16、突撃お宅訪問~婚約者候補編
その頃――
「平和って最高〜!」
父は仕事に向かい、母は公爵夫人主催のパーティーに招集され、兄が学園へと登校したイリーナは束の間の平穏を享受していた。幼女化してほんの一日だというのに、昨夜からの家族の構いっぷりには凄まじいものがある。断れない用事で家を空けている今がチャンスと、イリーナは部屋でくつろぎ放題だ。
幼女化の研究が一段落したとなれば徹夜で研究を続ける必要もない。朝はのんびりと起床し、ベッドに寝そべって本を読むという贅沢を満喫している。
昨日から運ばれてくる飲み物は全てジュースになったけれど、これはこれで美味しい。お茶うけにはクッキーやチョコレートといった子どもが好みそうなお菓子が並んでいる。
イリーナはうっとりと顔をほころばせた。
「はぁ……なんて贅沢」
本来イリーナも今日から学園に通う身でありながら部屋でごろごろしているのだ。主人公は今頃学園で授業の説明でも受けているだろう。
(もう全員の初対面イベントは終わった頃かな? 今日は授業もないし、説明が終わったら入学パーティーの準備をしているはずよね。主人公が転生者なら悪役令嬢の姿がないことを不思議に思っているかもしれないけど、悪役令嬢は幼女化してシナリオを回避しました。どうか探さないで下さい――っと!)
部屋から静かな祈りを捧げるイリーナであった。
「はあ、静かに読書って最高……って、なんか外騒がしい?」
耳を澄ませると異様な気配が伝わってくる。しかもそれはだんだんと近付いていた。
「お待ち下さい! お嬢様は体調が優れないのです!」
慌てたようなメイドの声がする。タバサは買い物に出ているので来客の対応に当たっているのだろう。その対応に訪問者は苛立っているようだった。
「だから、どこが悪いと訊いている! 命に関わる病か!?」
「それは……」
「俺は彼女の婚約者だぞ。真実を知る権利がある! イリーナ!」
静止を振り切って部屋に飛び込んできたのはアレンだった。
「イリーナ、俺は君を愛している! 君を失うかもしれないと知って、初めてこの想いを自覚した。だからイリーナ、どうか死なないで……イリーナ?」
ベッドの上でクッキーを手に固まる幼女。
突入したはいいが思わぬ光景に固まるアレン。
その背後ではひたすらメイドたちが慌てふためいていた。
「君は……」
硬直するアレンの口から呟きが零れる。冷静沈着な彼も声が出ないほど驚いているらしい。
(な、なんかアレン様が乗り込んできた!?)
しかし驚愕しているのはイリーナも同じだ。互いに動けない。さらに聞き間違いでなければ公開でとんでもない告白までされている。
気まずいこう着を破ったのは遅れて駆けつけたオニキスだった。
「おい、何の騒ぎだ!」
オニキスはアレンの肩を掴んで振り向かせる。振り向かされたアレンは既に完璧な笑顔を張りつけており、オニキスはぞっとした。
「これはどういうことかな?」
見られてしまった以上、説明が必要になるだろう。イリーナたちは客室に移動し、帰宅したタバサが紅茶とお菓子を運んでくれた。
正しく客人としてもてなされたアレンは椅子に座り、長い足を組んでからというもの微動だにしない。その静かな様子が恐怖を助長させた。
イリーナは子どもらしく見えるよう、オニキスたちがもめている横でクッキーをほおばる。難しい話は兄に任せるつもりだ。
「つまりアレン。お前はイリーナが不治の病だと勘違いして押しかけたと。まったく、誤解がすぎるぞ」
「君がきちんと説明をしないからだろう」
先ほどまで取り乱していたアレンはしれっとオニキスに責任をなすりつけている。冷静さを取り戻したアレンは強かだ。
「仕方ないだろう。人前で話せることじゃない」
「だとしても君の態度には誤解を招く点が多かった」
「なんだと?」
「言い方にも問題がある。なんなんだあの態度は! あの場面で言葉を濁して顔を背けられてはイリーナの心配をして当然だろう」
「っ、あれは! その、妹の姿を思い出してだな」
「それで?」
「締まりの無い顔を人前でさらすわけにはいかないだろう……」
「まさか、君のそんな姿を拝める日が来るとはね」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ」
アレンたちの事情を知ったイリーナはなるほどと納得する。とにかく心配して駆けつけてくれたアレンにはお礼を言っておこう。今後のためにも。
「アレン様、私を心配して下さったんですね。ありがとうございます。でも私は大丈夫なので、もう心配しないで下さい」
もう関わらないで下さい。私は大丈夫なので早急にお帰り下さいと言ったつもりだ。
「君は優しいんだね。ほら、俺のクッキーもお食べ」
皿ごと差し出されたイリーナはもう一度笑顔でお礼を言った。
「その姿を見ていると、初めて会った日のことを思い出す」
「そうですか?」
(私はちっともですけど)
アレンにとってこの姿は初めて顔を合わせた思い出かもしれないが、イリーナにとっては攻略対象の襲来に追い詰められ失神した苦い記憶だ。
見つめ合う二人を前にオニキスは咳払いをして会話を遮る。
「とにかく、誤解が解けたのなら帰れ。お前が窓から飛び降りたと学園は騒然としていたぞ。代わりに仕事を押し付けられたリオットも憤慨していた」
それは別に構わないとアレンは言った。
「俺がいると不都合でもあるのかな?」
「別に、俺は……イリーナと遊べないとか、そんなことを思っているわけじゃ……」
(兄様頑張って! そのままアレン様を追い帰して!)
援護射撃をしようとイリーナも参戦する。あくまで純粋に、子どもらしくだ。
「アレン様、忙しいのですよね? 私のことは心配いりませんよ」
「俺のことを心配してくれるなんて君は優しい子だね」
そう言って優雅に紅茶に手をつけるの繰り返しだ。
(くっ! なかなか帰らないな、この人!)
「ところでイリーナ。俺は君に大切な話をしたと思うんだが、それについてはどう考えている?」
ひくり――
イリーナの頬が引きつる。大切な話とは告白の件だろう。だが今の今まで驚きが勝り綺麗さっぱり忘れていた。突然訊かれても答えに困る。
「えっと、それは……」
(イリーナ子どもだからわからな〜いで乗り切る!?)
たじろぐイリーナを守るようにオニキスが立ちはだかる。
「アレン。妹はまだ幼いんだ。そういった話は俺を通してもらおうか」
「幼くとも俺はイリーナに話している。お兄様には引っ込んでいてもらおうか」
「なんだと!?」
喧嘩に発展するのは困るとイリーナは思い切って声を上げた。
「そうですアレン様。幼女に婚約者は務まらないのです!」
(私のことは綺麗さっぱり忘れて遠慮なく幸せになって下さい応援申し上げております!)
――と、イリーナは眼差しで訴えた。アレンはその眼差しに頷いて見せる。
(伝わった!?)
「遠慮することはないよイリーナ。俺は君が元に戻れるまで、いつまでも待ち続けよう。なに、あと十年ほどすれば元の年頃に戻れるだろう」
(違うっ!)
元に戻れなければ成長するまで待つと言うのか、この人は。
「さあイリーナ、答えてくれ。君は俺のことをどう思っている?」
「あ、う……アレン様は、高いところにある本を取ってくれる優しい人で」
「それで?」
「それで!?」
どうしても答えを知りたいらしい。ならば中途半端なことを言ってはいけない。ここはしっかりと、びしっと決めておかなければ!
「アレン様は……私の人生において最も関わりたくない人です!」
平静を心がけているようではあるが、今度はアレンの口元が引きつるのがわかった。オニキスは堪え切れない笑いを押さえるのに必死だ。
王族の矜持でなんとか立て直したアレンは強引に唇を動かそうとする。
「一番をいただけて光栄かな」
その姿があまりに哀れだったのか、オニキスはアレンの肩を叩いてやった。うるさいよと払い落としていたけれど。
(というかこの人、なんで帰らないのー!)
このままでは両親が帰宅して仲良く一緒にご夕食をの流れだ。両親だって王子殿下の訪問を悪く思うはずがない。元々オニキスとは学友で親交もある。ここは幼女ならではの機転をきかせるしかないだろう。イリーナはわざと大げさにあくびをして見せた。
「眠いのか、イリーナ?」
思った通り。兄はわかりやすく動いてくれるので助かる。
「うん」
「そうかそうか。俺が部屋へ運んでやろうな」
「お兄様の手を煩わせるのは忍びない。ここは俺に任せておけ」
「何を言う。お前こそ他人だろう! 普段は遠慮なく荷物を運ばせるくせに、これは兄である俺の役目だ」
「俺は彼女の婚約者だ」
「まだ候補だろうが!」
バチバチと火花を散らす男たちの横でイリーナは立ち上がり一人で歩いて行く。
「イリーナ、一人で行けま~す」
そっとイリーナは部屋の扉を閉め、面倒な二人に蓋をするのだった。




