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便箋小町  作者: 藤光一
第一章 始動編
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1便箋小町におまかせを

 便箋小町という店を知っているだろうか?今で云うところの運び屋と呼べば、何となくイメージがつきやすいところだろう。ここで紹介する以上ただの配達業者ではない、と云うのも頭を撚らずとも予想が付くか。届けたいものは何でも構わないのだ、片手で持てる依頼物ならば尚良い。俗に云う一つの都市伝説にもなっているのだが、N市にその便箋小町が存在すると巷では濃厚らしい。電話番号は無く、地図には存在せず、広告も一切していない。当然ながら現代社会でも普及したネットにも情報は薄い為、その確固たる証拠は掴めていない。けれども何故か人の噂が重なり、その存在だけが一人歩きしているように広まっているのだ。不思議な物だとは思わないかね?これを人々は都市伝説と一言で呼称し、所謂オカルトの一つだと認識している。


 届けられるものは、何でも良いと言ったが何故片手なのか。君達は少なからず疑問に思った事だろう。答えは至ってシンプル、配達業者が歩いて渡すからだ。基本的には異例が無い限り車を使う事は無く、公共機関や独自の社秘ルートで届ける。ならば、普通の運び屋に依頼すれば良いではないか。そう考えるだろう。しかし、どうだろうか。もし、見られたくないものや信じがたいものを届けたいとしたらと考えてみたまえ。君たちが云う普通の配達業者は引き受けてくれるだろうか。答えはわかっている、聞くまでも無い。さて、せっかくだから例を挙げてみよう。違法の薬品や食品、金品は勿論。爆弾、密書、臓器、などなど。これだけ上げても、良い数だな。そして、普通の人には見えないもの。さて、それはどんなものか。大方どんなものか見当が付くだろう。もちろんタダではやらない。慈善事業では無いが料金は意外にも良心的だ。距離×想いで依頼報酬が成り立つ。届け主には、まず届けたいと云う想いを語ってもらう。つまり、届けたい思いが強ければ強い程に金額は比例して上がっていくのだ。


 また便箋小町は、本当に必要となった時にのみ訪れる事が出来ると云う。それでも一度でも利用した者がいる中で、以降の住所が解らないのには訳がある。便箋小町独自のある制約があるからだ。店から出ると店の存在がわからなくなる。依頼を受ける際に時計、携帯電話、筆記用具、音声レコーダーなどを全て一旦預けなければならない。ただし、それでも便箋小町の情報が忍ばせた携帯電話などに記録されていた場合には処置が下される。仮に依頼中であっても、発覚次第にデータを削除の上で取引は不成立とされてしまう。


 完全秘密主義の裏稼業!手に収まるものなら何でも届ける配達屋、それが便箋小町である。

 

「と、いうのがウチの特徴な訳だよ、垂くん。」


 僕の名前は、垂イサム。読み難いとは思うが苗字の「垂」は、これで「シデ」と読む。この苗字の姓で、タルムなんて不名誉なあだ名で呼ばれた時期もあった十九歳だ。まぁ、鏡を見て客観的に見てしまえば第一印象は、やる気の無さそうな青年と捉えられるかも知れない。生まれつき癖毛が目立つこの黒髪は、特に拘りがある訳では無い。ここ数年髪型を変えていないくらいだ。職業は、運び屋・・・らしい。もっともまだ事務処理しかしてないので未だ実感は無い。そうそう、具体的な会社名だけれど・・・、どうやら社秘事項により履歴書には書けないらしい。高校卒業後ひょんなことから、この会社に勤める事になったのだがその件はまたどこかで詳しく話そう。さてこの会社の構成員だけれども、深々と腰掛けれる漆黒の革製イスに堂々と足を組ながら座る女社長。入社三ヶ月の僕、それとよくわからない白くてモジャモジャした生き物の計三人?で賄っている。


「はぁ、そうですね。」


 僕は社長には目線を合わせずに、叩けば埃のように溢れる報告書の山に目を通していた。その報告書の山から一枚抜き取り、自前のノートパソコンにデータを打ち込む。クラウド?デジタル?僕がここに入社するまでパソコンどころか機械という機械が無かったのだ。本当にここは現代社会なのかと目を疑いたくもなったが、目の前に佇む彼女が極度の機械音痴なのが原因だ。便箋小町とは、という都市伝説を得意げな口調で話す彼女の語り部は「またか。」と思う程。入社してから三ヶ月、一体何度耳にしたか覚えてはいない。やろうと思えば、もうすぐ丸暗記出来るだろう。だから、僕はこの話の冒頭時点で既に呆れている。


「ぬっ、垂くん。なんだその呆れた表情は?仮にも社長である私の言葉だぞ?」


 この女社長は、飛川コマチ。紛らわしいが、彼女の苗字の読み方は「トビカワ」の方だ。年齢は社秘事項。本人曰く、半分人間で半分妖怪らしい。むしろ、社秘事項にするのは逆ではないかと思う。また、何の妖怪なのか詳しくは教えてくれなかったが僕が思っているより地位は高い方らしい。その為か、スーツも見事に着こなしている。スーツの端までピリッとアイロン掛けされており、綺麗に整っている。僕のシワ汚れたスーツとは大違いだ。可笑しいな、まだ買って三ヶ月なのに社長の方が綺麗だ。栗色の長い髪を髪紐で一本結び。理由はよく解らないが、いつも両手には白い手袋をしている。白い手袋だからこそか、やはり指先までしっかり手入れがされておりシミ一つさえ無い。そんな彼女は眉を釣り上げさせ、僕の態度に対し怪訝そうにこちらを見つめる。


「ところで社長。なんでウチの店の入り口って、男性便所と女性便所の間にあるんすか?」


 何を隠そう僕達の今居るこの事務所は、非常に特殊な場所に位置する。所謂、雑居ビルにこの便箋小町がある訳だが何故かその場所は、男女のトイレの間に構えている。曰く、便箋小町に用が無い者達には便箋小町の扉は見えず、変哲も無い古びた壁にしか見えない。どうやら特殊な結界か何かを貼ってるのだとか。一般人が見えないのは、そう言った仕組みがあるからだ。まぁ、しかし何もトイレの間に構える必要は無いだろう。と思うかも知れない。ご安心を。僕も全く同じ意見だからだ。なので、改めて僕は愚痴を溢すように質問を投げかけたのだ。ところが、僕の質問が彼女にとっては愚問だったようだ。酷く怪訝そうな溜め息を溢しながら。その証拠に社長は、絵に書いたようなへの字を模した口にし腕を強く組んで立ち上がった。


「垂くん、それは入社当時にも話したであろう。」


 彼女の後ろに立てていた黒板に体を向け、その中で一番綺麗で且つ新しいチョークを取り出した。どうやら、綺麗なチョークで書き殴るのを好んでおり、使い終わったら捨てるようだ。チョークの経費も馬鹿にならないからホワイトボードの方が良いのでは?と話した事があった。「ペンの匂いは鼻につくから嫌いだ。」と反論され却下されてしまった。余りに非効率的である。こういう細かなところが余計な出費に繋がるのだ。拘りとコスト削減については、声を大にして意見したい。さて、彼女が力強く黒板に書き殴ってくれたのは「郵便」という字だった。


「郵便という漢字は日本で作られたらしいのだ。だけどな、郵便という制度ができた時代、未だ世には郵便という言葉自体も完全に浸透してなかったのだよ。だから、田舎から来た人たちは「郵」が読めなくて「垂」に似てるからタレベンと読んだそうだ。皮肉にも便所と勘違いされて昔のポストは小便かけられまくった、というわけだ!」


 と、悠々と語りだした訳だがそれとこれとでは話が違う。郵便という言葉の歴史を話されても、じゃあうちの会社はトイレの間に入り口を構えよう。どう考えても、そうはならんだろ。百人に街頭インタビューをかけても、普通の入り口を望む筈だ。それを自信満々に鼻息を鳴らしながらか語るこの女社長は、どこか奇抜なのである。


「いや、それで便所の間に会社構えなくても良いんじゃ・・・。」


 僕がそう言い掛けた時、社長は大きく目を丸めて驚きの表情を映し出す。何故それが理解出来ないのか、と言わんばかりに眉間を寄せながら人差し指を当てる。トンっと眉間を軽く叩いた後に、ピンと立てた人差し指と中指を僕の額へと当て付ける。そのまま槍でも投げるかのように大きく口を開き、勢い付けてきた。


「馬鹿か、君は?わかりやすいだろうが。それに便所が近いオフィスルームは楽だと思わんかね?それにな、君を雇った理由は名字が垂だからだ。」


「まさか、それだけの理由で?」


 圧倒させる勢いで詰め寄る女社長は、無茶苦茶な持論を僕にぶつけ始める。その寸劇の圧は凄まじく、傍目から見てしまえばパワハラでも受けているようだ。労基の方、ご安心ください。僕はそこまで過剰じゃありません。目の前で暴れ回る馬車馬を落ち着かせるように、短く両手を上げシュラグを見せる。それでも彼女の勢いは収まらず、突き立てられた指が更に僕の額を押し付ける。


「では聞くが、低脳高校を卒業した資格も何もない君を雇う理由がどこにある?良かったな、垂で。親に一生感謝せねばなるまいな。」


 おっしゃる通りです・・・。生憎、勉学には身が入らないタイプなのだ。それ故に成績も落ち着かなかったし、どちらかと云えば中と下の間を常に飛んでいたくらいだ。ただ、勘違いしないで欲しい。ただ、やる気が無かっただけなんだ。履歴書に書ける程の資格も無いけれど。ふんッと鼻息を立てた彼女は、そんな僕に対し冗談なのか皮肉なのか微妙な瀬戸際で責め立てていた。肩に掛けていたスーツジャケットを靡かせ、くるっと後ろへと振り返る。コツコツと革靴でタイルを踏みながら、自分のデスクへと戻っていった。彼女のデスクは、この事務所の一番奥に位置する。灰色のスチール製の何の変哲も無いデスクだ。常に地図や資料の山積みとなっており、宛らどこかの山脈のように険しい。デスクの両端には柱のように本が乱雑に縦積みされている為、お世辞にも綺麗だとは云えない。けれどその本の多くは、どれも仕事とは関係の無いオカルトの話ばかりだった。この飛川コマチは、身嗜みこそ完璧ではあるが整理整頓に関しては天地の差である。掃除の概念が無く、二日程ほっとけば見事なゴミ屋敷が完成する程だ。日課の一つである朝と夜の掃除や整理整頓は彼女達がしない分、僕がいつも行っている。お陰で劇的なビフォーアフターを体現する事が出来るようになり、入社時の散らかった事務所とは雲泥の差。さぁ、見たまえ。このデスクの端まで汚れの無い清潔感溢れる空間を。これが日々の努力の賜物だ。それでも社長のデスクだけは、掃除させてくれなかった。「やめて、それだけは。」と懇願するくらいだ。以降、僕は彼女のデスクには手を付けないようにしていた。お陰で見事な山脈が現在も記録更新中なのである。そんな本の山脈から社長は、その中でも一番古そうな本に手を掛ける。明らかに見慣れない古本だ。またどこかで無駄使いをしたのか、この社長は。彼女が持つ本は、星の数を数える程多い。この事務所内だけでも数百は下らない。数回左の手で埃を払い落とし、ふーっと息を吹きかけた。埃が綿となって、粉のように舞う。相当古いのか、こびり付いた汚れは拭き取っても頑固な汚れとして残っている。そんな本を大事そうに両手で持ち上げ、微かに囁くような鼻歌を上機嫌に奏でていた。


「飛川社長、その本はなんです?」


 と、社長に投げ掛けるとドキッと体が跳び跳ねた。その光景は、宛らエロ本を親に隠れながら読んでるところを見られた瞬間と重なった。彼女のリアクションは硬直し、魚が泳ぐように目を逸らす。子供か・・・?冷や汗が彼女の頬を伝い、スゥーっと大事そうに携えていた本を自分の身体へと隠そうとする。


「さ、さてな・・・。あまりにも古いからな、前から・・・あったではないか?」


 嘘つけ、そんな訳あるか。誤魔化し方が小学生レベルじゃないか。整理整頓ができないのに、キャパシティ皆無でどんどん本を増やしていくのだ。コレクター癖なのか趣味の一環なのか分からないが、増え続ける産物にこちらとしては頭を悩ませる。そんな中、あいつは社長の隙を見逃さなかった。


「おいおいおい、マチコよぉ。俺は知ってるぜ。一昨日までの本の数は千八百二十六冊だぜ。しかし今日の朝、確認したらどうだ?」


 社長の事をマチコというのは、コイツだけだ。本の山陰から籠った声を出し、モゾモゾと動き出す。社長もその声を聞いて、ムッと眉を尖らせた。彼女は携えていた古本をデスクへと置き、本の山の方へと声をかける。


「マチコではない、コマチだ。それにここでは、私の事は社長と呼べ。」


 そう、本の山にぴょんとジャンプしてきたのは、白くてモジャモジャした毛むくじゃらの生き物。本人曰くだが妖怪のメルだ。相変わらず何の妖怪かは解らない。伸縮自在なのかは不明だが、自分の長く伸びた白い毛を手足のように動かしている。身体の殆どが毛に覆われており、ふわりと生えた尻尾を使い巧みにジャンプして移動する生き物だ。いや、これを生き物として認めて良いものか。これを妖怪と見てしまったら、何だか負けな気がする。とは云えども、人間のように悠長に語り出すメルを見ていると妖怪なのだと認めざるを得ない。覆われた毛からチラリと見せる青く透き通った瞳を覗かせ、社長へとその視線を向ける。


「あぁ、知ってるぜ。そんで、本の数は千八百二十七冊。一冊多いぜ、マチコ!」


 なんで数えてるんだよ、番長皿屋敷かよ。いや、正確にはちょっと違うか。メルはその場でピョンピョンと跳ねながら、社長へチクチクと突いている。


「はは、ははは、メルよ。お前も長く生き過ぎたのではないか?」


 社長の顔は、冷静を装う顔を保とうとしていたが右目と口がピクピクと震えていた。それは、今にも小さな袋から弾け飛びそうな爆弾を飛散させまいとギリギリなところまで抑えていた。負けじと社長は、追い討ちを打つように告げる。


「それに低級妖怪の貴様は、いつから本を数えるのが日課になったのだ?あれか、花札の数でも数えるかの如く馬鹿の一つ覚えにボケ防止の数あわせが新しい趣味として始めたか?」


 身体を屈ませ、メルへと数本の投げナイフを浴びせるような言葉と共に詰め寄る。それでも毛むくじゃらの妖怪は臆する事は無く、真顔で正論をぶつける。


「バカ云え、マチコの方が俺よりも上じゃねぇか。」


 多分、こいつに悪気は無いんだと思う。心に思った事をそのまま包み隠さず、声に出てしまう性質なんだ。それは時に仇となるのが現代社会なのだが、表裏が無いという事だけを摘めば決して悪い事では無い。メルが真顔で率直に答えているのが、淀みの無い証拠だと。 


「メルは、いくつなんですか?」


 僕は、ふと素朴に思った。そう云えば、彼女達の年齢をまだ聞いた事が無かった。社長の見た目は二十代後半にも見えるけど、その古風で独特な喋り方が年齢を当てさせるのを麻痺させる。その一方でメルの歳については、正直言って全くの未知数だった。親戚のペットの歳を伺う程度の感覚だったのだが、こんな生き物の歳なんて前例が無いので聞くしかない。僕も軽はずみな気持ちで、メルへと尋ねた訳だが・・・。


 「ん?そうだな、今年で七百九になるか?」


 何食わぬ顔をこちらへと振り向かせ、平然とした眼差しでメルは答えた。刹那、時が止まったかのように社長の拳がメルの全身顔面の身体目掛けて、すぐ目の前まで来ていた。それはプロボクサー顔負けの見事な死角までの踏み込みであり、しっかりとメルをめり込ませミートさせる。メルの断末魔すら捉える事無く、衝撃と共に玄関の扉まで吹っ飛ばされていった。ドンッと衝撃音が響き渡る頃には、メルは空気の抜けたサッカーボールのように歪み倒れていた。扉までの距離は五メートル程だが、ひしゃげた扉を見る限り実際にはもっと飛んでいったのだろう。


「レディの御前で、歳の話は禁句だ!何度言えば理解できるのだ!」

 

 すかさず、彼女は左内ポケットから掌サイズのメモ帳を取り出す。デスクの隅に設置された万年筆を手に取り出して、サラサラと何かを書き殴っている。その筆圧は怒りがブレンドされている為か、こちらまで書き殴る音が聞こえる程だ。メモ帳を突き刺す程の勢いで、タンッと万年筆を弾ませ社長は鼻息を鳴らす。


「良し、社訓に追加だ!」

 

 社訓にする程?余りに仕様も無い社訓の追加に、つい僕は座っていた椅子を押し除け立ち上がった。押し除けた椅子は、その反動でキャスターの車輪がカラカラと回り出し、慣性のまま後退る。緩めていたネクタイを締め直し、溢れる冷や汗を右手で拭く。メモ帳に向かってブツブツと呟く社長へ、それ以上の暴走を止める為に声をかける。


「お、恐れながら社長!」

 

 キっと鋭い眼光という矢が僕に突き刺さる。その矢は、胸を刺すような痛みを食い込ませた。その眼光は「邪魔立ては許さん!」と言わんばかりに萎縮させ、生唾を飲ませる。苦い虫でも噛んだかのように顔を歪ませて、溜め息混じりの表情で社長は言葉を返す。


「なんだね、垂くん?」


「えっと、社訓があることで規律があり、社員の育成や社会性の協調となり社としての顔となると思います!しかしながら、多過ぎるまたは細かな社訓はやがて身を苦しませる事に成り兼ねないと思います!」


 臆してしまうギリギリのラインを保ちながら、苦し紛れの弁解を述べた。しかし意外にも社長は冷静さを取り戻したのか、社訓予定のメモに斜線を引いた後にメモ帳を仕舞い込む。僕の言葉を受け入れたのかどうかは分からないが、ふむ、と社長は万年筆をくるくると器用に回転させていた。けれども、それはどうやら別の理由で冷静さを取り戻したのだと後で気付く事となる。万年筆がピタリと回転を停止したところで、社長はひしゃげた扉に視線を移し始めた。


 「諸君、客人のようだ。」


 その言葉が出るまで気付かなかったが、確かに扉の向こう側から足音がコツコツと聴こえる。出入り口の廊下は何の変哲も無い雑居ビルの廊下だ。その為、靴で蹴り上げる床の反響音は良く響く。ガコンッと重々しい鈍い音と共に本来は鳴らない扉の金具を軋ませながら、扉が前へと開き出す。この奇妙な光景に足を踏み出したのは、一人の中年男性だった。長身でグレーのスーツを身に纏い、右手にはお土産を入れるには丁度の良い紙袋をぶら下げている。髪は少々乱れ、僅かながら額に汗を流していた男が入口に佇んでいた。きょろきょろと周りを見渡した後に、彼は恐る恐る口を開く。


 「ここが、便箋小町……ですか?」


 彼は便箋小町の存在を知っていた。この街の人達は“便箋小町”という存在自体は認識しているようだ。けれど、所詮は都市伝説。聞いた事はあっても見た事が無いと云う人の方が圧倒的に多い。訪れたこの中年男性も半信半疑であったに違いない。その証拠に、彼の切羽詰まった顔色は青白い。まるで何日も砂漠の中を歩き周り、ようやくオアシスという眼前の希望へと願いを込めるような姿だ。ここは、本当に求める者のみが訪れる事が出来る特別な場所。でなければ便箋小町の入口を認識する事が出来ず、そこにあるのはただの真っ新な壁にしか見えないのだから。そんな彼に対し、社長は直接招き入れる事はせずにコツコツとヒールで床を踏み歩き、自分のデスクへと向かう。


 「よくぞ来られた、客人よ。」


 彼女は自分のデスクへ向かいながら、客人へと語りかける。滅多に来ない客人にも慌てる事無く、冷静に自分のペースを作っている。そのまま漆黒の革椅子に浅く腰掛け、乱雑に並べられた本に囲まれたデスクに両肘を据えて指を組む。入口で失神していたメルも客人に気付いたのか、むくりと起き上がる。長く伸びた尻尾を巧みに操り、ピョンピョンとジャンプをしながら社長の傍へと向かう。本の山の上へと飛び乗り、客人へと視線を向ける。


 「如何にもここは、便箋小町・・・。貴方の希望のモノを、無事に送り届けよう。」


 続けて、社長は告ぐ。先程の雰囲気とはガラリ一変し、二人は仕事モードへと切り替わる。その妙な緊張感はどこかピリつくような波が押し寄せる。その緊張感に感化された為か、僕は自分のデスクから動けないでいた。こういう時は新人が客を招き入れるべきなのだろうが僕は光景に圧倒され、ただ見つめるだけだった。客人の握る手提げ袋を暫く見つめた後に、彼女は静かに口角を上げ客人へと語りかける。



 「便箋小町におまかせを。」


 これは、奇妙な運び屋が織りなす小説のような物語。


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