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便箋小町  作者: 藤光一
第一章 河童編

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17雨上がりはおまかせを・後編

 社長は、一呼吸の合間を置く。ふぅーっと吐く息は、何処か哀れみを持ち合わせたように。再び彼女の口元はゆっくりと開いた時には、雨上がりの夜風が僅かな湿気を籠らせていた。ぬるま湯のような風が彼女の身体をすり抜け、長く束ねた栗色の髪を遊ばせる。少し乱れた前髪を軽く整え、社長はこちらへ牙を向けた河童の長老へと告げる。


「確かに、人は哀れで無知だ。そこは同じ穴のムジナとして同情しよう。しかし、貴様らが行なっている事は今まで報復だとほざいていた人間と然程変わらんではないか。報復と云う怨念が蔓延る歴史は、ただただそれを繰り返すだけだ。わかるか?今まで銃を持たなかった者が、その犠牲により明日引き金を引く事だってあるのだ。そうなれば容易に想像が付くだろう?・・・その次の日には、貴様らの誰かが血を流す。戦争の歴史と何ら変わらぬ。気付かぬ内に貴様らはその報復をせんとする人間と同じ道を歩んでいるのだよ!」


 長老へと向けた人差し指は、既に白い手袋で覆われていた。獣のような荒々しい掌は静かに収められている。彼女の怒りがどの矢よりも太く長い。その凄みにより、向けた矢の切先を余計に鋭利にさせていく。戦争の発端は醜い。どちらも正しいと思っているから武器を持ち、どちらも相手が間違っていると思うから引き金を引く。互いの主張は譲歩されない。だから争いは終わらないのだ。戦争とはそう云うものであり、同時に哀れである。河童たちに告げた彼女の言葉は、重みがあった。それは恐らく誰もが気付いてはいるが、声には出せなかった言葉。この争いに、この騒動に意味は無いのだと訴えかけるように。これ以上の戦いは無用だと。その証拠に彼女は開放していた印すらも、蝋燭の火をかき消すように収めていた。つまり彼らに対して、もう刃を向ける必要性が無くなったという事だろうか。もう彼女の拳には敵意が無い。そう暗示させているんだ。発する言葉こそはドギツイけれど・・・。社長は、社長なりに彼らを説得させようとしているのだろうか。けれど、未だ怒れる暴風は鳴り止まない。


「・・・馬鹿め、我らが人間と同じだと⁉︎一緒にするな、キツネ風情が!貴様のような半妖に、何が分かると云うのだ‼︎いいや、半妖の貴様に分かってたまるものか‼︎我らには・・・、我らにはこれしか道が、もう無いのだ・・・ッ!」


 吐き捨てる言葉には、寄り添う気は毛頭無い。正確には途絶えた選択肢の中、もはやこれしか方法が無いと結論が下された始末だ。河童の長老は勿論、周りを囲うように携えた兵達も。しかし、中には戸惑うものもいる。この一手の為に本当に歩を進めても良いものだろうかと、疑問視するものもいた。先程とは打って変わってその統率は明らかに乱れてきており、士気は分散されていた。人間がしてきた事に対する憤り、掟に執着され我を失った事への不安、ブレンドされる事は無く入り乱れる。兵たちの想いが交差する中、混じり合わない苦味がその手に握り矛を震わせていた。ーこのまま進めても良いのか?ー否、長老様の云う通り掟は絶対だ!ー他に方法は無いのか?

 ーコツメを討て!尻子玉を取り戻せ!・・・そんな行き先を失った野次が次々に彷徨う。乱れ、崩れる・・・。統率を失った盤面は、まるで目の前の視界を奪うような黒い霧に掛けられたようだ。長老の怒声に、彼女は動じる様子は無かった。むしろ長老の言葉を嘲笑うかのように眉を上げる。やはりそう言葉を返すのか、と云うように・・・。


「だからそれをエゴだと云ったのだよ、長老。減ったのなら増やせば良い、無いのなら作れば良い。そして貴様らには、その力がある。健気ながらも努力を惜しまない力がある。そして、自然はずっと私たちよりも強い。それは、貴様ら河童どもが良く理解している筈だ!だと云うのに、何故それをしない?何故、挑戦しようとしない⁉︎新たな道を切り開き、革新を経てこそ、その先の未来があるのではないか!」


「そのような綺麗事・・・!狐風情が口を挟むな‼︎我らには我らのやり方があるのだ!」


「えぇい、鬱陶しい‼︎それが貴様の一番の要因だ‼︎貴様の箱庭だけで考えようとするからだ。他に目を、耳を傾けてみたまえ。方法も改善もそこから手にした(さい)を振れば、いくらでも見出せる!」


 気付けば社長はいつの間にか、長老の直ぐ目の前まで近寄っていた。それどころかシワ混じりの長老の嘴を人差し指でグリグリと押し付けながら、言葉を添え圧倒させてみせた。彼女の言葉は頭上から鈍器で叩きつけるかのような凄みを見せ、その圧迫に河童の長老は狼狽えていた。まるで、『お前は今、何を云っているのだ?』そう捉えられる表情で、その凄みにより呆気に取られていた。


「・・・そうだよ‼︎長老、こんなの間違ってるよ!人を犠牲にした幸せなんて、変だよ!オイラたちみたいに家族や家、未来があるように・・・。その子だって、同じモノを持っているんだよ、長老‼︎」


「コツメ・・・。」


 両手を震えるように握り締め、声を大にして振り絞ったのは河童の少年コツメだった。そのハニーイエローの潤んだ瞳で長老を見つめ、少年は必死な想いで訴えかけていた。少年が発した言葉の矢は硬く閉ざされた長老の胸を射抜く。長老の感傷に触れたのか。まっさらに研磨されたガラス面は、その言葉により小さな亀裂が入る。そこに稲妻が走ったかのように、小さな亀裂は草木のように枝分かれ、やがて徐々に拡がっていく。一息呼吸をした社長は、投げ捨てられていた長老の杖を拾い上げ、その持ち主へと差し出す。


「それと、・・・老いぼれのフリをするのはやめたまえ。」


「何・・・?」


 長老の片眉がピクリと動く。ずっと閉じていた蓋を覗かれたように、彼は拾われた杖をよそよそしく受け取った。


「妖怪に老いは無い。本当は貴様が一番強い事も分かっている。何よりも族の中で一番頭がキレる事もな。」


 彼女はふんと鼻息を立てながら、腕を組みそっぽを向く。長老と皆に呼ばれているから、てっきり一番長生きをしている“老人”なのだと思っていたが。すかさず僕は、自分の肩に居座るモジャモジャに声をかけた。


「え・・・、そうなのか?メル。」


「あぁ、妖怪に寿命はあっても老いは無ぇぜ。あのジジィがあんな格好してんのも、そういう策なんだろうさ。」


 確かに何百年と生きているメルも見た目では全く判断できない。今年で七百九歳になるというこのモジャモジャは、人間のような老いた姿は見受けられない。寿命はあっても老いは無い・・・か。半妖である彼女も例外ではないと云う事か。その理屈が正しければ、あの長老がわざわざあの姿でいるのも何かの策。パッと考えられるのは、油断を誘う為だろうか。老人であれば、老いによる判断力や身体能力は現役の物と比べてしまうとどうしても劣ってしまう。敢えて自分を下に見せ、その油断を突く。


「し・・・、知らなかった・・・。」


「え⁉︎」


「だ、だって、どう見てもお爺ちゃんだし・・・。そうなのかなって。」


 どうやら彼の策は、相手だけに留まらず味方にも向けていたようだ。子供のコツメならまだしも、近くに居たその近衛兵ですらその事実に驚きの表情を浮かべている。これまでの策略の事を今振り返ると、歳老いた者が企てた者と云うよりも歴戦を勝ち抜いた策士が用意した。そう認識した方がまだしっくりくる。


「ま、つまりそーいう事だ、新人。マチコの云う通り、あいつも中々頭がキレてやがるぜ。」


 そうメルは吐き溢し、こいつもまた社長のような鼻息を鳴らした。ずっと一緒にいる為だろうか、要所要所の仕草が彼女と酷似している時がある。前にそういえばトリビュートと戦っている最中、彼女とリンクする事で移動も可能だと云っていたな。波長のようなものを調律し、彼らは離れていてもそれぞれを合わせる事が出来る。それを可能としているのは、そんな細かな仕草もリンクしているからこそなのだろうか。まだ僅かに湿っている毛を纏わせたメルを見ながら、そんな推測を僕は頭の中に留めていた。わざわざそれは口を出す必要は無い。そう思った僕はそっと言葉を呑み込み、それ以上の詮索も止めにした。


「して、キツネよ・・・。我らに・・・、どうしろと?」


 プツリと線が切れた音がしたようだった。先程まで張り詰めていた緊張感は、気付けば消えていた。心無しか激昂していた長老の覇気が、霧を撒いたように薄れた気がする。杖を持った長老は、自分の体重をその杖に預ける事はもう無かった。杖をまるで鞘に収めた剣のように携えていた。音を立てる事なく顔を上げ、社長の顔を、彼女の瞳をじっと見つめた。彼女の思考は、長老の予想の範疇を超えている。鬼が出るか蛇が出るか、彼はじっと自分の返答を待っていた。万策尽きた長老はもはや、彼女の言葉に委ねる他無い。一方の社長は、緩めていたネクタイを締め直し身嗜みを整える。どこか余裕のあるその表情は、まるで長老からの()()()()()()()()()()と云わんばかりだ。ネクタイを整えた頃、社長は肩幅程に両腕を広げ、さも自信満々にこう語る。


「尻子玉を必要としない里を、水神の加護を必要としないお前達の世界を作れば良い。・・・と云う訳だ、テンジョウ。話は聞いていただろう?」


 白羽の矢が立ったのは、テンジョウだった。こう云う訳もどう云う訳も無く、その唐突の矢は真っ直ぐグサリとあの御曹司に突き刺さる。その当の本人も思いがけずに受けた言葉に、時が止まったかのようにポカンと口を開けている。数秒遅れて漸くその言葉を理解したのか、テンジョウは恐る恐る社長へとその真意を伺い始める。


「はぁ・・・、まさかコマチさん。私を呼んだのは、これが本命ですか?」


「他に何があると云うんだ貴様は。開拓は、貴様の領分であろう?」


「全くあなたと云う人は・・・。どうしていつも肝心な部分を直前に云うんですか・・・。」


 どうやらテンジョウの予想は的中したようだ。案の定、彼はぽっかりと空いた夜空を見上げながら額に手を当てている。彼女は続けてこう話す。


「敵を欺くならまずは・・・、と云う言葉もあるだろう。むしろ、経営者ならそれくらいの予測プランニングは組み立てて欲しいものだがな。」


「敵いませんね、あなたには。乗っかった舟です、その(かい)は私が漕ぎましょう。」


「・・・何を云っている?あとは全部貴様がやれと云っているだ。」


 一瞬、手を取り合ってプロジェクトを始動したかに垣間見えたがそれは儚く脆かった。協力どころか残りは全て放り込むように、彼女はテンジョウへとなすり付けた。それでも彼の切り替えは早かった。社長との付き合いも長いからだろうか。この手の流れは良くある事と認識しているようで、直様傍らにいた側近へと伝える。まるで黒子のように気配も無く現れたサングラスと真っ黒なスーツを着た男に耳打ちで物事を伝えていた。ボソボソと小さくその者に命令を下し、手短くかつ端的に伝えているようだ。事を聞いた男は浅くお辞儀をし「御意。」と短い言葉で了解を得たならば、颯爽と姿を煙のように消え去っていく。


「よく聞け、河童ども。こいつがお前達の新しい里を提供してやる。尻子玉を使って水神様へ提供する事無く、豊かな自然を作り出してやる。人をも認知させない土地をな。所謂、秘境と云うやつだ。」


 秘境。人が踏み入れる事が出来ない未到の地。社長の云う秘境は、また一つ意味合いが違うのかも知れない。人をも認知させないという事は、人がその領域に入らないよう結界でも張って近付けさせない。認知・認識を阻害させる事でその領域に踏み入れる事が出来ない、謂わばそれもまた秘境だ。彼女は、初めから彼らと戦いの前にこの交渉を用意していた。社長のプロセスはここまで想定していたと云うのか。その為に、テンジョウをここへと呼び寄せ、この手の界隈を用意出来る者を手札に揃えていた。確かに彼女は云っていた。テンジョウはサポート役だと・・・。それは、単に戦闘に対するバフ掛け要員だけという枠に収まる意味では無い。この話を持ち出す為に、彼を用意した。そして大前提として、テンジョウにはそれをする事が出来る。


「我等の新しい、土地を・・・。」


 思っても見ない言葉に、河童たちには響めきが沸々と浮かび上がる。当の族長でもある長老もその言葉に驚きを隠せないでいるようだった。彼らにとってそれは、希望の光のようなもの。雲を掴む程の遠く叶うのも儚いもの。

そのユートピアを彼女は提示した。


「あぁ、そうだ。だが勘違いするな!お前達が何もしなければ、綺麗な川も大地も腐り果てる。土地は用意するが、後はお前達のその努力で自然と共にあれ。」


 社長は、重ねるように言葉を添える。何も完全に管理された物では無いのだと強調する。謂わば、土地は提供するが管理は自分達でと捉えさえ、僕達の監視下に無いのと云いたいようだ。あくまでも道を切り開くのは自分達次第なのだと、云い聞かせる為に。それこそが本来の理想郷であると。確かにそうでなければ、それこそ一時の幸福で終わってしまう。事を怠れば、理想郷はたちまちディストピアと化す。自分達で築き上げ、努力しなければならない。継続こそ力であり、その結果は自分たちの足元にある土地がしっかりと示す。河童達にはそれが出来る力が元々備わっている。それを理解しているからこそ、社長は河童たちへこの提案をしたのだ。


「その言葉、信じて良いのだな?」


 長老は、社長の言葉に確認をした。もう、そこには強まる語気は無かった。雨が止んだように冷静とした眼差しで、長老は問いただした。当人達としては、喉から手が出る程に掴みたい希望。それでも浮かれる事無く、まずは冷静さを整えている。


「あぁ、タダとは云わんがな。」


 彼女は、人差し指を唇に添えながら返す。条件が良過ぎる材料は、かえって不信感を抱いてしまう。だから、社長は交換条件を持ち掛けてきた。それも絶妙なタイミングで漸く提示する。


「見返りはなんだ。」


 案の定、と予測していた長老は片目を開く。その眼差しは、疑心を帯びた視線。今までの会話の流れから無理難題をつけられても違和感は無い。だからこそ彼には、その覚悟があるように思えた。ごくりと生唾を呑み込み、長老はシワ混じりの嘴をそっと摩った。だが長老の思惑とは裏腹に、社長が突き付けた返答は違った。


「先に伝えたであろう?尻子玉をこの少年に返す。ただそれだけさ。」


 会話の隙間に長老は、ほんの少し呆気に取られていた。至極簡単で単純。それでいて、社長の提案は一向に変えている訳では無い。初めから彼女の目的、つまりは僕らの目的である『尻子玉をトリヤマくんに返す事。』に偽りは無い。経過する仮定の変動はあっても、結論は初めから一向にブレていない。いや、違う。彼女は初めからここまでの会話がロジックとして成立していたのかも知れない。今は確認のしようは無いけれど、恐らく社長の真っ直ぐの瞳に嘘偽りが無い事は確かだ。ここにいる者全てが彼女が初めから書き記したシナリオ通りに、事は進んでいた・・・。そう思うと、その真意に気付いた僕は悪寒のような電撃が背筋をゾワリと走らせる。全ては彼女の掌で劇場を振る舞われた。自らも演者と扮して、エピローグまで綴らせる。けれど少なくとも彼女の向ける視線は、養豚所の豚を見るような哀れんだ目では無い。それは救いの手を差し向けるように、慈悲に偏らせた何処か優しい瞳だった。凪よりも少し強まった風が吹く。ほんのりと温もりを帯びた風は、再び栗色の彼女の髪を遊ばせる。


「まさか・・・。いやよもや半妖のキツネや子供に、文字通り里を動かされるとは思わなんだ・・・。」


「文字に起こすのも、声に出すのも簡単なものさ。難しいのは、何事もそれを実行する事だ。」


「・・・そうで、あろうな。その行く末を見つめる為ならば・・・、引き受けよう。」


 秒針が回る程の短くも長い沈黙の末、彼の口から掠れ混じりな言葉を返した。けれどその言葉は、その判断は苦渋の決断という訳では無かった。目を瞬かせる事も無く、彼はゆっくりと笑みを成形しながら自らの言葉へ添えていた。先程までの長老の怒りは消え失せ、嵐が過ぎ去った波打ち際の海岸のように静かに返す。


「では、里の移転については私から追ってお伺いします。同じ妖怪の(よし)みです。あなた達の環境にあったプランを提供させて頂きます。」


 パンッと手を叩き、テンジョウは言葉を締め括る。ゆっくりと靴を弾ませながら、内ポケットに仕舞っていた名刺を取り出した。そうして長老の手元へと自分の名刺を差し出し、そっと一言。「以後お見知り置きを。」と残す。受け取った名刺をジッと見つめ、少しまた長老は静止する。二呼吸の浅い溜め息を溢し、そっと呟く。


「ならば、もう長居は無用だな。皆の者、退くぞ。」


 目線はこちらからズラす事無く、自分達の兵へと告げる。すると、再び霧が立ち込めてきた。河童たちが現れたような深く濃い霧が兵たちの周りを包み込み始める。続々と兵たちは後ろを振り向き、霧の方へと姿を消していく。


「コツメ。」


「・・・はい!」


 けれど、長老だけは違った、兵たちとは逆側へと歩みを進め始める。こちらへと近寄って来ているのだ。河童の少年コツメへと声をかける。今までの荒んだ声色とは違い、少し柔らかみがあった。


「それでもお前は、里の中では重罪人だ。よって、お前は我が里より追放とす・・・。この意味は、今のお前ならどう云う事か理解しているな?」


 長老はコツメの少年の頭を摩る。鷲掴むような力ではなく、鬼灯の果実をそっと添えるように柔らかく少年の頭を摩った。その光景は何処か、孫に別れを告げる祖父のように彷彿させていた。その既視感は脳裏の記憶とリンクする。昔、祖父と過ごしたあの縁側での日々を。それは陽だまりのように暖かく、雨上がりには丁度良い心地良さだった。晴天となったディープブルーの夜空にも相まって、思いがけない長老の言葉にハニーイエローの瞳を滲ませた。


「もしかしたら、お前のその瞳が皆を動かせたのかも知れないな。・・・コツメ。それは革新か異端か。いずれも初めは孤独だ。どうやら我は、革新には至れなかったらしいがな。」


「オイラはまだ変化が苦手だけど、人と共存出来るよう動いてみたい。」


 少年はターコイズブルーの帽子を深く被り、目元をそっと隠した。そのまま長老に対し背中を向け、ゆっくりと立ち去る。


「許せとは云わない。お前は、お前の道を進むが良い。」


「・・・うん、・・・。」


 人間の子供に化けたコツメは、強くその帽子のツバを掴む。生まれ育った里を離れ、人間と共存する道を歩み始める少年の足取りは重かった。しかしそれは決して辛いや苦しいといった、苦いモノを背負い込んでいる訳では無い。少年の小さな身体にその決意を包み込ませて、しっかりとその一歩を噛み締めようとしている。そして長老はもう一つ、目線を向ける。その方向は一人の女性、終始腕を組みながら佇む彼女へと。互いの手が丁度届かない程の距離まで詰め、長老は彼女の前で歩みを止める。彼は静かに顔を上げ、再び口を開く。


「コマチと云ったな。まだ礼は云わんぞ。だが、貴様の会社の名は聞いておかんとな。」


「構わないさ、長老殿。便箋小町におまかせを・・・。」


 まるで執事のような仕草でゆっくりとお辞儀をしながら、いつもの台詞を吐く。それを聞いて満足したのか、一人残った長老も短いお辞儀をした後、霧の中へと戻っていく。白く立ち籠った霧襖(きりぶすま)と共にゆっくりと影を少しずつ残し、散りばめながら彼は消えていった。終わったのだ。短いようでとても長く感じたこの雨が。河童との騒動が雨あがりと共に終わったのだ。そう思った瞬間、僕の体躯はどっと疲れを感じ始めてしまったのか訴えかけるように膝をついてしまった。一気にほぐれた緊張感が全身から抜け落ちた感覚に陥り、今日一番の溜め息を撒き散らす。吐いた溜め息は不安を込めたものとは対照的に、すっきりと晴れた安堵のものだった。瑞風(みずかぜ)が吹いた頃には、霧はすっかりと晴れ渡り河童たちの姿が消えていた。


「さて、コツメくん。これにて依頼完了だが・・・。」


「はい・・・、えっと、お、お金です・・・よね?」


河童たちを見送った彼女はくるり半転し、一人残ったコツメへ声をかける。勘付いた少年は、恐る恐るそう聞き返す。依頼の成功報酬の受け取りについてだ。彼女が提示した額、実に一千万円。正直馬鹿げた数字だ。確かに今回の依頼は、事が違えば大惨事もあり得ないところ。最初は釣に合わない話かと思ったが、思った以上の河童の騒動に強ち妥当な額にも思えてしまう。かと云ってそれをこの少年に、妖怪である河童の子供が払える額ではない。


「社長!本当にこんな子供に、一千万なんて大金を払わせる気ですか⁉︎」


「案ずるでない若者よ、先にも云ったであろう?“うってつけ”がある、とな・・・。」


 彼女は人差し指を立てながら、左右にゆっくりと振るう。そういえば彼女は云っていた。今回の件に関しては、ある“うってつけ”を用意していると。これまでの出て来た登場人物たちを辿ると何となく予想は出来る。彼女が提示する一千万を容易とは云えずとも。多額とも云えるその額をより現実的に実行出来る人物を・・・。気付けば社長の傍らに居たテンジョウの左頬を引っ張り上げながら、無理くり彼の身体を寄せる。


「あいったたたたた・・・ッ。何するんですか、コマチさん⁉︎」


 案の定と云うか予想通りと云うべきか、どうやら社長のアテはテンジョウの事だったようだ。ピッとジャケットの皺を整え、彼は引っ張り上げられ赤く染まった頬を摩っていた。もっとも彼にとっては、この状況は何が何だかと訴えたい限りだろう。その証拠に苦い表情を浮かべながら、眉を吊り上げている。


「と云う訳だ、テンジョウ。明日、一千万用意しろ。無論、キャッシュでな。」


「な・・・?はぁあ⁉︎い、い・・・、いいいいい一千万ですか⁉︎それは、どこをどうしたらそんな額になって僕が払わなきゃあいけないんですか!どう云う訳も何も無いですよ!僕がその額を貰うのならまだしも、僕が払うんですか、それ!」


 テンジョウが激昂するのも無理は無い。この反応から察するに、彼は今その事を知ったのだ。正直なところ彼がその額を払う義理は無い。むしろ今回の手引きとしてその額分を報酬として受け取るのが筋だろう。にも関わらず彼女はあろう事か、その一千万を旧友である一流企業の御曹司に払わせようとしているのだ。彼が御曹司でも大富豪であっても、社長へと返すリアクションは決して間違ってはいない。それでも彼女の威勢は衰える事は無く、依然として自分が正だと云い張るように更に語気を強める。


「当たり前だ、私はそこのコツメとそう約束したのだ。だから、明日払え。」


「僕はそれ、今聞きましたけどねッ!」


「即金では無いだけ、寛容だと思いたまえ。」


 あぁ、もう云っている事が滅茶苦茶だ。確かにコツメとはそんな約束はした。が、当の払う本人は今の今まで全く聞かされていないのだ。繁華街などで見るぼったくりバーの方がまだ可愛い。そんな状況下にコツメは、目を点としながら唖然とし硬直する。無理もない、正直ドン引きレベルなのだから。

痺れを切らした僕は我慢出来ず、彼らの会話の間を縫い込むように入り込んだ。


「あの・・・、しゃ、社長。まさか“うってつけ”って彼の事ですか?」


「いかにも。」


「今、聞いたような素振りでしたけど・・・?」


「いかにも!」


『だから彼は(僕は)、怒っているんですよッ‼︎』


 僕はテンジョウへと指を差し、彼は自分自身を胸に手を当てながら似たようなセリフを同時に吐いた。それは初めて会ったにしては驚く程ピッタリで、この御曹司とのユニゾンは息が揃っていた。炎上する僕らに対し、彼女はまぁまぁと興奮する牛でも抑えつけるように冷静に両手を振るう。


「おー、恐ろしく息が揃っているな。まぁしかし、テンジョウよ。これは投資だ。莫大な資金が狙える小さな投資だ。そう思ってくれれば、安いものだろう。」


「まぁ、投資も何もそれぐらいの額なら、すぐ揃えられますけど・・・。当然、その取り分はこちらに権利があるのですよね?」


 いや、やっぱり払えるのか、すげーな御曹司は。なんでそんな額をお年玉をあげる親戚みたいにさらりと出せてしまうんだ。けれど彼は、一癖食えない男。その後の投資についての利益の話を持ち出していた。当然と云えば当然だ。このままの流れでおいそれと何も云わなければ、その利益すらも彼女に持ってかれてしまう。すると彼女は人差し指と中指を立てながら数字の二を表し、テンジョウへと向ける。そしてニヤリと笑みを浮かべながら、唇を開く。


「八・二だ。」


「私が?」


「私が八だッ!」


 もう社長の暴走を止められる者は誰も居ない・・・。こうなっては後の祭り。


「やめて下さい二人とも、子供の前でギャラの取り分なんて!」


 僕は無理矢理彼らの話を断ち切った。僕の吐いたセリフの通り、そこからの話は彼ら大人だけの領分だ。後の顛末は事が全て終えてからにしてもらおう。


「とりあえず、明日そちらに伺いますからこの件はそれからにしましょう。あと、次は美味しいコーヒーを期待してますよ。」


「珈琲ならメルに云いたまえ。」


「ふん。」


 会話に節目が付いたところで僕は息を吸う。そう今日という日はまだ終わっていないのだ、同時にまだやらなければならない事もある。


「それでは社長、この子を元の病室に戻してあげましょうよ。」


「それもそうだったな、夜風に当たっては身体に悪い。ではテンジョウ、そう云う訳だ。」


「わかりましたよ、連絡致します。」


 そうして僕達は漸く大学病院の中へと向かう。テンジョウは胸元あたりまで手を上げ、軽く振るってここでの別れを挨拶する。患者衣を来たトリヤマくんを僕は抱き抱えながら、歩み出す。まだ河童たちの術が解けていないのか、眠れる人々の瞼は開かない。数刻もすれば目覚めるのだろうか、彼らには何があったのかさえわからないだろう。僕らにとっては、少なくとも僕にとっては長い長い一日だと感じる。それでも、不思議と疲れは無い。雨上がりに広がるディープブルーの夜空を眺める程の余裕が、今の僕でもあったからだ。



・・・。




・・・・・・。





 それから、数日後の事である。結局今回の一連の騒動は幕下ろしとなり、その翌日テンジョウは重厚なアタッシュケースを携え事務所に訪れた。社長の要望通りの一千万をキャッシュで用意し、生で見る包装された札束の塊に思わずギョッとしたのは鮮明だ。これでこの会社も安泰、ぶっきらぼうな悪魔とバディを組んでの出張もこれでオサラバなのだ。かと思われた。ところがその一千万は忽然と姿を消し、アタッシュケースの中身はコンっと空洞を作った音を弾ませていた。彼女へ聞くところによると、どうやら車の修理費に、溜めに取り溜めた家賃や光熱費、雑費諸々。延いては彼女が無断で仕入れた古本を数十冊。それらによりその大金は、泡銭のように容易く飽和したのだ。その為、チップとの出張は未だ継続されており、社長からの怒号をブレンドした電話の日々。ギフト絡みの仕事を探すような汗を流す毎日なのである。夏だというのに、相変わらずの炎天下に気が滅入りそうだ。

 あぁ、そういえば。あれからの事についてとなるのだが・・・。尻子玉を抜かれた少年トリヤマくんは、元の病室へと運びベッドへと寝かせた。そして、コツメが大事に握り締めていた尻子玉をトリヤマくんへと漸く戻す事が出来たのだ。ずっと耳を澄ませなければ聞こえない程の浅い呼吸をして眠っていた身体は、薄らと光を灯し目を覚ます。長く口を開けていなかった少年の口はすっかり乾き切っており、発声が上手く出せていなかった。恐らく「君たちは?」と僕らへ聞いていたのだろう。少年に擬態したコツメは、ただ一言。「目を覚ましてくれて良かった。」と伝えた後に、それ以上の事は何もせず静かに病室を後にする。これはコツメなりの配慮だった。これ以上、あの子に迷惑をかけてはいけないと思ったのだろう。僕達も何も云わず、そっと彼の肩に手を添えるだけだった。


 それから、コツメは里には戻るつもりは無いらしい。と云っても、会社で預かるのも定員オーバー。これ以上の赤字も厳しかった訳だが、コツメも端からうちの会社に来る気も無かったようだ。代わりに尋ねていたのは、あのタバコ屋。板さんのところだ。あの時、相当居心地が良かったらしく、真っ先にそこへ向かったようだと後でメルからそう聞いた。板さん本人も「新しい孫が出来たようで、嬉しいよ。」と満面の笑みで快諾していたらしく、彼もホッとしたようだ。真面目で優しい性格の彼は、板さんの身の回りや家事を手伝いながら暮らしているらしい。テンジョウは、河童たちの商談がうまく行ったようで、約束通り河童の秘境を提示したようだ。当然僕もその場所までは知らない。着々と移住が進んでいるようで、問題無く事は進んでいるらしい。その場所は、この国の何処かかも知れない。もしくはもっと広いこの星の何処かかも・・・。僕にはそれを知る術は無い。わざわざ調べ上げる必要も無いし、干渉するのも面倒だ。彼らがそっと暮らせるのならば、こちらもそっとしてあげるべきなのだと。



 近年、河童達の姿をパッタリと見なくなってしまったのは、ひょっとしたらこの会社のせいかも知れない。彼らは人の認識出来ない秘境で、豊かに暮らしているだろう。尻子玉を必要としなくなった彼らはもう、わざわざ人のところへ訪れる必要は無くなった。だからもう、一目には付かなくなったのだろう。一連の事件は思わぬ方向へと動いたが、これはこれで良かったのか。きっとこれが正解かと問われても、違う角度から見ればもっと別の方法があったのかも知れない。どんな方法を持ち掛けたとしても、人が人である以上意見が必ずしも一致する事は無いのだ。結局のところ、当人同士が納得の域に達すれば問題は無い。だが、君達がどう思うかは自由だ。なぜならば、それが聞き手側の特権だからだ。


 それよりも、僕には目の前に聳え立つ現実に直面している。久々に出張からオフィスに戻ってきたところなんだが、これはなんだ?と指を差したくもなる。そう注目すべきは、僕の机さ。見たまえよ。僕の目の前にズラリと並ぶこの報告書の山は現実のようで、避けては通れないようだ。やれやれと微糖の缶コーヒーを啜り、ほんのりと苦い味は何処か僕の心と寄り添おうとしているみたいだ。

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