1、最高から最悪の誕生日へ
破滅したくない悪役令嬢が幼女化して周囲から愛される話です。
六歳の誕生日、憧れの人がプレゼントを手に会いに来てくれた。
なのにそのプレゼントは悪夢の始まりだった。
侯爵令嬢イリーナ・バートリスの誕生日は毎年盛大に祝われる。それは六回を数えた今回も同様に、家族や親戚、友人たちを招いて華やかに行われていた。
けれど今年はもう一人、特別な人が訪ねてきてくれたのだ。
「おめでとう。イリーナ」
四つ年上のアレンはこの国の第二王子。憧れの婚約者候補からのお祝いに、イリーナは舞い上がる。
忙しいアレンがわざわざ、婚約者候補の一人でしかない自分の誕生日を祝うために訪ねてくれた。その事実に酔いしれるイリーナは、うっとりとアレンを見つめる。
アレンには婚約者候補とみなされる女性が数人いて、いずれはその中から最も優れた者が選ばれると注目されている。けれどプレゼントを渡された瞬間から、イリーナは自分が選ばれたと確信していた。この喜びが絶望に染まるとも知らずに浮かれていたのだ。
(やっぱりアレン様の婚約者に相応しいのは私なのね! アレン様は私を選んでくれた。だからこうして誕生日のお祝いに来てくれたのよ!)
ほのかに青く見える白銀の髪。その隣に相応しく在れるよう、幼くともイリーナは自分磨きに余念がなかった。肌も、爪の先に至るまで妥協は許さない。たっぷりと時間をかけて磨き上げられた黒髪は、いずれ彼の隣で微笑むためにある。宝石にも勝る紫水晶の瞳に映るのも、自分だけで良いと思っていた。
アレンから差し出されたのは掌に納まるほどの小さな箱だ。綺麗なリボンでラッピングされていたそれを、イリーナは待ちきれずに暴いていく。その瞬間までイリーナはアレンが自分のことを好きだと信じて疑わなかった。
なのに箱を開けた瞬間、高揚していた気持ちが消えていく。
プレゼントはバラの花をモチーフにした髪飾りだ。どこか見覚えのあるそれに触れると、脳裏にある光景が浮かぶ。
『哀れだな。イリーナ』
(哀れ? 私が? 嘘よ。私はこんなに幸せなのに!)
違うと否定すれば、また別の声が聞こえた。
『本当にどうしようもない妹だよ。イリーナは』
(酷い……誰なの? それを私に言うのは!)
誰って……
(みんなだ。みんながイリーナを哀れんだ)
憧れていた婚約者候補。
血の繋がった兄。
尊敬していた教師たち。
両親も、主人公でさえも。
イリーナ・バートリスは悪役だから。哀しげに、同情しながら、時にはさげすみ嫌悪しながら。またある人は一切の感情を浮かべずに。
(私は悪役。イリーナ・バートリスはこの世界の悪役令嬢!)
一つ思い出せばイリーナの中には前世の記憶が溢れ出す。
濁流のように押し寄せる記憶はこことは違う魔法の存在しない世界。けれど文明の発達した、なんでも叶う夢のような世界。そこで生まれ育った自分は毎日必死に働いて、給料はすべて趣味のために注ぎ込んでいた。
そんなかつての自分が大好きだった乙女ゲーム。魔法学園を舞台とする『魔女と精霊のライラリテ』は生まれ変わったこの世界と良く似ている。自分が知る国や機関の名称、生きている人たちの名前、イリーナを取り巻く環境、そして何より差し出されたプレゼントが……
(同じだし!)
アレンからのプレゼントは悪役令嬢イリーナが身に着けていたものと同じだ。黒髪に映えるような色合いと細工はどうやら攻略対象からのプレゼントだったらしい。どうりで十七歳になったイリーナが大切にしているはずだ。今のイリーナとしては投げ捨てたい気分だけれど。
「イリーナ?」
我に返ると優しいアレンは声を無くしたイリーナの心配をしていた。
(私を破滅に導く人が私の心配をしている……)
なんて不思議な光景だろう。イリーナはアレンの心を得るために悪役令嬢となってしまうのに。
ゲームの記憶を取り戻し、一度そう認識してしまえば優しい声が急に怖ろしく思えた。気遣うような眼差しも、哀れみを帯びているようで逃げ出したくなる。
「いやぁっ!」
恐怖に耐えきれなくなったイリーナは手にしていた箱を落としてしまった。つぶれてしまった箱を目にしたアレンは何を思っただろう。
「あ、も、申し訳ありません!」
気分を悪くしたに違いない。彼の機嫌を損ねては破滅への距離が近づいてしまう。
「いや、それよりも……顔色が悪い。気分が悪いのか?」
アレンが狼狽えるのも当然だ。これまでのイリーナはアレンのことが大好きだと、誰の目にもわかるような振る舞いばかりだった。姿を見つければ笑顔で近づき、迷惑も顧みずべたべたと傍について回るのだから。
それが急に怯えて距離を取るような振る舞いをすればおかしいと感じるだろう。けれど今ならわかる。
(私はアレン様に選ばれたわけじゃない。アレン様は私のことなんて好きじゃない!)
笑顔の裏ではイリーナのことをうっとうしく感じていた。今日だって、たまたま予定があいていただけのこと。たまには婚約者候補の機嫌をとるようにと両親から言われて来たのだろう。これは単なる侯爵令嬢のご機嫌取り。決してイリーナに会いたかったわけじゃない。
「だ、大丈夫です! どこも悪くないです!」
察して欲しい。全てを思い出した今、アレンに心配という迷惑をかけることさえ怖いのだ。
しかしアレンは納得しない。
「手も、こんなに震えて」
「ひっ!」
手を握られたイリーナは衝撃のあまり悲鳴を上げて身を引いた。いずれ自分を破滅に導く人が慰めのように手を包んでいる。耐えられたものではなかった。
「申し訳ありません、申し訳ありません!」
何度も謝れば、アレンはますます訳が分からないという顔をする。これまでの自分はどうやってアレンに笑いかけていたのだろう。今はもう、彼を前にすると口元が引きつってしまう。
「どうして君が謝るんだ?」
「それは……」
悪役令嬢でごめんなさいとは言えない。
「プレゼントを落としてしまったので、気分を悪くされましたよね。申し訳ありませんでした」
「そんなことはどうでもいいよ。俺は君が心配で」
「……そ、そうなんです! 実は先ほどから気分が悪くて! 申し訳ありません失礼致します! 申し訳ありませんでしたー!」
「イリーナ!?」
イリーナはアレンの手をふりほどいて走り去る。けれどもしっかりと謝罪は忘れていなかった。
お久しぶりの皆様、初めましての皆様。読んで下さってありがとうございます。
また後程更新予定なので、続きも読んでいただけましたら嬉しいです。
お楽しみいただけましたら幸いです。よろしくお願い致します。