20異界探索にはおまかせを
駅へと降りた僕は、文字通り誰も居ないホームで佇んでいた。右も左も真っ暗で、唯一の灯りが駅の看板を照らす小さな電灯だけだった。その光すらも弱々しく、一度でも希望にも近い光を失ったなら、暗然たる思いにもなる。淡く薄く伸ばしたような生ぬるい風は、依然として僕の身体をしつこく纏わり付く。生ぬるいと実感している筈なのに、何故か悪寒が忍び寄る。それが実に気味が悪い。
ガゴッ、プシュゥー・・・。
暫く開いていた電車の扉が閉まり出した。その音に少し驚き、僕は思わず電車の方を振り向いた。
「えっ・・・?」
電車を見た時、僕は思わず絶句してしまった。僕が乗っていた電車は、都内で見る電車とは違っていた。木製で作られた汽車と云った方が近い。そう、明治や大正時代に走っていた型式。歴史の本で見た事がある程度だが、そんな形をしていた。けれどそれだけではない。その電車に乗っている間、全く微動だにしていなかった乗客達の姿だ。車窓にびっしりと、両手や顔をなすりつけるように張り付いていた。先程までいた乗客数とは一致しておらず、何十人もの数の乗客が窓に張り付くようにこちらを見ている。その顔に正気は無い。一言で表せば虚無と云えばしっくりくる。そんな顔をした乗客達が一斉にこちらを凝視している。動物園のライオンもこんな気持ちなのだろうか。せめて、無表情では無く何かしらのリアクションをしてくれれば、パフォーマンスの一つでもしてあげるのに。と、そんな冗談を云える心境なのだ。まだ幾許は、僕の心には余裕があるようだ。きっと、彼らにとっては異常者なのだろう。そう思い、僕は電車へと振り向くのをやめた。
ゴォォォォン、ガタン、ゴトン・・・。
最早、電車と呼ぶべきか。旧式の電車と変わり果てたその乗り物は、走り出し再び闇夜へと向かう。行き先のわからない闇の中へと。社長曰く、これ以上先の駅に進んでしまうのは危険らしい。ますます現実世界から離れていき、脱出がしにくくなってしまうというのだ。これも一種の“ギフト”なのだろうか。悪魔や妖怪の類をそう呼ぶとは云っていたけれど。総じてオカルト的な要素のそれらも“ギフト”と呼称しているとも社長は云っていた。だとすれば、彼女が今回の事象への対処に詳しいのも納得がいく。元々オカルトマニアでもあるから、詳しいだけなのかも知れないけれど。
「さて、ここも長居は無用だよな。音が無い方に・・・、とは云われたけど。どっちに進むべきか・・・。」
三百六十度、見渡した視界は暗闇に包まれている。音が無い方にと云われたものの、その一言は簡単に聞こえ、実は案外そうでもない。これはゲームとは違うのだ。自分自身の生死が関わっている。下手に動く事は出来ない。せめて懐中電灯や松明でもあれば、灯りを照らしながら先を進む事が出来るのだが。生憎、代用で使えそうなスマホもバッテリー自体がそう長く持ちそうに無い。改めてぐるりと周りを見渡す。すると、丁度一周し終えた時に気付く。その視界の奥に人影が見えた。
「ひ・・・、人・・・なのか?」
光よりも強い暗がりの筈なのに、その人影はポツンと写り出す。青白く淡い光を放つ人影は、女性のようなシルエットをしていた。どこかその姿は純白の蓮の花を連想させる。水面にスンと茎を伸ばし生い茂るライトグリーンの葉を広げた中にひっそりと咲く純白の蓮。確か、花言葉は純粋とかそんな感じのニュアンスだったと思う。あとは、仏教要素で【助けてほしい】ともあった気がする。何故、そんな意味合いが込められているのか。それに何故、唐突にあの人影を見てそんな連想したのかは分からない。分からない事だらけだな。けれど、アレは普通とは違う。異様なモノとも違う様な気がする。つい先走って声をかけてみようと思ったが、寸前でその勢いは抑止させる事が出来た。そう、社長曰くこの異界でのコンタクトはしないようにと忠告されていた事に気付いたからだ。人影の女性は僕に気付いたのか、ゆっくりと右手を上げる。こちらへと歩み寄る事はなく、ただただ自然に右肩を水平に上げて指をさす。人影はシルエットのみで、表情は見えない。ただ、彼女は導くように方角を差し示していた。ひょっとしたら罠かも知れない。そうは思ったが、彼女からは自然と嫌な感じはしなかった。今まで遭遇した悪魔や妖怪のような嫌な感じはしない。けれど、すぐにそれは確信へと変わった。
ドン・・・、ドン・・・、ドン・・・、カラカラカラ・・・。
彼女が示した方角とは真逆の方角から、不気味な音が聞こえてきた。ゆっくりと段々と強く、いやこれは近づいてきているのかも知れない。祭りのような太鼓の音だ。けれど祭りと違い、そこに煌びやかさは無かった。どちらかと云うと追い掛けてきている方がよっぽどしっくり来る。時折感じるのだが、和楽器は不気味とも感じ取れる程の音を奏でる。それはメディアのホラー要素によく使われるから、頭の中でそうインプットされてしまっているせいだろうか。祭りや庭園で聞く時は、あんなにも煌びやかで美しい音色だというのに人の先入観は不思議だ。こうした不気味な場面で聞くと一転して、不穏な空気を演出させるのは一種の化学反応にも近い。太鼓の音は徐々に大きくなる。何かがこちらに近付いてきている。それが何かまでは勿論分からない。けれど、確実に僕の五感はノーと叫んでいる。ここは、彼女の示す方向に従った方が良いのかも知れない。偶然にも社長が助言してくれた方向と一致しているのだから。僕はホームから降りて、暗闇に沈む森の中へと入って行った。
「何だったんだ、今のは。音もそうだけど、彼女は一体?なんで、導いてくれたんだ?」
蓮の花に酷似した女性は、迷いなく真っ直ぐ方向を示してくれた。僕はそれを信じ、文字通り真っ直ぐに歩き続けていた。生い茂る草木を払い除けながら真っ直ぐに。そうする内に僕の内蔵さえも鼓動させる太鼓の音は次第に弱まっていき、遂には聴こえなくなっていった。どうやら、正しいルートを進めているらしい。暫く歩いていると、川のせせらぎの音が聞こえてきた。良かった、だいぶこれでルートが絞れる。川下に下って行けば、やがて町に繋がる。ここから脱出に繋がるんだ。そうすれば、この異界も不気味な森から抜け出す事が出来る筈だ。という事はやはり、彼女が示してくれた道は間違いでは無かったようだ。ありがとう、誰だかはわからないが思わず僕は合掌して感謝を述べた。けれど何故、彼女は僕を助けるような事をしてくれたのだろう。それだけはイマイチ謎だ。この森は、一寸先が闇だ。手の届く範囲まではギリギリ草木が見えるけど、その先は真っ暗。時間経過と共に暗闇への抵抗は慣れてきて、薄っすらと見える程度である。そのせいか、自分が真っ直ぐ歩いている事さえ見失ってしまう始末だ。ある意味分かりやすいのが、間違った方角へ進むと鈴の音が聴こえてくる。これは異様なモノが近付いて来ている証拠だ。聴こえる度に臓器が飛び出しそうになる。本当に心臓に悪いし、寿命が縮んでいるんじゃないかとさえ錯覚したくもなる。その度に、方向を切り替えて聴こえてきた方角と逆へ逆へと進路を変えながら進んでいった。そういった意味では順調に森からの脱出は攻略出来ていると思っている。
暫く歩き続ける事で、森から抜け出す事が出来た。周りに密集した草木は無くて、デコボコだった地面は整地された道路へと踏み入れていた。峠を越える為に砂利で上手く造られた簡易的な道路のようだ。整地されたといっても実に簡易的で、地面よりはマシなくらいで歩く際の負担は少ないレベル。コンクリートで固められた訳ではなく、ギリギリ車が走れる程の道路だ。それでも、デコボコだった地面と比較すれば歩きやすくはなった。何分、こちとら仕事帰りの革靴なもんでね。営業は足だ!だとか何処かのお偉いさんが云っていたらしい。けれど、どこにデコボコ道を革靴で歩くセールスマンがいるだろうか。どこかでピットインは無いかな。可能ならば、せめてウォーキングシューズに履き替えたくて仕方ないんだ。そろそろ僕のアキレスが悲鳴を上げようとしているんだ。まぁ・・・、雨が降ってないだけ、まだマシか。道路へと足を踏み入れたが、それでも周りは真っ暗だった。街灯すら照らされていない。本当に唯一灯りがあったのは、あの謎めいた駅のホーム一つだけだった。ここは、月も無ければ星すらも見えない。黒く重なった大きな雲に覆われているみたいに空も黒かった。光が無いというのが、ここまで不安を与えてしまうとは思わなかった。如何に自分たちが住んでいる世界が、光に満ち溢れ頼られているのかが良く実感出来る。
ブルルルルルゥ
そんな独り言を頭の中で考えている最中、聞き慣れた音が遠くから飛び込んでくる。エンジン音。車の音だ。それも段々と近付いて来ているようだ。確か、現実時間では大体四時くらいだろうか。あれだけ散々歩き回った事と、時間軸のズレ。それを考えるとこの時間で山道を走る車は限られている。もしかして、社長が迎えに来てくれたのか?車のエンジン音は徐々に近付き、僕の視界の奥にもポツリと白いライトが映り込む。相当なスピードが出ているのか、チラつかせていたライトは段々と大きくなっていく。そして、遂には僕の目の前まで車は来ていた。グレイのワンボックスカー。暗闇だったので色も形も殆ど認識出来なかったが、この車が近付いた事で漸く視認出来た。ワンボックスカーは僕のすぐ手前で停まり出し、エンジンは止めずに停止していた。運転手側の窓がゆっくりと開き出す。そうして漸く、この運転手が誰なのかすぐに分かった。
「えっ、社長?」
運転席の窓から顔を覗かせたのは、紛れもなく社長だった。いつものスーツ姿で登場した彼女は、少し気怠そうにしながら顔を覗かせていた。
「おや、垂くん。こんなとこに居たのか。」
僕に気が付いた社長は、声をかけてきた。一瞬の間が生まれていたが、すぐに社長は助手席の扉を開けてくれた。まぁ、無理も無いだろう。今の時刻が四時頃だとすれば、気怠くもなる。もう一時間もすれば、夜も明けて太陽が顔を出し始める時間帯だ。そう考えると、貴重な自分時間を失ったのだと思うとなんだか涙が溢れてきた。これは別に長い時間、生死を彷徨うような異界巡りを過ごした後に救いの手が伸びたからでは無い。単に自分の貴重な睡眠時間が削られてしまったのだと落胆したから涙を流しているのである。また一本、エナジードリンクが冷蔵庫から居なくなるらしい。何にしても助かった事に間違いは無い。僕は安堵の大粒な溜め息を吐き溢しながら、言葉を綴った。
「助かりました!これで抜け出せるんですね!」
「まぁ、とりあえず乗りたまえ。」
助手席に深く腰を掛ける。ずっと歩き続けていた為か、両足は鎖を巻いたように重く疲弊していた。これ以上、もう歩けない!は嘘になるが、気持ち的にはそれくらい疲れた。なんせ家に帰る筈が、異界を彷徨う羽目になったのだから精神的にも疲れが出ても仕方が無いと思う。扉を閉め、無心でシートベルトを締める。あぁ、これで帰れるのだと思うと気がドッと緩み始めていた。全身の筋肉が硬直を止め、シートへと吸い込まれるようにもたれる。
社長は、無言でギアを切り替えて車を再び走らせた。もう四時だと云うのに、陽の光はまだ見えず依然として空は真っ暗だった。
暫く走らせた車は、暗がりの道を進んでいた。けれど、一向に陽は差さない。もう小一時間走らせているというのに、外は暗いままだ。ハイビームで辺りを照らしているというのに、街灯や町影一つ無いこの道では何とも頼りない。陽も差さず、街もまだ見えない。本当にこれは、帰路に向かっているのか。むしろ戻っているのではないかと錯覚さえさせてしまう。不思議に思った僕は、無言で運転する社長へ声を掛ける。
「あ、あの···、社長?今どこに向かってます?」
「・・・。」
え?・・・あれ?なんで、無言なんだ。いつもなら一言多い減らず口を吐きながら返すのに、社長の顔は曇ったように黒く霞んでいる。
「なんか段々暗くなってる気がするんですが・・・。」
再び声を掛けるも、電話の糸を切るように終始無言だ。一向に返事を返す素振りも無く、社長は黙ってハンドルを握り締めている。まるで、口元に糸を縫ったようにピンと閉じられていた。僕の声が届いていないみたいだ。まさか、いやそんな事があり得るか。ふと、左手を少し伸ばしドアに設置された窓の開閉ボタンを押す。
カチカチと音は鳴るが窓は一切動かない。固められたように動く事はなく、無情にも開閉ボタンの音だけが小さく木霊する。
「えっと、え?あの、あなたは・・・、コマチ社長、ですよね···?」
「・・・。」
僕は恐る恐る顔を覗くように問い詰めるも反応は変わらない。鼻先から上が影で覆い被さり、表情が良く見えない。まさか、この人は社長ではない?社長を模した偽物なのか。社長と思ってコンタクトを取ったがコレは異界の住人だったのか。曰く、異界の者とコンタクトを取ってはいけない。より異界へと引っ張られてしまうからだ。
まずい、まずいまずいまずい・・・。ここから早く逃げなければ!焦れば焦る程、冷や汗が全身から放出され震え出す。指先さえも湿り出し、緊張が重なる。そう思い、先程からシートベルトの開閉スイッチを押し続けてはいるが一向に手応えが無い。どれだけ押してもシートベルトから解放される事は無く、締め付けるように食い込まれている。当然、ドアノブをいくら引いてみてもドアが開かれる事は無かった。そもそもドアが開いても、シートベルトから解放されないと脱出すら出来ない。まるで誘拐にでもあったような気分だ。くそ、どうしたら良いんだ・・・。
気が付けば、再び僕を乗せた車は森の中へと入っていく。次第に外からは鈴の音が聞こえ始めてきており、太鼓の音も聞こえてきた。僕の心臓の鼓動とリンクするように鳴り響き、徐々にその音は増大していった。
そう、皆まで云うな。僕は今、絶対絶命なのだと自負している。




