最終話 2階からパソコン
D地区での大捜索が行われたがペインは結局見つからなかった。もう既に海外に飛んでいるのかもしれない。あるいは上手く潜伏しているのかもしれない。D地区は三郎グループによって正常化が図られた。ペインが来る前の日常が戻って来るのもそう遠くないのかもしれない。
ある日の深夜に光莉が訪ねて来た。彼女も国際指名手配犯なのでこうした環境ではあまり長居できないらしい。とは言えまたすぐに戻って来るのだそうだ。小説家仲間としていつも見守っていると紫色のボールペンを貰った。俺はそれを机の傍に飾る事にした。
クレイからは時々電話がかかって来る。彼はすぐにでもD地区に来ようとしたが今しばらくは申請が通らない限りD地区の出入りはできない。クレイも俺の事を励ましてくれる。気持ちは嬉しかったが気分が晴れる事はなかった。
小説の続きは書いているが掲載の目途がまだ立たない。あのテロ事件以降、俺のファンの中から模倣犯が出て来てしまったのだ。幸いにも未遂に終わったが。『ディギンス』の声明以降、自身も好きに書かせてもらえないと愚痴を漏らす作家がSNSで出て来た事で出版社に対して怒りを覚えるファンが増えて来た事もある。
騒動が収まらなかったため俺は社長からの指示で自身の考えを発信する事になった。文章の内容はキールケと社長の目を通した上でそれを公開する事になった。多少の修正箇所はあったが俺の気持ちを最大限に考慮して可能な限りそのまま出す事になった。
「ファンの皆様の声は耳に入っています。ご心配の声、お怒りの声、悲しみの声、不満の声と様々です。ご迷惑をおかけしてしまい誠にすみません。作品を愛してくださってありがとうございます。此度はこの場を借りて私からこの騒動について発言させていただきます。
先日のトモツキ社襲撃事件につきまして、会社による作者と作品への過干渉は私も大変心苦しく考えています。しかしどんな大義名分を掲げようとテロリストに正義などありません。正義があるのならばどうして開かれた言論の場にて堂々と訴え、呼びかけ、賛同の声を集める事ができないのでしょうか?どうして安易に拳を振りかざし威力的に主張を通そうとするのでしょうか?それは彼らが人と同じ土俵に立って他者と言葉を交える勇気と根気がないからです。暴力とは、臆病者のコミュニケーションツールです。誇らしげに振りかざしていますが自身を大きく見せる事で優位性を保たなければ意見も言えない小心者の奥の手が暴力なのです。
社会は基本的にテロリストの要求を飲む事はありません。何故か?要求が通れば同じ事を繰り返す様になるからです。あのやり方が有効だと考える模倣犯も出ましたね。さながら親に玩具を買ってもらえないと駄々を捏ねる子供の様なものです。泣いて喚けば欲しい物が買ってもらえると学習すれば子供は欲しい物を目にする度に泣く様になりますね?同じ事です。泣き喚くテロリストに成功体験を与えてはなりません。故に双眸の涙は原作に準拠しません。会社もその方針です。私も自身の意志でそうします。テロリストは自らの願望を自らの手で壊したのです。
不満や怒りがあるのなら社会的に認められた手段で不満や怒りを訴えてください。最も有効なやり方になるのは投資家になってトモツキ社の出資を行う事です。投資額によって我が社への意見が通りやすくなります。会社のお偉いさんになって仲良くなるのも良いでしょう。関係によってはあなたの意見を無視できなくなります。しかし競合は激しいのでお勧めはしません。
手軽にできるのは投書です。署名を集めて送るのもいいと思います。電話も結構ですがあまりしつこいと特定電話番号からは自動対応に切り替わりますので主張は要約して簡潔にし1回にまとめてください。内容と量によっては会社も無視できません。
会社も社会に向けて取り組みなどを自社PRしなければならずしばしば情勢に合わせたイデオロギーが入り込む事は残念ながら往々にして良くある事です。思う事はありますが書き手として会社に勤める事を心に決めた時点で覚悟はしていた事です。それでも読者に面白いと思わせる様にするのが本来の私の職務なのです。力及ばずで申し訳ありません。
今回の襲撃に巻き込まれた私の友人がいます。幸いにも怪我はありませんでしたが心に負った傷は深く、気丈に振る舞っていますが今でも食事が中々喉を通らず苦心し、時々食べた物を戻してしまいます。私の作品を共に作って来た大事な友人です。彼の身にもし万が一の事があれば私は筆を折っていました。
双眸の涙について原作改変が賛否別れている事は重々に承知しています。私としては少しでもより良い作品にする事しか考えていません。本作ももう終盤です。今後とも最後までお付き合いいただければ幸いです」
以上の文章が公開された。…俺は疲れてベッドに寝転がる。嫌な気分だった。どうして作品以上に自身が注目されなければならないのか。大事なのは作品が面白いかどうかだろう。作品の外で作品について騒がれている。本当は誰も内容なんて気にしてないんじゃないか。それを話題に盛り上がれれば何でもいいんじゃないのか。そんな気分になる。
俺はパソコンの前に座って文章ファイルの画面とにらめっこする作業を始める。もうベッドとパソコン前を何度行き来したか分からない。執筆は全くと言うほど進まなかった。どうせまだ更新の目途は立たないのだ。
「はあ…」
指が重い。皆が自身に注目している。どう書けばいいのか分からない。どう書いても状況は悪く転ぶような気がしてならない。…いっそ、打ち切ってしまった方がいいんじゃないかとさえ思える。
俺はパソコン画面の前で項垂れた。書けない。
いつもの様にSNSを開いてTLをスクロールする。ぼんやりとしているとドラゴン愛護団体と言うのがトレンドに上がっているのが見えた。見る気が起きなかったがTLでもそれについて触れて発言してる人が少なくない。気は進まなかったが俺は渋々とそのトレンドを開く事にした。
「マジかよ…」
俺はげんなりした。ドラゴン愛護団体を名乗る団体がフィクション内におけるドラゴンの扱いについて批判しているのである。そしてそのやり玉として双眸の涙が挙げられたのである。話題に便乗しているだけの様に見えるが…。ドラゴンが知的でちゃんとした交流さえすれば危険な生物ではないと言う話をしている。また、創作におけるドラゴンを殺す事を栄誉の様に扱う事で世界各地で不当なドラゴン狩りがされていると主張していた。
ドラゴンの骨は高く売れる。また、可食部は珍味とされて一部の金持ちに愛好されている。ドラゴンを狩るには専門的な知識と高額な備えがいる。興味本位で素人が手を出しても殺されるだけだ。ドラゴンを乱獲する連中はドラゴンと戦うのが好きなのではない、儲けるのが好きなのだ。ドラゴン愛護団体は矛先を誤っているのではない。売名のために今話題のトモツキ社に矛先を向けたのだ。賛否はどうあれ彼らも現在話題の団体になってしまっている。結果として彼らの狙いは成功した。
公式アカウントで「ドラゴンはこんなに安全な生物です」と団体の代表のエヴリーが動画を載せていた。俺は頭を抱える。エヴリーと一緒に移っているのは確かにドラゴンの仲間だが厳密にはドロコムと言う数万年の品種改良を経て愛玩化されており原種と同列に扱って安全性を主張するのは間違いだ。
当然多くの批判意見が集まっていたが賛同意見も少なくなかった。
「はぁ…」
俺はパソコンをスリープモードにしてベッドに戻った。キールケは下の階でラグドールと一緒に野生動物のドキュメンタリー番組を見ている。彼は俺の小説執筆中の俺の所へ来る事は殆どなかった。多くのトラブルに巻き込まれて神経が参っている事、これ以上プレッシャーをかけない様にとの気遣いに間違いない。おそらく同じ様に今頃ドラゴン愛護団体について確認してあれこれと気を揉んでいる頃だろう…。
ベッドに倒れ込みぼんやりしていると電話がかかって来た。誰だよ…。見ればペルピーズからだった。
『ボーン、調子はどう?』
「最悪だ。もう何書けばいいか分からん」
『そっか…』
「要件はなんだ。俺の声が聞きたくなったとかそんなじゃないんだろう?」
『いや、さっきのを聞いてますます言えなくなったよ』
「ドラゴン愛護団体の事か」
『う、うん…』
何とか話を聞き出すとドラゴン愛護団体からの双眸の涙の発売中止する様に抗議されているらしい。大量の投書、鬼の様な電話、関連企業への呼びかけ、いずれも凄まじい物らしい。抗議の電話を自動応答に切り替えようにも金さえ払えば簡単に電話番号を取得できるサービスを通じて自動応答に切り替わる度に別の電話番号からかかって来るほどの悪質さだ。
団体はトモツキ社にも押しかけて抗議をしている(避難は週刊一秋の社員のみ行っているため他の子会社や親会社の社員は普通に出勤している)らしく、駐車場から会社の入り口までしつこく付きまとっては罵声を浴びせるらしい。会社での寝泊まりを余儀なくされている社員もいるが、抗議の声がやかましく迷惑しているそうだ。
本来であればさっさと法的措置を取るなりなんなりする所だが会社のテロ被害の警察への協力からトライアスタ―の襲撃の弊害も含めて何もかも対応に追われて多忙なためどうにもできないらしい。
『…父さんは小説ができたら自分の所に送れって指示したはずだよね?』
「ああ」
『…実は父さん、最近社内で倒れたんだ。過労なんだって。あれ以上仕事を増やしたら死んじゃう…』
ぺルピーズの言いたい事は分かった。俺はしばらく目を瞑って深呼吸をする。
「次の話が完成したらお前に送る。原作よりずっと早いが最終話だ。エルフにも獣人にもドラゴンにも配慮した内容にする。そこから先の添削はお前がやってくれ。それを社長に届けてくれ。俺はその内容で全く文句はないし確認もしない。辞表届と思ってくれ。もう俺には何も書ける気がしない」
『ごめん、ボーン…』
俺は電話を切った。そしてパソコンを立ち上げると最終話を書きだした。不思議とスラスラと書けた。まるで腕も脳も他人の物になってしまった様な気がする。全て書き終えると推敲と校正を行いその文章をペルピーズに送った。挿絵のためにクレイにも送った。
そして立ち上がるとパソコンの電源ケーブルを引き抜き抜いた。そしてパソコンを持ち上げると2階の窓から投げ捨てた。パソコンは地面に叩きつけられガッシャーンと音を立てて壊れる。驚いたラグドールとキールケが下の階で騒ぐ。ラグドールは外に出て、キールケが急いで2階に上って来た。
「ボーン!?どうしたの!?」
「…キールケ、ずっと不思議に思ってたんだ」
「ボーン…?」
「創作家に啓蒙活動を促すより、啓蒙活動したい奴が創作すればいいのにって」
キールケはゆっくり歩み寄ると俺を抱きしめた。強く、とても強く抱きしめられる。
「どうしてなんだろうな」
「…ボーン、温泉に行こうよ。A地区にいい所を知ってるんだ。許可を貰ってそこへ行こう?」
「…そうだな。うん。きっとそれがいい」
俺はすぐにでも支度をしようと思ったが、キールケは俺を抱きしめたまましばらく動いてくれなかった。どうやら泣いているらしい。
楽しみだな。A地区なんて滅多に行く機会がないから。キールケの奴、ちょっと抜けてる所があるからお金が足りないとか言いだすかもしれない。金庫から多めのお金を持って行こう。そしたら帰りに服でも買ってやろう。際どい服を選んでからかってやるのもいいかもしれない。そうだな、帰りは…いや、外食まで行ったら財布が悲鳴を上げそうだ。
今書いてる双眸の涙のおかげでお金には少し余裕がある。B地区に移り住もうって思って節約してたけどこんな時に使わなきゃお金も泣くだろう。美味しい物が食べたい。キールケとラグドールが食べたい物を食べよう。俺は大抵何でも美味しく食べられる。
小説からやっと解放されたんだ。今日は枕を高くして眠れるぞ。
…終わり
物語としての最終話ッス。本来ここで終わる予定だったッスけど、もう少し救いのある感じにしたいので後日談をもう1話続くッス。