21異界交流にはおまかせを
「なんてこったい!」
僕は思わず頭に手を当てながら叫んでしまった。ガチャガチャと辺りを弄るけれど、進展の見通しは真っ暗だ。ドアは開かねぇ、窓も開かねぇ!おまけにシートベルトも取れないし、社長は偽物だったし。ジタバタと手足を暴れさせても、異様に食い込んだシートベルトは離れなかった。一種の拘束具のように締め付けられており、身体から離れようとしない。薄暗くも表情を見せない偽社長は、アクセルを更に踏み込んで来た道を戻るように進み始める。
「おい!一体、僕をどこに連れて行く気だ?」
などと声を掛けたが、糸の途切れた電話線のように偽者はシンと口を閉じたままだった。こちらへ目線を返す素振りすら見せようともしない。どれだけボリュームを荒げても反応は無い。自分の声が届いていないのか電車で見たマネキンと化した乗客達のように静寂を決め込んでいる。まるで無機物に声を掛けているような気分だ。僕の気持ちを裏返すように社長を模した偽物は、無言を剣に無表情を盾にして車を走らせ続ける。こいつが目指す場所は決まっている。僕を異界の奥へと連れて行く気なのだろう。その証拠に周囲からは異様な音が段々と大きくなっている事から、こいつの行動は明白だった。
心臓を揺らすような太鼓の音。鼓動とリンクするように、脈打つように強く、・・・悍ましい。三半規管を狂わせるような鈴の音。思考回路をジャミングするように太鼓の音と無理矢理に馴染ませる。つい頭を抱えたくなる。耳を塞ぎたくなる。このままこの音たちが大きくなれば。このままこの音たちを聞き続けていたら、精神が可笑しくなりそうだ。恐怖が瞳を震わせる。やがて、その恐怖は心を舐めるように狂気とさせる。まともな判断が出来なくなり、体躯が動かなくなりそうだ。身動きが取れなくなり、指先は震え始める。そうか、これが神隠しの工程なのか。こんなものを浴びせられたら、まともじゃいられない。元の世界に戻っても、廃人となってしまっては元も子も無い。そう思っている内に段々と苛立ちが膨らみ出す。シートベルトで塞がれているが上半身は動く。まだ腕を動かす事は出来る。ならば、と僕は腕を伸ばした。
「くそッ!せめて、話くらいッ!」
雁字搦めながらも、僕は偽社長へと殺気を飛ばす。彼女の肩目掛けて、右腕を伸ばし掴み掛かろうとした。せめてここから脱出が出来ないのなら、運転するこの者を妨害すれば良いと思ったからだ。妨害させ、あわよくば車を停めさせれば脱出する機会を伺える。そう思っていた。けれどそんな抵抗は虚しく、事が潰える。彼女の肩に触れる事は出来ず、掴もうとした僕の右腕は空を切った。まるで煙を引っ掻いたような、ゆらりと舞う空気を払うように擦り抜ける。実体は確かにそこにある筈なのに、一切の手応えを感じる事無く掴み掛かる事が出来ない。それは何度掴もうとしても結果は変わらなかった。僕の右腕は彼女の身体を擦り抜け、幻を見ているようだ。
「くそッ!くっ・・・、なんで、くそッ!」
車内には無惨に反響する僕の叫び声。虚空へと雲散するように木霊し、消えていく。空振る度に目の前の運転手を止める事が出来ないのだと、徐々に実感し虚しさを募らせる。万事休すとは正にこの事だろうか。無駄だと言う事はとっくに理解していた。窓もドアも開ける事が出来ない。この社長を模した運転手を止める事も出来ない。ハンドルやギアを握り締める事は出来たが、頑として動かす事も出来ない。岩のように硬く固定されており、自分の力では動かせなかった。無情にも運転手は、車を走らせ異界の奥へ奥へと進み出す。それでも僕は諦め切れなかった。必死に抵抗を繰り返した。それは虫の抵抗にも近い程、貧弱である事は理解している。けれど目の前の現実と云う奴は赤子の手を捻るように容易に跳ね飛ばされてしまう。僕にも何か能力があれば、と何とも現実的では無い願望さえ過ってしまう。鈴や太鼓の音が大きくなる。ボリュームの摘みを徐々に時計回りへ捻るように増大していく。いよいよ、ゲームオーバーか。そう思った矢先だった。
「あ、あれは・・・。」
前方に見えたのは、白い人影がポツリと映り込む。まだ数百メートルは離れている距離ではあるが、僕は何故か気付く。理屈や理由は無い。目の前に現れたのは、駅の近くであった白い人影。白い蓮の花に似た女性のようなシルエット。僕に道を導いてくれた人影だ。視界に入った瞬間、気を取られてしまい抵抗していた僕の身体は静止していた。
何故、こんなところに・・・。いや、でもこのままじゃぶつかってしまう。危ない、早く避けるんだ!そう、僕は叫ぼうとしたが声が出ない。声道を奪われたように声が潰れ、発声が出来ない。また隣のこいつの仕業か。一体どこまで僕を苦しめれば気が済むんだ。徐々に車は白い人影へと近付く。もう何秒としない内にぶつかってしまう。何も抵抗する事が出来ず、目の前を背けるように目を閉じてしまった瞬間だった。
ーパァンッ
閃光が破裂し、強い光が辺りを照らし始める。暗闇に包み込まれたこの森が朝陽よりも明るい光が眩く発光する。一面が白く染まり、あまりの眩しさに目を塞ぎ咄嗟に右手で顔を隠した。
「うギィやぁぁあぁああああああああ・・・。」
照らされた光に苦しみ出したのは、僕の隣にいる運転手。社長を模した異界の住人だった。言葉にならない悲鳴を、高音とも低音とも言い難い入り乱れたトーンで叫び出していた。長く続く発光に、苦しみ出す異界の住人は頭や耳を押さえながら悶えていた。その苦しみ方は尋常ではなく、身体をゴムのように捻じ曲げながらも悶絶している。白く輝く発光が功を奏したのか、不自然なほど車の動きもピタリと停まり出す。ぐにゃりと曲がった異界の住人は、顔や身体の表面がドロドロに溶け始めていた。まるで極めて純正に近い硫酸を身体中浴びたように、皮膚や繋ぎ止めてた骨も引き千切れ始める。異様な煙を放ち、その身体からはつい鼻を曲げたくなる腐敗臭が立ち込めていた。
発光が弱まり、徐々に視界が再び闇へと戻る頃には異界の住人の姿は無かった。運転席に残ったのは、ドロドロに溶け切った肉の塊。排水溝に溜まった生ゴミのようだった。錆びた鉄と生魚をぐちゃぐちゃに混ぜたような臭いを放ち、人の姿だったとは思えぬ程見る影も無い。僕は、その光景に呆気を取られていた。一体何が起こったと云うのだろうかと。白い蓮の花の女性が助けてくれたのか。彼女は何者なんだ、この異界の住人ではない?わからない事だらけで、情報が整理出来ないでいた。
「あ・・・、あれ?」
ふと右手に掴んでいたシートベルトの違和感に僕は気付く。いや、それだけではない。蓋を閉められたように塞がれた声道も戻っている。声が戻り、はっきりと自分の発した音を確認する事が出来た。異様に締め付け縛るように拘束していたこのシートベルトは、体を食い込むような感覚が消えていた。シートベルトが緩み、取り付け金具もスイッチ一つでいとも簡単に取り外せた。カチンと弾む音を奏で、漸くシートベルトから解放される。ほぼ監禁状態から暫くぶりに身体の自由が効く。これもさっきの光のお陰なのだろうか。彼女が手助けしてくれたお陰で解放された、と云うべきか。何かしらの魔素が働き、ドアやシートベルトが硬く閉ざされていたのだろう。これらの現象が一括りで“ギフト”の仕業というのなら、とても一般人では手の打ちようが無い。今回は、あの蓮の女性が居なければ助かる事は出来なかった。とは云っても、未だ僕は異界に取り残されたままだ。
「急いでここから離れないと!」
そう呟いたは良いものの、やはり行き先が分からない。来た道を戻れば良いものか。どうやらこの車も動く素振りは無さそうだ。人を乗せたブリキの玩具みたいで反応が無い。試しにアクセルやブレーキを踏んでみたけれど、エンジンが回っているような手応えは無かった。その代わり、同じく硬く閉ざされていたドアは軽々と開ける事が出来た。先程までの感触とは嘘のようにドアのフックは拍子抜けする程、簡単に開ける事が出来た。いずれにしても動かない車に居ても仕方が無いし、ここにずっと居るのも危険だ。僕は律儀にも車のドアも閉め、周りを見渡した。辺りはやはり真っ暗な黒い森の中。視界は数メートル程度しか見えない。陽の光すら覆い隠すような大きな木々で密集された深い森。唯一はっきりと見えるのは、目の前にずっと映り込む蓮の花に似た女性のシルエット。シルエットしか見えないのは、ただ夜だからとか周りが暗いからと云う理由だけでは無いのだろう。きっとどれだけ近付いても、彼女はそう云うものでしか認識出来ない。このシルエットという白い人影が、彼女自身の存在なのかも知れない。
「さっきは・・・、どうも。」
つい僕は彼女に声をかけてしまった。不味かっただろうか。けれどきっと彼女は、この異界の住人とはまたどこか違う気がしてならない。彼女もまた“ギフト”であっても、ナイフで肌を舐めるような独特の悪寒を感じなかったからだ。今回の異界の住人も、前に出逢った河童も、トリビュートだったチップでさえ、その悪寒があった。彼女にはそれが無い。どちらかといえばコツメに近い感じだ。そう、人で云うところの殺意を飛ばしているかどうかに近いかも知れない。だから、僕は微かに残った安堵から声を掛けてしまったのだろう。僕の言葉を耳にした彼女は、少し驚いた様子でこちらを見つめていたように見えた。ゆっくりと振り子のように首を横に振っていた。
「あなたは、まだ、ここに来ては、いけない。」
彼女は、今にも擦り切れそうな途切れたテープを彷彿させる程の細い声で言葉を返した。その声はずっと言葉を発していなかった声道を震わせるように、小さくか弱い声。“まだ”という言葉がどうにも引っかかる。ここは、この異界はまた訪れるべきとこなのだろうか。いずれ来なければならない死後の世界だとでも云うのか。死後の世界は、こんなところなのか。確かめようの無い死後の世界。諸説に溢れた世界。それはどれも曖昧で現実味から、かけ離れた世界。どれだけ考えても答えは、訪れた者にしか分からない真実。これだからオカルトは嫌いなんだ。けれど、一つの仮定も立てられる。彼女もまた被害者なのだろうと。僕と同じく、意図せず訪れてしまったこの世界の住人では無い異端者。
そして、神隠しに遭ってしまい脱出する事が出来なくなってしまった者の果て。そうでなければ彼女の行動は、合点が行かない。僕を助ける行為を異界の住人がするとは思えない。彼女は何者なのだろうか、異界の住人と相反するような力を持っているのか。今の僕には理解する術を持ち合わせてはいない。ただ、結論だけは変わらない。ここから脱する事だ。白い蓮の女性はその一言だけを発し、また静かに右手で指を差す。来た道の方角では無く、左側の方角へと人差し指で彼女なりのコンパスで導く。
「そこに向かえば良いのかい?」
声はかけたが返事は無かった。その代わりに、白く微かに発光するシルエットの顔は縦に頷いていた。心無しか先程よりも彼女の光は、弱くなっている気がする。きっと彼女が助けてくれた時に使った力のせいだろう。姿を表すだけでも力を使うのかも知れない。まるで御伽話に出てくる妖精や精霊のようだ。いや、もしかしたら彼女はそれに近い存在なのかも知れない。滅多に使う力では無い。きっとそうに違いない。奴らを退く程の力を持ち合わせているのだから。そう考えると声を発するのは、些か窮屈であろう。ありがとう。あなたが居なければ、僕はどうなっていただろうか。いや、聴くまでも無い。
「ありがとう・・・。」
今は感謝を伝えるべきだ。救ってくれた彼女へ、誠意を込めた感謝を述べるべきだ。人は不思議なもので本当に感謝を述べたい時程、言葉よりも先に身体が動いてしまう。自然と言葉を発する前には、僕は頭を下げ会釈をしていた。それでも彼女は、首を横に振る。そんな事は必要無い。私に感謝する必要は無い。
「あなたは直ぐにここを立ち去るべきだ。」彼女は口にはしなかったが、そう云いたかったのだろう。淡く佇む蓮の女性は、花弁が舞い落ちる速度で長く伸びた髪を揺らす。白く透き通る羽衣のように靡くのは、きっと彼女が生前から持つ自慢の長い髪なのだろう。今はもう彼女の素顔こそ見えないシルエットだけだが、僕はそう見えた。ロールシャッハの心理になぞってそう見えるだけなのかも知れない。けれど、これだけは確信している。彼女は、僕を助けてくれた。少なくとも敵意の無い存在だと。やがて彼女のシルエットは更に薄くなっていく。パレットに水を浸した水性絵の具のように。音も無く滲み、彩度を緩やかに下げていく。ここから先は、もう大丈夫。そう云いたかったのだろうか。淡く半透明になった彼女の右手は、風を仰ぐようにこちらへと手を振っていた。
その風は撫でるように優しく、愛でた蕾を落とさない程に。




