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便箋小町  作者: 藤光一
第一章 人形師編

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27/59

27コーヒーブレイクでおまかせを

 事務所に残ったのは、メルとコマチだけだった。騒がしくも現れた一向は、情報を得る為にタバコ屋へと向かっていた。相変わらず締め切った事務所には生暖かい空気が立ち籠り、ぬるま湯に常に浸かっているようだった。古びた扇風機は必死に回り続けるが、僅かな微風はすっかり淀みのある空気に呑み込まれてしまっている。この劣悪とも呼びたくもなる環境の中、メルは平然と事務所に設置されたソファで寛いでいた。忙しなく覆われた体毛により見ているだけで暑苦しさすら感じさせてしまうが、実際はそうでは無いらしい。逆にこの体毛があるお陰で新陳代謝を整え、体温バランスが保たれているという。日照りが強い日も大雨や大雪だとしても、この体毛は一種のバリアの役割を果たし守られている。そんなメルは、ソファの目の前にあるテレビを眺めていた。スクリーンからは例の「さすらい刑事シリーズ」が流れており、コーヒーを啜りながら満喫している。ソファに腰掛けている中、そっとコマチが寄ってきた事で漸くメルはその背後に気付く。


「で、行ったのか?」


「あぁ、そうだな。」


 メルは彼女へ目線を移す事なく、テレビに語りかけるように口を開く。澄ました表情でメルを見つめていたコマチは、腕を組みながらそう呟いた。ソファに寛ぐ妖怪は非番とあってか、まるで先程まで何事も無かったかのように休日への満喫を堪能している。俺には関係無い、今日は非番だからだ。とでも言うようにすっかり壁を作ってしまっている。普段ならばコマチもその考えに賛同しており、お互い非番の時は会話をする事は無い。それぞれの時間、それぞれの空間に籠り、互いの環境に干渉する事が無い程だ。いつもならば真っ先に奥の自分の部屋へと戻るコマチ、ソファの前で立ち止まり何かを考え込むようだった。そういった状況もあり、針を通した後の穴のように残る彼女の小さな違和感に身震いをする。だから、メルは敢えて彼女に声を掛けたのだ。


「どう思うんだ?」


「さてな、どっちの事なんだか。」


 腕を組みながらも彼女はそう答えた。そっと扇風機から流れる淡い風が、肩に添えていたスーツジャケットを僅かに靡かせる。流れるそよ風に沿って彼女は、緩やかに目線を逸らす。


「決まっているだろ、どっちもだぜ。」


「あれは相当な人形師だろうな。それも、ただの人形師では無いだろう。」


 ふんっと鼻息を鳴らし、コマチは返した。けれど、彼女の心情はどこか思い詰めたような視線を塗っており、何かが揺らいでいた。その揺らぎの正体は少女の姿をした人形、メリィとその製作者の事だった。ギフト達には見える独特なマナの動き。それは、生きたモノであれば血流のように流れている。川のせせらぎのように緩やかに、時に飛沫を激しく白く波立たせた嵐のように。感情に沿って呼応した各々のマナは、具現化した魂の延長線。彼女は自動人形(オートマタ)でありながら、生きとし生けるもののそれを持っている。通常、どんなに精巧に造られた人形でも魔力回路を通じて流れるマナは常に一定である。これは、一定に保つ事で長く安定した正常を行い続ける為だからだ。だが、メリィの体躯はその常識を凌駕する。彼女の体躯に血流のように流れるマナも、ふわりと滲む体外から放出されたマナも感情と彼女のリンクしている。これは限りなく人や“ギフト”に近い環境化の為、一目見たコマチは驚きを隠せなかった。


「って事は、ただの人形でも無いって事だな。」


 その違和感は傍らでテレビを観ているメルもそう。しかし、メルはその違和感の根源となる部分までは拾えていなかった。いや、正確には拾わなかったが正しい。この妖怪は興味の示すものにしか反応はしないし、介入も追及も深くまでは求めないのだ。ただの人形では無い。つまりこれは動く人形であれば、並大抵の人形師であれば造作も無い。だが、そこに感情を心を加えると言うのは現代でも尚、非常に困難な課題なのである。仮にこれが公になろうものなら、それもまた問題に発展しかね無い程の非常にシビアな境界線。現代で言うならば、心を持ったAiと捉えて遜色が無い。これが如何程まで発展するのかは容易に想像出来る。しかしメリィを製作した人形師は、その工程をやってのけた。常識を覆し、メリィという存在を作り出した。どのような細工なのか、コマチはその独特に流れるマナから察知し気付いていた。一目見る程度ではあくまで憶測にはなってしまうところだが、“恐らく”と蓋を添えて彼女はその真意に迫る。


「あぁ、あれは一般的な自動人形(オートマタ)とは訳が違う。その証拠となるのが、あの瞳だ。」


「宝石・・・。宝石魔法か。」


 瞳、と聞いてメルも点と点となっていた疑問に一筋の線が入る。少女の瞳は、青々と輝くブルーサファイアで造られている。ガラスなんかよりも繊細で硬いその瞳は、美しく輝く。そして、メリィの流れるマナの正体はサファイアから蓄積された宝石魔法。宝石という鉱物は、地中に長い年月をかけて形成された自然の結晶体。近年パワーストーンと呼ばれるだけあり、謂わば魔力を込めやすい貯蔵庫のような役割を果たす。その為、宝石は古くより不老長寿の為の錬金術や錬丹術に用いられてきた。メリィの動力源はまさにそれである。

 宝石魔法は、持ち主が自らの魔力を注ぎ続ける事でその真価を発揮する。一本の釘を、少しずつ叩くように。単調に、繊細に、ゆっくりと、弱過ぎず、強過ぎず。常に一定のマナを注ぎ続ける事を、途方も無く繰り返す。一滴の水が石を穿つ程の長い年月をかけた宝石は、小さな器では想像しえない莫大なマナを蓄積させる。この動力源である宝石魔法こそ、少女をまるで少女のように動かしている。勿論これは見た目だけでは無い。血潮のように流れるマナも生物そのもののように揺らいでいるのだ。コマチのその思い詰めた眼差しもまた、揺れる花風のように震えていた。


「恐らくだがな、あの宝石自体もかなりの希少なところではあるがな。それ以上に、相当の魔力が込められている。私の見立てでは、人の半生分は休まずに込められているな。」


 彼女が目を疑うのも無理は無い。彼女の言うように宝石魔法自体が極めて稀少だからだ。古くから伝わる術式なだけあって、伝承をそのまま受け継ぐものも少ない。大抵は、新たな手法の発見や効率化を求められ改良される。実際は、非効率的な手法である宝石魔法は廃れる。そんな中、この宝石魔法。問題となるのは、その蓄積量。通常は、せいぜい長くても一年から二年程が平均。しかし彼女の瞳に込められたマナは、実に人の寿命の半分に相当する時間をかけられた程の量だ。膨大な量を溜め込んだ宝石からは、僅かな一滴すら零す事無く少女の体躯を巡り回っている。

 正直なところ、ただただ溜め込むだけならば並の魔術師であれば根気さえあれば、どうとでもなる。溢れ出るその力を余す事無く制御し、寸分の隙間を埋めるように構築させた回路。これはただの魔術師では一夕(いっせき)で造り出せるものではなく、人形師としての技巧あってのものだ。それ故にコマチは、精巧に作られた一級品であると謳った。


「なぜ、半生分だとわかるんだ?」


「魔力総体量の半分しか感知できなかったからだ。まるで、一つの絵画を真っ二つに分割したように。だが、残されたメリィという少女の瞳の術式は完璧に限りなく近い。」


 コマチは絡まった糸を丁寧に解くようにメルへ説明した。彼女が言うようにメリィの術式は、完成された絵画を二つに分けたような状態だった。張り巡らせた回路が所々ぶつりと切れていた。それでも尚、一個体としてしっかりと機能している。それが完璧に近いと言われた所以。人のように呼吸をし、感情に左右されたマナを纏う。一連の事柄に気付いたコマチは一歩退き、対策を練る為に間を置いていたのだ。直ぐには現場に居合わせず、状況を整理し情報を収集する為に。コマチは、自分のデスクに積み重ねられていた一冊の古本に手を伸ばす。ふわりと舞う埃とページの端が草臥れた一冊の本、開いたページの見出しは“魔術回路について”だった。全て英語で印字され、セピア色に滲んだ本に彼女は目を通す。やはりそれでもメルは、テレビから視線を変える事は無くコーヒーを啜った後に呟く。


「完璧では無いんだな。」


「当たり前だ、完璧であってたまるか。魔術師という研究者への冒涜にも値するからな。魔術師でも無い私でも綺麗だと思う程、完璧に近い術式だったよ。」


 彼女は声を荒げながら、そう告げた。“完璧”とは人が作り出した造語に近い。そうなって欲しいという理想であって、決して存在してはいけないものでもある。特にそれは研究者や学者、魔術師も例外なくあってならないものだと彼女は代弁する。完璧が出来上がってしまえば、その研究はそこで終わってしまう。ゴールを見据えても、踏み止まれば最後。研究を生業とする彼らに、完璧を求めてしまうのは冒涜以外の何物でも無い。彼らはその先を一歩踏み込まなければならないからだ、より良く更に上を。ゴールは、一つの中間点に過ぎない。可能性がある限り彼らは研究に没頭し、未知を当たり前にする為に知恵を絞るのが研究者の生きがいなのだから。そんな人形師の叡智の結晶でもあるメリィの術式は、完璧に近い程美しいとコマチを唸らせた。同時に彼女は、その人物にも興味を示していた。メリィの製作者である人形師を。すると漸く振り向いたメルは、リモコンを操作し徐にテレビを消す。


「マチコ、どうする気だ?」


 短くも単調なそのセリフは、すっかり静寂と化した事務所を僅かに響かせた。メルの言葉は咲いた花に氷を押し付けるように、不思議と肌触りが凍り付く。しばしの会話で漸く目が合った彼らは、それでもまだ消極的だった。


「ねじ伏せるさ。」


 コマチは埃を払うように手を振り、シュラグをかざす。その言葉は時に力任せのようにも聞こえてしまうが、彼女は彼女なりに考えて行動をしている。迫り来る脅威に備える為に。しかし、その言葉に同意を示さなかったメルは反発を露わにする。


「新人をまた使うのか?」


「良い駒になってくれるだけで充分なのだよ。」


 メルは何かのリスクに恐れているようだった。そのリスクはメルだけでなくコマチ自身にも降りかかる事であり、今後の活動に関わる事象だ。言霊の妖怪が感じているのは、自分自身ではなくコマチを気遣っての事なのかも知れない。


「奴も気付き始めている。まだ末端の末端だろうが。」


 だからこそ、メルは敢えて言葉に出した。末端・・・。その真意は、深くまで話さなかった。伝えるのなら、これで充分だというように。


「あれだけ暴れれば、嫌でも気付くだろうさ。」


 当然のように彼女もそう返す。先のトリビュートとの戦いや河童たちの騒動を示唆しているのか、見えようとする影を示していた。メルは手に持っていたコーヒーカップを置き、重く口を開く。


「俺はオススメしないぜ?」


 冷え切っていたアイスコーヒーの氷が溶け始め、カラリと弾ませながらカップの淵を転がっていた。メルの反論は、今後の事を見据えての事だった。このままではいけない、これ以上の介入は危険だと。それ以上踏み込めば、(きびす)を返す事が出来なくなるのでは無いか。メルは、そう警戒していた。


「行かせたのは貴様ではないか、メル。」


 一本に束ねた栗色の髪を撫で下ろし、メルへと凄む。それでもメルは彼女の圧力に狼狽える事も無く、眉一つ歪まない平然とした顔をしていた。ふわりと伸びた白い尻尾を揺らし、メルは言葉を綴った。


「俺は、“タバコ屋に行ってこい”しか言ってねぇよ。それにだ、もう一つ気になる事が出来た。」


「ほぉ・・・。」


 そう聞いたコマチは、腕を組む。僅かばかりだが、彼女の指には力が入っていた。その力は憤りとはまた違う。喜びでも無い。どちらかと言えば、不安との葛藤の最中に生まれる影。表裏一体を体現するように、その影は振り払おうにも離れようともせずにピッタリとしがみ付く。


「しらばっくれるなよ、マチコ。お前ぇが言ったんだろ?半分しかねえって。」


「・・・そうだな。」


「って事は、あんなのが他にもいるって事だろうな。」


「ふん、流石に低級妖怪の貴様でも気付いたか。」


 メルは彼女の言葉の元により気付いていた。浅く溜め息を溢したコマチへ少女の真意を突く。それはあくまで彼女の憶測を元にした内容ではある。けれど強ち間違いでは無い。宝石魔法を用いた原理なのであれば、メリィのような人形は可能である。加えて、その一つの宝石を二つに分けたのであれば自ずと対となる存在も証明できてしまう。それが何を意味するのかまでは彼らは辿れていないが、おおよその事情は拾えている。だからこそメルは、製作者である人形師の生死を気にしていたのだ。今回の問題は、人形師が生きているかどうかで大きく結果は異なるからだ。


「馬鹿言え、マチコ。これでも長い付き合いだ。お前ぇの考えてる事なんて手に取るように掴める。」


 二人はもう長い付き合い。一朝一夕でも十年単位の仲ではない。それぞれお互いの事を知り尽くしており、認め合っている。それ故に、コマチは少し不機嫌に鼻を鳴らす。


「だったら先程までの話は愚問であろう?“長い付き合い”、なのであればな。」


「・・・違ぇねぇな。」


 メルも彼女を理解しているのであれば逆も然り。コマチもまた同様である。それよりも彼女は、メルの態度に対して疑問に思う事がずっとあった。


「貴様もいい加減、彼を認めてやってはどうなんだ?」


「新人の事か?」


 彼女は垂の事を気にしていた。正確には彼に対するメルの態度だ。チップやコマチのように彼は“ギフト”とは異なり、普通の人間として過ごしている。ただ、何か特別な能力を出せる訳では無いが頭の回転が少し早いだけの力も人並みな普通の人間だ。メルはそんな彼の事を未だに名前では呼称せず、“新人”とだけで呼んでいる。それは、彼の事を一人前の仲間として認めていないのと同義。そう、コマチは思っていた。


「仕事としちゃあ、まだまだ半人前だ。」


「それを聞いて安心したよ。」


 彼女の口から出た言葉が意外だったのが、メルは少し驚く。自分は半分しか認めていないと言った筈なのに、逆にコマチは安堵を示している。それがメルにとっては不思議でならなかった。


「・・・ん?」


「半分は認めてやってる、という事なんだろう?」


「そう、捉える事も出来るか。まだ認めてねぇけどな。」


 一杯食わされた、そんな表情だった。自分は言霊という言葉を操る妖怪でありながら、狐にまんまと化かされた気分だった。それでもメルは、閉ざされた蓋を開けようとはしなかった。普通の人間である垂を認めていない。紙屑を捨てるように吐いた言葉だったが、それを聞いたコマチは口角を僅かに上げクスリと笑う。


「貴様が人間に興味を示してるだけ、まだマシさ。」


 メルは人を信用しない。それは妖怪であるからこそ。何もメルに限った訳では無い。またそれは垂に限った話でも無い。人は妖怪よりも寿命が短い、信用をすれば情が移る。騙されても、騙されなくとも、いつかは人の方が先に死ぬ。なるべくなら情は出さず、関わりたい。それがメルの本心なのかもしれない。だから、メルは距離を置いて便箋小町の社員としても一人前と認めない。 


「あいつは・・・、優し過ぎるんだよ。」


「それが彼の良い所だろう。」


 コマチは、短くそう返した。彼女は思っていた。確かにメルの言う通り、垂は優し過ぎると。それは妖怪という視点だけでなく、人として客観的に見ても彼は優し過ぎるのだと。一見、とっつきにくい人柄だが根は放って置けない性分。コツメの時も、今回のメリィの時も。チップだって嫌々言いながらも、しっかりと面倒を見ている。彼の性分が放っておくというのが許せないのだろう。だからこそ、メルは疑心していた。


「まぁ、な。けど、その優しさがいつか躊躇を抱く。気が付いた時には、取り返しが付かねぇぞ。」


 そんな考えを持つ人間の末路は、メルもよく知っていた。決まって自ら貧乏くじを引こうとするのだと。そして、本人らはそれを貧乏くじだと思わない事。それが実に厄介で面倒臭い考えの人間なのだと、わかっていたからこそメルは疑心していた。踏み込んだ先が底無し沼だと気付いた時には、もう踵は返せない。そうなってしまっては手遅れだ。これが見ず知らずの人間ならば、メルも気にはしない。少なくとも便箋小町の一人であるからこそ。そういう意味では、彼を半分認めているという考えに繋がる。


「これは女の勘だがな。例えそうなっても、彼なら取り返すさ。」


 コマチはそんなメルの疑心を跳ね返すようにシュラグで振るう。そこに根拠は多分無いのだろう。彼ならば、とぼんやりと浮かぶ女の勘という言葉に近い。


「マチコ、お前こそ何故。何故、そこまであいつに肩入れするんだ?」


「責任、とでも言っておこうか。」


 メルは問い詰めた。女の勘が働くほど、何故あの人間に肩入れをするのかと。それを彼女は、“責任”というたった一言の言葉で締め括った。この言葉以上のものは何も無い。そう言い切るように綴った。


「あの昼行灯(ひるあんどん)にか?」


 そう聞き返したメルだが、内心は彼女の言葉に納得はしていた。こいつなら、そう返すのだろうと。心の奥底では理解していたのかも知れない。


「今はな・・・。それに、昼行灯なら貴様も劣らまい。」


 彼女は、囁くようにそう返した。“今は”という意味深長な言葉を添えていたが、指揮棒を振るうように直ぐに話題を切り替える。


「良く言うぜ。お前こそ、いい加減よぉ。その、本の山を整理したらどうだ?」


 メルは束ねた毛を人差し指のように型取り、山積みとなったデスクの本を差した。相変わらずその本の山は整ってはおらず、無造作に密集させた雑木林のように鬱蒼とさせていた。コマチもチラリとその本の山へ視線を移す。ふぅっと蝋燭を掻き消す程の淡い溜め息が添えていた。けれどその時の彼女の顔は、少し違って見えた。酸味の強い果実を齧ったような引き攣った表情。今までずっと蓋をしていたかのように、久々に陽の光を浴びたその表情はそっと哀愁を漂わせていた。その心の表れは似ても似つかない一人の女性のようで、鏡に映った本心なのか。異音を交えた扇風機がノスタルジックにこの空間を制圧させる。ポツリと溢れ落ちた水滴のように声道が開く。


「あぁ、頃合いだな。この依頼が終わったのなら、そうするとしよう。」


 コマチは、肩に背負った見えない重荷を抱えるように葛藤していた。その灯火は淡く揺らぎ、一定では無い。風にただただ靡かれ揺すられている。彼女の表情は、いつものように研ぎ澄まされた眼差しが無かった。鋭利に磨がれていたナイフの代わりにあったのは、雨に浸ったガラス玉の様。少なくとも垂やチップには、一度も見せた事の無い表情だった。


「・・・そんなに、何か引っかかるのか?」


 それに気付いたメルは、彼女へと声を改めて声をかけた。彼女の目線はどこか上の空であり、まるで別人のような佇まいだった。メルへと視線を向けることはなく、ただ天井に向かって薄紅色の唇を震わせる。


「非情とは、時に残酷なものだな、とね。」


「なんだ。てっきり覚悟は、決まっているんだと思ったがな。」


 メルはそんな彼女にも慣れていたような対応だった。どうやら、コマチのこの表情はメルだけにしか見せないようだ。彼女は、徐に一本に束ねていた髪紐へと手を伸ばしゆっくりと紐解く。


「この身体になっても、私にも人の血が流れているのだよ。」


 はらりと靡く柳のようにしなやかな栗色の髪は解放された。すると彼女の頭に一対の耳が姿を表す。それは人の耳では無く、彼女の髪の色に似た栗色の毛を生やした獣の耳。ふわりと伸びた耳は狐そのものの耳のように長く尖っており、時折小刻みに震わせていた。コマチの表情は俯くように虚空で、自分の姿を忌み嫌っているようにも見えた。半妖という存在が、人の血と混血された身体が、彼女の心に一つの線を引く。交わる事の無い見えない境界線が線を引き、余計にコマチの心情を揺るがせる。しかし、彼女もその答えは既にわかっていた。わかっていたからこそ、その決断に躊躇していた。その姿を見たメルは、動揺は見せなかった。しんと落ち着いた口で、コマチへと声をかける。


「お前がブレる事はねぇよ。迷うのは、若いモンだけで充分だ。」


「貴様は気楽で良いな。」


 僅かな淡い風が彼女の耳を揺らせる。人ならざぬ異形の耳は、彼女の心情を表すように少しだけ垂れ下がっていた。いつものように自信に溢れた姿はそこには無く、葛藤に圧迫された苦渋の決断を迫られているようだった。


「それが妖怪の良い所だ。・・・マチコ、お前の半分は俺が補う。俺はその為に、ここに居る。

だから、あいつらの前ではいつも通りのマチコで居ろ。」


「あぁ・・・。」


「それと、気が変わった。俺も行くぜ。」


 彼女を気遣ってか、メルはそう口にした。そうして、徐に自分の毛をポットへと伸ばし自分の懐へと持ってくる。ポットの開閉ボタンを押し、解放されたコーヒーの湯気が漂う。豆から抽出された黒く透き通ったコーヒーがカップへと注がれ、それを無言でコマチへと手渡した。


「・・・頼んだ覚えは無いが?」


 頼んでもいないコーヒーを少し見つめた後に、手渡されたコーヒーカップを手に取る。緩やかに揺れる半透明の湯気は、ほんのりと香ばしい匂いを漂わせていた。その香りは鼻で嗅ぐだけでも判断できる程、苦味を連想させる。けれど、その影には微かに甘さもある。コマチは歪んだ眉を滲ませながら、口元へと運ぶ。ズッ・・・と啜る音を奏でながら、舌へ喉へと通り抜ける。瞬間ピリつくような苦味が口全体を覆い隠し、思わず身を引きたくもなる程だった。


「苦いだろ?」


 無意識にコップを退けたコマチに対して、メルはそう告げた。その結果が、感想をわかっていたかのように。エスプレッソにも近い濃厚な風味と蜂蜜のようなとろみが口の中で踊る。決してコーヒーが苦手な訳では無い彼女でも苦いと感じる程で、口を曲げさせていた。


「・・・少し、な。」


 思わず出たその一言は、彼女の本心。ぐっと引き締めた苦味が身体を巡り回る中、驚く事に喉へと流した頃には透き通っていた。


「俺の流行りのブレンドだ。そいつは、口当たりがとびっきり苦いんだ。だがな、こいつは味が変化する。」


 メルは図ったかのように、そう話す。確かにメルの言う通り、最初の口当たりは酷く苦い。焼け焦げた魚の尾を噛み締めた程に。けれど、口開いたタイミングからその味はガラリと変わり始める。


「・・・?」


 彼女もその違和感という変化に気付き、手に持っていたコップを二度見していた。口の中に広がるのは、飴細工のように甘い。ミルク等の乳製品でも入っていそうな程のマイルドなとろみ。再び驚きを隠せなかったコマチは、メルへと視線を移す。


「ほらな、甘くなったろ?工夫次第で味は、一変する。これからの事だってそうだ。何故なら・・・。」


「豆はまだ、挽いたばかりだからな、・・・か。」


 そう耳にしたコマチは、どこか納得したように頷く。いつの間にか彼女の表情の震えは収まり、凛と咲く赤いポインセチアのように落ち着いていた。その花言葉を体現するかのように、苦渋された思いは晴れたのか今は心を燃やしている。仄かに笑った彼女は、メルすらも気付かせなかった程の静かさで微笑んだ。微笑んだ彼女は、霧と泥で汚れた窓ガラスを落としきった。それでもまだ、ガラスの先はまだ鮮明では無い。


「・・・重畳だ。」


 そう、彼女はコーヒーカップに呟いた。

それはコーヒーの水面上に映る彼女に言ったのか、この不思議とも言えるコーヒーにそう告げたのか。

一つだけ言える事は、彼女の決心が固まっていた事。

蕾のように固く閉された節目に、今まさに花を開こうと亀裂が入るように。

コマチは、もう一度髪紐を結ぶ。先程まで見えていた獣の耳はふわりと消え失せた。


 そうして、いつもよりきつく結びあげる。それが、私の決意である、と言い表すかのように。

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