体育祭 後編
今更だけど年末に体育祭の話って……
「んっ…んぅ……ぅ…?」
「おはよ、泰野さん。」
保健室のベッドでモゾモゾ動いて目を開けた泰野さんに笑いかける。
泰野さんは寝ぼけ眼で何度か瞬きをした後、僕を見てキョトンとした。
「ぇ…ぅ…?」
「ん、どうかした?」
パチパチパチパチと壊れた人形のようにマシンガン瞬きをする泰野さん。
あんまりすると目が疲れちゃうよ。
「…は、長谷川…くん?」
「そうだよ。」
「え、なんで…っていうか……え??」
混乱の極みにある泰野さんに、ここに至った一連の流れを説明した。
「そ、そうだったんだぁ……」
泰野さんが恥ずかしそうに俯く。
「今はちょっと外してるけど、さっきまで保健室の先生もいたよ。脱水症状が出てたから、水分を取ってないんじゃないかって言ってたけど。」
「ぁ……うん、今日はあんまりお茶飲んでないかも。ちょうど飲もうとした時に競技の集合がかかって、慌てて行ったから……。」
「そうなんだ。」
「それに、体質的に熱中症になりやすくて……子どもの頃は何度か倒れた事があったの。」
「ふむふむ。」
「最近は大丈夫だったんだけどなぁ…」
「今日は特に暑かったし、緊張してたのもあるんじゃないかな。」
何か顔真っ赤だったし。
「ぅぅ……迷惑かけてごめんね…」
「大丈夫だから気にしないで。ほら、先生がお水置いていってくれてるから飲みなよ。」
「うん…ありがとう。」
ストローを挿したやや大きめの紙コップを手渡す。
中身は常温の水だ。
泰野さんはチューチューと飲んだ。
実に可愛らしい。
「えっと、ところで今の時間って…」
「障害物競走はもう終わったみたいだよ。ついさっき、昼休憩の放送をしてた。」
「そっか……あれ、長谷川くん、お昼ご飯は?」
「まだ。今から食べるよ。」
「……もしかして、起きるまで待っててくれたの…?」
「まぁ、先生からも頼まれたし、心配だったからね。」
「ぁ……ぇぅ……ありがと…」
熱があるんじゃないかというくらい、泰野さんは顔を赤くして俯いた。
「泰野さんは、お弁当食べられそう?」
「んぅ……ちょっと、今は難しいかも。」
「だよね。容態が戻るまでは、ここでゆっくりしておくと良いよ。もうすぐ先生も戻ると思うから。」
「ぁ……長谷川くん、どこか行くの…?」
「お昼にしようかと思ってるけど。」
「そ、そうだよねっ。えっと…その……お、お友達と食べるのかな?野口くんとか。」
「友達……うん、友達だね。」
僕の脳裏にあの人の姿が浮かぶ。
「そっかぁ……えっと、それじゃ行ってらっしゃい。色々ごめんね、あと…ありがと。」
「ううん。何かあったら連絡して。じゃあ、またね。」
「あっ……うん、バイバイ。」
寂しげな表情を見ないフリして、僕はとある場所へ向かった。
コンコン、目の前の扉をノックする。
もう片方の手には教室から持ってきた弁当袋。
「長谷川です。」
「どうぞ。」
鈴を転がしたような声。
僕はガラガラと扉を開けて中に入った。
「失礼します。遅くなってすみません。」
「いいえ、大丈夫よ。あの子は無事に起きたのかしら?」
「泰野さんですね。はい、さっき目を覚ましましたよ。体調も特に問題なさそうです。」
「そう、良かったわ。」
冴木先生は優しく微笑む。
かと思いきや、次の瞬間にはどこか拗ねたような表情に変わった。
「それにしても、長谷川君はああいう事をする人なのね。」
「ああいう事?」
何の話だろう?
「公衆の面前で女の子をあんな風に抱きかかえるなんて…」
微をほんのり染めて口を尖らせている。
何か知らないけど可愛い。
「あれは仕方ないじゃないですか。すぐに動かないとマズそうでしたし。まぁ僕も咄嗟の事だったので冷静だったとは言えないですけど……普段はしませんよ。」
何で僕はちょっと焦ってるんだ?
まるで知り合いの女の子とただ一緒にいるところを彼女に見つかって弁解している彼氏のような気分だ。
「というか……見てたんですね。」
「それは、あんなに騒がれてたら気にもなるわよ。」
「騒がれて…?え、泰野さんを抱えて走ったやつですか?」
「正確にはその前、長谷川君がその…泰野さんの手を取って走り出した時からかしらね。」
「……知りませんでした。」
でも…そりゃそうか。
泰野さんはほとんどの生徒が注目してたもんね。
「長谷川君、夢中で走ってものね。」
先生がまた拗ねたような表情になる。
「あの…何か怒ってます?」
「別に…怒ってないわよ。」
「えっと………お弁当食べましょうか。」
こういう時は食べ物で機嫌を取ろう。
狙い通り、先生は無言で弁当箱を開けて中身を見た途端、目を輝かせて口角を上げた。
チョロ可愛い。
「それにしても、長谷川君って速いのねぇ。」
後半だけ聞かされたら男として廃れてしまいそうな台詞に、僕は首を傾げた。
「そうですか?」
「人を抱えてあんなに速く走るなんて驚いたわ。意外に力持ちなのね。」
意外とは。
どうせチビですよ、へっ。
「これなら代表リレーもばっちりね。」
「見てくれるんですか?」
「あら、勿論よ。最後の種目なのだし、それが終わったらもう閉会式なんだから。」
あ、そういう事ですか。
僕が心中で落ち込んでいると、冴木先生が綺麗な黒髪の毛先を指でクルクルしながら続けて言った。
「それに、その……と、友達…ですし。」
「…………」
「……あの、何か言ってくれないと恥ずかしいわ。」
「……はっ!」
やば、あまりの可愛さに気を失ってた。
「先生……」
「な、何かしら?」
強い瞳で見詰めると、冴木先生は戸惑った表情をした。
「僕、先生の為に頑張ります。必ず勝ちます。」
「え…あ……ぅ…」
先生が顔を赤らめて言い淀む様子は、少しだけ泰野さんに似ていた。
その後、昼休憩が終わって体育祭が再開された。
最終種目である代表リレーは、僕はどこからこんな力が湧いてくるのかと自分でも不思議になるくらいの快調を見せて爆走した。
バトンが渡ってきた時は4位だったのだが、見事3人抜きをして1位に上った。
結果、バトンを受け取った残りの3年生が逃げ切り、代表リレーは僕らのブロックが1位となった。
これで先生との約束を守ったわけだけど、残念ながら総合点数で他のブロックに敗れた為、総合優勝はできなかった。
締まらないなぁ…なんて思ったけど、その夜に冴木先生から『お疲れ様。かっこよかったわよ。』というメッセージをもらったから報われたような気がする。
まぁ……楽しい体育祭だったよ。




