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便箋小町  作者: 藤光一
第一章 始動編
3/32

3毛むくじゃらにおまかせを

 この会社に勤めてから三ヶ月が経過した僕だが、行っていた業務は俗に云うところの雑務だ。お茶汲み、掃除、窓拭き、事務、伝票作成くらいだった。むしろ掃除に関しては、進んで行っていた。一日でも放っておこうものなら、あっという間にゴミ屋敷へと生まれ変わるのだから。一体、どこにそんな散らかる要素があるのか分からないが、毎日掃除をしないと大変な事になる。こちらが雑務を熟している間、この二人の仕事ぶりは些か煮え切らない部分がある。社長は時折どこかへ外出しているようだが、決まって行き先は教えてくれない。聞けば、「無限の彼方へ。」とどこかの宇宙レンジャー隊のようなセリフを吐き捨てる始末だし。こちらを振り向く事なく右手でグットサインを示しながら、扉の向こう側へと去っていく。以降いつも帰ってくるのは夕方で、鼻歌を交えながら決まって新たな古本を携えてくる。メルに至っては、仕事という仕事を目にした事がない。朝はコーヒーを飲みながら、優雅にスポーツ新聞へ目を通している。崩れたプリンのようにぐったりしているので、一度だけその事について聞いてみると。「一種のヨガみてぇなもんだ。」としっかりとチルタイムを満喫しているようだったワイドショーが流れるテレビに一人談義をしたりとペットのような姿とは雲泥でイメージが崩れる。どちらかと云えば、宛ら休日の親父を観るような光景なのだ。その時の僕は、自分でもわかるぐらい冷たい視線を送っている気がする。


 そんな訳で、この便箋小町の実態を殆ど知らなかった僕にとっては正直緊張していた。何を隠そう、勤めて三ヶ月。実際の依頼を受けたのは今回が初めてだからだ。(やぶさ)かでは無かったが所謂、初任務。望んでもいなかった初陣でもある。本来、普通の企業さんなら初めて仕事を任されるというのは、とても光栄な事なのだろう。自分の普段の仕事ぶりや素性を信頼してくれたのだから、やる気に満ち溢れる筈だ。しかし、どうだろう。これは事情が事情だけに、とてもじゃないが握り拳を挙げながら喝は入らない。僕の右手は全て開き切っており、頭を抱える始末だ。何なら、「冗談じゃない!」と云いたいぐらいだ。どうやら社長は、まだ野暮用が残っているとの事で事務所に残るようだ。実際に行動するのは、僕とメル、そして今回の依頼人である桐谷も同行する事となった。まさか僕のような新人の初依頼をサポートするのが、あの毛むくじゃらとは思いもしなかった。大丈夫か、これ。この仕事、三百万の報酬かかっているんだぞ?まぁ、流石に社長も後で様子だけは観に来るとは云っていたが、正直なところ信用できない。どうせまた、野暮用という名の趣味の一環として先程手にしていた古本を読み漁りたいだけだろう。その証拠に、彼女が奏でる鼻歌はいつもよりリズムを刻んでおり上機嫌だからだ。今回、桐谷を同行させた理由は契約した“ギフト“との接触を図る為だそうだ。社長が提示したこの対応は、リスキーなのではと感じるかもしれない。僕も同意見だった。けれど事実説明も手間が省けるんだとかで、一見すると同行させるのは危険のように思えるが社長曰く。


「契約者不在の契約の破棄手続きが不可なのは、君の社会でも同一であろう?」


 と、云われては確かに危険ではあるが同行せざるを得ないのだろう。桐谷も渋々ではあるが、半ば強制的に同行を促されていたところを快く同意してくれた。体制が決まった事で社長は、自分のデスクへいそいそと戻っていった。早速、没頭しようとしている。


「彼女は、いつもあんな感じなんですか?」


 そら見ろ。流石の桐谷さんも疑問に思ってしまったではないか。僕も出かける準備をする為に、自分のデスクの傍に置いていたリュックを肩にかける。とりあえず、財布だけを入れて後は念の為全て会社に置いて置く事にした。そんな準備をしながら、僕は桐谷に言葉を返す。


(せわ)しなくて、すみません。僕も最近、あの人に慣れてきたとこなんです。」


 どうして僕がこんな事を云わねばならんのか。本来なら逆だろ。上司の粗相をフォローする新人がどこに居るだろうか。自信を持って挙手します、はい!、ここです。


「君も大変だね・・・。」


 桐谷も苦笑で返す。苦しい、苦しいよ、これ。桐谷さん、すっかり視線ずらして話しちゃってるよ。これ以上、我が社の醜態を晒す訳には行かないと思い、僕はそそくさと出口へと誘導する。僕の苦労をブレンドした気持ちなんていざ知らず、彼女はすっかり本に夢中だ。本当に彼女は、依頼を受ける気はあるのだろうか。どうにも煮え切らない思いが募るばかりだ。こうして僕とメル、桐谷の奇妙な三人は、事務所を後にした。



 辿り着いたのは、駅前のファストフード店。安価で食せる全国チェーン展開されるハンバーガー店だ。駅前ともあって人の出入りは激しく、その回転率も目紛しい。店内飲食する者も居れば、持ち帰る者もしばしば。敢えて賑やかな駅前のファストフードを選んだのには、ちゃんと意味がある。それは誰も聞いていないからだ。木を隠すなら森の中という言葉があるように、人が多い方が都合が良い。これだけの人が居れば多少の騒がしさは生まれ、店内BGMも相まって周りが聞こえなくなる。目立たないように普段通りの会話をしていれば、まず怪しまれる事は無い。それに例え悪魔といえど、こんな昼下がりに大勢の前で姿を現すとは思えない。何故ならば、もし大勢の犠牲者が出る程の強大な力を持つ悪魔だとしよう。彼と会うどころか、この街は既に襲われており壊滅している事だろう。ぬいぐるみという贄を使い、ゆっくりと時間をかけて獲物を食すのだから。そいつは、今ここに現れる事は無い。この二つの理由から僕は、素人なりに考えてこの場所を選んだ訳だ。ただ、流石にこんな場所だからメルは僕のリュックの中に隠している。ファストフードに見た事も無い毛むくじゃらの生き物がピョンピョコ跳ねながら、人語を話すのだ。そんな光景を見てみろ。瞬く間に当日はネット上で拡散お祭り騒ぎだろう。時折メルは、モゾモゾと動いておりリュック越しでも異様な生温かさを感じる。無理も無い。外は六月と云えど、三十度に近い気温なのだ。流石の妖怪も現代のこの暑さには敵わないのか。特に今年の六月前半は梅雨ともあって蒸し暑く、纏わり付く湿気が体全体を包み込む。今日まで毎年のようにこの梅雨という特殊な季節を味合うのだが、一向に慣れる気配はない。雨、雨、雨。と降り続く大地の恵みは、時にナーバスなのかも知れないが流石に鬱陶しかった。

梅雨の時期はほんの一ヶ月程度の筈なのに、何故か長く感じてしまうのはその鬱陶しさからだろう。そんな中で、本日は晴天なり。グレイに染まった雲空は影すら残さず、カラリと照りつく太陽の独壇場だ。数日の雨続きのせいか湿気混じりの久々の晴天は、望んでもいないのに体温をみるみる上げていく。これから本場の夏が差し掛かろうというのに、既に「暑い」という言葉が思わず漏れそうだ。まぁ、もう一つ強いて理由を挙げるとすればファストフードへと逃げるように駆け込み、涼む試みを図ったのだ。だが、そんな期待とは裏腹にこのファストフード店も現在は環境問題に考慮しての節電対策中。二十四度キープと暑い訳でも涼しい訳でもない、人がギリギリ文句を云わない程度の温度だ。拭う汗と纏わり付く湿気を振り払い、僕たちはショートサイズのアイスコーヒーを注文した。紙コップ越しに纏うひんやりとしたコーヒーは、細かい製氷がジャラジャラと涼しげな音を奏でる。湿度にやられた身体を引きずりながら、疲弊した思いの足取りで客席へと腰掛けた。うちの会社のソファよりも座り心地が良い。なんか複雑な気分だ。僕は、解放されたようにネクタイを緩める。


「えっと、確か垂さんでしたか・・。これから、どうしましょうか?」


 どうしましょうも何しましょうでも、僕だってどうしましょうかだ。なんせ依頼を受けるのは初めてなんでね。マニュアルなんて資料があると思うかい?攻略サイトも無ければ、研修も無かったんだ。在るのは、ただ一つ。身体で覚えろ、だ。驚く事勿れ、今はスマホも大活躍する現代社会だ。それにしても都会で蛍探しでもなければ、山へツチノコ探しをする訳ではない。存在を安価でも居るとは云い難い悪魔を探せと云うのだ。僕は紙コップに刺さったストローを咥えながら、遠くの空を見るように頬杖をついてしまう。


「あー・・・、そうですね・・・。やっぱ聞き込みっすかね・・・とか?」


 自分でもわかるくらい、上の空を浮かべた表情となっている事だろう。正直なところ解決策が見当も付かない事から、ゆったりと浮かぶ雲を眺める程だ。まるで一向に犯人を探せない、切羽詰まった後輩刑事みたいな台詞だとは自負している。細かく刻まれた製氷が溶け始め、コーヒーの苦味と交わる。薄まった苦味は酸味を強調させ、喉をゴクリと通す。怠みと共に項垂れた身体は潤いを取り戻し、それでもしっかりと残る苦味が体躯に喝を入れる。どうにもやるせ無い感情に充満され、ただただストローから漏れるズズズッと音が虚しく奏でる。


(馬鹿か、お前?)


「うぉ⁉︎なんだこれ⁉︎」


 ピーンッと細い弦を弾くような音がしたと思った矢先、急に声が聞こえてきた。もはや聞き馴染んでしまったその声は、間違いが無ければメルの声だった。けれども不思議な事に、その声はリュックの中から篭れた声では無く、限りなく鮮明な声である。その発信源は右でも左でもない。後ろや上でもなく頭の中心部から音の波を感じる。耳にした桐谷もその声に驚き、僕と桐谷はシンクロのように口に含んでいたコーヒーを吹き出してしまう。突然の声に驚いた僕達には気遣い等無く、メルはお構い無しに淡々と話を進め始めた。


(流石にこんな場所だからなぁ、俺の能力だ。)


「メルか?なんだこれ、気持ちわるっ!」


 俗に云う「お前の脳に直接語り掛けている。」ってヤツなんだろうか。つい言葉に出てしまったが、耳奥で乾いたゴムを擦っているようで本当に気持ち悪い。頭の中で拡声器のように声は膨張され、耳を閉じてもはっきりと聞こえる。時と場所を変えれば一種の拷問にも成りかねない今のメルの声は、可能ならばすぐにも奴の口を塞ぎたい。だからこそ何度も云うが、それくらい実に気持ち悪い。


(あぁ?別に良いんだぞ?ちょいとイジればお前なんて、ボンっ!だぜ?)


「は?な、何?ボンって⁉︎ふざけんなよ、勝手にやっといて‼︎」


 本当に何がボンっなんだか。頭の電気回路でショートさせるのかよ。何だよ、この化物は。はたまた鼓膜でも破裂させるくらいの信号を送る事も出来るのか、毛むくじゃらのくせに。だとしたら、このモジャモジャは侮れん。リュック越しでも伝わる意味深な笑みが見えてしまう。


(まあ、そこは嘘だ。早速だが、新人よ。・・・本題だ。)


 嘘かよ、正直なところビビった。少なくとも自分の鼓膜が破裂したら、と思うとゾッとしてしまった。実際こいつならやりかね無いと想像出来てしまったし、具現化したイメージが纏わり付く。それは確実に僕の堪忍袋へと蓄積されて、キャパシティを超える寸前まで膨らみ続けている。湯水のように湧き出る沸々とした僕の怒りは惜しくもこの妖怪には届かず、メルは淡々と進める。


(まず、客人。桐谷だったかぁ?)


「⁉︎・・・うっ!・・・ゴホッゴホッ・・あ、はい・・・。」


 僕もこの現象は慣れていないが、桐谷こそこの現象に驚きを隠せない。こんな奇々怪々な連中との絡みも殆どある訳が無いのだから、僕以上に不慣れだろう。その証拠に名前を呼ばれただけでむせかえる始末だ。無理も無い。僕もどちらかと云えば現実主義者だ。可能であれば避けて通りたいし、出会っても関わりたくないのが本音だ。むせ込んだ桐谷は数回の咳を吐いた後に、呼吸を整えてからメルの話に耳を傾ける。


(お前を狙ってる“ギフト“はどちらにしても、まだこの時間には現れないと思うぜ。)


 まぁ、それは何となくイメージしていた。安直ではあるけども、昼に活動する悪魔はイメージ付きにくい。どちらかと云えば陽が沈み出す頃だろう。それに、桐谷にぬいぐるみと云うお土産まで持たせたんだ。このぬいぐるみは、持ち主から離れる事は無く徐々に生気を奪っていく。当然、生気を奪い切れば持ち主は動けなくなる。そうして動けなくなった持ち主を喰らい、食後のデザート。ぬいぐるみに貯めておいた生気を搾り出し、食すのだと云う。桐谷の体調がまだ元気な内は、まだ食す時期では無い。時間をかけてゆっくりと味合うつもりか。けれど、どうしてまたそんな面倒な事をするんだ。人間と悪魔なら、力の差は歴然だろう。一思いに殺して食べてしまえば良いのに。いや、待て。状況を整理するんだ。僕がもし、犯罪者ならどうする?悪魔であったなら、どうやる?加害者側に沿って、プロファイリングするんだ。


「この時間は・・・、いや、現れるとしたらいつ頃になるんですか?」


(奴ら悪魔は、夕暮れから動き始める。奴らにとっての魔素が活発になる時間帯だからな。具体的には夕暮れから深夜にかけて、今回の“ギフト”は行動している。欲に泳がされやすい桐谷みたいな獲物を見つけたら願いを叶えさせて、マーキング。時間を掛けて生気を吸い付くし、動けなくなった者とそのぬいぐるみに貯まった生気を食べる。それが、今回の“ギフト”のやり口だ。)


「なぁ、一つ聞いていいか?」


 そうだ、考えろ。そいつは何の為に食べる?何故、すぐに食べない?どうして、こんな時間と面倒をかけて食事をするのか。それには訳がある筈だ。効率的では無い。いや、効率は求めていないのか。メルのような妖怪は、どうなのだろう?人を食う妖怪は漫画とかでは見た事はあるけど、それはあくまで漫画の世界であって誇張された話だ。少なくとも社長は、人の血肉を食べるような素振りは見た事が無い。何の妖怪かも不明なこのメルだってそうだ。コーヒーか紅茶くらいしか飲んでるとこしか見た事が無い。けれどこいつは、メルは知っているのだろう。妖怪とは違えど、悪魔の趣向は知っていそうだ。


(ん?なんだ、新人?)


 室温とコーヒーの温度が相まって、細かく砕かれた氷が溶け始めカラリッと音を奏でる。コーヒーが注がれた紙コップを数回回しながら、僕はメルに尋ねた。


「その“ギフト”って、何の為に食べるんだ?」


(人の肉と魂、そして生気。それが奴らの糧となる。喰った分だけ、力を付けられるからだな。)


 まぁ、そうだろうな。食事は一種のエネルギー補給か。いや、少し違うか。どちらかと云えば、喰った分だけ力の蓄えになる。自分の最大値を向上させる。そんなところか・・・、犠牲者が増えれば増えるだけ強くなってしまうのは厄介だな。だとしたら尚更だ。何故・・・。僕は紙コップをテーブルに置いて、言及する。


「じゃあ・・・なぜ、一思いに食べないんだ?」


(質問は一個じゃなかったのか?まぁ、良い。シンプルな話さ。今回の奴にとって、その方法が一番美味い食べ方だって思っているからだ。)


 何だか思い描いていた悪魔とイメージがズレるな。手間暇かけて食べる思考は妙に人間味があって、少し意外だった。拘りが強い奴なのか。自分よりも下なんだぞ、と愉悦感を味わっているのかも知れない。その感情こそが一種のスパイス。獲物に恐怖と不安というスパイスを徐々に募らせる。それが素材の味を最大限に美味く出来る手法。そんな感じだろうか。くそ、こんな風に考えて見たものの実に馬鹿げている。


「なんか美食家みたいな考えだな、そいつ。」


 ふと、横目に映る桐谷を見るとやや俯きながらコーヒーの入った紙コップを握り締めていた。その手は微量ながら震えており、少しでも抑えようとその小さな紙コップを両手で支えている。・・・しまった。悪魔を追求するとはいえ、桐谷の事を考えていなかった。彼は命を狙われている被害者だ。ほんの自業自得はあったとしても、命を狙われている事に変わりは無い。青白くなってしまった唇を紡ぎ、くしゃりと少しだけ紙コップを歪ませる。本人の前で話す内容では無かったな、失言だった。配慮が足りて無かったな、これは。


(どうだか・・・。それにな、新人。何も難しく考える必要なんてねぇのさ。

もっと云っちまえば、・・・待つ必要なんて、無いのさ。)


 待つ必要が無い?何を云っているんだ、この毛むくじゃらは。何かのヒントなのか。考えろ、俯瞰しろ。今まであった情報を少し考えれば、すぐに答えは出る筈だ。悪魔は、いつ食べるか。その生気が実った時だ、熟し食べ頃となった時に収穫するように食べに来る。じゃあ、それが熟されるのはどうやって分かる。どうやって判断している・・・。いや、待てよ・・・。熟すのを待っているという事は・・・。そうか!僕はその場で立ち上がった。テーブルに強く両手を突き出し、少し紙コップが揺れる。


(ほぅ・・・、新人、気付いたか?)


 この毛むくじゃら、僕を試しやがったな。くそ、腹立つなこの一頭身お化けは。


「え!え?どういうことですか?」


 桐谷は、突然立ち上がった僕を見て混乱していた。状況をまだ理解していない彼は、あたふためいており、文字通り右往左往している状態だった。いや、かえって好都合でもある。当人が気付いていない方が、作戦も行動も立てやすい。ふぅーと一息をついたメルから、再びテレパシーのように脳内に語りかける。


(じゃあ、必要なもんはわかってるよな?)


「あぁ・・・。けど本当に大丈夫なのか?」


 短く頷きを入れたが不安点も残る。だが、時間はそんなにある訳では無い。窓に映る陽の光りを見て、店内にあった質素な時計を見つめる。夕暮れまで二時間と云ったところか。ここじゃ駄目だ。もっと人が少ないところじゃないと。奴が活動を始める前に手を打たないといけない。それも今日、今からだ。これ以上、日を跨がせる訳にはいかない。新たな犠牲者を出すのはナンセンスだ。日を跨ぎ、犠牲者が増えれば増えるだけその悪魔はどんどん強くなるのかも知れない。もしその憶測が正しければ、手に追えなくなるのはまさに時間の問題だ。それならば、移動時間も考えるとギリギリだろう。間に合うか・・・、いや間に合わせるんだ。


(そいつぁ、新人、お前次第だぜ?)


 それもそうか。こいつ、とことん僕を試してるな。まぁ、それもそうか。初任務な訳だし。覚悟を決め、僕は残りのアイスコーヒーを一気に飲み干した。空っぽとなった紙コップを置き、僕は真っ直ぐな目で桐谷へと向ける。


「桐谷さん‼︎今はとりあえず、何も聞かずに僕を信じてください!」


 と同時に、半ば強引にまだ混乱している桐谷の腕を引っ張り、足早にファストフードを後にした。桐谷は気付かなくて良い。むしろ悟らせては駄目だ。それから僕達は、最寄りのホームセンターへと立ち寄った。必要な道具を揃える為だ。敢えて桐谷を店の前で待たせ、僕とメルだけでホームセンターでの買い物を済ませる。少々痛い出費だが、背に腹は変えられないだろう。何故ならば、この先に安全という保証は無いからだ。これは、強行手段でもある。だから、先程から話題に上がっている悪魔との戦闘も考慮しなければならない。自慢じゃないが悪魔どころか熊のような猛獣すら、戦った事なんて無いんだ。少しでも揺らいでしまえば、それはたちまち恐怖へと生え変わる。振り切れ、楽にしろ。簡単な話だ・・・。僕が出来るだけの事をするだけだ。




 時刻は夕暮れ時、真西に差し掛かる橙の光が町を染め上げる。太陽は低くなり、建ち並ぶアパートや住宅街の屋根と水平にオレンジは拡散する。昼間よりも濃くなった影が長く大きく伸びる。明と暗の中間に差し掛かる彩度。橙に染まる空に浮かべ上げたうろこ雲が、僅かな白のコントラストを生み出している。その風景はしみじみとした想いを馳せる心境と感じた人々は、いつしかそれをノスタルジックと呼ぶようになった。ここは駅前から少し離れたところで、住宅街よりもやや手前に位置するS第一緑ヶ丘公園に僕たちは着いた。六月と云えど湿気は昼間よりもカラッと低く、通り抜けた風は肌寒さして演出させる。本来なら、もう一枚羽織るジャケットを当てたいところではある。それでも僕は、仕事着のシャツの袖を捲る。肘の高さまで上げながら、緊張を(ほぐ)す。一緒に来ていた桐谷は、キョロキョロと周りを見渡しながらこちらへ確認する。


「えーっと・・・、垂くん?なぜこのような場所に?」


 ワンルームの集合住宅に囲まれたこの公園は、団地マンションのように子供も多い訳では無い。住宅街から離れたここは、行き交う住人も殆ど無いので他の公園より人気はない。だから、僕はここを選んだ。近場で最も被害を最小限に抑えられる場所は、ここなのだと。この近辺は土地勘が無く不慣れなのか、桐谷はまだ理解していないようだった。よしよし、そのまま何も知らない演者を続けてくれ。そうでなきゃ、困るんだ。


「はい、ここはこの時間になると大人も子供も少なくなります。」


 僕は桐谷に背を向けたまま、ドサっと少しぶっきらぼうにリュックを降ろす。彼には振り返る事はせずに、徐ろに準備を進める。ある程度の用意を終えた後、もう一度リュックを背負い直してから漸く桐谷へと向く。


「あと、この位置ならあなたを見る時に・・・、西日を受ける事は無いですからね。」


「え?」


 意外な回答に驚く桐谷。そう、まずはそれを待っていた。その隙を待っていたんだ。硬直したそのリアクションを餌に、僕は全速力で彼の懐へと詰める。同時に桐谷の喉元へと向けた精一杯の殺意。皮膚の皮一枚にギラリと向けた凶器。先程ホームセンターで仕入れた“稲刈り用の鎌”を首回りにぐるりと回す。もう数センチでも右手を引けば、彼の首を切り裂く事も容易だ。桐谷は余りに予想外な僕の行動に対し、身動きを失い手に持っていた手提げ袋を落としてしまう。


「ヒッ!・・・し、垂くん・・・、こ、コレは一体⁉︎。」


 懐まで飛び込んだ為か、ゴクリと喉を通る桐谷の緊張が飲み込む音さえも聞こえる。彼の肩は竦み、震えた顔には三度(みたび)の冷や汗が募り出す。さぁ、どうだ・・・。気付くか、察するか。僕の推測が正しければ、そうする筈だ。さぁ・・・、《《お前はどうする》》?


ーピリリッ。


 少し痺れるような電流が放出された感覚が走る。痛みとはまた違う、ピリつく刺激。畳み掛けるようにそれは悪寒へと変え、涼しさを通り越した寒気を感じさせた。それは桐谷を中心に放出されているようで、これ以上は近付くな、と警告しているようだ。まだ足りないか、もう少し・・・。もう少しだけ。ほんの少しだけ刃の切先を喉元に近付ける。


ーブジュルジュル・・・。


 私生活では、まず耳にしない不気味な音だ。何か粘度の強いモノの中で、巨大な何かが蠢いているような音が聞こえる。臓物のような肉同士が捻り合い、吐き気を催す余韻が耳をゾワつかせる。


ブジュルジュルゥ・・・、ゴキ・・・、ゴキ・・・・・・。


 先程の音に混ぜ込ませるように骨が軋む音も唸り出す。本来回らない筈の関節を無理矢理動かすような音も不気味に響いてきた。その音が具現して表現されるように、少しずつ音の根源である正体を出し始める。桐谷の西陽で長く伸びた影から一本、また一本と腕が現れ始めた。腕と云っても人間のそれではない。獣のような禍々しい腕である。それが留まる事無く次から次へと何本も現れ始めた。


「来たぜ!新人ッ‼︎」


 リュックからメルが勢いよく飛び出す。どうやら、僕の推測は正しかったようだ。人間だってそうだ。自分が丹精込めて育てた実を美味しく食べる為に、しっかりと管理をする筈だ。桐谷という果実を、食べ頃を見る為に。腐らせないようにする為に。そして、横取りをされない為に。じゃあ、どこで管理するか。そんな大事な餌を易々と手放したりなんかしない。誰よりも近い位置で、何があってもすぐに対処出来るように獲物の・・・。桐谷の影に眠るように潜んでいる筈だ。悪魔だから安直に影の中かな、とヤマを張っていたがあながち間違いでは無いようだった。案外、悪魔も人間みたいな思考をしているのかも知れないな。


「やっぱり来たか!」


 すぐに桐谷の腕を掴み、共にその異形なモノから距離を取る。僕らが離れると桐谷の影がブッツリと分断され、不自然で大きな影が残りそこからは腕が伸び続ける。無数に重なる腕の塊、その中から覗き込むようにギョロリと真紅な瞳がこちらへ睨みつける。


「なんだ?小僧が。寝起き一番に俺の獲物を横取りするとはいい度胸だな?」


 それは鳥のような限りなく黒に近い大きな翼を広げ、禍々しい威嚇を放っている。背中には無数の腕を生やし一本一本が別の生き物のように蠢めき、未だ骨を軋ませ威嚇音を鳴らす。その全ての腕が、こちらを掴みかかろうとする様である。太く頑強そうなその一本の足は、とてもホームセンターで買えるような鎌では傷すら与えられないだろう。足の先に生やした鉤爪は、コンクリートを刳り取り、この悪魔の全体重を支えていた。真紅に光る悪魔の眼がギョロギョロとこちらを視界に捉え、ゆっくりとピントを合わせる。鋭く尖った嘴からはドロドロと大量のヨダレが地面に滴りながら、こちらへ咆哮を与えていた。やはり寝起きだったようだ。まだ動きも覚醒しきってはいないのだろう。悪魔でも人間味があって助かった。


「良い目覚めだろ?便箋小町だ!依頼人からのお届け物を配達に来た‼︎印鑑かサイン、よろしく‼︎」


 とはいえ参ったな、就職して初めての現場が悪魔と対峙するとは思わなかった。


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