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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

試される猟犬たち


 プリヴェントとオブザーブは二人組の王国公認の森林探検家である、ということになっている。探検家の目標は個人によっても違うが、大抵は王国を囲っている甚大な広さを誇る森林の調査であったり、その森林の中に建てられている遺跡の調査であったり、その遺跡に収められている宝物の収奪であったりするのだが、彼ら二人は違う。彼らの獲物は、森林や遺跡や宝物を目標とする生きた人間であり、その獲物の選定に関して彼らの意思は介在しない。彼らは王国に飼われている暗殺者だった。

 二人とも石弓の扱いに長けており遠距離からの射殺を基本的な手順としているが、彼らの主戦場となる森林においては距離を取れない場合も少なくない。そんな場合のために彼らには近接戦闘の技術も叩き込まれていた。概ね平和である王国内にあって、極めて物騒な事柄を生業としている二人である。しかし幸いにして彼らは王国に反旗を翻すでもなく、また日常において隠し持つべき殺傷能力を発揮するような二人でもなかった。

 平時の二人は、仕事では常に二人組であることと金払いが非常に良い事以外は、その辺りの探検家と何も変わらない、どちらかと言えば平凡な二人である。出自も平凡で、二人とも孤児であった。王国各地の街や村で秘密裏に拾い集められた孤児たちへ施された様々な訓練の末に頭角を現し、正式に暗殺者として登用された数少ない者たちである。訓練の過程で困窮からの救済を恩に着せる形で王国への忠誠も心身に叩き込まれるが、正式に登用された暁には比較的自由な人並みの生活を約束されていることから離反者は多くない。

 脱落した者の大多数が死に至っている──訓練の対戦相手として意図的に殺されることも含めて、様々な死因がある──ので、彼らの存在が露見することは極めて稀であった。また脱落しなかった者にしても与えられる任務が任務であるため、死の危険と隣り合わせであることが多い。まさに命がけで生きてゆくことを強いられている者たちではあるが、彼らは彼らなりに物足りない納得と満足を覚えながら生きていた。


 プリヴェントもオブザーブも、他の同僚たちのように少しばかり足りない納得と満足を胸に生きている。表向きの顔に公認探検家を選んでいるのは仕事のしやすさを考えてのものだったが、この表の仕事について二人は愛着を感じ始めていた。王国の暗部を知り過ぎているため自ら職を辞するには命を差し出さなければならないが、ある程度の年齢まで無事に勤め上げることで暗殺を手掛ける実働部隊から連絡要員などの後方部隊へ配置が変えられる、と聞かされている。

 これは褒賞というより実効を鑑みた措置だったが、彼らの目には人生を賭けるべき一番大きな褒賞として映っていた。従って彼らの人生の目標は、指示された獲物を狩りながら生き永らえ後方部隊への配置転換を機に公認探検家も引退して街や村へ腰を据えて余生を過ごす、というものである。街や村の端っこで残飯を漁りながら一日を生き永らえていた頃から見れば、それは何物にも代えがたい夢であり目標であった。

 そんな彼ら二人の今回の目的は森林探検家の暗殺だった。いつも通り探検家としての顔を使って、森林に滞在するための準備を整えてゆく。とはいえ目的が標的の暗殺であっても森林の踏査であっても「森林の中で数日間を過ごすために必要な装備」には変わりがない。手持ちが乏しい消耗品を買い足し、破損した装備などは修理するなり買い替えるなりするだけである。

 むしろ資材の調達よりも、暗殺計画の方が難物だった。森林探検家は遺跡探検家などと違って明確な目的地を持っていない。森の中を踏査して地図を描く森林探検家を捕捉して殺すことは難易度が高かった。その難易度ゆえに森林探検家の暗殺を命じられることは確かな暗殺技術の証左となっていたが、それでも難しさが軽減される訳ではない。ただし暗殺者たちは大きな優位を一つだけ与えられていた。


 それは地図の存在だった。

 どうして王国が既に地図が完成している地域の踏査を森林探検家へ命じているのかはわからないが、殺される森林探検家には当然ながら地図の下賜などなく、殺す暗殺者には正確な地図が貸与されている。もちろん暗殺の完了後には王国へ返却しなければならないのだが、いつの頃からか二人は一種の保険として状況の許す限り地図の写しを作っていた。これは森林探検家としての正式な仕事でも続けている。

 間違っても王国への反意はない。しかし、いつ自分たちが殺される側に回るのか、すべては王国の思惑次第である。暗殺などという人道的とは思われない手段をも駆使する王国に対する保険の必要を二人は感じていた。地図複製については測量を得意とするオブザーブよりも、何故かプリヴェントの方が向いていたようで作業を一手に引き受けている。その地図を実地で確認する役目を、オブザーブは担っていた。

 幸か不幸か、今のところ地図の複製が役に立ったことは一度もない。これは常に正しい情報が与えられていると確信できている訳ではなく、同じ地域に派遣されたことが一度もないためだった。新たな地図が貸与された時などは二人して丹念に見比べるのだが、手持ちの複製地図すべてと見比べても、似たような場所はあれど同じ場所はなかった。森林探検家として新たな地域の踏査を命じられた時も、完成した地図が手持ちの地図と同じものになることはなかった。


「今回の複製は少し手間がかかる。狩りの準備は任せる」

 そうプリヴェントに言われて、オブザーブに否やはなかった。別に珍しい話でもない。いつ地図を複製するか、という話でしかないからだ。今回のように事前に複製してから出発することもあれば、仕事をすべて終えてから複製を始めることもある。プリヴェントに余裕があれば仕事の最中に並行して複製することすらあった。

 それはしかし一人で準備をすべて終えられることにはならない。自分の準備を優先して整えると、プリヴェントのための準備に問題が生じた。具体的には荷物が持ち切れなくなったため、宿へ戻る必要が生じていた。プリヴェントの進捗次第ではあるが、既に終わっていたり作業の切れ間にかかっているようならば、気分転換と称して連れ出すのも悪くないだろう。戻った宿では、まだプリヴェントが地図の複製を続けていた。

「出られそうか?」

「問題か?」

「いや、手が足りないだけだ。気分転換にどうだ?」

「……悪くないな、行こう」

 オブザーブは自分の荷物を部屋へ放り込んで、プリヴェントと連れ立って再び買い物へ戻った。二人とも多弁な方ではないので、必要な会話以外に何を話す訳でもない。保存食を専門に扱う店主との会話はそれなりに弾んだものの、店主にしても二人にしても必要な雑談をこなしただけ、という雰囲気が否めなかった。その証拠に三者ともそれ以上の会話を望んでいたかと問われれば、互いに微妙な表情を浮かべるしかなかっただろう。その意味では正しい雰囲気ではあったが、客側に悟らせた店主は恐らく客商売として技量不足だったのだろうと思われる。





 プリヴェントの準備も整い、あとは宿屋へ戻るだけ、となってオブザーブは呼び止められた。他でもないプリヴェントにで、ある。

「ちょっと話がある。ついでに飯でも食おう」

 時刻としては遅すぎる昼食であり早すぎる夕食だが、話がある、と言われて誘われればオブザーブに断る理由はない。主題は食事ではなく何事かの話であるのだから。プリヴェントが周囲を見渡し最初に目についたであろう、「出発前の腹ごしらえ」という屋号の非常に目立つ看板を掲げている食堂へオブザーブを誘う。オブザーブが同じことをしても恐らく同じ食堂へ行き着いたであろうから、ともかく看板の宣伝効果は抜群だった。

 近寄ってみると看板の下、注文を受けるカウンターの上に品書きが掲げられている。それを眺める限り、小腹を満たすのが精々だろうな、という感想しか抱けない。しかし旅への出発前に手早く小腹を満たすための店であることは、その屋号からも明らかだった。とすれば順当な感想か、とオブザーブは勝手に納得する。

 二人とも思うまま、適当な料理を注文する。プリヴェントの先導で座る卓が店の奥に決まり、食べるのも作るのも手早く済みそうな料理が運ばれ、周囲の喧騒を盾にして会話できる環境が整うと、料理に口をつけるよりも先にプリヴェントが切り出した。

「お前が気づいているかは知らないが、今回で俺なりにはっきりしたことがある」

「随分、急だな。何の話だ?」

「地図の話だ。貸与される地図に記されている範囲が徐々に狭まっていることに気づいているか?」

「……ここでしなきゃならん話か?」

「俺も最初は宿の部屋でするつもりだったが、部屋の外から聞き耳を立てられるよりも、この方がマシじゃないかと思えてな」

「俺たちを二人とも出し抜いて聞き耳を立てる? あまり簡単そうには聞こえないがな」

「それだけ用心している、と考えてくれ」

「まぁ、考えていることはわかるがな。お前の勘違いとは言わないが、偶然はないのか?」

 こうして二人は周囲を警戒しながら、雑踏と喧騒の中で密談を始めた。


「ない、と思う。

 徐々に注釈の記述が細かくなっているんだ。さっきまで部屋で見比べていた。もちろん主観が入っていることも否定はせんが、明らかに狭くなっているように思える。いや範囲が狭まっているというよりも、記載されている詳細が増えている。その煽りを受けて範囲が狭くなっているように見える」

「その様子だと、今回から急に詳細が増えた、という訳でもなさそうだな」

「気づくか否か微妙な度合いで徐々に増えていって今がある、ように見える。残念ながら確証はないがな」

「あってたまるか。考えられるのは、やはり?」

「だろうな。写しを作っていない、などとは上も考えていないだろう」

「だとすると俺たちへの警告か、より少ない情報でも達成し得ると考えて、という線か」

「素直に警告と考えていいんじゃないか? そうじゃなかった時よりも、そう考えていない状態で実は警告だった、となる方が損失は大きいように感じる」

「ふむ……」とオブザーブが片手間に料理を口へ運んでいた手を止めて考え込む。

 プリヴェントの言うように備えておくことは必要かも知れないが、過剰な備えで自らを縛ってしまうことこそをオブザーブは恐れる。そのための一考ではあったが、最終的な結論はプリヴェントと同じものになった。

「わかった、その方向で考えよう。俺たちは警告を受けた。じゃあ次は、その意味と先だ」

「意味は明らかだろう。写しをとるのは止めろ、以外にないだろう」

「意味については、そうだろうな。だが先については幾つかあるように見えるんだがな」

「抹殺以外で?」

「仕事を与えずに干すとか、まるっきり別の仕事が降ってくるとか……色々と」

「なるほど」

 今度はプリヴェントが考え込む。しかし、その黙考は僅かなものだった。

「とすると連中は相当に手強いな」

「とりあえず平らげてから、部屋へ戻ろうか。わかりやすく荒らされててくれればまだいいんだが、な」

 「わかった」というプリヴェントの返事を合図に、二人して然程も残っていなかった料理を急いで平らげる。二人が想像するような手練れが自分たちの監視に充てられているのであれば急いでも効果は薄いのだが、それでも急がずにはいられなかった。


 簡素な料理を平らげ、それなりに嵩張る荷物を小脇に抱えながら急いで戻ると、そこにはプリヴェントが出かける前と同じ様子に見える部屋が待っていた。しかし強い疑いを持ちながら観察する二人には、もう荒らされていないと考えることはできない。その痕跡を探し出そうと躍起にはなっているが、とうとう見つけられなかった。どちらからともなく「二人とも部屋を空けた時は『荒らされている』と前提を置こう」と提案し、頷き返していた。

「これは聞かれても問題ないから敢えて今、一応は検討の俎上に載せておくんだが……俺たちには『地図の写しを作らない』という選択肢も、ある」

 「ないな」とプリヴェントが即断し、続ける。

「俺たちは自分の立場をわかっているようで、恐らく真実のところはわかっていないんだろう。そうであるなら立場をわかろうとする努力は、たとえ危険が伴おうと止めるべきじゃないと思う」

「そう言うだろうな、もちろん」

「では、その選択肢は存在しないとして、今後どうする」

「どうもしない……と言えば聞こえは良いが、どうにもできない。部屋に押し入ってきた間抜けを捕まえて、なんて話に発展するなら違う話もできるが、そういうのは期待できないだろう。

 そこで、どうもしない、を選択する。地図の写しはとり続けるし、仕事は表も裏も受け続ける。こちらから動いても得られる情報は高が知れているだろうし、場合によっては動いたことが致命傷にすらなるだろう。今のまま、を継続するなら後ろ向きだが猶予は稼げる。その間に状況も動くだろうしな」

「聞いていると、状況は微妙に悪いってところか」

「まぁ、そんなところだ。出たとこ勝負とも言う」

 への字口になった二人は肩をすくめながら、これからへ思いを馳せ顔を見合わせていた。





 プリヴェントたちは何事もなかったかのように、物事を進めていった。即ち予定どおりに森へ入る準備を整えつつ貸与された地図の写しをとり、標的となる森林探検家について周辺へ探りを入れて下賜された情報から得られる輪郭のぼんやりした人物像の解像度を上げていく。その標的の人物像を基にして大まかな行動予測を立て、自分たちへの行動予定へと落とし込んでいった。

 幸いにして今回の標的は一度、森へと入ってしまえば可能な限り長居する傾向が強いらしく、夜を跨ぐ踏査も珍しくはない、という話だった。猶予は比較的、確保しやすい標的である。しかし、もう二日前に標的は森へ入った、という情報も掴んでいた。この情報を受けてプリヴェントたちは、是が非でも明日に森へ入る必要がある、と考えている。

 追われていることを知らないとは言えども、標的との距離を詰めようと考えるのであれば三日は離され過ぎている、とさえ言えた。特定の地点を目標として追走するにしても、追いつくには相応の速度を出さねばならないし、目標とした地点へ標的が現れなければ仮初の追走劇も徒労に終わる。そんな博打含みの準備がすべて整ったのは森へ入ろうという当日の水一刻(午前三時)であり、数刻(数時間)を仮眠に費やせる程度の猶予しか残っていなかった。


 森へ入ってからのプリヴェントたちは粛々と行動していた。森へ入れば二人ともが街中よりも無口になる。ただし目線や手信号などで会話しているため、口数こそ減っているものの意思疎通は街中以上に濃密なやり取りが行われていた。二人は急いでいる。最低限の確認を怠ることはないが、やり過ごせる障害は先んじてやり過ごすことで、その最低限の確認すらも数を少なくすることに成功していた。

 そうして得た猶予を、すべて速度に二人は充てた。二日先にいる、と想定している標的めがけて彼らはまるで放たれた太矢のように突き進んでいく。それでも必要な休憩などが削られることはなかった。彼らは、その想定が間違えていない限り、順調に標的との距離を詰めているはずだった。今のところは、そう思い込むしかない状況でもある。毎度のことながら彼らは、自分たちの取り得る手段に対して全力で自分たち自身を賭けていた。

 今のところ、この賭け事は勝率が悪くない。具体的には六割を超える標的の捕捉率であり、即ち暗殺の成功率だった。彼らは自身と他者を比べたことがないためぼんやりとしか把握していないが、雇い主である王国は正確に把握している。標的の捕捉率がそのまま成功率になっているのは、捕捉さえしてしまえば暗殺そのものは必ず成功を収めている、ということに他ならない。これは雇い主である王国から見れば手堅いとも言えるし、脅威とも言えた。

 そんな二人が積極的に障害を排し、速度を上げることだけに力を注いだ結果として、彼らの視界が及ぶ限界の距離で立ち上っている煙を見つけたのは、森に入ってから三日目の昼を少し回った程度のことと思われた。オブザーブが時告石(じこくいし)だけを入れている腰の巾着を覗くと、そこには思いつく限りの白一色に染まっている時告石がある。緑にも赤にも寄らないその色は、今の時刻を明一刻(午後零時)前後と断定していた。

 しかしプリヴェントたちの創り上げた人物像が違わず標的を捉えていた、と考えるのは少しだけ早かった。見つけたのは、まだ焚火と思しき煙だけであって標的本人ではない。この距離から確認できるのは煙だけであって、まだ人影の欠片すら見つけてはいなかった。ここから二人は速度を殺して隠密性を重視した挙動を始める。徐々に煙の元へと距離を詰める二人にも、ようやっと焚火をしている人影を捉えることができた。


 標的は重装備だった。それ自体に何も問題はない。今までも重装備だった標的はいたし、その厚い防御をかいくぐってでも彼らは仕留めてきた。しかしヘルメットに隠されて髪や瞳の色はおろか、人相すら見えないことは問題だった。チェーンメイルに部分的な板金鎧という装備は数日でかき集めた情報と合致するが、特定の人物と同定するには決め手に欠けている。気がかりは昼が終わりそうな頃合いであることで、昼は今日で五日目だった。森の中で夜に人物を同定することは極めて難しく、可能な限り避けたかった。

 折悪しく標的は昼食を終えたばかりのようで、焚火の後始末にかかっていた。これから標的がヘルメット(板金兜)を脱ぐことは、しばらく期待できないだろう。二人は手信号だけで最大半日ほどを標的の観察へ費やすことに決める。プリヴェントを置いてオブザーブは大回りをして標的の反対側へと回った。相反する二方向から観察することによって、彼らは標的が本当に標的であることの確かさを上げていた。

 しかし、この方法は長期間を観察し続けることができる状況では有効だが、これから大きく移動しようという気配を見せている標的に対しては難があった。咄嗟にこの方法を選択してしまったオブザーブの失敗ではあるが、移動を始めた標的に動きを合わせて難なくプリヴェントとの合流を果たす。それでも成果を問うプリヴェントへ、否定の手信号を送るしかオブザーブにはできなかった。

 しばらくは標的に離されないよう追走する形となる。移動中ではあるが周囲を観察して歩く標的に対しては、二人の注意が最大限に払われた。プリヴェントたちもだが探検家の本領は、その観察眼にある。「普段とは違う何か」を見つけるのが仕事と言ってもよく、プリヴェントたちは正しく「普段とは違う何か」に他ならない。同業である強みを生かそうにも、同じ地域に複数の探検家が派遣されることは稀であると知れ渡っており、姿を見せても警戒されるのが精々だった。


 オブザーブの時告石は桃色に染まっている。その色は地一刻(午後三時)地二刻(午後四時)を意味しており、そろそろ標的の命運が決まる刻限と言っても差し支えない。夕暮れの有無でプリヴェントたちの動きが大きく変わるためだ。しかし今のところ、まだ天穴(スカイホール)の明かりは陰る様子を見せない。この明かりが数刻のうちに陰るようであれば暗殺に失敗する可能性が跳ね上がり、明日も昼のままであれば標的の命運は尽きる可能性が跳ね上がる。こればかりは両者にとっての賭けになる。

 一方で標的は時刻を気にすることなく周辺の探索を進めている。しかしプリヴェントたちを含め気にかかるものは見つからなかったらしく、周囲の観察と地図の描画を繰り返していた。地図の上では今の地域を知っている森林探検家としてのプリヴェントたちから見ても、確かにこの辺りは変化が少ないように感じられている。そこに良し悪しはない。「変化が少なく、迷いやすい地域である」という報告こそが王国には求められている、はずだった。

 あるいは暗殺用に準備された変哲もない地域、ということが考えられるのかオブザーブは少しだけ首を捻ったが結論は出なかった。もしも、あり得るのであれば今回の仕事は二人にとって非常に有益な情報を、その成否に関わらずもたらすことになる。評価が形になるのは先の話だろうが、その可能性だけは心に留めておこうとオブザーブは記憶し、今は仕事に集中するため忘れることにした。

 さらに数刻が過ぎて、時告石は桃色というよりも真っ赤に染まっていた。恐らくは火一刻(午後六時)前後で間違いない。そして天穴からは未だ煌々と光が放たれている。この時刻から急に夕暮れへ変化するとは考えにくいため、標的の命運が尽きかけていることを意味していた。





 標的が再び休みを取ろうとするまで、それが仕事とは言えど粘り強く待った。その甲斐あってか時告石が赤と紫のどちらともつかない色合いを放つ火三刻(午後八時)闇一刻(午後九時)頃になって、標的は天幕(テント)の設営を始めた。これは数刻後に絶好の機会がやってくる予告である。また十分に注意すれば、天幕へ標的が引っ込んでしまった後など自由に行動することができる確約ですらあった。

 まだ気を緩めることはないが、目途が立ったことで二人の心中に一定の安心感は沸き上がっていた。天幕の設営と、それに伴う野営の準備が始まろうという時に、とうとう邪魔だった板金兜が脱ぎ去られる。ここぞとオブザーブはプリヴェントの下を離れ、再び二方向からの観察を始めた。やや小柄ではあるが鍛えられているであろう体格で、褐色の肌には柔らかい栗毛の髪が汗で張り付いている。

 そもそも部分的なものではあっても板金鎧などを着込むには相応の体力が必要になる。また年齢が二十代半ばというのも、肌つやから見て間違いないだろう。昼を主張する光の下で輝きを見せるのは、まるでエメラルドのような緑色の瞳。すべての条件が標的と合致していた。確証を得た、とオブザーブは監視を切り上げて標的の視野を避けるように大回りしてプリヴェントと合流を図る。

 プリヴェントの監視する方向から瞳の色までは確認できていなかったが、合流して直ちに鑑定結果を突き合わせると、瞳の色以外はオブザーブと同一になった。第一射はプリヴェントが行うので最悪、撃つ直前に瞳の色を確認する、として少なくともオブザーブによる人物の同定は完了した。プリヴェントによる同定の完了は即座に第一射へと繋がるため、ここからはオブザーブ本来の役目であるプリヴェントの補助へと回る。ともあれオブザーブにとっては、間違いなく標的本人である。


 その標的は野営を整え、食事を摂り、熾火を作ってから休むため天幕へと入っていった。二人は天幕の入り口正面に位置するところまで移動し、改めてプリヴェントの人物同定を確認する。結果は不明であり、確定は第一射直前まで持ち越されることとなった。やや歯痒くはあるものの、これは二人で取り決めてある「間違いを少なくするための約束事」であった。二人が二人とも、標的が真に標的である、と確認するまで暗殺を決行することはない。

 彼らは知らないが実のところ、もう少し乱暴な判断基準で標的を決める暗殺者も少なくはないのだが、この約束事は二人の暗殺成功率に大きく寄与していた。この人物同定が完了しなかった場合、彼らは暗殺を中止して捕捉失敗の報告をしているためである。このことによるお咎めは、今のところない。彼ら自身も「捕捉に失敗したのだから、暗殺も何もない」と開き直っているし、その慎重な姿勢は王国にも、その実このましいと考えられていた。もちろん上の覚えが目出度いことなど、彼らは知る由もない。

 二人は更に待った。正面に見据えている天幕から次に人影が現れたときこそ、その人影の命運が決まる。判断するのはプリヴェントただ一人。プリヴェントが標的だと認めなければそのまま見逃され、標的だと認めればプリヴェントによる石弓の射撃を受けることになる。プリヴェントの動きに反応して、オブザーブは対応を変える。

 彼が撃たなければ、そのまま。彼が外せば──まず外すことはない、だろうが──第二射を受け持つ。しかし第一射が外れなくとも、第二射は放たれる。標的が天幕の奥へ姿を消してから数刻後、標的は緑色の瞳を太矢で貫かれ、次いで喉元にも太矢を撃ち込まれていた。ほぼ絶命してはいたものの瀕死であった標的に近寄る二人が、速やかに息の根を止めた。


 オブザーブは手早く標的の荷物を検め、何よりもまず描きかけの地図を奪い去る。これは王国が暗殺の成否を判断するためのものであり、絶対に手に入れなければならない代物だった。その作業と並行してプリヴェントが標的の鎧を脱がしにかかる。死体の処理は必要がなければ基本的には自然に、つまり動物たちに任せていた。チェーンメイル(鎖帷子)や板金鎧など着られていては、動物たちの歯が立たない。

 加えてオブザーブは見つかった際にも物盗りの仕業と見せるよう工作を加える。具体的には金品や貴重品の強奪であった。ただし故買屋などに流すことはせず、街へ戻る途中で大きく迂回しながら少しずつ捨ててゆく。金品が先に見つかるも良し、何らかの偶然で標的の遺体が見つかったとしても、その関係性について考えを及ぼせるような人間が限りなく少なくなればそれで良い、という考え方だった。

 遺体が先に見つかれば当然、他殺に目は行くだろうが金品が奪われていれば物盗りを疑わせることができる。他殺犯の捜索も、恐らくはそういう方向で行われるだろう。また金品などが先に見つかれば、拾った人間の品性次第ではあるが例えば故買に回されるなりして関係性が絶たれてゆく。遺体が見つからない状態で戦利品が故買に回ってくれれば、尚良い。すべてが同時に露見するには標的とプリヴェントたち両者の動向を把握していなければならず、その可能性は十分に潰してきたつもりだった。

 遺体から剥ぎ取った鎧の一部も捨てる金品と一緒に持ち去るが、天幕などの野営設備は手に負えないため残しておく。遺体が見つかった際の損傷具合によっては物盗りではなく、危険な森の中で動物に襲われた、と判断される場合もある。そうなれば追及の手は二人から更に遠くなる。これらの手管は経験によるものもあるが、訓練の賜物が基礎にあった。彼らであれば物盗りとして頭角を現すことが十分に可能だろうが、そうならないための表の仕事でもあった。


 プリヴェントたちが仕事を終え、金品を捨てながら街へ戻る工程に取り掛かってから一刻(一時間)ほどして、二人が仕事を終えた跡に新たな二つの人影が舞い降りた。その声から一人は物言いの柔らかい男であり、もう一人は直截な女であった。

「反抗の意思みたいなものはなさそうですよね」

「地図の複写。どうするのよ、あれ?」

「とりあえず、まだ実害はないと思いますけれども」

「実害が出てからじゃ遅くない?」

「覗き見はしましたけれども、あのやり方で実害が出るのは、もうしばらくは先の話になります。まだ泳がせて大丈夫ですよ」

「ま、腕は立つわよね」

「そうですね。なかなか見事なお手並みだったかと」

「私たちに気づいてなかったけどね」

「そう思わせる欺瞞かも知れませんよ。特にプリヴェントは見込みがありそうですしね」

「あんたが魔術を教えるの? さすがに時間の無駄っぽくない?」

「あなたの呪術でも構わないと思いますよ。無駄にはならないかと」

「ま、その話は後でもいいわ。とりあえず仕事してない、ってことはないみたいだし、彼らは違うわね」

「今回はたまたま、かも知れませんけれども、あの様子を見て『実は他の対象者を逃がしていました』というようなことは、なかなか考えにくいでしょうね」

「じゃあ、プリヴェントとオブザーブの監査は終了で、次いく?」

「ともあれ一度、街へ戻りましょうか。飛びますよ」

 男が女へ手を差し伸べ、女が男の手を握ると、二人は舞い降りたときと同じ速度で空中へと舞い上がっていった。むろん詠唱など、ない。

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