プロローグ 氷の聖女は俺の連れ Ⅱ
そんなシオンに唯一臆せず近づいていったのはジルクだった。
「お、噂の聖女様じゃないか。俺はSランクパーティーの“金色の牙”のジルクって言うんだが、ちょうど今メンバーに空きがあってよ……」
そう言ってジルクが声をかけると、シオンの周囲の温度がどんどん下がっていく……ような気がする。酔っているとはいえ、よくそんなことが出来るものだ、と俺は内心嘆息する。周りの酔客たちもシオンが発する異様な雰囲気を感じ取って少しずつ距離をとる。この空気を感じ取っていないのはジルクだけだ。
あーあ、と思うが俺はちゃんと忠告はした。
「……今言ったことは本当ですか?」
シオンは”氷の聖女”のあだ名にふさわしい感情を感じさせない氷のような声で答える。それでもジルクは動じずに答える。
「ああ、本当だ。本当に俺は“金色の牙”の一員だ」
「……そうですか。では先ほどオーレンさんを嘲っていたのもあなたですか?」
「そ、そうだが」
ジルクは困惑しながらも正直に答えてしまう。どうも状況をよく分かっていないらしい。今こそお得意の強者に媚びへつらうべきタイミングなのだが。
ちなみにオーレンというのは俺の名前だ。
「そうですか……では容赦は不要ですね」
そう言ってシオンは氷のような表情のまま手の中に黒色の魔力を集める。彼女が胸元にかざしている両手の前に黒い魔力の塊が現れたかと思うと、少しずつ大きくなっていく。
聖女には似つかわしくない闇の魔力は復讐の女神から授かったものだが、どう考えてもこの場で使っていいものではない。突然の魔法の準備に、酔って騒いでいた他の客たちも慌てて距離をとる。
俺も慌てて立ち上がると、彼女の前に走り出る。俺の姿を見たシオンの表情が一瞬緩むが、すぐに氷のような無表情に戻る。
「おいシオン、気持ちは分かるがここではやめとけって」
「いえ、オーレンさんを追放した上に笑い者にするクズに、生きている価値はありません」
俺がジルクら“金色の牙”パーティを追放された時、たまたま助けた彼女はその後妙に俺に懐いてきた。ただ懐いているだけなら嬉しかったのだが、彼女の愛情はどう考えても行き過ぎていた。特に俺を追い出した“金色の牙”には親でも殺されたかのような憎悪を燃やしており、今も手の中に闇属性の魔力をため込んでジルクを抹殺しようとしている。こうなった以上彼女の暴走は俺でも止められない。
だからあれほどシオンに絡むのはやめとけと言ったんだが、こうなってしまうともはやこいつは俺の言うことも聞かない。
「エターナル・ダーク・フォース」
彼女が叫ぶと、一メートルほどの大きさに成長した黒い魔力の塊はジルクへ飛んでいく。
シオンの攻撃をもろに受けたジルクはものすごい勢いで吹き飛ばされ、酒場の壁に叩きつけられた。
バアン!
派手な音とともにジルクの体は酒場の壁に叩きつけられる。ジルクが飛んでいく途中にいた客の料理や食器もいくつか吹き飛ばされて床に散らばった。それまで皆が楽しく飲んでいた酒場は一瞬にして静まり返る。
「馬鹿! 時と場所を選べって言ってるだろ! すみません、今度弁償しますんで!」
いたたまれなくなった俺はシオンの手を握るとそのまま店の外へと走り去る。
シオンは一撃魔法を発射して満足したのか、それとも俺が急に手を握ったせいで動揺したのかされるがままに外についてきた。
「全く、いい加減それは直してくれ」
店の外に出ると俺はため息をつく。
こいつはいつもこんな感じだ。出会って日は浅いが、俺に絡んできたチンピラを本当に殺そうとしたこともあり、俺を守ってくれているはずなのに全く俺の気は休まらない。
が、周囲に人目がないところまで歩いてくると、シオンの表情は先ほどまでの氷のようなものから急にだらしなく緩んだものに変わる。
「オーレンさん、会いたかったです。遅くなってしまってすみません」
そしてえへへ、と笑いながら俺の手に指を絡めてくる。こうして見ると”氷の聖女”の面影はかけらもない年頃の娘そのもので、そんな表情を見せられるとついつい先ほどのような凶行も許してしまう。ああいう行き過ぎたところがなければ申し分ない娘なのだが。
「分かった分かった、ただ明日酒場にはちゃんと謝りに行こう」
「はい、一緒に行きましょう」
シオンはやけに“一緒に”を強調しながら言う。謝りに行く、ということも分かってもらえているのだろうか、ただのデートイベントか何かと勘違いしていないだろうか、と俺は不安になる。
「ところで勢いでギルドの酒場を出てしまったが、これからどうする?」
今日はシオンが教会に呼ばれたとのことだったのでギルドの酒場で待ち合わせていたのだが、さすがに今から入り直す気は起きない。
「あの、よろしければでいいんですが……私の家に行きませんか?」
シオンは少し恥ずかしそうに言って、上目遣いでこちらを見る。
あんな魔法でSランクパーティーの冒険者を吹き飛ばす割に家に俺を招く程度で恥ずかしがる彼女はとても可愛らしい。
「分かった、行こう」
するとシオンは花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「良かったです! さっきあのクズの隣にいた女の胸をじっと見ていた件、気になっていたのですが一晩かけて教育してあげますね」
こいつ、表情と言っている内容が全く一致してないんだが。本当に、この見た目通りの性格だったらどれほど良かったことか。
やはり最初に出会った時に可哀想な境遇にいたからといって甘やかすべきではなかったか。俺はこいつと出会った時のことを思い出す。