く間際の程小さく呟く。ギリギリ聞き取れていたメリィは、青い瞳を大きく見せながら噛み締める。社長の腕を掴みながら、その腕を押し除けようとする。前へ、彼女の元へと近付こうと。けれど社長は、それ以上の進行を塞いだ。これ以上は危険だと、云い聴かせるように頑としてそのバリケードを解かなかった。
「ど、どう云う事ですのリリィ・・・?」
真紅の少女は、ゆっくりと人差し指をメリィへと向ける。天誅の如く振り翳した刃を向けるように、リリィの瞳は真っ赤な殺意が込められていた。拒絶を凌駕した殺意、真紅のワンピースからは解れるように赤い糸がゆらりと発光しながら一人でに伸びていく。リリィのマナに呼応するように、揺らぐ呼吸に沿って靡いている。
「やっぱりあんたバカね。鈍臭くて生真面目で・・・そう云うとこが嫌いなのよ‼︎」
「リリィ・・・。」
少女の怒声は、一種の妬みが拍車をかけているのか語気が強まっていた。威圧されたメリィは、彼女の名を呼ぶだけでそれ以上の言葉を出す事が出来ずに口籠ってしまった。見かねた社長は塞いでいた腕のバリケードを解き、やれやれとでも云うように頭を掻きながら口を開く。
「理由くらい話したらどうだ?最後の晩餐になるならな。」
「ふん!良いわ、土産話に持っていきなさい。あたしは・・・。」
怪訝に歪めた眉を露わにし、リリィは鼻息を強く鳴らした後に言葉の刃を研ぐ。刃の表面を磨くこの音は、決して心地の良いものでは無い。混じる鈍色と赤色、歪な視線が僕らを覗き込む。
・・・。
ーあたしはリリィ。隣に居るのはメリィ、あたしの妹らしい。同じ日に生まれ、同じ日に瞳に宝石を宿し、この世界というキャンバスのカラーを知った。宝石の瞳を通して知った世界、色、形。耳を通して初めての音が伝わる。初めて聞いた音は、何故かそれが何か分かる。小鳥の囀りも、風に煽られ細波のように鳴らす白樺の葉も、あたしは生まれたばかりだと云うのにそれが何か分かった。隣に居る真っ白なワンピースを羽織った妹は、生まれたこの瞬間からどちらが姉でどちらが妹なのか。理屈とは違う何かが頭の中で成形させ、あたしはこの子の姉なのだ、と云い聞かせていた。それは一種の使命にも近いもの。定められた理があたしを含めて、目の前に轢かれたレールを彼女と同じ瞬間に時を刻み始める。あたしと同じ瞳の色、同じ色の髪、薄紅染まった唇の形までほとんど一緒。違うのは、着ているこの服装だけ。同じ布団で起き、同じ色のティーカップを添えながら朝食を済ませて、同じ時間を過ごす。彼女もコーヒーよりも紅茶が好きだった。スプーン一杯分の蜂蜜と、小さな指で一掴み分の砂糖。一切れの茶葉を残し、香りを楽しみながら飲む紅茶が好きだった。それは傍らで嗜むメリィも同じ。
けれど、違う事はまだいくつかあった。それは、いつも彼女の隣に居るのは都月ジュウゴ、あたし達のパパだった。あたしとメリィは双子であり、姉妹である。生まれたあたし達が姉妹なのだと造られた者だと仕向けられたのもパパだ。直接教えられた訳では無い。そうシステムを組み込まれ、認識させてくれたのだ。
彼があたし達の親。彼に甘えるあたしたちは、宛ら燕の雛のよう。餌だけに飽き足らず、彼からの愛情も欲していた。けれど現実は、綺麗に分割された愛情なんてものは存在しなかった。一グラムでもそれが歪みとなり、天秤を傾け始める。パパはあたし達姉妹の間に縫ってではなく、決まっていつもメリィの隣だった。パパとの距離はいつも妹のメリィが間を塞いでしまう。メリィは鈍感だ。あたしに構わず、いつもパパにべったり。そう気付いた時には、もう既に遅かった。注いだ錘は更に重なっていく。あたしだって、もっとパパとくっつきたい。お話を聞いて欲しい、そんないくつものの思いが次第に強まっていく。憧れとは程遠い負の感情が押し寄せる。徐々に彼との歪みは大きくなり、すれ違いは重なっていく。一つの疑念があたしの心の中に彷徨うになる。それは何だかあたしを避けているんじゃないかとさえ思ってしまう程に。パパは、あたしには厳しかった。
ある日、メリィがパパのティーカップを誤って割ってしまった時の事だ。自分でやってしまったミスだというのに。あの子はグズグズと泣き出しながら蹲っていた。あぁ、きっとパパに怒られるのだろうな。あたしは疑りも無くそう思った。けど、事実はあたしの想定と違った。パパは怒るどころか慰めていた。怪我は無いか、と寧ろ我が子を案ずるように。それがあたしには羨ましかった。あたしもメリィのように心配してもらい、撫でてもらいたかった。正確には羨ましさと相まって妬ましさすらも自覚する程に、メリィへの感情の歪みが増幅していく感覚に陥る。彼女に向ける瞳は迸る火の粉のように微熱を持っていた気がする。妬みの炎は、葉を燃やし風に乗って木をも燃やし始めた。
だから、あたしも同じように自分のティーカップをわざと割った。手から擦り抜けるティーカップは、床に落ちていく。小さな花火を見ているかのようにカップの破片は飛び散り、足元には砕け散ったティーカップだったものが散らばっていた。これでパパに心配してくれる。慰めてもらえる。思わず笑みが溢れていた事は自覚していた。一振りでも良い。あたしは、ただ見て欲しかった。構って欲しかった、あの時はただそれだけだった。けれど、与えられた現実は違った。パパは、そうしてはくれなかった。心配も慰めも労りも無かった。ただ、頬を叩かれ無情な破裂音がホールに響き渡る。一言凄まれるだけ。
「お前は何をやっているんだ。」と静かに叱咤されただけだった。
あたしはただ、あなたに振り向いて欲しかっただけ。パパに撫でて欲しかっただけ、メリィのように。あたしの中で何かが弾け飛んだ音がしたようだった。プツリと糸が切れ、パパは他にも何か云っていたのかもしれないが何も聞こえなかった。彼の言葉が受け入れられなかった。すぐにメリィは来て慰めてくれたけど、それが執拗に妬ましかった。
大丈夫?違う・・・。あんたがいるからいけないんだ・・・。あたし達は双子だから大丈夫?違う・・・、あたし達が双子だからいけないんだ。あたし達が双子だから、愛情はどちらかに偏るんだ。姉だから我慢しろ?妹なら甘えて良いのか。そんなの身勝手過ぎるわ・・・。姉なんてあたしが奨んで決めたモノじゃない。好きでやりたくてそうなった訳じゃない。あたしはメリィより頭が良い。手先だって器用だ。お裁縫だってあたしが教えたのに。メリィは、自分だけで作ったかのように手作りの小さなハンカチをパパへあげていた。不格好でほつれまみれのハンカチを。それなのにパパはメリィだけを褒めていた。あたしは蚊帳の外。違う、違うのよパパ。あたしも手伝ったのよ、それを教えたのもあたしなのに・・・!
糸だって、ほら。もう手を使わずに針を通せるようになったのよ。糸とマナの波長を合わせると出来るのよ。それでもパパは、振り向いてくれない。それどころか、あたしが出来る事が増える度に彼らとは距離を感じてしまう。ふと脳裏に込み上がった感情。それが何か知った時は、身の毛がよだつ程の冷たさすらあった。
ーそうか・・・、あの子さえ、居なければ。あの子さえ居なければ、良いんだ。・・・あたしだけで良い。あの子がいるからあたしが霞むんだ。無理に分割する必要なんて初めから無いんだと。双子だから・・・、どちらかに傾くんだ。じゃあ、もう一人になれば良い。一人にさせれば良い。姉妹なんて損なだけ。パパはあたしにだけ振り向けばそれで良い。散々、メリィを構っていたんだから。あたしは、初めから一人だった。同じ屋根の下で、同じ時間を過ごして来たのに、あたしは独りだった。そうだ、ただあの子を壊すだけなんて勿体無い。同じ苦しみをあの子にも与えるんだ。あたしは初めから双子なんて望んでいない。同じ巣に、同じ雛は要らない。
そう簡単な事・・・、その雛を・・・、この巣から、落とせば良いだけの事。あたしは・・・。
・・・。
「あたしは、あんたを突き落として・・・、パパと一緒に居たいだけ。」
彼女の口から溢れた憎悪の塊。大きく連なった妬みは、少女の青い瞳を滲ませていた。潤う事は無く、燻みを覚え、歪んだ水銀を馴染ませたように酷くリリィの瞳は濁っていた。メリィと同じ宝石を施した瞳の筈なのに、彼女の瞳に明るみは無かった。どこまでも暗く深淵の海の底を覗いているようだ。彼女の語り部を終始聞いていた社長は、目を瞑りながら黙って腕を組んでいた。社長が目を開いたと思えば何処か不満げな表情というよりは、苦虫を噛む程の呆れた目線を少女へと送った。
「ふん。何を話すかと思えば・・・、実に捻れた愛情だな。惚れ惚れするよ。」
埃でも払う勢いで空を払う。煙たく重たい空気を少しでも遠くへと払うように、社長はリリィの言葉を払い除けた。やはり都月家の主ジュウゴが云っていた通り、メリィにこの場所を阻害させた犯人はこの少女だったのか。邪魔者であるメリィを追い出し、主を自分のモノだけにする。やはり実に身勝手な独占欲に侵されている。それまでの工程はあったとしても、決して同情出来るものでは無い。寧ろそれを聞いて、尚リリィに対する怒りが沸々と湧き出してきているのが良く分かる。内に秘める怒りが自然と拳に力が入る。
「じゃあ、やっぱりメリィに呪いを掛けたのは、君なのか・・・、リリィ。」
それでも確かずにはいられなかった。まだ彼女に更生する余地があるのならば。だから訊いた。炎のように燃え盛る怒りを抑え込み、僕は出来るだけ冷静にリリィへと問い詰めた。けれど、少女の反応は違った。僕の言葉を聞いた瞬間、頬を膨らませながら込み上げる笑いを抑え込んでいる。そして僕へと指を差し、嘲笑うようにリリィは口を開く。
「ぷ・・・っ。あっはっはっははははは!だったら何?何だって云うのよ?何?お説教でもする気?あんた何様な訳?いきなり現れといてさぁ?」
少女は腹を抱えながら笑い、僕へと凄んでいた。それを聞いて耳を疑いたかった。本当はこんな事はしたく無い、止めて欲しかったの一言があればと悲願したかった。リリィの罵声は僕の思いとは裏腹に、まるで下等生物でも見るかのような目で馬鹿にしていた。青い筈の宝石の瞳は何処までもドス黒く、宝石というよりは禍々しい銃口を向けられているようだ。ならば仕方が無い、銃口を向け始めたのはそっちなんだ。
「別に・・・。君を説教する気なんて無いよ。ただ・・・。」
「垂くん・・・。」
社長は、珍しく驚いていた。こんなに怒りを露わにして、怒る僕を見てだろうか。僕の方へと手を翳し、これ以上リリィに近付くな、とでも云うように抑止させようとしている。心配する彼女の目も見えていた。けれど、もう抑え切れなかった。社長の手を払い除け、構わず前へと出る。
「それをやって、君のお父さんとは上手くやって行けたのかな。たったそれだけの事で、彼女を!メリィをこんな目に合わせて、君は何とも思わないのか!」
込み上げた感情が一気に放出する。内包していた起爆剤が弾け飛び、怒りの矛を向ける。都月ジュウゴの時とは違う明らかな怒り。こんな切先を、僕が誰かに向ける日が来ようとは思いもしなかったくらいだ。それでも少女の歪んだ瞳は変わらない。リリィは座っていたテーブルから立ち上がり、見下すようにこちらへ視線を向ける。
「たった、それだけ?あたしにとっては充分過ぎるくらいの動機よ!あんた、勘違いしてるわよ?別にあたしは今更、パパに愛情を求めてる訳じゃないの。あたしだってバカじゃないわ。こんな事やってパパが黙ってる訳が無い。あたしの事なんて余計に嫌うでしょうね。」
「だったら、どうして‼︎」
「そんなの決まってるでしょ⁉︎邪魔者だった妹を追い出して、独りにする為よ!パパは居てくれるだけで良いの。見てくれるだけで良い、そこに生死は関係無いわ。」
妬みの暴走。リリィの心は、嫉妬心に取り憑かれていた。一度はめられた歪な歯車は、少しでも回ってしまえばもう止まらない。止まり方を知らないからだ。赭にも似た暗く鈍い赤を染み込ませた彼女の覇気は、金色に染まる髪の毛すらも逆立てる。顔を曇らせたもう一人の自動人形は、不気味な笑みを陰に潜ませていた。凍り付くような瞳、水圧に潰されそうな深い海の色。それはもう青と云うよりは涅に近い程に。暗くドス黒い眼差しは怒り任せにでは無く、身を引くくらいに冷静でそれが余計に恐怖を立ち込ませる。
「リリィ、聞いて‼︎私は・・・ッ!」
メリィは必至の思いで叫んだ。交差する双子の思惑。しかし噛み合わない。歯痒くもメリィの思いは、少女の姉へと届く前には抑圧される。
ードンッ
それは、ほんの一瞬の出来事。メリィが説得しようとする口を塞ぐように、リリィは針のように尖らせた紅い糸で攻撃をした。槍のように伸ばし、恐ろしくも早い速度で少女は何の躊躇も無く賽を投げた。実の妹を、双子である自分の妹。鋭く尖った糸はメリィの左頬を掠め取り、彼女のすぐ後ろにあった壁を突き刺した。壁は意図も容易く突き刺した穴を中心にドーム状に粉砕された。彼女の攻撃により、メリィは言葉を失う。ボロリと掠めた頬からは、血の代わりにヒビの入った破片が零れ落ちていく。先行したリリィの表情は酷く落ち着いていた。冷静とは違う、しっかりとその刃は怒りと妬みに満ち溢れている。感情の起伏が決して安定しているとは思えない。アンバランスに負の感情が入り乱れ、混じっている。次第に覇気は揺らぎを増し、彼女のフォルテは徐々に強まっていく。
「あんたの口上なんて聞く耳無いわ!いっつもウジウジして、メソメソして・・・。その度にパパに可愛がられて・・・。どれだけあたしが気を遣って、どれだけ我慢したか・・・!あんたに・・・、わかってたまるもんかぁーーーーーーーーーッ‼︎」
真紅の少女の怒声と共に、マナが一斉に乱れ始める。一本一本の紅い糸達を束ね、触手のように蠢く。それはまるで別の生き物のように、それぞれが意識を持つように。束ねた糸の先端は、対象に風穴を空けるには充分な程に尖らせた槍と化す。彼女の背中には、俯くように花弁を開く糸で模った黒いユリの花が咲いている。黒いユリ、その花言葉は愛。けれどもその束ねて出来た愛の一本一本の繊維となるものは、黒百合のもう一つの花言葉。呪い、そして復讐。少女の禍々しい闘気により、悪寒を最全速で駆け巡らせる。それは今までの比にならないくらいの拒絶。誰をも拒み、妬み。怒りの波動となって、季節外れの凍風のような寒気のするものがあった。
「う、うおぉ⁉︎」
一同、思わず息を呑む。僕らを拒む風は、これ以上近付けさせまいと酷く押し除ける。荒れる突風は両腕で顔を守らなければ、まっすぐ向いていられる事も立っている事すら出来ない。
「ちっ・・・、おいマチコどうすんだ、これ⁉︎」
「ふむ・・・。どうやら、交渉決裂のようだな。」
苛立ちを見せたメルが少し焦りながらも舌打ちをした。交渉決裂と彼女はそう云うが、そんなロジックに結びつくような会話では無かった。際立つ覇気を前にしても社長は動じず、静かに上顎を摩りながら少女を見つめていた。
「初めから交渉する気なんて、ありませんでしたよね⁉︎」
「それは君とて同じ事だろうが。まぁ、良い・・・。」
確かに彼女の云う通り、僕も決して冷静では無かった。今思えば真紅の少女に挑発され、まんまと手の平で踊らされたのかも知れない。あの自動人形も、ここから引き下がる気は端から毛頭無いようだ。社長は握り締めていた拳を開き、右手を覆っていた白い手袋へと手を掛け始めた。これ以上の話は不要であり、ここから始まるのは文字通りのぶつかり合い。
「チップ、垂くん達と共に下がれ。ここからは大将戦だ。」
「お、おう・・・。」
チップは社長に云われるがままに従い、強まった語気に圧倒されたのか勢い余って頷いた。カツンっと革靴を鳴らし、彼女は一歩、また一歩と赤く暴走したリリィへと近付く。白い手袋を外し、金色の毛並みが逆立つ獣の手を露わにする。仄かに青白い光を纏い、その力強さを象徴させる。スーツジャケットをはためかせるその風は、リリィの怨念が籠った荒風か社長自身の何かか。終始社長を見つめていたチップは、口に手を当てながら恐る恐ると云った具合で僕に耳打ちをし始めた。
「おい、イサム。何だあれ・・・?」
「何って、なんだよ?」
短髪となった幼女の目は何処か覚束無い。行き場を失った泳いだ魚のように、キョロキョロと落ち着かない様子で挙動不審だった。それは何かを恐れているかのようで、出来るならばここから離れたいとでも云うように。口に手を添えていた幼女の小さな手は震えており、真紅に潤った左目は緊張を張り詰めていた。
「なんかよ・・・、キツネの奴、むちゃくちゃキレてねーか?」
「そ、そうか?」
悪魔独特の鼻が効いて勘付いたのか、幼女は眉を歪ませながらそう僕へと訊いた。確かに云われてみればそうかも知れない。チップに指摘されるまで気付きもしなかった。社長の睨み付けるその瞳は、どの者に向けるモノよりも鋭かった。トリビュートや河童に向けた瞳よりも何処か恐ろしく、何よりも残酷な瞳をしていた。彼女は獣の手を振り翳したのと同時に、足元へ青白い印を展開させた。吹き荒れる旋風は社長を中心に円を描く。彼女も怒っている・・・。それは静かに、枯葉の細波すら煩い程に。
「・・・開ッ!」
社長の怒りと真紅の自動人形が衝突する。赫赫と弾け合う閃光は、巨大なライブラリーを眩く照らしていた。




