とある少年の日常②
ストックきれました(早い)
人と魔族は長く争い続けていた。
はじめは小さな小競り合い。そこから少しずつ事が大きくなっていき、互いの生存と勢力の拡大を賭けて血みどろの争いが各地で繰り返された。
長命で強い個体が多く、多様な戦闘が可能な魔族の方が優勢であったのは否めない。雌雄は早晩決して人は魔族に追われ滅びの道をたどるのだと、誰もが思っていた。
だが、そこから実に千年以上もの間、両者の勢力は拮抗したままだった。
原因は単純な話で、「魔族は協調性がない」。この一言に尽きた。
人が国ごとに分かれ決して一枚岩でないように、魔族もまた種族ごとに生息域を分け対立していた。人が利害を越えて協力し魔族の侵攻に耐えた一方、魔族は隙あらば互いに潰し合った。魔族は他種族は「仲間」と見なさない傾向があり、人と争う傍ら互いに食い合って自滅することも多かったのだ。
当然、魔族の一方的な優勢は長く続かず、いつしか戦いはずるずると長引いていった。
その結果、両者の領域は大陸の北と南で綺麗に分断され、大規模な戦闘が起きるのは互いの領域が接している一部の土地だけとなった。大陸を東西に走る巨大な山脈が天然の境界となって、魔族と人との世界は別たれたのだ。
人の領域、山脈の麓に生まれた3つの国が、山を越えて襲い掛かってくる魔族への砦となった。
そのうちのひとつであり、戦場の最前線と言われているのが『アンヘルム王国』である。
魔法大国ともよばれ、魔法士育成と魔法研究に力を注ぎ、抱える魔法士の水準は世界最高峰と称えられる。反面、王国が所有する軍隊や兵器の類いは他国に比べて小規模であり、山脈の麓にある国としてはこころもとない。何よりも魔法を重視した政策は、ひとえに王国が接している魔族に理由があった。
魔族にも、人と同様に勢力図というものがある。魔族全体の統率者はおらず、侵攻を主導しているのはそれぞれの勢力の長だが、王国に接している勢力は「竜族」――魔族内でも「強大」とされる勢力だった。
竜は頑強な肉体と固い鱗を持ち、魔法を自在に操る知能の高い魔族だ。
それらの攻撃に対抗し国を守るには匹敵する強度の魔法が必要だと、作り上げられたのが現在のアンヘルム王国だった。
その目論見は確かに効果を発揮していたが、それでも侵攻を一時的に退ける程度でしかないことも事実だった。繰り返される侵攻を食い止めることが精一杯で、攻勢に打って出ることも、打撃を与えて侵攻を諦めさせることもできない。
――アンヘルム王国は、人の領域の砦であり、竜の脅威に晒され続けている国だった。
「知っての通り、この国に現れるのは竜です」
溜め息をついてそう語るのは、細身の青年だ。緩く波打つ亜麻色の髪に若草色の瞳、端正な顔立ちはどこか育ちの良さを感じさせる。
王立魔法院の長であるユーグ・ドルレアク。
アンヘルム王国が擁する7人の勇者の一人であり、様々な魔法を自在に操る稀代の天才として名高い。
ユーグはその繊細そうな手を自らの膝の上に落ち着けて、僅かに目を伏せる。
「竜は強く頭が良い。鱗は固く、肉体は強靭。爪の一撃だけで簡単に人が死にますし、竜が操る強大な魔法は街をあっという間に焼き尽くします」
竜族の勢力に接しているこの国では、長きに渡る戦いの記録が残っている。竜の生態や習性、配下の魔族との関係性など膨大な研究資料が存在しており、それによって様々な魔法や道具といった対抗策が開発されていた。
例えば、固すぎる鱗や強靭な体に対しては、普通の武器より属性を付与したものが効果的とされる。そのため、この国では属性を付与された武器が広く流通していた。なお、竜族の勢力と接していない他国では属性武器は富裕層や勇者、大物狙いの一部の冒険者が買い求める程度で、この国ほどもてはやされてはいない。一般的な魔物はごく普通の剣で対応できるからだ。
他にも、巨大な魔法を防ぐための魔法障壁の研究や、侵攻をいち早く察知するための魔道具などが国の主導で開発されている。
このように試行錯誤の結果、生み出された対抗策は一定の成果を上げていた。国境の街には優先的に最新の防衛技術が集められ、竜の襲撃をも跳ね返すそれらは、アンヘルム王国の全体的な国防にも役立っている。
「6年前の大侵攻以降、幸いにも大きな被害はでていません。ですが襲撃の度に街は壊れ、少なくない人々が生活を壊されます。兵士も無傷ではありません。傷つき、死んでいく人を目の当たりにする……戦場にいくというのはそういうことです」
ユーグが溜め息とともにそう話して、伏せていた目を上げた。
「シルフィ。お前にその覚悟がありますか」
真っ直ぐに向けられた瞳の強さに、『俺』はぱちりと瞬いた。
普段柔らかな光を宿している若草の瞳は、別人のように鋭い。日向のように穏やかな笑顔の、優しい声のその人からは想像もできないような、厳しい声。
その理由はわかっている。
幼い弟子が彼と共に戦場に行きたいと希望しているのだ。彼としては戦場を知らない子どもを、そのまま連れて行きたくはないだろう。いっそ、ここで怯んでほしいと思っているに違いない。
きっと、そうするのが正解。
それはわかっているけれど。
「……あります。大丈夫です、僕は師匠と一緒に行きたいんです。この目でしっかりと見たい」
――貴方の魔法を。
口にしなかった言葉を、脳裏に浮かべた。
口したら間違いなく怒られるとわかっていたから。むしろそれくらいなら今から見せるから諦めろと説得されかねない。でもそれでは意味がないのだ。
俺が見たいのは、普段使うような簡単で優しい魔法などではなく、戦場でしか振るわれないような激しくも美しい魔法だ。ただ一度だけ目にしたそれが忘れられず、こうして何年も我慢している。そろそろ報われてもいいはずだ。
「……はあ。まったく、お前は本当に頑固ですね。これまで幾度と言い聞かせてきたのに、迷う素振りすらみせないなんて」
「師匠、じゃあ」
「仕方ありません。同行を認めましょう。ただし、15才の誕生日を迎えてからです。それまでは準備期間。良いですね?」
「はい!」
15才まであと一年。待ちに待った身としては歯痒くもあるが、それでも正式に認められたのは嬉しい。
「よかったなあ」
「なら早速服と杖も新調しないと」
「杖はともかく服はもう少し後がいいんじゃないの、成長期じゃん」
同席していた兄弟子たちが口々に話し始める。
小さく拳を握って喜ぶ俺の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるのは、2番目の兄弟子のロイド。くすんだ色合いの髪と少しきつめの灰色の目。取り立てて目立つ容貌ではないが、軽い性格と話し上手なところが女性に受けるようで、よく女性問題を起こすトラブルメイカーでもある。
その隣で考える素振りをみせているのが1番目の兄弟子のヨシュアだ。どこか師匠であるユーグに似たおっとりとした空気の青年で、今もこちらを見つめる栗色の瞳は優しい。目と同じ色の髪は、平均的に髪を伸ばしがちな魔法士にあって、うなじが見えるほどに短く切られていた。
「ああでも僕としてはこれ以上伸びて欲しくないなあ。そのまま大人になってよシルフィ」
すすっと俺に身を寄せて、ロイドに乱された髪を整えてくれたのは3番目の兄弟子のエリン。大きな青い目にふわふわした金色の髪と一見少女のような容姿をしているが、成人済みの18才の青年だ。身長が低いことを気にしていて、彼より身長の低い俺がお気に入りらしい。
「僕、たぶんそんな大きくならないですよ」
というかそんなに大きくなりたくない。
「うーん、いいこ」
エリンにぎゅっと抱きしめられた。少し高い位置にあるエリンの顔をちらりと見上げると、こちらを見下ろす青い目とかち合った。猫のようにきゅっとつり上がった目尻が柔らかく緩んで、髪を優しく撫でられる。
「こらエリン。シルフィに変な強要すんじゃねぇよ。シルフィはこれから一年、みっちり鍛錬してすくすく育つんだもんな?」
ロイドがそんな余計なことを添えつつエリンを引き剥がす。筋トレに了承した記憶はないのだが。
「鍛錬ですか?」
そこで一番食いついてはいけない人が話に食いついてきた。ユーグ、もとい師匠である。
師匠は線が細く穏やかな物腰をしているため、その肩書きもあってインドアな文系と思われがちだが、決してそうではない。魔法士は肉体が資本だとよく体を鍛えているし、「杖は鈍器」「最後に頼れるのは腕力」を持論に掲げる脳筋魔法士だ。ゆったりとしたローブの下は、引き締まったバキバキの体である。間違ってるとまでは思わないが、何か違うなと常々思う。
「はい。シルフィはちょっと成長期が遅れているかなと思いまして。成長の阻害にならない程度の鍛錬をさせてやろうかと。身体能力が向上すれば生存率も上がりますし」
「言われてみれば確かに……これはこれで可愛らしいのですが」
師匠がまじまじと俺を見て、眉を下げる。
自然に伸ばされたその腕に躊躇いなく近寄って、師匠に抱きついた。座った状態の師匠にぽんぽんと背中を叩かれて、服越しの体温に思わず笑みがこぼれる。
「どうしましょうね。私もこのままでいてほしくなってきました」
「僕、大丈夫です。成長期はこれからすぐにくると思うんです」
だから筋トレは不要だと主張する。間近で師匠の若草色を仰ぎ、ぱちぱちと瞬いて首を傾げる。
渾身の可愛いアピールだ。自らの年齢やら諸々を考えれば思うところがないわけではないのだが、背に腹は代えられない。筋トレは全力で回避したいので。
「うっ……そ、そうですね。うん、自然に来るものですから焦る必要もないでしょう。たとえ大きく伸びずとも気にすることはありませんからね。このままでもシルフィは十分に可愛いです」
師匠が落ちた。俺は内心ガッツポーズしつつ、表面上はにっこり笑っておく。本心から嬉しいので、笑顔の大盤振る舞いだ。兄弟子たちからも街の奥様方からも好評の「天使の笑み」の威力をいかんなく発揮してもらう。
「そうですね、シルフィは可愛い」
「うん、ほんと可愛い」
「いや、可愛いけどよ。え? 結論それでいいんです? シルフィ、お前もそれでいいのかよ」
兄弟子ふたりが真顔で頷く横で、ロイドが困惑している。
何を言っているんだ、この兄弟子は。いいに決まっている。日々、やるべきことはたくさんあるのだ。勉強に修行に家事、たまにちょっとした雑用。筋トレなんてものを挟む時間はない。昼寝したり猫と遊んだりする時間はあるけれど、筋トレの時間は絶対にないのである。
「ああもう、師匠も甘ぇんだから」
結局諦めたらしいロイドが、己の頭をがしがしと掻いて嘆息した。
俺は知ってる。そんなことを言ってるロイド自身も、俺に甘いのだ。
「この甘えん坊め。来年は成人だろうが……体ばっか大きくなっても……いや、あんま大きくなってねぇな」
にやりと笑ったロイドが、ふとマジマジと俺を見つめて首を傾げる。
「なっ、大きくなってます!」
「なってるかあ? 少しは伸びたかもしんねぇけど、抱っこできるもんなあ」
「その基準おかしくないです?! ほら、ちゃんと見て下さい。僕もうロイドさんの胸あたりまでありますよ!」
師匠から離れて詰め寄ると、視線を下げたロイドが「おおちょうどいい大きさ」と笑って頭を軽く叩いた。全く痛くはないが、完全な子ども扱いである。成人間近の自覚を促そうとしてくる割に、折りに触れて子ども扱いしてくるのはどういうつもりなのか。
「ここに来た頃はロイドの腰あたりだったっけ。大きくなったねぇ。是非そのままでいて……」
「この分だと来年にはエリンを追い越すかもしれないね。僕も追い抜かれちゃうかな」
エリンの身長コンプレックスを容赦なく抉りながら、ヨシュアが鷹揚に微笑む。
ヨシュアはとても背が高い。出会った頃はそれこそ巨人にでも遭遇したような気持ちだった。成長した今でようやく、彼の腹部あたりに頭がくる状態だ。つまりは今でも巨人である。
「さすがに無理だろ。今でこんなちっこいのに」
「自分は抜かれないと思って余裕だな~」
「成長期に見違えるほど伸びる子はいるよ? 従兄弟がそんな感じだったし」
急激な成長も別段おかしなことではないようだ。
兄弟子たちの会話に耳を傾けて、さてどういう風に設定しようかと悩む。一年でそこまで成長させる必要はないが、兄弟子たちと同じ年齢になった頃にこのままの身長でいるのはさすがに不自然だろう。やはり徐々に成長していかねばならない。
俺としてはこのままでも十分構わないのだが。
街で10才そこそこの子どもに間違われようと、兄弟子たちに子ども扱いされようと、さほど嫌な気持ちにはならない。嫌がる素振りはあくまで一般的なポーズだ。子どもということで制限を受けるのが困るだけで、可愛いと撫でてくれる手は嬉しい。
これが一般的な14才の思考ではないことは、一応理解している。
街の子どもたちは13才頃から社会にでるための準備を始めるらしい。15才になれば社会的に成人という扱いになるので、それまでに一人でも生活できるだけの術を身につけるのだ。家庭環境や地方によって多少の違いはあれど、基本的な考え方はそうなっている。
であれば、成人を目前に控えた14才の子どもはどういうものか。少なくとも大きくなるのは嫌だとは言わないだろうし、兄弟子や師匠に臆面もなく甘えたりはしないに違いない。
むしろ甘やかそうとする周囲に、一人で生きられることを証明しようと躍起になる筈だ。俗に言う反抗期や思春期もこの時期だろう。
俺の態度はどちらかというと「残念な子」の部類なのだが、俺にとって幸いなことにここの大人たちはこぞって俺を甘やかしてくれる。
それは俺が自他共に認める「可愛らしい子」であることも一因だろうが、一番の原因は俺がここに弟子入りした経緯にあるだろう。
俺は孤児だった。
今から6年前、アンヘルム王国の歴史に残る大規模な魔族の侵攻があった。侵攻してきたのは長きにわたる敵の竜族と、その配下の複数の種族。これまでの散発的な襲撃と違い、複数種族で構成された大軍勢が辺境の街に襲いかかったのだ。
多数の街が被害を受け、中央部に位置する王都も防壁の一部を破壊された。中でも辺境にほど近い4つの街は完膚なきまでに破壊され、夥しい犠牲が出た。
俺はそんな廃墟同然となった街を徘徊しているところを保護された。親も身寄りもなく、それどころか記憶も失っていた俺は、数日を孤児院で過ごした後、ここ王立魔法院へとやってきた。
俺を保護した人物が勇者のひとりだったことが縁で、魔法に興味を示した俺を師匠へと紹介してくれたのだ。
最年少の弟子ということで、師匠も兄弟子たちも何かとよくしてくれた。常識やマナー、基本的な教育など、魔法とは関係ないことまで丁寧に与えてくれた。立場を考えて遠慮すれば、余計な気を遣うなとその都度手を差し伸べられた。そういうことが積み重なり、いつしか伸ばされた手を取ることに躊躇わなくなった。頼ってもいいのだと、甘えても良いのだと、許されていることが嬉しかった。
何ひとつ持たない俺にとって、彼らこそが「家族」だったのだ。
そうと気づいている彼らは、だからこそ俺の甘えを振り払わない。
家も家族も、何もかも失った子ども。与えられるはずだったものを失って、さらにはそれまでの決して短くはない思い出も、己の名前すら失って。
そう聞けば殆どの人間が同情する。かわいそうにと頬を撫でる。俺は彼らの情を利用してここにいる。
――正直、罪悪感がないわけではない。
なぜなら、何もかもが嘘だから。
記憶喪失も身寄りがないことも、この天使のような愛らしい姿すらも嘘だ。
なるべく無害で無力そうに『創った』。すべては彼らの庇護を得るために。
「じゃあいつも通りグラダ爺さんのとこでいいか?」
「そうだね、うちで作ってるのはさすがにまだ早い」
「シルフィの能力より少し上となると……"見習いの杖"かな。もしくは鉄ランク」
がしがしと乱暴に頭を撫でられて、我に返る。この遠慮ない撫で方はロイドだ。何やら話が進んでいたらしい。なんの話かなと首を傾げると、ロイドが呆れたように言う。
「おい、ぼーっとしてんなよ。お前の杖の話だぞ」
「杖?」
「シルフィも随分魔法が使えるようになってきましたからね。そろそろ新調しても良いでしょう」
少し垂れ気味の目を柔らかく細めて、師匠が微笑む。
杖は魔法士には必須のアイテムだ。魔法自体は杖なしでも行使できるのだが、複雑な魔法や威力の大きい魔法などは難しい。安全性を高めるためにも、魔法士は必ず杖を使用するようにと言われている。
もちろん、ひよっこの俺も杖を与えられている。学び始めた子どもたちが使う練習用の杖だ。
「えっ、やったあ! どんなのでもいいんですか!? ロイドさんが持ってるような!?」
6年間ずっと使っていた杖にはそれなりに愛着はあるが、それはそれとして新しい杖が手に入るのは嬉しい。練習用の杖はぱっと見ただの棒きれにしか見えない無骨さなのだ。兄弟子たちが持っているような、いかにも魔法士! といった格好いいフォルムの杖が欲しい。
勢い込んで師匠に尋ねれば、「もう少し大きくなってからですね」と困ったように笑われた。
「見習いの杖だっつってんだろ。第一お前がこんなデカイ杖なんて持てるかよ。完全に杖に持たれるだろうが」
ロイドは何もない空間から自らの杖を取り出す。
その手の中に現れた杖は、彼の身長と大差ない長さをしている。細身ではあるが、金属製のため重さはそれなりにありそうだ。加えて、上部に取り付けられた球状の装飾品が重量を感じさせる。複雑な装飾が施されたそれは、中心に細かくカットされた拳大の石が嵌められていた。
因みに、ロイドが行使した空間収納の魔法は、誰でも使えるごく簡単な魔法である。容量の上限は術者の能力に依存するため、手のひらサイズから果ては王国の宝物庫サイズまでと様々らしい。
「僕の身長に合わせて短くしたらきっと……」
「長さだけの問題じゃねぇだろ」
「石も小さくしたらきっと……」
「そういうのが"見習いの杖"だっての」
むぅ、と唇をとがらせる。
せっかくなら格好いいのがほしい。見習いの杖にどんなバリエーションがあるのかは知らないが、少なくとも金属製ではないだろう。木製が悪いわけじゃない。木製は木製で良い。ただ単に、俺が金属製の杖に憧れているだけだ。だって師匠も金属製の杖を愛用している。ロイドのそれより豪華で、けれども決して華美ではない美しい杖を。
「一口に"見習いの杖"といっても色々ありますし、ゆっくり選んできなさい。三人とも、よろしく頼みましたよ」
「了解です」
「お任せ下さい」
「はーい。ほら、むくれないの。僕がいっちばん格好いいの探してあげるから」
師匠の言葉に兄弟子たちがそれぞれに了承を返す。
エリンが俺の膨れた頬をつついて、うりうりと揉む。唇からぷひゅと間抜けな音が漏れた。
我ながら、甘えているなあと思う。
多少の不満は隠してしまえるだけの年月を生きてきたし、そもそもこんな小さなことで波立つ感情などなかったのだ。必要に迫られて子どもを装っているうちに、どこまでが演技だか自分でもわからなくなりつつある。許されていることの心地よさに、どんどん幼児退行しているような気すらする。
とはいえ、当分――否、見つからない限りは永遠に本当の自分に戻ることはないだろう。
『俺』は死んだ。
6年前の大侵攻の日に、身内に嵌められて敵に殺された。
俺の扱いが今頃どうなっているのか知る術はないが、少なくとも生存を疑われて捜索されている様子はない。あちらでは死亡扱いになっていることだろう。これ幸いと、俺の存在を抹消したであろう身内の顔が脳裏を過ぎる。
腹違いの弟、ヘルバード。
嫌われている自覚はあったが、暗殺を企てられるほどに憎まれているとは思ってもいなかった。俺の認識は随分と甘かったらしい。今となれば弟の気持ちもわからなくはないので、さほど恨んではいない。むしろ今では感謝しているくらいだ。
『死炎の邪竜』と忌み嫌われた、竜王の三番目の王子アロイス。
かつて200年ほど親しんだその名前は、もう誰にも呼ばれることはない。
それが酷く嬉しい。
竜族の誇りも血縁のしがらみも、師匠たちから与えられるものに比べればゴミ同然。だから何があってもこの真実は隠し通すと決めている。
人として師匠と兄弟子たちを支えて生きていくのだ。
彼らが死ぬ、その瞬間まで。