14、とある王子から見た婚約者候補の話
アレンから見たイリーナの話。
王国一の魔法学園。その校舎の三階から、アレン・ローズウェルは登校する生徒たちを眺めていた。
自由な校風を謳う学園には入学式と呼ばれるものは存在しない。しかしながら、今日という日には新入生たちが学園に集い、通学路はいつもに増して賑わいを感じさせる。身分も年齢も自由な学園は、遠くからでも感じるほど個人の色は様々だ。
この学園に通う生徒たちは国の未来を担う魔法使いとなる。新入生を眺めるアレンは彼らの未来に期待を寄せていた。
(だが、俺が一番期待を寄せているのは……)
いくら待っても肝心の人物が現れない。
黒髪の、気の強そうな顔立ちの彼女は学園の制服をどのように着こなすだろう。だが実際は内気で臆病な性格だ。自信がなさそうに眉を寄せる表情を思い浮かべると愛おしさに頬が緩む。
なのにいつまで経っても彼女の姿はない。
「何故だ。何故イリーナは登校してこない?」
第二王子であるアレンには婚約者候補とみなされる女性が数人いる。次期国王になる兄には決まった女性がいるというのに、アレンは答えをはぐらかし決定には至っていなかった。
どうせ伴侶になるのなら、愛はなくともせめて優秀な人間が好ましいというのは本人たっての希望であり、そのため決定までに時間を費やされることになったのだ。
その内の一人に名を連ねている侯爵家のイリーナ・バートリスだった。それまで候補者の一人にすぎなかったイリーナの存在がアレンの中で大きくなったのは、彼女の六歳の誕生日のことだ。
「おめでとう。イリーナ」
祝いの言葉とプレゼントを差し出せばイリーナは目の色を変えて喜んだ。何かと張り合ってくる迷惑な従兄弟を避けるために訪れたパーティーではあるが、喜んでもらえたのなら悪い気はしない。
出席するからにはきちんとプレゼントを用意するようにと両親からも言われている。バートリス侯爵は父の古くからの友人でもあり、たとえ娘相手でもないがしろにすることは許されなかった。
ところがそれ以降、いくら待ってもイリーナからの反応はない。
「イリーナ?」
イリーナの顔からは表情が抜け落ちていた。それは次第に怯えのように彼女を支配していき、もう一度目が合うとそこに在るのは確かな怯えだった。
訳もわからずにアレンは逃げ出したイリーナの後を追う。しばらく走ったところで後ろ姿を見つけたが、誰かと一緒にいるらしい。アレンはとっさに身を隠していた。
自分のプレゼントは拒絶したくせに、同じ年頃の、それも庭師の息子のプレゼントを受け取っている場面だ。こんなにも複雑な気持ちは初めてだった。
強引にプレゼントを受け取らせてから、何度か理由をつけてイリーナに会いに行った。そうすればいずれあの複雑な気持ちが晴れると思った。
ところがイリーナは別人のように変わってしまった。顔を合わせれば飛び上がるほど驚いては悲鳴を上げる。とても臆病な子になっていた。
そんな反応は初めてで――
正直、面白かった。
新鮮な体験だ。怯えたイリーナの瞳に自分が映るたび、優越感を抱くようになった。あの庭師の子どもには向けていなかった眼差しだ。
オニキスの話では誕生日以降部屋に引きこもるようになったらしいが、医者に見せても悪いところはないという。ただ怯えたように部屋に閉じこもっているそうだ。
(俺が何かしてしまったのか?)
その理由が知りたいと、何度も侯爵邸に足を運んだ。
しかしイリーナに会いたいと言えば体調が悪いと断られてしまう。そのため騙し討ちのような形で会いに行くことが増えていった。
庭園を散歩している姿に声をかけたり、本を読んでいるところへ出向いたり。オニキスは部屋にばかりこもっていると言ったが、意外と活動的なところもあるらしい。それが家族には見せない姿だというのなら、偶然とはいえ知れて嬉しいと感じた。
話してみるとイリーナは自分が思うよりもずっと多くのことを考えていた。彼女に対して頭が良いと感じさせられたのは初めてだ。
(本当に六歳か?)
手にしている本を見れば大人でも舌を巻く魔法薬の教本だ。どうやらイリーナは魔法薬に興味があるらしい。意見を聞けば薬に対する認識と、改善を求める姿勢に感銘を受けた。
頭が良いだけでなく、国の将来を考えている。まさかイリーナにこれほどの意思があるとは思わなかった。
しかもだ。オニキスも彼女の両親もそのことに気付いていない。彼女をただの臆病な引きこもりだと思っている。自分だけが知るイリーナの姿に優越感が膨らんでいく。
「イリーナ」
「ひいっ!」
名前を呼べば彼女は怯えた眼差しでこちらを見上げる。何度も繰り返すうち、その表情が忘れられなくなっていた。歪んだ始まりではあるが、イリーナのことを好ましく思っていることにも気付いている。だから今日もこうして彼女の姿を探していた。
(入学してしまえばこちらのものだ)
同じ授業を取った時、彼女はどんな反応を見せるのか。そんなことを考えては朝から楽しみで仕方がなかった。




