19、幼女の外出希望
裏切りのことはまだ納得していないけれど、イリーナの研究にタバサが与えた貢献は大きい。今後は対応に細心の注意を払いアレンの話題は控えさせてもらうとして、今日まで研究に打ち込むことが出来たのはタバサのおかげだ。その恩を忘れたことはない。
あれがほしいと言えば町へ走り、組合への登録時に保護者となってくれたのもタバサだ。引きこもりを始めた時に心配してくれた優しさも嘘じゃないと知っている。アレンの手駒という点さえなければ一番自分のことを理解してくれているとも思う。だからイリーナはその日もタバサの姿を探して屋敷内を歩いていた。
「え? タバサ、いないの?」
しゅんとする幼女を前に、訊ねられたメイドたちは申し訳なさそうにしている。
「そうなんです。急に実家からの呼び出しが入って、午後は休暇をとって外出しているんですよ。旦那様には許可を取ったそうですが、よほど急いでいたんでしょうね」
「そうなんだ……」
「私たちに出来る事ならお手伝いしましょうか?」
彼女たちはイリーナが落ち込んだ分だけ明るく振る舞おうとしてくれる。その気遣いだけで幸せだと、イリーナは何でもないと笑顔を向けた。
「大丈夫。たいしたことじゃないの!」
イリーナも今度こそ明るく振る舞い、くるりと方向転換して部屋へ戻る。残念ではあるが、仕方のないこともある。アレンがイリーナを訪ねて来たのはそんな時だった。
タバサはいないが、メイドたちが紅茶とお菓子でアレンをもてなしてくれる。本日もアレンはイリーナが好みそうな菓子を手土産に持参してくれた。
テーブルには鮮やかなお菓子と、心が落ち着く紅茶の香りが漂っている。けれどイリーナの心は別の所にあった。
「それで先日、君から借りた魔法具についての記述を読ませてもらったが、とても画期的だったよ。今日はその感想を伝えに来たんだが……どうかしたかな? 今日の君は妙に落ち着きがないようだけど」
「そうですか?」
指摘されたイリーナはようやくアレンの顔を正面から見た気がした。
「何か、よほど外が気になるのかな」
「私、そんなにわかりやすいですか?」
悔しいけれどアレンの言う通り、何度も窓の外を眺めていたかもしれない。日が暮れる前にタバサが戻ってくれることを願っていたが、見られていたと教えられて急に恥ずかしくなった。
「君が窓の外に目をやるなんて珍しいからね。よほど誰かが待ち遠しいのか、外が気になるかのどちらかだろう」
その両方だ。
理由が知りたい。教えるまでこの尋問は続くとアレンの目が語っていた。
「今日は、町で古物バザーというのが開催されるらしいんです。私もみんなが話しているのを聞いただけなので曖昧ですが、古い物がたくさん売りに出されるらしいんです」
「それに興味があると?」
「今は流通していない古い魔法書や、掘り出し物がたくさんあるとみんなが話していました」
楽しそうに話していたメイドたちの姿がもう一度浮かんでくる。
「何か欲しいものでもあるのかな? 言ってくれたら俺がプレゼントするけれど」
「精霊の涙。百年草の花粉。月光の真珠……」
アレンには無理だという意味も込めてイリーナは欲しかった素材の中から希少性が高いものを上げていく。タバサに頼んで町に出る時には探してもらっているが、入荷は未定らしい。
「それに古い魔法書。まだ読んだことのない本、考えただけでドキドキします!」
「つまり君は屋敷の外へ出て、そのバザーとやらに行きたいと」
「それは……」
確かに続く言葉はそうだったはずだ。そのためにタバサを探していた。けれどもいざ口にしようとすると躊躇ってしまう。
行きたいと願う気持ちも、逸る心も確かにある。けれど庭に出るのとは訳が違う。ならいっそ、行けない理由を上げて誤魔化せばいい。考えることを止めてしまえば迷う必要もないのだから。
「でも今日はタバサがいないので諦めます」
それでいい。むしろタバサがいないのは運命だったのかもしれない。
それなのにアレンは何故と疑問を投げてくる。
「さすがにこの見た目で一人で外出するのが危ないことくらいわかります」
「だからどうして諦める必要があると訊いている」
「他の子に頼むのは仕事の邪魔です。父様と母様はそういった買い物にはなれていないので」
「俺に頼めばいいだろう」
「だめですよ!」
「どうして?」
とっくにゲームは始まっている。どこで主人公と会うかもわからないのに、アレンと一緒にいてあらぬ誤解を生みたくはない。
「知り合いに会ったらどうするんですか!」
「普通に気づかれないんじゃないか?」
「はっ!」
盲点だった。指摘され、幼女の姿であったことを思い出す。
「気になるんだろう?」
挑発するような囁きにイリーナは押し黙る。こうして話をしていたせいか、じわじわと欲求は強まるばかりだ。
(この外出で手に入る貴重な素材があるかもしれない。でも、外には他の攻略対象がいる。外には主人公がいる。外は怖い。怖いけど、でも……)
たっぷりと自問したイリーナは小さく望みを口にした。
「少しだけ……」
――外に行ってみたい。
イリーナの本音はアレンに届いていた。
「では行こう。婚約者殿からの貴重なおねだりだ。ぜひとも俺に叶えさせてはくれないか?」
「候補です」
いつも通りに平坦な口調で返せば、そうだったねとアレンにも軽く流されてしまった。
「大丈夫だ。何かあれば上手く誤魔化そう」
アレンはイリーナの前で膝を折り、視線を合わせて手を差し伸べる。
(アレン様、しゃがんで視線を合わせてくれた。そうだよね。私は小さくなったんだから……)
幼女の姿だ。アレンの言う通り知人に会っても気づかれないだろう。主人公と遭遇したところでアレンが幼女とデートしているとは思わないはずだ。
「……本当ですか?」
ちらりとアレンの様子を窺う。
「任せておけ」
頼もしそうに微笑まれ、差し出された手を未練がましく見つめてしまう。アレンだって攻略対象の一人。この手を取ることも危険だとわかっている。なのに衝動がイリーナを突き動かそうとする。
「言っただろう。外へ行きたくなる日が来たら声を掛けてほしいと」
「あ……」
かつてアレンは引きこもるイリーナを外に連れ出そうとしてくれたことがある。外は怖いと言って怯えるイリーナに、アレンは怖いものから守ると約束してくれた。
(あんなの約束とも言えないのに。アレン様、まだ覚えてたんだ)
まさか本当にそんな日が来るとは思えなくて、イリーナは忘れていたくらいだ。あの頃からアレンは変わっていないのだと思い知らされる。
(少しだけなら、この手を取ってもいいかな?)
好奇心が勝ったイリーナはその手を取ることにした。




