31、悪役令嬢の未来
ライラによる悪役令嬢糾弾未遂事件は幕を閉じたが、ファルマンに啖呵をきってからというもの、イリーナの生活は一変した。
元の姿に戻ったイリーナは学園に通い始めた。ファルマン自身がイリーナであれば編入大歓迎と豪語していたのでさっそく編入させてもらった。ただしそれはファルマンの命令ではなく自分の意思だ。
学園に通えるようになったイリーナは自身の研究で病を克服したという噂とともに注目されている。
成り行きではあるが魔法学園の校長を目指すことになったイリーナにはやるべきことがたくさんあった。まるで破滅回避のため研究に奔走していた日々に戻ったようだ。ただし今回は孤独な戦いではなく頼れる人がたくさんいる。幼女化を通してイリーナは家族の愛情を知ったのだから。
しかしなりたいと声を上げても簡単に希望が叶うものではない。魔法学園の校長とは、絶大な信頼と強大な力の上に成り立っている。学園すら卒業していないイリーナには地道な積み重ねが必要だ。
まずは学園を卒業して魔女としての地位を確立する。それから功績を上げ、魔法省の信頼を得ること。賛同者を集めることも忘れてはならない。そのためにも将来有望な魔女が揃う学園は最良の環境だ。
ファルマンが校長であることには変わりはないが、あの時確かに彼はイリーナの宣戦布告に楽しみだと言った。大きな楽しみを前に彼が逃げ出したり邪魔をすることはないだろう。
そんなファルマンの本性を知っているのはイリーナとライラ、そしてアレンだけだ。
目まぐるしい毎日を送るイリーナだが、今日は学園の休日だ。久しぶりに自宅に引きこもり、研究室で静かな一時を過ごしている。全てはここから始まったと、懐かしさに浸りたかったのかもしれない。そこにアレンが訪ねてくるのもいつものことだ。
「今日はどうしたんですか、アレン様」
年頃の男女が密室で二人きり。けれどこの屋敷に二人の仲を咎める者はいない。メイドたちは上客としてアレンを扱い、アレンに至っては実家のように侯爵邸を歩き回る。今日もまた、我が家のようにイリーナの研究室まで歩いて来たはずだ。
「祝いの言葉を伝えていなかったからね。君の編入と、論文の受賞を祝して。おめでとう。満場一致で受賞が決まったそうだね」
「ありがとうございます。でも、これくらい出来なければ校長の座は遠いです」
イリーナは魔女として認められるため、書き溜めていた論文を発表することにした。若返りの薬については利用される可能性を考慮し秘密にしているが、イリーナの着手していた研究はそれだけではない。魔法具の利用から日常生活に至るまで。新たな薬の生成法に、あげればきりがない。
「俺は誇ってしかるべきだと思うが? 学園を首席で卒業したとしても受賞が叶う人間は少ない」
「私の分もアレン様が喜んでくれたので、私はこれくらいでいいんですよ」
「そうなのか? ならもっと盛大に」
「もういいですから!」
これが丁度良い具合なのだとしっかり説明しておいた。気持ちは嬉しいけれど。
「なんだか君、人が変わったようだね」
「そうですか?」
確かにアレン相手に怯えることは減ったと思う。なれもあるが、ライラと和解しファルマンに宣戦布告したことで強くなれたのかもしれない。引きこもりを止めたことも大きな原因だろう。
(あの時のこと、アレン様はあまり訊いてこないよね)
その日のうちにファルマンについて問い詰められたくらいだ。ゲームについては説明が難しく、イリーナも語ることはなかった。
ただ彼なりに理解してくれているのだとおもうしかない。ファルマンが騒動の黒幕であり、正体が精霊であることは心得ているだろう。むしろ乙女ゲームについては深く知らないままでいてほしい。
現実のアレンに目を向けると不満そうな顔だ。やはり説明不足なことが気掛かりなのだろうか。
「以前は俺が独り占めしていたのに、残念だな」
イリーナの懸念は全くの見当違いである。
「今となっては君を独り占めしていられた時間が恋しいよ」
アレンの想いはいつもイリーナへ向けられているが、元の姿に戻ってからは以前よりもそれを意識するようになってしまった。これも何かの魔法だろうか。ライラと対峙していた時でさえ、精霊たちが逐一報告してくれたアレンの言葉は心臓に悪かった。
「今日はもう一つ、君に話したいことがあってね。どうしても直接伝えたかったんだ」
何故だろう。あまり良くないような、訊きたくない部類の話のような、嫌な予感がする。アレンがにこやかに笑っている時は、たいていイリーナにとって分が悪いことだ。
ところが話が始まる前に研究室の扉が荒々しく開かれた。
「イリーナ、すまん! 彼女の勉強を見てやって欲しいと頼まれたが、俺では手に負えん!」
泣き言と一緒に飛び込んできたのはオニキスと、その後ろからライラが顔を覗かせた。
「酷いオニキス様! オニキス様の教え方が悪いんですよ!」
「なんだと!?」
「だってオニキス様ってば、これくらいのこともわからないのかばっかりじゃないですか! 先生というのはもうちょっと弱者の気持ちに寄り添ってですね? ヴィンス先生を見習って下さい」
「ならヴィンス先生に教わればいい」
「オニキス様、乙女心がわかってない!」
「なんだと!?」
「そんなんじゃモテませんよ。というわけでイリーナ、オニキス先生はだめ。私に勉強を教えて! このままだとわりと真剣に落第する。あの人に呆れられるぅぅぅ……」
イリーナと和解したライラは心を入れ替えて勉強に励み、実力でヴィンスを振り向かせると言っていた。そのためにも侯爵邸で勉強をみてあげていたのだが……。
わあわあと押し寄せた者たちは騒ぎ立てる。静かだった研究室はこれまでにない賑わいで、入口はちょっとした渋滞になっていた。
「あの、みんなしてここに集まらないでほしいなーって……」
早く静かな研究ライフに戻りたい。そんなイリーナの希望は外野の賑わいにかき消されていく。だがアレンだけはしっかりと拾ってくれていたらしい。
「まったく、騒がしいね」
「ひっ!」
イリーナはつい口元を押えたが、悲鳴を上げたのはどうやら自分ではないらしい。
(あれ? 私じゃない……?)
アレンの笑顔を見て怯えているのはライラだった。
不思議に思っていると、そのすきにアレンが扉を閉めてしまう。しっかり鍵までかける手際の良さだ。外からは扉を叩く音がして、それを阻止しようというもう一つの勢力を感じた。何か揉めているようだ。
「ようやく静かになったね」
「あの、でも……外、揉めてませんか?」
「向こうはライラが上手くやるさ。彼女もオニキスの足止めくらい出来るだろう」
「アレン様、ライラと仲良くなったんですか? いつの間に?」
「あれから少し話をさせてもらってね」
「そうだったんですね」
やはり主人公とメインヒーローは仲良くあってほしいものだ。イリーナは微笑ましい気持ちでいっぱいになった。
「俺の婚約者を侮辱した罪はどう償うつもりかと、きっちり話をつけさせてもらったよ」
(全然微笑ましくなかった! ライラが怯えてたの絶対それが原因!)
アレンに問い詰められたライラはさぞ怖ろしかったことだろう。彼の姿を目にして悲鳴を上げるほど、その恐怖は計り知れない。まるで昔の自分のようだと同情してしまう。
「君たちの言う乙女ゲームとやらについてもしっかり教えてもらったよ」
「ライラ話したんですか!?」
「詳しく教えてくれたよ」
それは教えてではなく、教えさせたの間違いだと思う。追及されないとは思っていたが、アレンの情報源は他にあったらしい。重ねてライラには同情したくなった。
「ちょっと可哀想ですね」
「何を言う。俺の大切な婚約者を貶めたんだ。その報いは受けてもらうよ」
「あの、まだ婚約者じゃ」
「残念。もう婚約者だよ」
「え?」
想定外の返しにイリーナは言葉を失った。
「おめでとう。今日をもって俺たちの婚約は正式に認められた」
「は、はあっ!?」
ちっともめでたくない。そもそも何故!?
「どうして、なんで……私はただの引きこもりで、侯爵家の娘とはいえ婚約者に選ばれるほどの功績があるはずはなくてですね!?」
つい最近まで幼女として過ごしていた。選ばれるような覚えがない。
「謙遜することはない。君の研究成果はみなの認める所となった。君は国の宝だ。俺の隣に在る女性としてこれほど相応しい人はいない」
ファルマン打倒のために動き出した結果が自分の首を絞めていたらしい。
(嘘だ……)
よろけたイリーナをすかさずアレンが支える。ところがアレンは離れることなくその手でイリーナを引き寄せた。
(ち――、近いっ!)
瞬きさえ躊躇うほどの緊張が全身を支配する。
「ひっ、ぁ……」
恐怖とは違う。けれど情けない声が飛び出した。それさえも身を寄せられた衝撃に消え、近付く気配に耐え切れずイリーナは目を閉じる。
しかし身構えたイリーナに贈られたのは額に触れる優しいキスだった。
「アレン様?」
幼女の時とは違う。目を開けば美しい顔がすぐ傍にあった。近すぎて緊張しているはずなのに目が離せない。
――てっきり唇に触れられると思っていた。
口にすれば痛い目を見るのは自分なので、そんなことは口が裂けても言えないけれど。
イリーナの疑問を感じ取ったアレンは、ふっと唇に笑みを浮かべた。
「物足りなかったかな?」
「――え……は、わ、私は別に、そんな!」
「ここは君の心を得られた時に触れさせてもらうよ」
その日が来ることを確信しているのか、アレンは自信たっぷりに言い切る。それはいつになるだろうとイリーナはアレンの腕の中で未来に想いを向けていた。
いつしか外の賑わいは増し、多数の声が交じりあう。婚約の知らせを聞きつけた両親にタバサが駆けつけたのだろう。
(ライラにはもう少し頑張ってもらおう)
あと少しだけ、二人きりの時間が続くのも悪くはない。そんな風に考えられるのだから、距離は縮まっていたのかもしれない。
のちにイリーナ・バートリスの名は国中に知れ渡る。
学会を総なめにした論文の天才として。
数々の薬を生み出し、魔法史に革命をもたらす魔女として。
ローズウェルの王子アレンの愛する人として。
そして、魔法学園の校長としてその名を広く知られることとなった。
また、彼女は精霊の愛し子として人と精霊の仲を取り持った。しかし本人は愛し子であることを不満そうに語るのだ。
これにて完結致します。
最後まで読んでいただき、心よりお礼申し上げます。
たくさんの閲覧、お気に入り、評価、感想、本当にありがとうございました。
誤字のご指摘にも助けられておりました。ありがとうございます。
読んで下さる皆様のおかげで、こうして最後まで書き切ることが出来ました。
乙女ゲーム転生ものは他にも書いているのですが、今回は『悪役令嬢がメインヒーローに振り回される系』が読みたい! と思い至りこの物語を書き始めました。それがこんなにもたくさんの方に読んでいただけるなんて、感激です。悪役令嬢が振り回される話なので、この先もイリーナはアレンに振り回されていくんでしょうね。ライラも加わってさらに賑やかになることでしょう。
ここまで少しでもお楽しみいただけておりましたら幸いです。
またいつか他の作品でもお会い出来ましたら嬉しく思います。
本当に、最後までありがとうございました!




