17、侍女の裏切り
しかし翌日、アレンは何食わぬ顔でイリーナの前に現れた。今度は堂々と、タバサに案内されてイリーナの部屋を訪れたのである。
「タバサ! 私は誰にも会わないと言ったでしょう!」
「申し訳ありませんお嬢様。わたくしのような一介の侍女風情が王子殿下に逆らうことなどできるはずがないのです」
無表情のタバサは僅かにアレンを見据えて弁解する。昨日のメイドは必死にアレンを食い止めてくれたというのに腹心の侍女であるタバサは早くも諦めモードだ。
「ご苦労だったね。タバサ」
「いえ、わたくしは当然のことをしたまでです」
それどころかアレンに労われ恐縮している。
「昨日はわたくしの教育が行き届かないばかりに殿下の足を止めさせてしまい、まことに申し訳ございませんでした」
「構わないよ。突然訪問した俺が悪いからね」
「寛大なお言葉、痛み入ります」
「それじゃあタバサ、お茶の用意を頼めるかな。手土産のチョコレートも出してあげてね」
「御意」
まるで自宅にいるような態度である。しかしタバサはアレンの命を受け素早く膝をついた。それは完全に仕えるべき主を前にした姿だ。
熟練を感じさせるやりとり。違和感のないスムーズな会話。とても信じられないことではあるが、イリーナにはある懸念が浮かんでいた。
「タバサ……貴女、まさか……」
あまりの怖ろしさに全てを言葉にすることは叶わなかった。しかしタバサには通じただろう。イリーナから顔を背けたことが答えだった。腹心の侍女はとっくにアレンに懐柔されていたのである。
「いつから、一体いつから私を裏切っていたの!」
「裏切るなど、人聞きの悪い。わたくしは今も昔も、そしてこれから先も、お嬢様の忠実なる侍女でございます。そう、この先もずっと――」
「まさか、この髪飾りが毎朝私の目の前に置かれていたのは!」
タバサは黙秘を貫いたがイリーナは察した。全てはアレンに従うタバサがやったことで、この髪飾りは呪われてなどいなかったのだ。
(やっぱり私の味方はいなかった。もう簡単に人なんて信じないんだから!)
イリーナは固く心に誓う。心を許せると思っていた相手は敵のスパイだった。きっとこれまでにもあることないこと情報を流されていたに違いない。
「酷い……」
「イリーナ、彼女を責めないでやってくれ」
元凶が何かを言っているが、追い打ちをかけるだけである。
「そうなのですお嬢様、仕方がなかったのです! わたくしは殿下に弱みを握られているのです」
「弱み!? タバサ、大丈夫なの!?」
苦しそうに訴える侍女の姿にイリーナはアレンを睨み付けた。タバサは幼い頃から仕えてくれた侍女で、家族よりもともに過ごした時間は長い。手を出されてはいくらアレンといえど黙ってはいられない。
「お嬢様、ありがとうございます。ですがわたくしのことは心配なさいませんよう」
「でも!」
タバサは安心させようとイリーナの手を握る。
「お優しいお嬢様ですこと、本当に」
うっとりと告げたタバサは視線を逸らし、アレンに向けて小さく囁いた。
「殿下。くれぐれも褒美の件、お忘れなきようお願い申し上げます」
「今褒美って言った?」
イリーナの耳にはしかと届いていた。アレンも心得たという顔で頷いている。
「もちろんだ。君の働きには感謝している。俺とイリーナの子が生まれた暁には必ずや君を乳母に雇うことを約束しよう」
「一体何の話!? ねえ何の話!?」
取り乱すイリーナにタバサは秘密を打ち明ける。
「お嬢様。わたくしは、叶うことなら乳母になりたかった」
「だから何の話!?」
「結婚願望のないわたくしの夢は、せめて可愛い幼子をこの手に抱き、育て慈しむこと。ですが就職したこの侯爵邸でそれは叶わなかった。そんなわたくしに救いの手を差し伸べて下さったのが王子殿下だったのです」
「感動的なこと言っているけど、私のことアレン様に売ったんだよね!?」
「何をおっしゃいますお嬢様。わたくしはお二人の仲を取り持つお手伝いをさせていただいただけです」
「そうだよイリーナ。タバサは俺たちの仲を取り持ってくれたんだ。さあ、一緒にお茶の時間を楽しもう」
(楽しめるかー!)
イリーナの叫びは幼女の作り笑いの奥に消えた。
いつからアレンの手駒だったのかと問い詰めれば六歳の誕生日パーティーの後からだと言われたイリーナは膝から崩れ落ちたのである。




