29、主人公と悪役令嬢
(――間に合った!)
イリーナは精霊たちに導かれ、アレンとライラが対峙する森へと駆けつける。アレンを目にした瞬間、無事であることへの喜びから力が抜けそうになった。けれどまだ決着はついていない。精霊たちが教えてくれた話では、ライラはアレンに薬を飲ませようとしていた。
「待って、ライラ!」
結界は強固な守りとなってアレンを捕らえていた。
イリーナに気付いたライラはアレンから意識を逸らす。
「リナちゃんだよね? どうしてこんなところに」
結界越しにアレンの驚愕する顔が見えた。侯爵邸の外に出ただけでなく一人で学園にいるのだから信じられないのも無理はない。
ライラはイリーナがこの場にいると推測するが、やはり見当違いだ。
「もしかして、あの女から逃げて来た?」
気遣う発言ではあるけれど、ライラの優しさは歪だ。イリーナは不機嫌そうに唇を引き結ぶ。
「違います」
「じゃあどうして」
「精霊たちが教えてくれました。随分と言いたい放題ですね」
「リナちゃん?」
「そんなに会いたいなら……会わせてあげますよ!」
イリーナは口にキャンディを放り込む。ライラから見れば幼女のおやつタイムだが、これは元に戻るための薬だ。じわじわと広がる効果にじれったさを感じたイリーナはそれを奥歯で噛み砕く。
それを呑みこむと、イリーナを中心にポン――と小さな爆発が起こる。真っ白な煙がイリーナを覆い、目を開ければ急成長を遂げていた。
薬の調合には多数の魔法を掛け合わせている。そのうちの一つにはドレスへ着替えさせるというものも含まれており、イリーナは十七歳の身体でお気に入りのドレスを纏っていた。あの髪飾りを整え、なびく髪を払う。
煙が晴れ、ライラの目に映ったのは悪役令嬢イリーナの姿だった。
「イリーナ!?」
「望み通り、登校してやったわよっ!」
拳を握り引き寄せたイリーナは結界を殴った。軽い音を立て、結界は一撃で消滅する。
「な、殴った!?」
「ファルマン殴る練習よ!」
「は、はあ!?」
同等の力をぶつければ相殺出来ると確信していたが、拳を使ったのは治まりきらない怒りのせいだ。つまり勢いである。
本気で殴った拳はひりひりするけれど、もう一度手で掌を受け止めていた。標的を思い浮かべると威力が増す。
「私、そんなに人前に出られない顔ですか?」
「え? いや……」
ライラの言葉は全て精霊たちが中継してくれている。便利なものだ。
「太るっていうか、縮んで……じゃなくて、リナちゃんがイリーナ!? なんで子どもになってんの!?」
「悪役令嬢やりたくないからに決まってるでしょう!」
「意味わかんないんだけど!?」
「それはこっちの台詞よ! 貴女ちゃんと隠しルートやったんですか!?」
「な、何よ急に、そりゃ……やってないけど……」
「やってないんですか!?」
「しょうがないじゃない! やる前に人生終わっちゃったんだから! だから隠しルートに入るためにもイリーナがいないといけないんでしょう? シナリオが狂うから私……ってイリーナも転生者!?」
「それは今どうでもいいんです。貴女自分が何をしようとしたか、わかってるんですか?」
「何よ偉そうに! 私は貴女の悪事を正そうと」
「悪事? 悪事ですか……」
イリーナはずかずかと結界の領域に踏み込んだ。あの結界は時間と場所を指定して張られたものだろう。一度破壊してしまえば二度は効力を発揮しない。
イリーナは気圧されて隙だらけのライラから瓶を奪い取る。
「ちょっと!」
蓋を開け、香りを確かめた。
「この香り、元に戻す成分ではありません。これは人を操るため危険登録されている薬草が使われています」
「何言ってるの。そんなわけ」
「私を信じたくないのならそれでもいい。けど、これが失敗してどうなるかは貴女も知っていますよね? そんなものを人に使うところを見過ごせません」
たとえイリーナを信じられなくても気付いてほしい。疑問を抱いてほしかった。
ライラもゲームを経験しているなら思い当たることはあるだろう。
「心を失くすの……?」
残酷だが、イリーナは真実に頷いた。
「うそだよ。だってそんなの、私、悪役令嬢と同じことをしようとしてた?」
もう一度頷くイリーナに、ライラは先ほどよりも深刻な表情を浮かべている。それは正しくゲームを知る人間の反応だ。
「悪役令嬢やりたいなら変わってあげますよ」
「私、そんなつもりじゃなくて!」
「なら、どんな理由があったんですか?」
「私はただ、あの人と幸せになりたかっただけ! でも悪役令嬢がいなくて、全然上手くいかなくて、どうしていいかわからなくて。誰にも相談出来ないし……」
「それでファルマンに利用されたんですか」
「ファルマン? えっと、校長先生?」
校長の名に戸惑うライラはこのゲームの真相を知らないのだ。
「フルコンプした私が教えてあげます。貴女はファルマンの楽しみのために利用されたんですよ」
「嘘よ! そんなの、悪役令嬢の言葉を信じられるわけが」
ライラがなおも言い募ろうとした時だ。その人は絶妙なタイミングで場を引っ掻きまわすために現れた。
「ね、俺のこと呼んだ? 名前が聞こえたから出てきちゃった!」
やはりどこかで見ていたファルマンが深刻な空気を台無しに、我が物顔で発言する。




