22、幼女の怖いもの
ベンチに腰を下ろしたイリーナは屋台に並ぶアレンを眺めていた。そばにいるのは親子連ればかりで、その中に混じっていると本当に子どもになった気分だ。
(私が行きたいと言っていたら父様も連れてきてくれたのかな?)
同行するつもりだったと聞かされた父のことを考える。父と外出するなんてこれまでは想像すら出来なかったけれど、今のバートリス家でなら家族そろって遊びにも行けそうな気がした。タバサがいないと落ち込んでいたけれど、ほんの少し素直になるだけで案外簡単に解決することだったのかもしれない。
(私も、少しは外に出てもいいのかな)
一緒にどこかへ行きたいと言えばどんな顔をするだろう。楽しい一時にイリーナの心は弾んでいた。
「おや、君は……」
晴天のはずが、イリーナの顔に影がかかる。
(誰?)
顔を上げるとイリーナを見下ろしていたのはファルマンだった。見つめる眼差しは不思議そうに、首をかしげている。
(なんでファルマン!?)
主人公にも言えることだが、ここは学園から最寄りの町である。だからといって黒幕を引き当てるのは主人公と遭遇するより運が悪い。
(お、落ち着いて! この格好なんだから、私がイリーナだってわかるはずないんだから!)
驚きと緊張に、物凄い速さで音を立て始めた心臓が痛い。
「まさかこのようなところでお会いするとは思いませんでした。お一人ですか?」
ファルマンは知り合いのように話しかけてくるが、イリーナは知らないという嘘を貫くことにした。幼女のあどけなさを武器に無邪気を装う。
「誰ですか? 人違いだと思いますよ」
「ご冗談を。私が貴女を間違えるはずがありません。何故そのような格好をされているかは存じませんが、一人で大変なのではありませんか? 家まで送って差し上げますよ」
差し伸べられた手にイリーナは顔を背けた。
「一人じゃありません」
「それは失礼致しました。では、貴女は何故そのような姿を?」
「なんなんですか。私、よくわかりません」
「なるほど、あくまで子どもを演じるつもりなのですね」
ファルマンはずっと穏やかな笑みを携えているし、何も怖いことは言っていない。他人からすれば本当に一人でいる子どもを気遣っているようにしか見えないだろう。それなのに身体の芯が冷え身が竦む。いくら否定しても全て見透かされているようでならなかった。
背後には壁があり、目の前にはファルマンがいる。どこへも逃げられない状況がイリーナを恐怖へと駆り立てた。
「そのように怯える必要はないのですが……」
そうさせているのはお前だと言いたいのに口が動かない。
ファルマンの手が迫り、イリーナに触れようとしていた。
(止めて! 怖い……誰か――助けて!)
「イリーナ!」
恐怖に塗りつぶされていた視界が開け、声のする方を探す。ファルマンの背後からこちらへ走るアレンの姿を見つけて心が軽くなった。彼の存在を頼もしく感じたのは初めてだ。
「おや、彼が連れでしたか」
「校長先生?」
駆けつけたアレンは学園の校長とはいえ、異様に怯えるイリーナを前に警戒を強めた。
「この子がどうかしましたか」
「一人でいたものですから、家族と逸れてしまったのではと心配していたのです」
「ではご安心を。この子の保護者は俺です」
「ええ、貴方が一緒なのでしたら心配はいりませんね。私はこれで失礼するとしましょう。それではまた」
――イリーナ。
「ひっ!」
ファルマンの唇が音もなく形を作った。聞こえたわけではないけれど、確かに名前を呼ばれた気がする。
ぎゅっと心臓を握りしめられたようで、ファルマンの姿が見えなくなってようやく息を吸うことが出来た。
「校長に何か言われたのか!?」
イリーナは首を振る。何度も違うと自分に言い聞かせることで身を守ろうとした。
(どうして、どうしてファルマンと会うの!?)
せっかく外へ出る勇気が持てたのに……。
「アレン様、帰りませんか?」
「イリーナ?」
「勝手を言ってごめんなさい。私、帰りたいです。ごめんなさい。やっぱり外は、怖いです」
ぎゅっとアレンの手を握った。
「……そうか。無理をさせたな。一人にしてすまない」
ファルマンが原因であることはアレンも気付いているだろう。言うなりアレンは再び抱き上げてくれた。
「アレン様は悪くありません。私が怖がりなだけです」
元々リンゴ飴は持ち帰れるように包まれていた。イリーナの手に握られそれは美味しそうな光沢を放っている。さっきまではこの町並みも同じように輝いて見えたのに、それが遠い昔のようだ。
「アレン様」
「どうした?」
小さな呟きにもアレンは気付いてくれた。賑わいの中で言葉を聞き逃さないように注意を払ってくれる。
「今日、楽しかったです。本当ですよ。ありがとうございました」
「それは良かった。だが、礼ならタバサに言ってくれ」
「タバサに?」
「タバサから手紙が来た。お嬢様が困っていると思うので助けてほしいとね。それに俺は、君を守れなかった」
アレンはイリーナの傍にいなかった自分を責めようとしていた。でもそれは違う。
「そんなことありません。アレン様はちゃんと守ってくれました」
ファルマンを追い払ってくれたのはアレンだ。アレンの姿を目にしてどれほど安心しただろう。
「またいつか、私がもう少し強くなれたら……外へ連れて行ってくれますか?」
「もちろんだ」
本当にそんな日が来るかはわからないけれど、今は幸せな思い出だけを抱えていたい。
アレンは無事にイリーナを守り抜き、家まで送り届けてくれた。
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