10情報屋はおまかせを
「とりあえず、なんだ・・・。おつかれさん。」
チップが労いの言葉を投げかけたのは、目的地に到着して脱力し切った僕に対してだった。蒼白、意気消沈。大袈裟に聞こえるだろうが、鏡を映せばきっと僕は今そんな状態なのだろう。額に流れ出す汗はこの炎天下だけのせいではない。緊張に掻き立てられた冷や汗。運転中は、その緊張で水分補給をすることすら忘れてしまい喉がカラカラだった。例えるならばアスリートが全力で試合に臨み、コート上に満身の思いをぶつけた後のよう。硬直した筋肉は、運転という地獄から解放された事で溶けたアイスのように垂れる。
「マジで、死ぬかと思った。」
「そりゃ、こっちのセリフだぜ。何回、俺が声を荒げたかわかんねーッての!」
そう愚痴る幼女は、僕と引けを取らないくらい汗をかいていた。とりあえず首の皮一枚なんとか繋がったとでも云うように、修羅場を潜り抜けてきた戦士のように。
「うるっさいなぁ!そんなに酷くはなかっただろ!」
「何処がだよ!俺が注意しなかったら、お前、何人轢き殺してるかわかんねーぞ!」
悔しいが正直なところ、こいつに注意されるまで気付かなかった現場はいくつかあった。サイドミラーの確認不足で脇道を通る自転車を巻き込みカーブしそうになったし。まだ車が通ろうとしている中、無理くり右折しようとしてぶつかりそうにもなった。挙げればその粗相は両手が埋まり切る程で、思わず頭を抱えたくなるくらい。何度急ブレーキをかけ、高鳴る心臓をキュッと締め付ける程驚く思いをしたいことか。
「とりあえず、目的地には着いたんだ。」
「誰のおかげでだ!だ・れ・の⁉︎」
「すまんかったよ、幼女よ。コツメくん、君も降りてくれ。」
「うん・・・。」
僕たちは目的地であるタバコ屋に、隣接するように車を駐停車させた。車から降り、すぐの目の前にある雑踏ビル一階の一部、昔ながらのタバコ屋へと向かう。やはり記憶していた通り人一人がギリギリ収まる程の大きさの窓、ショーケースにずらりと並ぶタバコ達。その窓に佇むのは、通称“板さん“と呼ばれる老婆が暇そうにじっと外を眺めている。よく見れば奥には黒電話と真空管ラジオが置かれているのが見える。今まで通り道で見かけていた程度だったので、興味もなく気付きはしなかった。そういえば社長からは、一つ忠告があった。板さんに尋ねる時は、ちょっとした手順があるらしい。
「いいか、垂くん。板さんと目が合ったらこう云いたまえ。」
タバコ屋と云う現場に辿り着いて、徐に社長が云った言葉を思い出す。正直意味がわからないが、一種の隠語を使ったやり取りらしいのだが俄には信じ難い。とは云えども、コツメの依頼を達成させる為の手がかりはもうここしかない。そして、それを掴む為にこの老婆。通称“板さん”とのコンタクトが必要不可欠。進むしかないのだ、僕達は。今は手を拱いて踵を返す必要はないのだから。僕達は早速、店のカウンターに佇む板さんの前へと進む。板さんは、僕達に気付いたようで細い目をこちらへ向けた。
「いらっしゃい・・。」
少し枯れた声で客を招き入れた板さんは、少し身を乗り出す。カウンターを仕切るパーテーションに密着しているんじゃないかと思うくらい、その老婆は近寄る。耳が遠いんだろうか。だから身を乗り出し、しっかりと聞き取れるよう準備をしているのかも知れない。さて、ここからが問題だ。一語一句間違ってはいけないと社長は云っていた。確か、最初の一言は・・・。あぁ、そうだ。確か、これだ。ゴクリと生唾を飲み込み、僕は声を震わせた。
「最近・・・、若葉も見なくなりましたね。」
本当にこれでいいのか?若葉って確かタバコの銘柄だっただろうか、それともこの時期ならではの木に生える“若葉”を指すのだろうか。隠語のやり取りだとは云っていたが、これは一体どう云う意味が込められているんだ。少し不安混じりで発したが、この言葉に反応した板さんはどうやら反応はあったようだ。目付きが少し変わり、先程よりもやや尖らせながらじっとこちらを見ていた。そして、老いた唇が開く。
「そうだねぇ、夏が近い証拠だね。何のタバコをお探しだい、坊や?」
「いえ、タバコではなく・・・、ライターはありますか?」
「うちは、オイルライターしかないよ。」
「それなら、電話を貸してください。確認がしたい。」
その言葉を聞いて大きく目を開いた板さんは、少し笑みを浮かべ首を縦に振る。あぁ、クソもう。この隠語のやり取り、声を発しているけども全然意味がわからないよ、コマチさん。目の前に座る板さんが笑っていると云う事は、強ち間違いでは無かったんだろう。とりあえず第一関門は突破したと見て良いのかも知れない。
「・・・坊や、コマチちゃんのとこのかい?」
「はい、そこの新人です。」
そう聞いた板さんは、二度優しく頷いた。彼女の頷きはゆっくりで、桜の花弁が落ちる速度。まるで孫の話を静かに微笑みながら、傍らで聴いているようでとても朗らかだった。会話の中に居るだけでどこか心が落ち着き、実家や地元に帰ったような安心感。そう彷彿させる最中、僕の背後から聞き慣れた足音が聞こえてきた。カツカツ、とコンクリートを革靴で蹴り上げる足音。その弾ませた音の正体は、自信に満ち溢れた音。云うまでもない、ご存知弊社の社長である。腕を組みながら威風堂々を模した歩きで、こちらへ向かってくる。僅かな風が彼女の束ねた栗色の髪を靡かせ、肩にかけていたスーツジャケットをはためかす。その肩には、例のモジャモジャがマスコットのようにしがみ付いていた。メルは伸びた尻尾の毛を揺らし、少し面倒そうな顔でこちらを見ていた。板さんも社長に気付いたのか、窓から手を伸ばしそのまま社長へと手を振る。
「コマチちゃーん!」
「やぁ、板さん。元気そうで。」
どうやら長い付き合いがある程の顔見知りのようだ。板さんの皺混じりの笑顔が光る。何よりも板さんの甲高い掠れた女性の声は、古い友人にしか見せない様な声だった。手を振る板さんへ返すように、胸の高さ程まで手を挙げて静かに彼女は挨拶をしてみせた。余程、うちの社長とは仲が良いのだろう。長い付き合い、と云うだけでなくかなり友好的だ。社長も満更ではなく、静かに笑っている。
「コマチちゃん。今日は、何が知りたいんだい?」
板さんは、カウンター越しに腕を組みながら前のめりになり伺う。社長が来た事で終始ニコニコと笑顔を溢している姿は、老婆と云うよりはまるで少女のような素振りだ。それは春の曙にひらりと舞う蝶を見る様に穏やかで、その傍らで囀る鳥の声を聞く様に。
「なぁ、メル。このお婆さん、何者なんだ?」
社長が板さんと談笑している間を縫って、僕の肩に飛び付いたメルへ尋ねる。尻尾で彼女に指を差すように合図をし、メルはこれまた面倒臭そうに口を開いた。
「彼女は、#板見__イタミ__#レイコ。んで、ここはちょっと特殊な情報屋だ。」
成程・・・、それで板さんという訳か。うちの会社自体もだいぶ特殊なんだろうけど。“ギフト”に纏わる案件を専門にした情報屋なのだろうか。だとすれば、期待は出来そうだ。それでいてあの社長が頼る程だ。よっぽどの情報通なのか、はたまた・・・。談笑を交わした社長は、人差し指を立てて会話の区切りにピリオドを打つ。同行させて来たコツメを自分の傍まで手招きし、社長の前に立たせる。コツメは、少しオドオドとしながら小走りに社長の元へと近付いた。
「それで、板さん。今日知りたいのは、これなんだ。」
コツメの両肩をポンっと添えるように手を置いた。我が子を紹介する様な優しい手際で。普段自信に満ち満ち、強情で向かい風知らずの社長にこんな一面があったのは意外だった。少年の肩へ置いた手からは飴玉が現れ、そっとコツメへと差し出す。子供への扱いがあまりにスムーズで慣れている。そのさり気なさは、エレガントであると頷かせるだろう。彼女は板さんへと手を差し伸べながら、薄紅色の唇を開いた。
「この子が持つ、尻子玉の持ち主を探したい。」
ハニーイエローの瞳が潤んだ視線で板さんを見つめる。コツメとしては何が何だか、といった具合だろう。正直なところ、僕もそうだ。今何が起きようとしているのか、この紹介を受けた板さんという老婆は何者なのか。少々内気なコツメには、初対面の連鎖により不安を掻き立てる。少年との目があった板さんは、その細い目で全てを測ったかのように一振り頷き呟く。
「坊ちゃんは、#妖__あやかし__#だね。名前はなんて云うんだい?」
「おいら、コツメ・・・。」
先程まで不安がっていたコツメの表情はいつの間にか、霧のように失せていた。彼は臆する事なく、板さんに名乗る。初めて接した時とは段違いだ。僕と初めて話した時とは、あんなにビクビクと怯えながら話していたのに。
今では実家に帰ってきた小さな孫のような状況だ。それでも帽子を深く被り顔を上げていないのは、彼の潜在的でもある内気な性格がブレーキをかけているのだろう。
「コツメちゃんね、めんこいねぇ。街に来るのは初めてなんだろう?」
「お婆さんは、人間・・・なの?」
「そうさよ。ちょっと歳取った人間さ。」
ちょっと・・・?見た感じ八十代後半のお歳を召された老婆にしか見えないけど。いやでも、いくつになっても女性に年齢の話を突っ込むのは野暮だろう。変にこちらから聞き出すと面倒だから、僕は蓋をしてその言葉を呑み込んだ。
「なんで、おいらが妖怪だって一目でわかったの?」
「ちょっとした人生経験と、私自身がちょっと特殊だからさよ。」
うんうん!と言葉を身体で表す様に、昂る感情を原動力として二度頷く。板さんは、コツメが妖怪とわかった上でも愛玩犬とも云える程、慈しみを添えていた。瞬間、周りを見渡した社長はコツメの帽子に手を当て、囁くように口を開く。
「面子が多いと、ここでは流石に目立つな。板さん、上がらせて貰うよ。」
何かの視線を感じたのか、僕達とは違う何かを察知したのか。社長は後ろへ振り向く事無く、自分の後ろ側へ指を指揮棒のように振っていた。その刹那、ジュッと何かが燃え尽きたような音を発する。気のせいなのかも知れないが、何か背筋がピリ付くような電流が走り込む感覚が生じた。恐らく、念を越しての結界か何かを張り巡らせたのだろうか。何かを勘付いた社長の目つきは鋭くなっており、僅かな緊張も張っていた。
「構わないよ、上がっておくれ。」
そう云って板さんは、タバコ屋の出入り口へと指を差し、僕ら一行を迎え入れる。タバコ屋の中は意外にも広く設計されており、カウンターとは別に事務室のような部屋がある。和室のような造りとなっており、ちゃぶ台と畳みが置かれている何とも簡易的なところだった。招き入れた僕達と合わせる様に、板さんは黒電話と真空管ラジオをこさえてきた。なぜ、わざわざそんな物を持って来たのだろうか。うちの社長とメル以外、理解出来ていなかった。僕たちは吸い込まれるようにその畳みに座り込む。チップだけは胡座をかき、皆正座していた。
「じゃあ、早速始めようかね。コツメちゃんと云ったかね。その尻子玉を見せておくれ。」
板さんは、準備が整ったのかコツメに尻子玉を出すよう指示する。しかしそこへ、一筋の手の平を添える。彼らの会話に割り込むように手を翳したのは社長だった。
「その前に、板さん。この少年と大事な話があるんだ。・・・良いかな?」
「構わないよ。」
板さんは、目を瞑りながらそっと手を差し出す。そう云えば、そうだった。このタイミングで訊く事は、ただ一つ。依頼を受ける為の契約だ。彼女は、依頼主の想いを丈に距離数を掛け合わせて報酬額を決める。本来、探偵業などであれば依頼主が金額を指定するところだが弊社はその逆だ。あくまで運搬を主とする運び屋であるからこそ、社長が金額を決める立ち位置なのだ。
「コツメくん。君の事情は、うちの部下から話は聞かせてもらった。私のところへ依頼をしにきたんだ。それなりの覚悟は決まっている、と云う事で良いんだな?」
「・・・うん。」
彼女のここぞとばかりの真剣な眼差しに圧倒されたのか、息を呑みながらコツメは答えた。
「うむ、良い返事だ、コツメくん。私は老若男女問わず、全て平等で扱う気でいる。」
「はいッ!」
社長の豪語に感化されたのかコツメは、つい歯切れを良くし返事をした。
「して・・・だ、今回の報酬の件だがな。」
そう云うと彼女は人差し指を一本だけ立たせ、口元へと運ぶ。何とも云えない怪しげな表情を醸し出した社長は、ゆっくりとその抑えた言葉を吐き出す。
「締めて一千万で、本件を引き受けようではないか。」
「いいいいいいいい、イッセンマン⁉︎それは社長、あまりにもあんまりですよ!」
彼女の一言につい荒げてしまった。一千万って何を考えているんだ、この女社長は。老若男女平等ってそんな時にも適用すべき内容じゃない。とてもこの少年に払い切れる金額では無いからだ。
「どうした、垂くん。語彙力が成仏しておるぞ。」
「老若男女全て平等とはいえ、その金額はぶっ飛び過ぎじゃないですか!」
確かに今の僕には、彼女の言葉が衝撃的過ぎて語彙力が無い。むしろ、こんな年端もない少年に何という金額を提示しているんだと顎が外れそうだ。
「私は君に尋ねているのではない。コツメくん、どうなんだ?」
「社長・・・。」
社長はブレーキをかける事は無かった。それどころか、僕を抑止させ「それ以上は云うな。」と手を添えて止める程だ。
「構わないよ、その為においらはここに来たんだ!」
「良い面構えじゃないか、うちの社員にも煎じて飲ませたいものだよ。」
引き締まった少年の表情は、決意の表明。それを見た社長は、強張っていた緊張を解す。鋭かった眼差しを緩め、再びコツメの肩をポンっと軽く手の平で叩いた。
「安心したまえ、垂くん。私も鬼では無いさ。コツメくん。丁度今さっき、ツテが顔を出したばかりでな。今、金の事は気にしなくて良い。」
「お願いします・・・、あの子を救って上げて欲しい。」
「便箋小町におまかせを・・・。さて・・・、板さん、待たせたね。」
少し不穏な言葉もあったが、今は彼女の云う通り気にしない事にしよう。一頻り依頼を受け付ける準備が整ったところで、社長は右手で仰ぐように板さんへと会話の流れを返した。老婆は、無言で一つ頷く。そうして、板さんはコツメへと尻子玉を出すように提示する。コツメは素直に従い、ポケットに忍ばせていた尻子玉をちゃぶ台の上に差し出した。この光景に難色を示していたと云うよりは、これから起こる事を理解していないチップは、思わず口を開く。
「なぁ、イサム。これ何なんだ?一体、何が始めるってんだ?」
チップは聞こえないように耳当てで僕に問う。皆まで云うな、僕だって知る訳が無い。ここへ来たのも初めてだし、この老婆が何者なのかも理解していないんだ。全くどうしていつも、こういう初めての事が行き当たりばったりなんだ。せめて、ある程度の研修を交えてから実施に移った方が現場慣れも早まると云うのに。だから、そんな行き当たりばったりな僕が云う台詞は決まっている。
「馬鹿、俺が知る訳無いだろ!」
僕とチップのやり取りに気付いたのか、静かに正座していた社長が振り向き目が合う。「全く君たちは。」と云わんばかりの呆れ顔と溜め息を披露された。眉間に人差し指を添え、考え込むというよりは部下の#羞恥__しゅうち__#を洗い流さねばと抑え込む。そうして、少しでも堪忍袋へと仕舞い込むように彼女は憤りで塞いでいた。是非とも彼女の持つ袋のキャパシティが、まだ余裕である事を強く祈りたいところだ。その一方では、ほぼ同時進行で事は動き始めていた。板さんは自分の傍へと尻子玉を置き、真空管ラジオの電源を入れて摘みを弄っていた。ラジオの電波をチューニングするように摘みを左右に回しながら、電波帯を拾おうとしていた。・・・のように見える。実際、この作業がどういう意味合いなのか不思議でならないのが正直なところ。
ブ、ブ・・・、ザ、ザザァァーーー。
砂嵐のようなノイズの音が響き渡る。時折、ピューンっと電子音もなり、その度に板さんは、ラジオの摘みを微調整していた。
「おい、イサム。なんか始めたぞ!これ、あれか?電波系ってやつか?」
「多分違うし、悪魔のお前が電波系とか云うな。」
チップは見慣れない不思議な光景に少々引き気味で僕に聞いて来た。やかましい悪魔を片手で払いのけ、その光景に唖然としながら口を紡んでしまった。そんな僕らの隙をつくようにメルが語り始める。
「新人。今レイコがやってるのは、お前らで云うところの“口寄せ”ってやつだ。」
「口寄せって召喚術みたいな奴だろ?蛙とか蛇を呼び寄せるような。」
「そりゃ、漫画の読み過ぎだぜ新人。潮来って言葉くらいお前ぇでも聞いた事あるだろ?」
「まぁ・・・、名前くらいはそりゃあ・・・。」
確かに、名前くらいは聞いた事がある。死んだ者の魂を呼び寄せて会話する、みたいな感じだったろうか。オカルトを信じて来なかった僕にとって、ほぼ馴染みの無い物だ。ざっくりとしたイメージしか湧かない僕には、顎を摩りながら拱いていた。社長は人差し指を自分の口元へと持っていき、メルの言葉に添えるように話す。
「元来、#潮来__イタコ__#とは死んだ者の魂を呼び寄せるのだよ。更にその魂を自らの身体へと乗り移らせ、現世の者と対話させる役割なのだ。だが彼女は、その潮来の中でも特殊でな。この方法で生き霊やマナ、精霊と対話が出来る潮来だ。そして、ここからが肝心だ。彼女はその対話方法も他とは違う特殊な潮来な訳だ。」
ジリリリリリリリリリリィーー。
受話器を跳ね除けるような勢いで黒電話が鳴り響く。黒電話の中にある錆びついたベルが煤混じりに奏でていた。ただ一つの違和感を生じながら、掻き鳴らす。電話機だと云うのに電話線が無く、どこにも繋がっていないのだ。本機だけが威圧的に置かれている。一体どこにどう繋がっているのだろうか、と不可思議な違和感を持った黒電話が鳴り響く。
「・・・繋がったね。コツメちゃん、出ておくれ。」
「え・・・、おいらが?」
目を瞑ったまま板さんは、電話に出るようコツメに手を差し伸べる。そうか、これは真空管ラジオと繋がっているのか。物理的に繋がっている訳では無い。霊的な何かでだろうか。コツメは自分が対応するとは思っていなかったが為に、構えておらず驚いていた。
「これが彼女の口寄せだ。真空管ラジオはマナのチューニング、電話は対話する為に。そして板さんはその橋渡し。ただし、関わりがある者にしか対話は出来ないのだよ。」
「え、でもコツメくんだって名前すら知らないのに?」
「その尻子玉を取った張本人は、他でも無い彼であろう。」
「あ・・・、なるほど。」
腕を組みながら社長は説明してくれた。確かにそれなら、常人では知り得ない情報が手に入る。“死人に口なし”という常識を大きく覆すその現象は、察しえない。この場合は生き霊の状態が近しいのか。尻子玉の持ち主と最も距離が近いのはコツメだ。とは云っても、恐らく殆ど会話はした事が無いだろう。関わりと云うよりは、少年自身が尻子玉を抜いた張本人だからこそ。その関係性に照合が取れる。それでコツメを推薦したのか。そうしなければ、情報を聞き出す事が出来ない訳だ。コツメは、鳴り響く黒電話の受話器を恐る恐る手に取る。カチャンっと受話器のフックが外れた音と共に忙しく掻き鳴らすベルの音が止まった。取り上げた受話器を自分の耳に当て、コツメは耳を澄ます。ザ、ザザ・・・。まだノイズが混じっているようだ。ブ、ブと音が途切れ途切れだ。受話器越しでもその音が漏れているのがわかる。
『ザザ・・、エヌダイガ・・ザ、・・・クビョ・・・ブッブツ、イン。』
ノイズ紛れに聞こえて来たのは、男の声だった。それもまだ声変わりもしていない、幼い少年の声だ。聞こえてきた音声は、N大学病院の事を指しているのだろうか。唐突に告げた居場所。この尻子玉の持ち主は、自分の居場所を伝えようとしている?病院と云う事は、この少年は入院をしているのか。思考を連鎖させて、少しずつ明るみになる手がかり。濃く曇った霧が少しずつ晴れていくようだった。少年は、N大学病院に居る。コツメと出会ったM市付近には大きな病院は無く、大学病院程の設備や医療は充実していない。ましてや原因不明の腑抜け状態で謂わば植物人間の症状となれば、M市の病院では手に負えない。そうなると必然的にN市大学病院・・・となる訳か。
「君の名前は・・・?」
コツメは、震えた声で電話越しに尋ねた。
「トリヤ・・・マ、・・・ザザァァ、ミズ・・・キ。」
トリヤマミズキ。それがこの尻子玉の持ち主の名前のようだ。ノイズ混じりの声は、音声を無理やりに途切れさせていた。こんなにも早くあっさりと名前と居場所が掴めた。N大学病院に入院している少年、トリヤマミズキ。けれど、もう少し情報が知りたいところ。コツメも同様の事を思っていたようで、もう一押と聞き出したい。そう彼が声を出そうと、一息の音が漏れた時だった。
ツー、ツー・・・・。
そこで電話が切れたようで会話もブツリと途絶えてしまった。まだ場所と名前しかわかっていない。大学病院は設備が充実してる分、取り扱う科目も幅広い。具体的にどこの階層のどの部屋かわからないとなると、探すのも病院側に聞くのも怪しまれてしまう。だがそう悩んでいた矢先、僕らが黒電話での会話に気を取られている中で異様な光景が起きていた。板さんはどこから取り出したのか、ノートパソコンを尋常じゃない速度で操作し、目紛しく画面が動き回る。ダダダっと高速でキーボードを叩き付ける度に、画面上に文字が濁流のように打ち込まれる。まるでこの老婆とノートパソコンが体の一部として一体となったように。板さんは自分の肩と首で衛星電話のようなものを挟み、どこかへ電話をしていた訳だが。起こっている現状に圧倒されただけでなく、色んな意味で思ってた潮来と違う・・・。
「あぁ、そうだよ。N大学病院さ、そう。トリヤマミズキという少年を・・・。」
極めて口調は穏やかに話しているが、その光景は想像をし得ない状況。それはどこかのスパイ映画に出てくる、宛らハッカーのような人物を間近に見ているようだった。
「社長・・・、板さんって何者なんですか?」
少し引き気味で僕は、社長に尋ねる。僕の顔を見た社長は少し笑みを浮かべ、こう告げた。
「驚いただろう、彼女はこの国の元諜報機関の特殊構成員に所属していたんだ。これだけの情報が揃っていれば、居場所特定など赤子をあやすより容易い。」
「元諜報機関・・・、特殊構成員って、このお婆さんがですか⁉︎」
「人を見かけで判断すべきではないぞ、垂くん。」
「いや、だとしてもあまりにもギャップが・・・。」
そのあまりの落差に驚きを隠せず、僕は口を馬鹿のように開けていた。自分達の目の前にいるこの老婆は謂わば現代潮来であり、且つ元諜報機関の特殊構成員。詰まるところ、今で云うところのハッカーのような存在なのだろうか。見た目とは裏腹に、あまりにハイスペック過ぎて僕の頭の処理が追いつかない・・・。固まってる僕とは対照的に、板さんはA6サイズ程のメモ紙に衛星電話から流れる音声を聞き取っている。腰を曲げた老婆とは思えない速度で、メモ紙に走り抜けるように鉛筆で書き記していた。彼女が書き記した文字は「西棟四〇三 個室」と殴り書きされており、直ぐ様そのメモ紙を引き破った。二本の指で摘まれたメモ紙は、瞬きをする頃には僕の目の前に差し出された。ノートパソコンをパタンと閉じ、板さんは僕にこう告げた。
「ほら、新人の坊や。ここにその子が居るよ、早く行っておやり。」
一仕事終えた板さんは満面の笑みを浮かべており、先程までの殺伐な光景はそこには無かった。僕は差し出されたメモ紙を受け取り、ゆっくりと立ち上がる。ずっと正座をしていたので少し脚が痺れはしたが、先程までの光景に集中されてしまいそれどころでは無い。
「いつも助かるよ、板さん。さて、諸君。」
パンっと手を叩き、社長は話の区切りに栞を入れた。肩に羽織っていたジャケットに珍しく腕を通し、見つめる視線はどこか険しかった。外へと繋がる玄関扉の先をじっと睨みつける。コツメの同族もこちらの動きに迫ろうとしているのか。恐らく一筋縄では行かないから、社長は張り詰めた表情を浮かべているのだろう。このまま事無く済めばとは思うが、今は行動する事が一番の先決。僕たちは板さんの店を後にした。
・・・。
・・・・・・。
いつの間にか外は、曇り空が広がり青空をグレイに染め上げようと覆い隠し始めていた。これから夕立のような雨でも降り頻ろうと云うのだろうか。
「なんか、蒸し暑くね?」
そう愚痴を溢したのは、チップ。Tシャツをパタパタと仰ぎ、纏わり付く湿気を払う。確かに先程までカラッと晴れた天気とは違い、また梅雨のような湿気混じりの空気が漂う。まるで触れる空気が見えない霧で覆い隠されたように、生暖かい空が舌で舐め回すみたいだ。メルは何かに気付いたのか、頭頂部の毛をピンと逆立たせている。
なんだかどこかで見た事がある風貌で、妖気を感じ取ったアレのようだ。当然、社長もそれに反応していた。険しい表情だった正体は、感じ取っているのか。
「ふむ・・・、少し遅かったか。」
指を咥えた社長が、眉を歪める。一体何が起きているのか、辺りを見渡すが気になる違和感がまるで感じ取れない。所謂これが“嵐の前の静けさ”、と云うやつなのだろうか。徐に社長はネクタイを少し緩めながら、口を開いた。
「諸君、どうやら花婿までの道は茨のようだ。」
見上げた曇り空がどんよりと辺りを暗がりへと変化させる。どうやら、僕以外の者は気付いているようだ。コツメやチップですら警戒するように辺りを見回す。見えない影がもうすぐそこまで。襲撃は、間も無いようだ。
ポツリ。
大玉の雨粒が重圧の雲から一雫溢れ、轢かれたコンクリートを穿つ。雫が周囲に飛び弾けた。大雨が降り掛かろうとまた一粒、そして一粒。合図を受けたように天より一斉放射される。辺りは、強烈な雨で視界を惑わす。
「さて・・・、客人のようだ。まぁ、呼んだ覚えは無いがな。」
雨に紛れ、僕達に忍び寄る客人。それはきっと、決して歓迎されたモノでは無いのだろう。




