71イヴの消えた日
(イ、イヴがいねぇ……)
朝のショートホームルームの時間。
イヴの席には腰をかけるものがいなかった。
(な、何故だ……何故クラスに私の女神がいない……)
机に突っ伏して疑いの目をイヴの席に向け続ける綾香。
もしや自分の目は節穴――いや、もしかしたらイヴが見えなくなるフィルターでもかかってしまったのかと何度も目をこする。
しかし、空席は空席のまま。
なんとか目を凝らしてイメージする――、しかし、幻のイヴは見えても現実のイヴの姿はない。
(いつもなら誰より早く来ているのにッッッ!!! 休んだことなんかないだろうマイ女神ッッッ!?)
ショートホームルームが終わっても、一限目が始まっても綾香の女神が舞い降りてくることはない。
(六道さん……今日はお休みなのかな……?)
隣の席にいた美里も同じことを思う。
今日も前髪にはイヴにもらったリーフ型のヘアピンがつけられている。
授業を耳にしているようで、美里の目線も隣の空いた席にばかりいってしまう。
(もしかして、あれかな……昨日ラインでえっちなやりとりしたから……)
もしや昨日送ったラインが原因かと思ってしまう。
自分がおかしなラインを送ったせいで、それに気を病んだイヴは学校を休んでしまったのではないか。
(あぁ、だとしたらどうしよう……私のせいで……あぁ、もう学校二度と来れねぇ……来たくねぇ……)
ため息交じりにペンを走らせる。
しかし書かれたのは黒板に書かれた文字の写しではない。
美里の気分を象徴するようなぐにゃぐにゃとした線が伸びるだけ。
同じ考えの二人は、ほぼほぼ同時刻に同じ行動へと出た。
『イヴ今日休みなの?』
とラインを打つ綾香。
『ご、ごめんね。昨日変なこといっちゃって……今日は来ないんですか?』
とラインを打つ美里。
「「はぁ……」」
二人のため息が漏れる。
イヴがいないだけでこれほど学校から煌めきがなくなるとは思ってもみなかった。
それはまるで料理の出ないレストラン。
それはまるで生体も用品も置いていないペットショップ。
それはまるで水の入っていないプール。
用は意味をなさない場所。
ブブブ……と短いバイブレーションが反応する。イヴからの返信だ。
しかし、そこには文はなく代わりに一枚の写真が送られてきている。
送られてきていたのは――。
『なんだこれ?』
『……ハゲ?』
恐らくは――老人男性の頭皮。
一本の髪の毛すらない皺と染みの出来た頭の写真である。
日光を受けてツルッツルに輝くハゲ頭はまるでゆでたまごのような素晴らしきハゲである。
『じーちゃんきたから今日は休むわ』
(あぁ、そういうことか……)
(わ、私のせいじゃなかった……良かった……)
返事を受け取った二人はそれぞれまたラインを打ち込む。
『イヴいないとかクソつまらない。つまらなすぎて死ぬ』
『おじいちゃん来てたんだね。そっか……逢えないのは残念だけど、介護頑張ってね』
と送信。
来ない理由は分かった。
しかし、だからといってやる気が出たわけでもない。
むしろはっきりと今日一日はイヴがいないということが正式に下されたわけである。
(かぁ――、今日一日イヴいねーとか。学校に来る意味ある? あるの? いや、ないよね?
イヴと一緒の空間にいれないとか、イヴが触れた空気を吸えないとかなんなの? 死ぬの?
いや、もうこれは死も同然。今の綾香ちゃんは死体だよ。ゾンビだよ)
腐っていく綾香は腐敗した目でイヴの席を見る。
その先には――美里も隠れてスマホをいじっている。
最近学校に来るようになった美里。昨日は一緒にカラオケにいった美里。
まだどんな人だか綾香には分かっていないが、なんとなくイヴにちょっかいをかけられた相手なんだろうなとは思う。
自分や凛、千鶴のように惚れているのかは分からないが、それでも残念そうな顔を見れば、イヴがいないことに衝撃を受けているのは感じられる。
(美里さん……イヴいねーから絡める人いねーんだろうなぁ……その残念そうな顔……)
スマホをしまうと美里はペンを置いてぼんやりとしている。
(六道さんいないし……帰ろうかな。お昼一人で食べるのも嫌だし……便所飯はもっと嫌だし……)
(そいや、美里さんちょいちょい早退してんだよな……私も帰ろうかな……ママ出張でしばらくはいないし……
怒られることもないでしょ……たぶん……)
◇ ◇ ◇
「ねぇ、美里さん」
びくり。
授業が終わり、いきなり声をかけてきた綾香に美里は身体を震わせた。
「ぁ、ぁぃ……」
「美里さんよく早退してるよね?」
「ぅ、ぅん……」
美里と綾香は昨日一緒にカラオケをした仲ではあるが――美里は綾香と馴染めたわけではない。
美里からしてみれば綾香もリア充。そして一番苦手であるオラオラ系のタイプ。
イヴは優しくしてくれたが、綾香とくればカラオケでも凛とバチバチであった。
そんな綾香に、美里がビビらないはずもなかった。
(な、なんだ……ヤキいれにきたのか……それともちょっと知り合いになったからって金貸せってか!?)
あわわわと震える美里。
綾香は腐敗したオーラをかもしながら死んだ目を向けている。
「あのさ……早退ってどうやれば出来るの?」
「ぇ?」
「いや、美里さんよく早退してたじゃん? あれって担任に言えばいいの?」
「ぇ……ぁ、ぁの……」
勝手にカツアゲされると思い込んでいた美里であったが、綾香の口から出た言葉は予想に反したものだ。
よく見てみれば昨日のような覇気がない。
どちからといえばゾンビのようにやる気がないというか――生気がないというか――。
「どうすれば早退できるの?」
「ぇ、ぇっと……ほ、保健室の先生に先ずいって……早退願をもらって……」
「保健室いけばいいのね?」
「ぅ、ぅん。で、でも体調悪いとか理由は……つけて……」
「ふんふん」
「それで……担任の先生……ぃ、ぃなかったら他の先生に渡せば……」
泳ぐ視線、指はもじもじ。
イヴとならばまだいくらか話せる気はしたが、綾香など苦手なタイプでしかもちゃんと話すのは初めてだ。
ただクラスメイトと話しているはずなのに、美里の心臓はバクバクものである。
「保健室いってそのあと職員室いけばいいんだ?」
「ぅ、ぅん……それで……早退できるよ……」
「そっか。ありがと……」
「ぁ、ぁ、ぁゃか……さんも、早退……するの?」
「うん。イヴいないしなんかもう今日はダメ。今の私見てよ。ゾンビみたいでしょ。ゾンビは自分のおうちに帰るべきだよ……」
なんていってゾンビの真似をする綾香。
「そ、そう……なんだ……」
「美里さんは今日はいるの?」
「ぇ、ぇっと……」
早退したい気持ちは山々だが、ここで早退するといえば綾香と一緒に保健室へ行くこととなってしまう。
それはちょっと――美里としてはご遠慮願いたい。
「行くなら一緒に行かない?」
「ぇ、ぇっと……」
「イヴがいない空間に価値なんてないよ。この教室は今腐敗臭がするだけの腐った空間だよ。だからね、帰ろ。帰っちまおうぜ」
「ぇぇ……」
昨日はあれだけ覇気があったのに、今の綾香の変わりように戸惑う。
ゾンビの手がぬるり伸びれば、美里の手を引っ張る。
「帰ろうよぉ、帰っちまおうよぉ!」
「ひぃ!!!」
ここで拒否すれば食われる。このゾンビの腐った口が腕に噛みついてきそうである。
涙目になりながら、美里は助けを求めるように周りを見るが――クラスメイトたちはそんな二人のことなど見てはいない。
「いいじゃんかよぉ。帰ろうよぉ。一緒に帰ろおおおおおおおおおおお」
「ひぃぃぃ!」
帰ろうから、いつの間にか一緒に帰ろうとなっているのにも余計にビビる。
しかし、掴まれた腕は徐々に引かれていく。
「一人で帰るより二人で帰ったほうが気持ち楽だろおおおおおおおお。罪悪感が半分になるよおおおおおお」
(ならねぇよ!!! このイカレおかっぱ!!!! ってか力強すぎんだろ!!!!)
恐怖に染まった顔が――席を立つ。
そのまま綾香に引きずられるようにして、美里と綾香は教室を出ていく。
◇ ◇ ◇
「血尿と頭痛と吐き気と倦怠感と寒気と筋肉痛と昔喧嘩した相手との古傷が痛むので帰りたいです」
「えぇ、血尿と頭痛と……? あと何、古傷? 小林さん喧嘩したの?」
綾香の訴えに、保健医はドン引きしている。
「えぇ、ちょっと前に……安心してください。人間とじゃないので、大丈夫です」
「人間じゃないので、って小林さん犬とでも喧嘩したの……?」
「いえ……ちょっと……強いていうなら……」
「言うなら?」
「そうですね――大型の爬虫類――とでもいいましょうか」
「小林さん蛇でも飼ってるの?」
「いえ、違いますが――フフ」
(小林さん熱あるのかしら……)
(このおかっぱやべぇ奴だ)
何故か思い出し笑いするような綾香に、保健医と美里は再びドン引きする。
綾香の頭に描かれていたのは――かつての強敵である。
「小林さんは分かったわ……で、小寺さんも早退? またいつもの?」
「ぁ、ぁぃ……」
美里と保健医はすでに何度も顔を合わせている間柄である。
美里がどんな人物かある程度分かっている保健医は、美里が顔を出しただけで何をしたいのか分かっていた。
デスクに腰掛けると引き出しから二枚書類を取り出し、ペンを走らせて印鑑を押す。
「はい。早退願。担任がいなかったら誰かの他の先生に出しておきなさい」
「ありがとうございます」
「ぁ、ぁりがとぅ……ござま……す……」
早退願を受け取り、二人して保健室を出る。
次に向かうのは職員室だ。
なんだか不思議な二人が肩を並べる。
綾香は何も気にしてはいないようだが、美里は人見知りがマックスになるとオドオドした様子が止まらない。
(な、何か話かけたほうがいいのか……でもこの人のこと何もしらないしな……め、めんどくせぇ……)
「美里さんさ」
「ぁ! ぁぃ!?」
「お昼って買い弁? お弁当?」
「ぇ、ぇっと……いつもは……買ってる……かな……」
「そっか」
(何がそっか、だよ!!! 会話終了かよ!!!)
「じゃぁさ」
「……?」
「ご飯一緒に食べて帰ろ」
「ぇ、ぇ……」
職員室へとたどり着く。
担任は授業のために出ていたので、代わりの先生へと二人して早退願を届ける。
二人して教室へ戻り、バッグを取ってくるとそのままいつもとは違う時間に校門から出ていく。
「よし……何食べる? お世話になっちゃったし奢るよ」
「ぇ、ぇ、ぁ、ぁにょ……」
「お金なら心配しなくていいよ。ママが出張するからって結構お小遣いもらったから」
「ぁ、ぁにょ……」
「せっかくだし、なんかいいもの食べよ。そうだ! 寿司食べよ。寿司」
「ぇ、ぇ……」
「あーこの時間に帰るなんて。せっかくだし、ぶらぶらして帰ろー♪」
何故か機嫌が良くなっていく綾香。
開放感からなのか、それともなかなか味わえることのない時間帯の外出のせいなのか。
機嫌よく歩き出す綾香に、美里も一歩下がってついていく。
今まで人付き合いのなかった美里である。オラオラな綾香にきっぱりと拒否の意思など示せるはずもなかった。
「美里さん寿司のネタ何が好き?」
振り返り笑う綾香。
苦笑いをしながら返す美里。
「ぇ、ぇび……かな」
「えびうまいよね、エビ。イヴに逢えなかった憂さ晴らししよー。さー寿司だ寿司―」
(な、なんでこいつと昼飯食わなきゃならねーんだ!?!?!?!?!! このまま普通帰る流れだろ!!!!!)
「はぁー、明日はイヴ来るといいなぁ。禁断症状でちゃうよ、もう」
起伏の激しい綾香は今度はイヴを思い出してしょんぼりしている。
と思ったら、また『寿司だ♪ 寿司だ♪』と舞い上がっている。
もうついていける気がしなかった。
美里にとってイヴは正反対。そして綾香もジャンルは違うが美里とは違う世界の人間に見える。
(か、かえりたいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい――……)
駅へと向かうバスがやってくる。
人のいないバスに、二人の女子高生が乗り込んでいった。
ポイントを!!!!お願いします!!!!!
↓↓↓↓↓↓↓↓




