ヤンデレとケルベロス
「お前がここのリーダーか」
「そう、僕がケイオス教団の司祭・モルドールだ。しかし君の狂犬っぷりはすごい。それでこそ我らケイオス教団に入信するのにふさわしい」
彼は倒れている信者たちの身体を道端の石ころでも蹴り飛ばすように蹴散らしてこちらへ歩いてくる。信者のことは手駒程度にしか思っていないのだろう、そうでなければこれだけのことをやらかしたシオンに対してもまだ入信させようとする訳がない。
「は? あなたみたいな奴の教えに入信する気はないわ」
シオンですらモルドールの狂気には引き気味である。
「そうか? 君が信じているヘラは確かに復讐を認めてくれるが、復讐とは関係ないクズをきれいにすることは認めてくれない。それでは君が理想とする世の中にするのは不十分ではないか?」
「それはそうかもしれないけど、今の私は愛に生きてるからそんなことどうでもいいわ」
そう言ってシオンはちらりとこちらを見る。やはり早めに探しにきてよかった。もし俺が来ていなかったら今頃こいつに丸め込まれていて彼女がテロリストになっていた可能性がある。
「そうだ、こんな怪しい奴の言葉に耳を貸すな。一緒に家に帰るぞ」
「はい」
シオンは俺の言葉に満足そうに頷く。
が、それでもモルドールは不敵な笑みを浮かべたままだった。
「ふふ、これを見てもまだそんなことが言えるかな?」
そう言ってモルドールは一人の縛られた男を目の前に転がす。知らない男だったが、そいつを見たシオンの表情は急速に赤くなっていく。
「あいつ……」
「そう、こいつは君をパーティーに誘っておきながら見捨てたクズなんだろ? 僕らの教団に入ればこういうクズを煮ようが焼こうが自由だ。でも世間一般の倫理やその男は例えば今君がこいつをナイフで刺そうとしたらそれを悪いことだと言う。そんなのは間違ったことだ。これから一緒にこういう奴らを粛清して回ろうじゃないか」
シオンの表情とモルドールの言葉で俺は何となく状況を理解した。あの縛られた男はシオンをダンジョンの奥に見捨てた主犯、おそらくはアルトという男なのだろう。
モルドールが足で蹴るとアルトの身体はシオンの方へ転がっていく。
「落ち着けシオン、あいつを倒してあの男は衛兵に突き出してきちんとした裁きを受けさせよう」
状況にもよるが、正規のパーティーメンバーを魔物の前で見捨てて逃亡するのはこの国の法では違法である。死刑にまでなるとは思えないが、あの男はある程度の罪を受けることになるだろう。
「でも元々あいつが奥に進もうって……私は止めたのに……」
まずい、シオンが徐々に復讐に流されている。そもそもアルトを許さないこととモルドールの仲間になることは全く別の問題であるが、モルドールは意図的にその辺をうやむやにしている。
俺はシオンをどう説得するべきか迷った。あの男を理詰めで論破することは可能であるが、今のシオンがそれを聞くとは思えない。向こうが論理を無視した説得をしてきた以上、俺としても強引な手を使って言い返させてもらおうか。
「シオン、お前は俺よりもあんな胡散臭い男の言うことを聞くのか?」
「確かに……」
「何だと? その男への復讐を忘れてもいいのか? その男を八つ裂きにしてやりたくはないか?」
シオンの心がこちらに傾きかけるが、モルドールはシオンの前にナイフを投げつける。カラン、と音を立ててシオンの前にナイフが転がる。それを見てシオンの手がぴくりと動く。
再び俺は叫ぶ。
「やめろシオン。俺はお前がそういうことをする奴じゃないと思っていたから助けたんだ!」
「……」
怒りに我を忘れそうになっていたシオンがはっと我に帰る。
あと一息だ、と思った俺は言葉を続ける。
「頼む、やめてくれ。俺はこんなところでお前を失いたくない!」
「そうですよね、所詮この復讐は自分のための復讐。そのためにオーレンさんを失っては元も子もありませんよね」
俺の言葉にシオンはようやく緊張を解く。
それを聞いて俺はほっとした。
「よく判断した。偉いぞシオン」
「えへへ、危うく大事なことを見失うところでした。私、踏みとどまりました」
そう言ってシオンが頭を近づけてくる。仕方がないので俺は頭を撫でてやる。敵のアジトの中でリーダーを前に一体何をやっているんだという気持ちにはなるが、安易な復讐に流されなかったのは進歩だと思う。
「あいつを倒したらあの男はちゃんと衛兵に突き出すんだぞ?」
「はい、その代わり、一生側にいてくださいね?」
「ああ、俺たちは仲間だからな」
俺もパーティーに裏切られる辛さはよく知っている。それにシオンのパーティーメンバーが務まる相手なんて色んな意味で俺しかいないだろう。自慢ではないが、他の人物では今のシオンを止められなかったのではないか。
「いえ、仲間としてではなく……」
「くっ……見せつけるようにイチャイチャしやがって。ならば誰だか知らないがそっちの男も僕の仲間にならないか? それなら問題ないだろう? 我らの教団は法などというちんけなものに縛られない。無限の自由を約束しよう!」
モルドールはシオンが味方にならないことに焦りを覚えたのか、無茶苦茶な提案をしてくる。
「うるせえ! 別にお前なんかの仲間にならなくても俺は元から自由に生きてるから余計なお世話だ!」
「ちっ、この僕がここまで言っているのにそれを断るなんてどいつもこいつもクソだな。もう飽きたわ、こいつで踏みつぶしてやる」
モルドールがそう言うと、後ろからずしんずしんと三つ首の犬が進み出てきた。いよいよ戦いという訳か。強敵ではあるがシオンの説得よりはよっぽど楽そうだ。
「よしシオン、あいつを片付けてさっさと帰るぞ」
「はい」
「あくまで僕に歯向かうというのか……よし、ならばやれ、ケルベロス」
そう言ってモルドールが指を鳴らすと後ろに立っていたケルベロスが、のしのしとこちらへ歩いて来る。見たところモルドール本人は武器を持っておらず、武術よりは魔法で戦うタイプに見える。
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ
ケルベロスは一つ大きく吠えると三つの首で一斉に大きく息を吸い込む。その口からは炎、氷、毒の三種類の吐息が垣間見えた。さては三つの首から同時にブレスを吐いてくる気か。
「ダーク・バインド」
ちらりとシオンを見るとモルドールに対して攻撃魔法を放っている。モルドールの相手はシオンに任せて俺はケルベロスの討伐に専念しよう。
「〈概念憑依〉デュランダル」
俺は自分の剣に不滅の剣の魔力を憑依させる。どのような攻撃も防ぎきるという伝承を持つ異界の魔剣だ。
するとケルベロスの三つの頭から魔法のブレスがこちらに向かって迫ってくる。並みの冒険者ではこれを防ぐことは困難だろう。
俺はデュランダルを目の前にかざして防御する。ブレスは混ざり合いながら俺の剣に命中する。凄まじい衝撃が腕を通して伝わってくるが、やがてブレスは俺の防御を抜くことが出来ずに霧散した。
ブレスが通らなかったと見るや否やケルベロスはこちらに一歩を踏み出し、鋭い牙を伸ばしてくる。三つの首は微妙に時間差をつけて迫ってくるので防御に追われてなかなか攻撃に転じることが出来ない。
とはいえケルベロスの知能はあまり高くないのか、間に時々ブレスが挟まるものの攻撃はいくつかのパターンが決まっており、その繰り返しである。俺はしばらくの間ケルベロスに攻撃をさせてそれを受け続け、リズムを見切ることにした。
俺が防御に転じている横ではモルドールも闇の魔力を使ってシオンの魔法を弾いていた。ケイオス神も聖なる魔力ではなく闇の魔力を与えるらしく、黒々とした闇の魔力がぶつかり合っている様は不気味であった。
「……やはり手ごわいな」
モルドールは言った。しかしその表情にはまだ余裕が残っている。まだ何か隠している手があるというのか。