皇女殿下の憂鬱と折れた牙(前)
「何だ、天下のアルステイン皇国の騎士には童女の相手になる者は誰もおらぬのか」
ここはアルステイン皇国皇宮の中庭。その真ん中につまらなさそうな顔をして佇むのはまだあどけなさが表情に残る十三の少女。美しく燃えるような赤髪にやや釣り目の鋭い目つきながらも気品のある顔立ちをしている。この場にいる者なら誰もが知っているであろうアルステイン皇国の姫オルレアである。
現在身に着けているのは動きやすさを重視した服に関節を守る防具だけというラフな格好であったが、それでも全身から高貴なオーラを漂わせていた。彼女の容姿を知らぬ者が出会っても彼女が平民の生まれとは思わないだろう。そしてその手に持っている剣は皇家お抱えの鍛冶が打った業物であった。
そしてその周りには異様なことに、何人もの重装鎧や大剣で武装した騎士たちが息をきらして倒れている。
「はあっ、はあっ、エクストラ・バースト・フレア!」
そこへ遠くから宮廷魔術師が荒い息で大魔法を放つ。直径数メートルの炎の球がオルレアに向かって飛んでくる。
本来間違っても皇女に放っていい魔法ではないが、この場には誰も指摘する者はいなかったし、オルレアもつまらなさそうに一瞥すると無造作に剣を振るう。
「魔封斬」
宮廷魔術師が放った必殺の大火球もオルレアの剣に触れると一瞬で消滅する。それを見て彼も諦めたのか、へなへなと腰を抜かした。
「護衛対象よりも護衛が弱いでは話にならないではないか。どこぞに私より強い者はおらぬのか」
「冒険者でしたらあるいは……」
倒れている騎士の一人がつぶやく。本来皇女を守るための役目を授かった彼らが冒険者の方が腕が立つと認めるのは屈辱的であったが、ここまで完膚なきまでに打ちのめされるともはや砕かれるプライドすらも残っていなかった。
「ふむ、冒険者か」
オルレアはそれを聞くと少し興味をそそられたように頷いた。
なぜこのようなことになってしまったのか。
事の発端はオルレアが学問をさぼったことである。それを叱りつけようとした傅役が学問の重要さを説教すると、オルレアは「私は剣が得意だからそれを鍛えた方が有意義だ」と反論。
本来であれば学問の有用さを説くべきであったが、彼女が学問をさぼるのは日常茶飯事であったため、彼も感情的になってしまった。そこから議論がねじれて「それなら皇女殿下より強い方がいればその方の授業は受けていただけるのですね?」「いいだろう」という結論になって、王宮中の騎士や魔術師が駆り出され、こうなったという訳である。
学問をしたくないばかりに言ったことがまさかこんなことになるとはオルレア本人すらも思っていなかった。彼女ももはや「授業をさぼる」ということから「自分より強い相手を探す」ということに目的がすり替わってしまっている。
「それならば国で一番強い冒険者を呼べ」
「は、はい」
こうして家臣はなぜか冒険者探しに奔走するはめになったのである。
数日後。
オルレアの前に現れた家臣の表情は浮かないものであった。
「それで冒険者はやってきたか」
「一応呼んだのですが、彼らの評判は大層悪いもので、皇女様にもどのような無礼があるか分からず……」
「ええぃ、そのようなことはどうでもいい! どれだけ評判が良くても護衛対象よりも弱い騎士などいらぬわ!」
「も、申し訳ございません、それでは連れてまいります」
そう言って騎士がなくなく中庭に連れてきたのが“金色の牙”である。オーレンを追い出して以来、募集をかけたものの実力が足りなかったりゴードンと性格が合わなかったりして定着する者はおらず、結局三人での冒険が続いていた。
「ほう、これが皇女殿下か。皇女殿下に一太刀でも入れれば報酬は思いのままという話、本当なのだろうな?」
皇女の前に連れて来られたというのにゴードンは強気であった。さすがのエルダとジルクもまさかゴードンが皇族にもそのような無礼な口を利くとは思っていなかったので、蒼い顔になる。が、なんと無礼な、と怒り出す騎士たちをオルレアが手で制した。
「そうだな。もっとも、私に一太刀でも入れられなければ褒美はないしSランクパーティーの称号も返上してもらうが」
「これは教育し甲斐のあるガキだ……よし、行け、ジルク」
家臣の言葉通りゴードンは無礼であったが、オルレアは気にも留めない。
「は、はい」
ジルクは騎士から小さめの木刀を受け取る。ジルクはパーティーの中では最弱だが、その動きは俊敏で、誰もついてこられる者はいない。一撃入れるという条件であれば一番向いていると言える。
「本当に皇女殿下に攻撃していいんですかね?」
ジルクはおそるおそる尋ねるが、それを聞いたオルレアは眉を吊り上げる。
「だからそう言っておるだろう。負けた後に皇女だから手加減したなどという言い訳をしたら許さぬからな!」
「は、はい」
さすがのジルクもそこまで言われると思うところがある。これまでSランクパーティーの一員として数々の修羅場をかいくぐってきたのに、皇族とはいえ十三歳の小娘にここまで言われるとは。ジルクの中で闘志が燃え上がる。
木刀を構えると真剣な表情でオルレアを見る。十三歳とは思えぬほど隙のない構えだが、それでもジルクの方が素早さでは勝っている。ちなみにオルレアは剣に鞘をつけたまま構えている。
「では行きます!」
ジルクは木刀を構えて打ちかかる。オルレアも果敢にそれと打ち合う。一撃一撃の重さにジルクは驚いたが、それでもジルクに比べれば彼女の動きは遅かった。
「隙あり!」
ジルクは皇女の一瞬の隙をついて懐に飛び込み、木刀を突き出す。
しかし次の瞬間、ジルクの木刀は見えない壁に阻まれた。
「魔法障壁っ!?」
慌ててジルクは後ろへ下がる。そこへ容赦なくオルレアの剣が振り降ろされるが、ジルクは間一髪で身をかわす。
「ふむ、さすがに騎士たちよりは腕が立つようじゃ」
オルレアは戦う前と一切変わらぬ息遣いで言った。その言葉に騎士たちは蒼い顔になるが、ゴードンの方もジルクが苦戦していることに苛ついていた。
「おいジルク、真面目にやれ。俺たちに恥をかかせるのか!」
後ろからゴードンの罵声が飛び、ジルクも表情を引き締める。
単に剣の腕が立つだけでなく、剣技の合間に魔法を使いこなすことも出来るらしい。とはいえ、それが分かれば対処法はある。
「魔法障壁も種が割れれば恐ろしくはない……魔法剣」
ジルクも木刀に魔力を込め、再びオルレアに打ちかかる。
魔力を込められた木刀で魔法障壁を殴られれば破られるかもしれず、オルレアも本気で応戦せざるを得ない。
「本当は見せたくなかったが、致し方なしか」
当然の成り行きとしてジルクを倒せばゴードンやエルダが出てくるというのはオルレアも予想がついていた。だから手札は隠しておきたかったが、それで負けては意味がない。
「魔斬波」
オルレアが振り降ろした剣をジルクはかわす。しかしオルレアの剣から発された衝撃波がジルクに迫る。不意打ちとも言える魔法をジルクは避けきれずに吹き飛ばされた。
「勝負あったな」
ジルクは呆然とした表情で中庭に寝そべっている。何よりもジルクの心を折ったのはオルレアが後続との戦いに備えて手の内を隠そうとしていたことである。要は自分は舐められていたのだ。
そんなジルクの醜態を見てゴードンは舌打ちする。
「これだから雑魚は。まあいい、それなら俺が出る」
エルダはいわゆる回復魔術師であり、一騎打ちには向いていない。余計な恥を上塗りするぐらいなら自分が出る方がましだ。