26、幼女の怒り
「それは残念。じゃあこれも君にとってはどうでもいい話かな。君の婚約者が他の女の子に迫られても気にならないか」
「アレン様が!? あ、いや、まだ候補ですけど!」
婚約者なんていない。まだ候補だ。しかしいつもの訂正を入れてから、ファルマン相手に焦ることもないのではと思う。
だいたいアレンが他の女の子に迫られるなんて日常だ。あの顔と身分で表向きは好青年なのだから、取り立てて騒ぐことではない。
「そっか、彼は候補なんだ」
うんうんとファルマンは納得するように繰り返し頷く。
「候補なら他の女の子に迫られても気にならないね。このままだと彼、その子のものになっちゃうけど問題ないよね」
それをイリーナに教えるのは決して親切からではないだろう。そもそも笑顔で語る内容ではない。
ゲームの知識を持つイリーナはこれと似た話を知っていた。
ゲームでのイリーナはアレンの心を自分に向けさせるため、ファルマンの策略で危険な薬を入手する。けれどそれは不完全な薬だった。失敗したイリーナは心を奪われ感情を失くし、喋ることもなくただ人形のように生き続ける。
(この人、また誰かを利用したのね)
アレンの危機を教えることでイリーナを舞台に立たせるつもりなのだろう。
イリーナを利用出来ないファルマンは他に都合のいい人間を見つけた。アレンに迫っているというのなら女性だろうか。
(まさか……)
「ライラ?」
ファルマンの反応で懸念は確信に変わる。
「あれ、君たち知り合い? そうそうあの子、いつだったかバザーで怪しい薬を手に入れたみたいなんだ! 危ないよね」
それを注意せずに見守っていたくせに、どの口が危ないと言う。おそらく裏で手引きしたのはファルマンだ。
「貴方が手引きしたんですね」
「さあ、どうだったかな。あの子が勝手に危ない薬に手を出しただけでしょ? 本当、可愛い子だよね。何を焦っていたのか知らないけど、利用しがいが――おっと」
美しく吊り上げられる唇が憎たらしい。その台詞はかつてゲームの中ではイリーナに向けられていた言葉だろう。貶められているのは自分ではないけれど、まるで自分に向けられているようで苛立ちが募る。
(ゲームのイリーナもこんな風に裏で笑われていたのね!)
被害に遭っているのはライラとはいえ、気分の良いものではない。にやにやとこちらを見るファルマンの眼差しが憎かった。
「それで? 愛し子ちゃんはどうするつもり? 特に情のない候補君は放っておく?」
二択を迫るファルマンはにこにこと瞳を輝かせている。これではどちらが子どもかわからない。
「そうやって私を学園に行かせようとするんですね。自分を楽しませるために」
「さすが愛し子ちゃんは賢いね」
「ふざけないでください。私は貴方の計画には乗りません」
「そっかぁ、見捨てるんだー。ま、俺は別にどっちでもいいけどね」
「あ、ちょっと!」
本当にファルマンにとってはどちらでもいいことらしく、散々侯爵邸をひっかきまわしておきながら、用が済むなりあっさり姿を消してしまう。本当に気まぐれだ。
「何よ……帰るならみんなを起こして行きなさいよ!」
部屋の外にはタバサやメイドたちが倒れたままで、侯爵邸は未だ精霊の眠りに包まれている。しかしイリーナが愛し子であるのなら、ファルマンの魔法を破ることは可能だろう。
(そのためには元の姿に戻らないと!)
元に戻れば悪役令嬢にされてしまう。そんな考えは少しも浮かばなかった。イリーナの頭にあるのは屋敷の人たちを救う事だけだ。
イリーナは部屋に戻ると机の引き出しから元に戻る薬を取り出す。一見ただのキャンディのように見えるそれは調合された薬だ。
(これを舐めれば元に戻れる。でもこれは……これも、幼女化に成功したのもファルマンの愛し子だったから?)
長年の成果を前にすると、ファルマンの言葉がよみがえる。
その答えは誰にもわからない。たとえファルマンでもだ。愛し子でなくても作れたかもしれない。あるいは愛し子でなければ作れなかったかもしれない。終わってしまってから答えが出せるものではない。
(みんなが喜んでくれた。褒められて嬉しかった。でもそれは大嫌いな人から与えられた力かもしれない。なら私は、最初からファルマンの掌の上?)
こんなに悔しいことはない。
「悔しい……悔しい!!」
握りつぶしたキャンディが音を立てる。
開け放した窓から突風が吹き、イリーナの怒りに呼応するように部屋を荒らしていった。机に置かれていた資料は舞い上がり床に散らばる。ここに綴られた成果も全てファルマンによって与えられたものだろうか。
「そんなこと、誰にもわからない……」
わからないけれど……。
「アレン様は、こんな私のことをたくさん褒めてくれた。誰よりも喜んで、一緒に分かち合って、傍にいてくれた」
アレンだってイリーナにとっては大切な人に当てはまる。
それにライラを放ってはおけない。ファルマンが何を言ってライラを誑かしたかは知らないが、このままでは彼女が心を失くす恐れがある。そんなことは許さない。
(主人公がファルマンなんかにいいように使われてるんじゃないわよ! ちゃんとファルマンルートやったんでしょうね!?)
すべての攻略対象をクリアしてから開くルートで難易度は高い。そもそも五人を攻略するまで誰が隠しキャラなのかも教えてもらえない。プレイヤーたちはネタバレしたい衝動を一心に堪えていた。
(せっかく幼女になったのに……)
湧きあがる熱い感情がイリーナを突き動かす。ファルマンに感じていたはずの怯えも、学園に向かうことの恐怖も、それらは次第に怒りへと転じていた。
楽園に土足で踏み込んで、好き勝手に引っ掻きまわして平穏を奪おうとする。家にいれば安全だと思っていたけれど、もう侯爵邸は安全とは言えない。その気になればファルマンはどこにだって現れる。何度だって――。
「私だって怒るんだから!」
イリーナの我慢は限界だった。




