12雨勢はおまかせを
この大雨に一筆加えるようにその雷は、馬の嘶きのように戦場を駆け抜ける。音速。それは秒速三四〇メートルのスピードで濡れた大地を駆け抜ける。七メートル超えの巨体をここまで速く動く事が出来るのは、メル自身の能力あってこそなのだろう。雷、電気の力か・・・。いや、もっとそういうのじゃない気がする。もっとシンプルで根底なものだ。何故なら電気を纏ったとて、生物が実現できる動きでは無いのだ。明らかな物理法則をバッサリと無視している。これが妖怪。あのもじゃもじゃの本来の姿。人智すら浅はかだと感じさせてしまう程に、圧倒的な力だ。河童たちは音速のスピードで繰り出す攻撃により、衝撃を受けたことすら気付くのが遅れる。気付いた時には吹っ飛ばされ、驚きすらも遅れる。河童たちは体勢を戻す間も無く、壁へ激突。その第二波の衝撃、音速が通り過ぎた後に生じるソニックブームが文字通り追い打ちを浴びせる。致命傷に当たっていようといまいと、その連撃により河童たちはぐったりと白目を向き気絶してしまった。けれど強靭な牙や爪があると云うのに、気絶した河童たちにはどれも斬り刻まれた痕は無かった。所謂、侍の峰打ちという奴だろうか。あくまで打撃のみで相手を凌駕し、戦力を削ぎ落とした。
「おい!キツネ!なんだ、あれは⁉︎ずるいぞ、あいつばっかり‼︎」
一連の光景を観ていたチップは、その真紅の瞳を丸々と大きく広げ驚いていた。巨大化し勇ましい大狼に変貌したメルに指を差し、社長へと訴えかける。
「あぁ、これがメルの本来の姿だ。限定的な時間だけだが元に戻る事が出来るのだよ。」
「あれが、メルなのか・・・。」
「すごい!まるで雷獣みたいだ!」
「コツメくん、そいつは違うぞ。あれは、言葉を具現化した力だ。」
コツメもチップと同様に童心そのものの憧れのような眼差しだった。確かにこの少年が云うようにメルの身体中を纏うように電気を帯びていた。まさに雷獣というに相応しい呼び名ではあるが、どうやらそれは社長曰く語弊があるらしい。すかさず彼女はその間違いを指摘していた。
「奴はあの姿になる事で言霊としての能力を最大限に引き延ばし、発した言葉を具現化できるのだよ。鉄と呼べばその身体は鎧となり、火と呼べば焔に身を包む。操る言葉に制限は無い。メルの身体が電流を纏っているのは、その言葉の力を具現しただけに過ぎない。」
「どちらにしても凄いじゃないですか!」
まだ青白い人差し指を添えて、社長は言葉を返した。まるで自分の事のように自慢げに語り出し、彼女の鼻は心なしか高かった。それにしても、この巨体が本来のメルだとは思わなかった。狼のように鋭い眼光、忍ばせた犬歯がチラリと光る。社長の云う事が正しければ、これは相当の戦力だ。つまり、メルが発した言葉がそのまま具現化出来る訳だ。工夫次第ではそのバリエーションも戦い方も何通りにもなる。僕の思っていた言霊とは大きく異なる。ましてや操る言葉に制限が無いとなれば、それはもうチート級な力な訳だ。理屈を知れば余計に分かる。だからこそチップは、どこか納得いかないのか両手を握り締め、ぶんぶんと上下に振り回す。
「ずるいぞ、変身なんて‼︎俺もあれ、やりたい‼︎むしろ、今やってくれよ!」
「やれやれ、機会があればな。」
「別にお前が、あれと同じ事が出来るって訳じゃ無いだろ。社長が云っていたのは、本来の力を力を解放したに過ぎないって事じゃないか。」
「ぐぬぬ、けど強くなる事に変わりはねーだろ?こんな姿じゃなきゃ俺だって強いんだぜ!」
「チップくんってそうだったの?おいらにはとてもそうには見えないけど。」
「そうだぜぇ!そこのイサムだって、俺に殺されかけたのに良く云うぜ!」
「過去の栄光に縋るな、鳥野郎め!」
僕は咄嗟にチップの頭を鷲掴み、振り回す両腕を抑制させた。瞬く間に辺り一面に現れた河童達を一掃しメルは、瞳を閉じていた。降り頻る雨の中、その巨体は静寂に呼吸を整えていたのは何かを確認しているようでもあった。何かを察知しようとしているのか、巨大化しても健在の大きな頭頂部の毛が強く逆立つ。
「一、ニ・・・、物陰にまだ残党はいるな・・・。」
何の数字かと思ったが、メルはどうやらこの空間にいる河童たちの位置を確認していたようだ。どうやったのかは分からないが、敵の位置を把握するために何らかの方法で索敵していたのだろうか。まるで精密度の高いレーダーで相手を認識するかのように、その位置は正確に記しているようだった。これも言霊の能力だからこそ成せる技だと云うのだろうか。状況を分析していた僕に気付いたのか、社長は人差し指を立てながら口を開いた。
「中々、面白いものだろう。あいつは一種の超音波みたいなものを発しているのだ。現代でもイルカやコウモリなどが有名であろう。超音波は見る事もできなければ、聴こえもしない。音波が跳ね返る事でそこにある物体たちの位置を把握できる代物・・・。というのは、流石の垂くんでも知っている事だろう?」
確かに聞いた事はある。イルカやコウモリは、自分が発する超音波で移動や狩りに役立てていると。特に超音波ソナーが極めて発達したアブラコウモリはそのセンシング能力が発達していると聞く。音波を放射し、その反響音を聴取と分析する事で位置を探知するだけではない。超音波を使う動物たちは、対象物だけに限らず物影ともなる草木すらも把握できるという。その跳ね返ってきた音波で位置、定位を正確に知り得る事が出来る。と、どこかで聞いた事がある。それをあのメルが使えるのか・・・。いや、正確にはこの姿だからこそ成せる技なのだろう。
「えぇ、まぁそれくらいなら・・・。けど、超音波を出せるのも言霊だからこそなんですか?」
「言葉も一種の音だからな。声に出して具現出来るものなら、奴にとって造作も無い事なのだよ。」
「社長!行けます!これなら行けますよ!」
僕はつい歓喜になり、両拳を握り締めた。多少鼻息が荒くなる程、興奮気味になっていたのは云うまでも無い。満更ではない社長は、腕を込み「ふふん」とご自慢の鼻息を立て目を瞑っていた。そんな騒がしいギャラリーの中、巨大な狼は静かに狙いを定めていた。強靭な狼のような四肢はコンクリートに足踏みをさせ、身体を低く屈む。おそらく、離れた位置から戦況を分析していた残りの河童たちを索敵したみたいだ。大雨と建物の物影により肉眼では捉えきれない獲物を、メルは超音波でしっかりと捉え見据えていた。濡れたコンクリートに爪を立てて前脚の筋肉が隆々と軋み、ピンと張り詰めた糸のように四肢のバネは力が籠る。そして、動き出す。
ピシン
その張り詰めた糸をナイフで切ったような音が聴こえた。それは刹那の間隔しか無かったのかも知れない。その音が聞こえたとこちらが認識した時には既に遅い。先程まで傍にいたメルの巨体はもうそこにおらず、突風と共に巻き散らした雨粒と僅かに散らした稲妻の残火。青いテールランプと表現すれば良いのか、細く荒々しい雷光は一閃の筋のように青く一直線だった。それは恐ろしくも速い。音速と表現して相応しいスピード。巨大な狼は何十メートルか離れた建物の傍へと移動しており、既に眼前の敵に爪を振りかざし飛びかかっていた。メルにとって、雨の落ちる秒速十メートルのスピードなど止まって見えるのだろう。雨の落ちる速度の三十倍も超えるその速さは、文字通りまさにマッハの世界。音を置き去りにし、音が弾け飛ぶ頃には瞬発的に生まれた熱を帯びるソニックブーム。突風と共に巻き起こる熱は急激に雨水を蒸発させ、たちまち熱風へと変化させる。物陰に隠れていた二体の河童へメルの爪が降り掛かろうとする僅かな隙間だった。
ーボシュン・・・。
「おっと、これはいけねぇ。」
先程までの巨体は突如として白煙に包み込まれた。そして間髪入れずその矢先には、白煙から飛び出すように一頭身のメルが鞠玉のように零れ落ちてきた。ベシャリと雨に濡れたコンクリートへと、そのまま重力に逆らう事なく正直に叩き落とされた。その姿は勇ましかった巨大な狼の姿はそこには無く、まるでボロ雑巾でも叩き付けられたかのように無様だった。
え・・・。
皆、時が止まったかのように静止していた。僕らだけでは無い。襲われる寸前だったあの河童達も唖然とした表情で、無様に落ちたモジャモジャを見ていた。腕をブンブン振り上げていたチップも石化したように目が点となって硬直。あろう事かあの女社長すらもデフォルメ顔で白く風化していた。
「えっ、あの、社長?メルの変身時間って・・・。」
「あの状態で維持出来るのは、三分が限界だ・・・。」
「どこの巨大ヒーローですか・・・。」
「いや、正確に云えば操る言葉に相応して変化するのだ・・・。強力かつ体積量が多いもの程比例して、奴の変身時間は短くなるのが唯一の欠点なのだ・・・。」
「もっとダメじゃないですか・・・。」
珍しく社長が恥ずかしさを隠すように両手で顔を塞ぎ、籠った声が洩れていた。しかし、どうにも腑に落ちないのか彼女は閉した指の間から覗き込みながら弁明を始めた。
「仕方無いではないか!圧倒的な力を即座に出す為には、それなりの負荷が要る訳でな!手っ取り早くするには、限定化させ制約を絞る事が必要な訳で・・・。」
その弁明の仕方は実に奇怪で、普段の彼女とは思えない程に慌てふためいていた。両腕をわしゃわしゃと交互に動かしながら、メルの事情を説明していた訳だがその慌てようは彼女らしくない。まるで不倫現場を目撃した妻に問い詰められる夫のような状況だ。何故だかその時に限って第三者から見た時の目線は非常に冷めた眼差しとなり、それを擁護しようとは思わない。それは例外なく僕もその一人で、彼女に手を差し伸べる気にはなれなかった訳だ。どうやら幼女も同様のようで、はぁーっと強めの溜め息を撒き散らしながらダウナーに睨み付ける。
「だからって、これじゃ殆ど戦えねーだろキツネよぉ。」
「何を云う、貴様は特撮ヒーローものを観てこなかったのか!限られた時間の中、圧倒的な力で悪人を成敗するシナリオを‼︎それを浪漫と云わずして何と云えようか!」
「社長、それはロマンだけにして下さいよ。実際にやっちゃダメですって。」
限りなく溜め息にも近い息を吐き、僕は戦況を見つめていた。ロマンがどうだの特撮ヒーローの下りを話していたがそれはそれ、これはこれ。実用性を考慮したら、ロマンはロマンで心に置き止めるだけにするのが無難なのだ。ただこの社長に限っては、性格上そうもいかない。一度決めた憧れを貫き通す。そこに山があるからだ、と自信過多にも思える程に深い理由も無く突き進むのが彼女なのだ。そんな空回りも見せていた僕ら一行に対し、一度たじろいでいた河童達は絶好の隙とでも思ったようだ。さっさと僕達に背を向け走り出してしまった。流石に戦況を見て不味いと感じ始めたのだろうか。元に戻ってしまった一頭身のメルにすら反撃をする事なく、この戦場から離脱しようとしていた。僕が一歩踏み込み、奴らを追おうとした時だった。
「待ちたまえ、垂くん。」
慌てふためいた様子から冷静さを取り戻したのか、仮面をすり替えたかのようにキリッと表情を映し出す。彼女は濡れた前髪を再び振り払ってから、左手を広げ僕にそれ以上の前進を止めさせた。
「深追いは野暮、という奴だ。戦意を失った者を無下に痛める必要は無い。それに、だ。」
社長はゆっくりとメルへ近付き、雨音に紛れてコツコツと革靴を鳴らす。周りの河童たちが居なくなった今でも、どしゃ降りの雨は止む気配が無い。むしろ先程よりも雨の濃度は濃くなっているような気がする。排水溝へと流れる雨水もその量に追いつかない。すっかりコンクリートに溜まった雨水は靴底を沈める程で、広く大きな水溜まりが街を覆い尽くす。街一体が急激なスコールに巻き込まれたようだ。撃たれる無数の雨の水飛沫は、比例して強く弾ける。彼女は力を使い切りぐったりと倒れ込むメルを掴み取る。猫の首でも摘みあげるかのように少し大雑把に。濡れた一頭身の妖怪からは、ひたひたと身体中の毛に溜まった水滴が零れ落ちていた。彼女はそのまま濡れたその身体を気に留めず自らの腕へと抱き抱え、優しく撫で下ろす。
「今襲ってきたのは、恐らく偵察隊だろう。」
今のが偵察隊?・・・という事は、本隊では無かったのか。自分達のテリトリーを作り出し有利な環境だったとはいえ、これでは戦力差があり過ぎる。いや、そもそも河童に軍隊のような統率を持って行動するとは思いもしなかった。敵の数の規模がどの程度なのか。さっきの偵察隊が十数体で構成された事から、本体はその倍以上か。数だけでも相当の戦力差だ。水のある環境下では奴らの独壇場、彼女の印を作れない事から個々の力も乏しい。成程・・・、族とはいえ相手は妖怪だ。身なりは違っても人並み以上の知恵を持ち合わせているのか。仮に本隊である戦闘を充分に用意したのがあるとすれば、この戦いに勝ち目はあるのだろうか。そう示唆せざるを得ない状況下、僕は眼前の雲行きの怪しさに戸惑っていた。と云うのも恐らくメルの状態から察するに、元の姿での戦闘をもう一度・・・というのは無理がありそうだ。大狼の姿になる事自体に相当の力が必要であり、ハイリスクなリターンがあるのだろう。ぐったりとしたメルの姿がその証拠でもある。せいぜい一日に一度が限度か。社長は、この雨で自由に印を作れない。それ故に思うように力を出す事が出来ずにいる。彼女の横顔に積もる苛立ちは、この異常な天気のように雲行きは良いと云い切れない。もどかしさと苛立ちが雨に撃たれ、体温を下げていく。彼女も火照る焦りがあるのか分からないが時折、前髪に降り掛かった水滴を振り払う。それはきっと、少しでも自然と纏ってしまう不安を薙ぎ払って冷静さを保っていたのだろう。
「社長・・・、じゃあ本隊の河童達は、今よりも強いって事ですか・・・?」
「君は、本当に察しが良いな。どうだい、・・・分が悪いと思うかね?」
三度、社長はメルの疲れた身体を撫でほぐす。これは素人が見ても分かるくらいの『分の悪さ』なのは、理解している。だが、理解しているのと状況を打破しているのとでは、当然だが意味合いは違う。彼女の皮肉めいた返答には、何かアテがあるのだろうか。口元は企むように笑っていても、目元は冷たかった。
「今のままであれば・・・、でしょうか。」
「はっはっはー!さては、私にアテがあると踏んでいるな。」
珍しく空を仰ぎながら、高笑いを決め込む社長。社長の中で何かが吹っ切れたのか、その笑い声は、何時に無く大きく笑っていた。腕を組む姿勢は変わらず、ゆっくりと僕の瞳へと視線をずらす。
「安心したまえ、垂くん。泥舟に乗った気分で、どっと構えると良い。」
「ははは、狐だけに・・・、ですか?」
「むっ。君も冗談が少しは様になったな。まぁ、なんだ。狸よりはマシさ。」
人差し指を僕へ突き立てて、また自信を取り戻したかのように語気を強めた。けれど、その笑みはいつもより朗らかだった。それにどんな意味を持ち合わせていたのか。吹っ切れたようにも見えた彼女の瞳は澄んでいて、それが余計に意図が掴めないでいた。
「そして、コツメくん。これが君が進もうしている道だ。まだ自分のせいだ、なんて思っていまい?」
「・・・はい。おいらは、トリヤマミズキにこれを届けるよ。」
「うむ、それで良い。本来ならば、その尻子玉は私達が預かるべきなのだがな。抜き取った尻子玉は繊細だ。手に取った者のマナが少なければ、たちまちその輝きを失い始め割れてしまう。」
「えっ。社長!そうだったんですか⁉︎そういう事は、もっと早く云って下さいよ!」
彼女からの指摘で漸く気付かされた事実。今思えば、危なかった。僕はその驚きを隠せなかった。話の流れから預かって手に持つ事は無かった訳だが。マナが少ない者、つまり霊感やオカルトを信じてない僕がそれに該当する。魔法のまの字も扱えない僕が、万が一でも尻子玉を預かっていたらと思うと少しゾッとした。
「君なら持たないと思っていたからさ。」
「女の勘って奴ですか?」
「いいや、上司の勘さ。」
社長はそう云うと人差し指を唇へと添えながら、自慢げな表情をしていた。勘とは云え、彼女に取っては杞憂な事だったようだ。僕なら、きっとそうすると。そんな自信家の社長はコツコツと濡れた革靴を鳴らしながら、河童の少年へと近付く。
「コマチ・・・さん?」
「私達は既に用意は出来ている、君には覚悟が出来ているんだな。」
「うん、おいらに出来る事なら何だって!」
「それで良い。その後の事も任せたまえ、金の事もな。」
彼女はそう云うと、コツメの頭を帽子越しに摩る。社長がわざわざ河童の少年へと声を掛けたのは、気を遣っての事だったのか。確かにコツメの選んだ道は、レッドカーペットを敷いたような華やかな道ではない。掟破りの同族への裏切り行為。負ければ晒し首、勝っても同族との絶縁。足首まで突き刺さる程の茨道だ。この状況下で社長は、どう打破する気で居るのだろうか。僕にはまだ、今後の打開策が思い付かない。ただ今起きている事を、何とか流れに沿って処理するだけ。流れ任せ、これだけでは駄目だとは理解している。左右どちらかに錘を乗せてしまえば、たちまち無慈悲にその天秤は傾いてしまう。何とかしなければ、と思い詰めてしまうのがドツボ。濡れた前髪を掻き上げながら、その揺らぎを振り払う。ふと考え込んでいると、雨水を蹴り飛ばしながらチップが近寄ってきた。
「なぁ、イサム。これからどーすんだー?」
ずぶ濡れの幼女の姿をした悪魔が尋ねる。両手を頭の後ろで組み、戯けた真紅の瞳でチップは声を掛けてきた。
「そうだな、ずぶ濡れで病院へ向かうのもしんどいしな。あのキッチンカーで移動しようか。」
「げっ、またイサムが運転すんのかよ。この雨だぞ・・・、大丈夫か⁉︎」
「何だよ、そんなに云うならお前は歩いて行けよ!」
「バカ云うんじゃねーよ!この雨の中、ずっと居たら俺のキューティクル達が死んじまうわ‼︎」
終始何か苦いものでも噛んだような表情で、幼女は声を荒げていた。この大雨を浴びながら妙に敵対視しているメルが、あんな能力を秘めていたのだから苛立ちが募っているのだろう。というかまたこいつは、キューティクルを気にしているのかよ。人間の姿になってから、妙に変な拘りがあるな。特に自分の髪に対しては何かと敏感で、毎日欠かさずトリートメントをしているくらいだ。まるで年頃の女性のように、いやどちらかというと化粧を覚えたての学生のようだ。元は悪魔だが鳥に近い容姿の事から、綺麗好きというのもあるのかも知れない。聞くところによると忌み嫌われ者のカラスでさえ、寒い冬でも時間を掛けて水浴びをする程綺麗好きだと云う。少なからずこの幼女にも鳥の血でも流れているのか。あ・・・、だからこいつ、オツムに難アリなのか。そんなチップに、あぁまでして僕の運転を否定的に云うとはな。あれだけ何時間も掛けて運転したんだ。僕だって例えこの雨だろうと問題無い・・・筈。
「なに、垂くん。案ずる事はない。ここは私が運転しよう。」
そう云うと社長は僕が摘んでいた車のキーを颯爽と取り上げ、くるくると指で回す。得意げに車のキーを回す仕草は、何故か回そうとするエンジンよりも先に悪寒が走る。彼女の魅せるエスコートが自然と目の前に見えるキッチンカーが、泥舟に見えてきてしまったのは気のせいか。
「さぁ、諸君。乗りたまえ!」
彼女は大雨に降り頻る下で右手でエスコートをする。第六感がそう囁いてくれているのか、気が気では無いのは確かだった。僕が運転しないことに関して願ったり叶ったりだし、運転して貰えるのであれば尚の事だ。そうは云っても彼女の断れない抜群の圧のせいか、皆がキッチンカーへと乗り込む。それぞれの席へと吸い込まれるように座り込み社長は運転席へ、チップは助手席、僕とコツメはキッチン側へ。メルはまだぐったりしているので、僕が抱える事にした。
「さて、では向かうぞ、諸君。」
ドゥルン、ドゥルルルー・・・。
僕が運転していた時とは思えない程、彼女は大音量のエンジン音を吹かせていた。アクセルペダルを強く踏み込んだ彼女は、必要以上にエンジンを回転させる。馬の嘶きよりも遥かに荒々しい重低音。一種の車の悲鳴にも聞こえてしまう程に、雨にも負けず響き渡る。その音に気付いたのか、むくりとメルが重たかった瞼を開けて目を覚ました。
「おい、新人。」
少し疲れ気味の表情と声色で、メルは僕に尋ねる。弱々しかった声は裏返り、どこか焦りをブレンドしたような恐る恐るといった声だった。
「今運転しようとしているのは、・・・誰だ?」
「え?社長だけど?」
それを聞いたメルは大きく目を開き、爆弾でも吹き飛ばされたかのように飛び起きた。
「ば、馬鹿野郎‼︎マチコにハンドルなんか握らせるな!死ぬぞ!」
「・・・は?」
メルは僕の胸ぐらへと飛びかかり、濡れた毛で掴み掛かる。まさかとは思うが・・・、まさかなのか。この妖怪の取り乱しようは、まさかそう云う事なのか。思わぬ沸点に取り乱すメルに、唖然とした僕は数秒時が止まったかのように停止してしまった。そぉーっと、運転席が見える小窓を覗き込み、様子を伺う。先程から何度もエンジン音を空回し、雨音に負けない程の騒音を響かせていた。テキパキとギア、ハンドル、パッドを操作し始め、宛らレーサーのような風貌だ。そして、暴走にも近い歯車は荒武者の様に回り出す。
ギュリリリリリ・・・!
「ぶわぁぁぁああああ⁉︎」
急速に回転を始めたタイヤは、キッチンカーの尻を振るようにスリップをし始めた。ぶっきらぼうに雨水をぶちまけさせながら、S字を切って急発進する。突然の車の発進にグンっと掛かる重圧が襲いかかり、思わずメルは悲鳴を上げていた。それはメルに限らず、僕らも同様である。突如として動き出した車は上体を荒々しく起こした暴れ馬の如く。徐行なんて、そんな生優しいものなんかじゃない。シグナルを切った初めからフルスロットルだ。カーチェイスでも体験してるかのように、キッチンカーは爆進し始める。
「なななな、しゃ、社長~‼︎飛ばし過ぎですよぉぉぉおお!」
「垂くん、何を云っているのだ。」
「ぶぶぅ・・・ぶぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ・・・。」
「っておぉおおおおい、チップ‼︎ここで泡を吹くんじゃねぇーーッ!」
あろう事かふと視界に助手席を覗くと幼女は泡を吹きながら白目を向いていた。完全に気絶している。どうやら発進時に打ち所が悪かったのか後頭部を強打したようだ。更に腰に巻いたシートベルトが衝撃で強く締め付けられ、今に至るところなのだろう。それでも尚アクセルを踏み込み、エンジンを掻き鳴らす社長。公道でうなりを上げるキッチンカーの速度は、既に八十キロを超えていた。降り注ぐ雨を物ともせず、公道上で風を切らす異端の車。そうして彼女は、高らかにこう云った。
「法定速度など、二十キロぐらいプラスしても問題無いのだ、よ‼︎」
何を云い出すかと思えば、この女社長は詫びる事も無く更にアクセルを踏み込む。そのスピードは、二十キロオーバーどころか百キロの速度へと差し掛かろうとしている。ここは高速か?グンっと迫り来る更なるGが身体を強く覆い尽くそうとしている。
「しゃしゃ、あのしゃ、社長!ここの法定速度は、四十キロですよ!」
「だーから、何だって云うのだね垂くん!」
「立派な交通違反ですよ!」
この会社の規則では交通機関や車を使わない、己の足のみで運搬する。成程・・・、もしかしたらこの会社の規則に加わった理由はこれなのかもしれない。ハンドルを握ったら性格変わる人って、本当に居たんだな。しかもこんな間近に・・・。ふと横に目を向ければ、助手席で既にぐったりと横たわるチップの姿。先程よりも真紅の瞳が色素を失い、灰のように燃え尽いており綺麗な白目で天を仰いでいた。ぶくぶくと口からは、この荒々しい運転で眩んだのか涎塗れの泡を吹いている。
「云わんこっちゃねぇ・・・。マチコにハンドル握らせたらな。紐無しバンジーの方が遥かに生きてる心地がするぜ。」
宛らトラウマ級の運転スキルを魅せつけた社長は、沸点も最高潮なのか高笑いを決め込んでいる。先程の戦いの苛立ちや鬱憤をこのアクセルにぶち込めているのだろうか。もはや彼女の運転は、八つ当たりである。ブレーキペダルを踏み込む素振りは未だ見せていない。あぁ、駄目だ。僕も何かが逆流しそうだ・・・。蛇を描くように爆走しているせいで、強制的に身体を揺らされ平衡感覚が崩れようともしている。喉の奥から立ち込めるドロドロと纏わり付く何かが込み上げて、絵に描いたように紫色の顔へと変わりそうだ。
「はっはーー!良いとは思わんかね、諸君⁉︎風を切る、雨を切る、この高鳴るエンジン音!掻きむしるギア、擦り切れるタイヤ音、最ッ高ーだと思わんかね‼︎」
最高にハイとなった社長は、恐らくだがこの場にいる者達では目的地までブレーキを掛ける事は叶わないだろう。僕も天を仰ぎたい気分だが、一度でも気を抜けば意識を失いそうだ。キッチンカーは、長く赤いテールランプを靡かせながら病院へと駆け抜ける。




