18、節度ある振る舞いをお願いします!
幼女は一人で衝撃から立ち上がる。ここでアレンとタバサの手を借りるのは癪だった。
「研究が忙しいので失礼します!」
イリーナは頬を膨らませて二人に顔を背ける。哀しいことに当人たちには可愛らしい仕草としか受け取られていなかったが、それでもイリーナは怒っていますと全身で態度に表した。腹を立てて不機嫌になるくらい許されるはずだ。むしろこれくらいの態度は可愛いもので、もっと怒り狂っても許されると思う。
アレンは居座るつもりのようだが、イリーナは早々に研究室へと向かった。元に戻るための研究を進めると言えばアレンもイリーナを引き止めようとはしない。
「アレン様、帰らないんですか?」
じっと視線を向けながら、研究室までついて来たアレンに訊ねる。
「俺も一緒に勉強させてもらおうかと思ってね」
「そうですか」
そっけなく言ってイリーナは本棚の前で背伸びをする。この身体になった弊害に、本が取りにくいというものもあった。
すると背後から、高いところの本を取ってくれる優しい人が現れる。
「これかな?」
「もう一つ隣です」
「はい」
イリーナは差し出された本を受け取った。
「ありがとうございます」
不本意ではあるが、きちんとお礼は言える子どもでいたかった。今も昔も、イリーナが困っていればアレンは手を差し伸べてくれる。
「また難しそうな本だね」
「そうですか?」
慣れてしまえば読み応えのある本だとイリーナは言った。
「昔から君はそう言っていたね。君のその姿がもう一度見られるとは懐かしいよ」
青年のアレンと幼女のイリーナ。昔とは違う、ちぐはぐの見た目となっているが、アレンは懐かしいと言ってみせた。
(本当、アレン様ももの好きだよね。飽きずに侯爵邸に通い続けて、私なんかの傍にいて)
ゲームの記憶を取り戻してからのイリーナは自分を特別だと感じることはなくなった。ただの令嬢――どころか引きこもりの令嬢だ。一緒にいて楽しいはずがないだろう。
(でも、アレン様だけはずっと傍にいてくれたんだよね)
プレゼントを拒絶しても、引きこもっても、成長しても、幼女になっても、変わらず傍にいてくれた。それをイリーナが嬉しいかどうかは別としても、何年もとなれば気軽に出来る事ではない。自分でも思うが、会うたびに悲鳴を上げて怯えている自覚はある。悲しくないのだろうか。
(この人、本気で私が大人になるまで待つつもりなの?)
相変わらず、アレンは考えの読めない人だ。そんなイリーナの気も知らずにアレンは話しかけてくる。
「君の研究成果はあるのかな?」
「……ありますけど」
「見ても構わないか?」
「あの棚に並んでいるのは全部そうですけど……」
その棚は背表紙の厚い本ではなく、ノートが何冊も詰め込まれていた。
「見ても楽しくないですよ」
「楽しさを求めているわけじゃない。俺も魔法薬の授業は取っているからね。後学のためにも読ませてほしいんだ」
狡い人だ。勉強のためと言われるとイリーナだって断りにくい。
「少しだけなら……」
イリーナは自分も本を読むふりをしてアレンの横顔を眺めた。アレンの言葉に嘘はなく、真剣に読み進めてくれる。
(真剣な顔。そういえば、こんな風にゆっくりアレン様を見るのは初めてかも)
いつもは姿を目にするだけで悲鳴を上げてる。
(知ってはいたけど、とても綺麗な顔をしている人だよね……って、あれ? アレン様、魔法薬専攻してたっけ?)
ゲームではそんな素振りはなかったように思う。
「どうかしたかな?」
「え!?」
考えることに夢中で視線を逸らすことを忘れていた。手元から顔を上げたアレンと目が合いたじろぐ。
「あ、の……自分の書いた文章なので、反応が気になって」
恥ずかしい。本当は横顔に見ほれていたくせに。
追求されるかと思ったが、アレンは真剣に読み進めていたようで、内容について語ってくれた。
「そうだね。ここまでとても素晴らしい内容だった。特にここ、魔法薬の生成についての記述が素晴らしい」
記述を見せようとアレンが資料を広げてくれる。同じものを覗くのだから自然と距離が縮まった。
「こんな風に研究を料理にたとえる人なんて初めてだ。知識がない人でも読みやすいと思う。けど読み進めていくと指摘は的確で、君があの薬を作り出せたことにも納得がいくよ」
アレンの瞳が自分の書いた文字を追っている。しかも自分は褒められているらしい。
「あ、りがとうございます」
「君は凄いね」
ファイルを閉じたアレンが頭を撫でてくる。
(――くうっ! 子ども扱いしないでくださいって言いたいのに子どもだし!)
褒められるとアレンが相手でも嬉しくなるのが悔しい。それはそれは複雑な感情なので苦い表情になっているとは思うけれど。
「少しでも君の力になれたらと魔法薬を専攻してみたが、なかなか君のようにはいかないな」
寂しそうな呟きにイリーナは耳を疑った。
(私のために……?)
――どうして私のために?
その答えをイリーナは本人の口からきいている。けれどあれ以来、アレンに想いを告げるような素振りはなく、イリーナも忘れたままでいた。それなのに急に思い出させるような発言を聞かされては緊張する。
そんな時、天の助けとばかりに部屋に飛び込んできたのがオニキスだ。
「アレン! なぜ貴様がここにいる!?」
「お帰りオニキス」
「ただいま……ってそうじゃない! 何故お前が俺の家にいるんだ!」
「婚約者に会いに来たんだが?」
「まだ候補だろう! 嫁入りなんて十年早いわ!」
(兄様! よくぞ言って下さいました大好き!)
タバサが陥落した今、兄の存在のなんと頼れることだろう。両親は既にタバサの側に回ってしまった。イリーナが幼女化したことによって子どもとの触れ合いを素晴らしいと認識した二人は孫の誕生を楽しみにしている。
「だいたい、お前は俺より後に学園を出たはずだろう」
「そうだね。オニキスが妹が待っていると、脇目も振らずに校舎を後にする姿を見送ったよ」
「お、おい、それは!」
本人の前で言われるとさすがに恥ずかしいらしい。
そこまで知っていて、何故アレンはオニキスよりも早く侯爵邸にたどり着けたのか。答えは簡単だ。
「君は妹のためにと町で土産を購入してから帰宅したようだが、俺はあらかじめ用意していた。それに早くイリーナに会いたくてね。走って来たんだ」
「「走って!?」」
兄妹の声が重なる。確かに走った方が抜け道も使えるので早いが、王子殿下が馬車も使わず走って……信じられないと二人の眼差しがアレンに向けられる。
「これまで一緒に過ごせなかった分、少しでも長く君と一緒にいたくてね」
「素晴らしいです! 愛のなせる技、一刻も早くお二人はご結婚されるべきです」
どこから聞いていたのか、タバサが扉の向こうから拍手を贈っている。惜しみない称賛に、普段の無表情はどこへ行ったのかとイリーナは呆れていた。
アレンとの関係が明るみに出て以来、タバサはイリーナの目を気にすることなく二人の仲を応援するようになった。少しは遠慮してほしいというのがイリーナの本音である。
「ありがとうタバサ。そのためにも、早く元に戻ってもらわないとね」
アレンの気配が近付き、柔らかな感触が額に触れた。
(私、何をされ……)
自覚するなりイリーナは目にも止まらぬ速さで額を押さえる。
(あ、アレン様の、く、唇、がっ――額に!?)
一瞬でショートしたイリーナに代わって抗議してくれたのはオニキスだ。
「アレン、節度ある振る舞いを心がけてもらわなければ兄として見過ごすことは出来ないが」
青筋を浮かべたオニキスに、アレンは両手を上げて無害を主張する。
「これは失礼しました。お兄様」
胸に手を当てる仕草は芝居がかっているからこそ、オニキスはさらに怒りを大きくする。友人関係だからこそ、お互いのことは良く理解しているのだろう。その背後ではイリーナも首が取れそうなほど頷いていた。
(兄様もっと言って下さい! 節度ある振る舞いをお願いします!)
幼女には刺激が強すぎた。たとえ幼女でなかったとしても自分の顔の良さを理解して行動してほしいものである。
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