失われし塩とりそば
2024年初頭、何度か通ったラーメン屋の前でわたしは立ち尽くしていた。
「ガーンだな。まさか去年いっぱいで閉店するとは」
この店は地域の広報誌でもクーポンを配布しており、昼時に訪ねればL字のカウンターにテーブル一つという小ぢんまりとした店内に程々の客足が賑わっていた。
夜営業の入り具合を把握していないが突然のことに感じてしまう。
だいたい2ヶ月に1回の頻度で来店していたので、結構通ったほうだとは思うがおこがましいか。
(食べられないと思うと口さみしい。軽く思い出を振り返ろう)
全体的に提供していたメニューは某ハゲの言葉を借りればハイスペック系に近い。
贔屓にしていたメニューは塩とりそば。
鶏の出汁が効いていて、最初は淡いかと感じるものの、食べ勧めていくうちに満足感が来る。
自然と最後まで飲み干してしまう、お吸い物のような淡麗スープだった。
広報誌によれば元和食の板前だったらしいので、その経験を活かしているのだろう。
これはランチのサービスとして提供している小盛りのライスにも垣間見える。
家系や油そば&つけ麺の店ではよくあるサービスではあるが、出てくるのは薄味がついた炊き込みご飯。
スープを当てにしながらでも良いが、特に至福なのはサイドメニューの餃子と一緒に食べたとき。
この餃子もにんにくのアクセントが効いた一品で、チェーン店によくある既製品のタネを焼いたものとは格が違った。
バリエーション不足という欠点に目をつぶれば、この炊き込みご飯と餃子のセットだけでも看板メニューにできたと思う。
「馴染みの店を看取って悲しくなるのは、ココス1号店とたこ作以来か」
ココス1号店とたこ作は共に土浦と千代田の境界地区にあったお店。
ココスに関しては親会社が変われば旧経営時代の遺跡も気にせず潰してしまうという資本主義の諸行無常であるが、たこ作は店主の体調がすぐれずにそのままという話は噂では聞いている。
もしかしたらこの伊助も同じような事情で続けられなかったのかもしれない。
不渡りの類であるならば、昨年12月の広報誌を出した時点で既に閉店を決めていそうだからな。
「すっかりラーメンの気分だが……さて、この衝動をどう抑えるか」
短い物思いを終えたわたしは踵を返すと、同じ敷地内にある回転すしに足を運んだ。
普段は寿司と味噌汁、それにサイドメニューをいくつかというのがルーティンなのだが、亡くなった彼に思いを馳せるようにこの日は味噌バターコーンラーメンを注文していた。
はま寿司のラーメンは頻繁に味が変わるわけだが、こういう昔懐かしいフードコートの独自レストランに有りげな「家庭で作る即席麺をブラッシュアップしたような駄なラーメン」を陳列してくれたのはありがたい。
小盛りなのも軽く寿司もつまめて丁度いい。
「ご馳走様」
ラーメンと寿司を食べ終えたわたしは回転すしを後にすると再び彼の店の前で物思いにふける。
「それにしても昼飯の楽しみが一つ消えたか」
自然と深いため息が溢れていた。