19 正妃リトヴィアナ
正妃リトヴィアナは、サンスベリ王国より東に位置する島国、アンサス王国の第一王女だった。
彼女が正妃となってから二年経っても子ができなかったことから、リリエラーデ様が側妃として輿入れした。そしてその八年後に僕が生まれるわけだが。
僕は母上が苦手だ。正直まともな会話をした例も無い。
記憶にあるのは、公式行事で王族一家全員が出席した場で母上の隣に立っていたことと、いつのことだったか忘れたが、遠くから射殺すような目つきで睨まれたことくらいだ。
手を出されたり酷い言葉を浴びせられたこともない。ただただ遠ざけられてきた。そういえば僕の名前も呼んでもらったことは無かった。
母上の口から僕の名が出たのを聞いたのは、替え玉に向けてのあの日だけだ。あんなに必死な姿は初めて見たのだった。
昨日、母上が帰ってくると伝えられてから、今日まで離宮内は大慌てだった。
「馬車が到着いたしました」
使用人のひとりが報告を入れる。それを合図に使用人たちが扉の両脇にずらりと並び、離宮の主の帰還を待った。その列から少しずれた位置で僕も待つ。
木製の重厚な両開きの扉が開き現れたのは、芯が通ったように背筋を伸ばし足音を立てることなく進む、軍人を彷彿とさせるたたずまいの麗人だった。
ゆるくクセのある長くて淡い紫色の髪をゆらし、くすんだ濃い黄緑色の切れ長で涼やかな目からは何の感情も窺わせない。貴族女性がたしなみとして身に着ける笑みさえ一切無い、まさしく氷のようなこの女性こそ僕の母だ。
母上の少し後ろには、彼女の専属護衛の男性が控えている。短く切り揃えられた黒髪と黒い瞳を持ち、歳は三十代に見える。素性は一切わからない。この護衛がしゃべるのを聞いたことは無いし、母上が護衛の名前を呼んだこともない。ただいつも、母上の後ろに控えている姿はよく見た。
護衛の方をじっくりと見ていて母上が僕を見ていることに気づくのが遅れてしまった。あらためて背筋を伸ばし、母上に向き直った。




