18 さんぽ
「では、俺と行くか」
「へ?」
そんな提案をされるとは思いもしなくて、素っ頓狂な声をあげてしまった。てっきり怒られて今すぐ離宮に戻る様に言われると思っていたのだ。
ウリエク兄上といえば剣の才に驕ることなく鍛錬を真面目にこなし、規律違反を許さず、前世でも部下を厳しくしごいていた。「たるんでいる」が口癖の真面目な男だ。
少し堅苦しい口調はその軍人としての片鱗が見えるが、そういえば今はまだ九歳だった。
体格が良くてすっかり忘れていたが、軍部に所属するのもまだのはずだ。
いたずらを思いついた子どものような表情をするウリエク兄上を見るのは新鮮で、こちらまでつい胸が高鳴ってしまう。
「いきたいです!」
「よし、では前に乗れ。そうだ、しっかりと手綱を掴んでいろ」
兄上が腰を支えてくれるおかげで、馬上は抜群の安定感だった。思いがけずはじまった兄との馬さんぽに内心はしゃいでしまった僕だったが、良い機会だからと兄上たちのことやリリエラーデ様のことを訊いた。
リリエラーデ様に関しては、先日会った時に抱いた印象そのままで明るく慈愛に満ちた人。とても尊敬しているのだとウリエク兄上は言った。
「もっと強くなって、国はもちろんだが母上も守れるようになりたい」
「リリエラーデ様を?何からまもるのですか?」
「母上は側妃だが、出は伯爵家だからな。何かとうるさく言う輩がいる」
伯爵は身分が高いとはいえない中級貴族だ。正妃が他国の人間で国内にもめったにいないこの状況では、リリエラーデ様が実質この国の女性の頂点だと言ってもおかしくない。そしてそれを面白く思わない者がいるのは事実だろう。
ウリエク兄上の言う「何かとうるさく言う輩」というのが非常に気になる。その者がリリエラーデ様に毒を盛ったとも考えられるし。
けれどそこまで言ったきり、続きを話してはくれなかった。まあ、三歳児に話すことではないと思い至ったのだろう。
「兄上のおたんじょうびはいつですか?お祝いしたいです」
「あ、ああ。俺とエリエスは同じ日で秋の十の月、十五日だ」
「リリエラーデ様は?」
「母上は夏生まれだ。七の月二十一日で、そういえばもうすぐだな」
あと一週間と少しでリリエラーデ様の誕生日になる。贈り物に毒を仕込んだりと、毒殺には絶好の機会なのではないだろうか。贈り物はもう届き始めているだろう。これは要注意だ。
ウリエク兄上と会話をしている内、あっという間に城下町にたどり着いた。早朝の町は店の準備をする者や、仕事に向かっているのであろう人がそこらで見受けられた。
「どこか行きたいところでもあったのか?時間が早すぎてまだどこもやっていないが」
「あ、いいえ。城下町がどういうところなのか見てみたかったのです」
そうか、と一言こぼした兄上はめずらしく視線をさまよわせていた。僕は城下町にほとんど来たことはなかったが、兄上もそうなのかもしれない。
きょろきょろとあたりを見回す馬上の子ども二人というのはひどく目立っていた。大人たちはほほえましいものでも見るような視線を僕たちに向けていたようだ。視線が集中していると先に気づいたウリエク兄上が、居心地の悪さを濁すようにひとつ咳払いをして王城に戻るため馬首を返した。
探索は全くできなかったが、ひとつ警戒すべき情報を知れただけでも良しとしよう。ウリエク兄上の新しい顔も見られたし。
僕が外に出た道とは違い城門から帰ったので、門番をしていた警備兵からは心底驚かれた。皆一様に「どうやって?」という顔をしていたが、そこは黙殺した。
ウリエク兄上からはとうとう最後までお咎めはなかった。ただ、次は一緒に行こう、と約束を取り付けて朝の剣術稽古のために兄上とは別れた。
そして離宮に戻った僕は、ランスにしこたま怒られた。
ランスの長い長いお説教の後、昼餉を食べ終えた僕は離宮内の使用人たちがそわそわと落ち着きがない様子なのが気になった。どことなく緊張感に満ちている。
「ランス、どうかしたのですか」
「先ほど早馬が参りまして。明日リトヴィアナ様がお戻りになられる、と」
どきり、と心臓がひときわ強く脈打つ。
正妃リトヴィアナ…母上が帰ってくる。時を遡ったのだからいつかは会うことになるとわかってはいたけれど、熱から回復した時にいなかったものだからすっかり忘れていた。
僕の手はいつの間にか冷え切っていた。




