33三人目の犠牲者
鈴木千鶴(16)
清楚の塊のような彼女は、その身だしなみの良さと柔軟な性格から教師からの信頼が厚い。
教師だけではない。文武両道な彼女は同じ学年のクラスメイトにも人気の少女である。
勉強を他の生徒に教えること数えきれず。
正式な部活動に所属してはいないが、どのスポーツも万能に出来てしまうが故に、欠員がでた部には顔を出すこともある。
そんな彼女は風紀委員に所属している。
千鶴の唯一の欠点がそこにある。
自分に厳しい彼女は、他の生徒にも厳しさを求めてしまう。
故、その制服の乱れや言葉の乱れには過剰に反応してしまうこともしばしば。
ガリ……。
爪を噛む。
頭からは今朝の出来事が頭から離れなかった。
「六道イヴ……」
千鶴とは相反する存在だと思った。
きっちりと制服を着こなす千鶴とは反比例に、イヴの制服は乱れていた。
短すぎるスカート。谷間が見えてしまいそうな第二ボタンまで開けられたシャツ。
髪は金髪に染めているし、ローファーも履きつぶしていたように思う。
これは勝手な想像であるが、千鶴の中でイヴは悪の権化のようなイメージが浮かびあがる。
(悔しい……!)
乱れた制服を正そうと思った。
今までならば大抵の生徒は声掛けに応じ、制服を正してくれていた。
なのに。
(六道イヴ……!)
イヴは正さなかった。
自分の意地を通すと、最後まで制服を正すことなく登校してしまっていた。
綾香や凛によって邪魔をされたからといえばそこまでであるが、千鶴のプライドはそれだけで容易く傷ついた。
だから、千鶴は放課後の校門でイヴが現れるのを待った。
復讐。
絶対にイヴの制服を正してやる。でなければ、この想いが晴れることはない。
わらわらと出ていく生徒たち。
怒りに燃える千鶴を見つけると、生徒たちは千鶴を避けて出ていく。
(……いた!!!)
猛禽類のような暗闇でも確実にターゲットを見つける目が、イヴの姿を捕えた。
あいかわらずの容姿。
シャツはだらしなく開いていて、リボンはアシンメトリーに傾いている。
スカートなんか短すぎてかがめばパンツが見えてしまいそう。
履きつぶされたローファーもだらしがなさすぎる。
「六道さん!」
「ん? あ、朝いたピンクだ」
「鈴木千鶴です! 六道さん! お話があります!」
ツカツカとイヴに早足で詰め寄る。
「なに?」
「六道さん! あなたの制服の乱れを正しにきました!」
「え? なんで?」
「あなた朝制服を直さずに登校しましたね! 風紀委員の私の言うことも聞かずに!」
「急いでたしな。でも、もうよくない? 下校するだけだし」
「いけません! そんな格好で出歩いては学校の評価が落ちます!」
「そこまで気にしなくてもよくない?」
「それに貴女は私の面子を潰しました! 責任はとってもらいます!」
「えー、めんどくせぇ」
言いながら、イヴは履きつぶしていたローファーを履きなおす。
「あとはボタンを締めてください! スカートは膝の上まで!」
イヴはなにも千鶴の言うことを聞いたわけではない。
それは千鶴から逃げるため、駆けたときに転ばないようにするため、走りやすくするためである。
「やだよ。悪いな、急いでんだ」
イヴが駆ける。
「お待ちなさい!」
千鶴が追う。
校門を抜け、イヴは全速力でバス停へと向かう。
普段よりトレーニングはしている。それは筋トレに限ったことではない。
スタミナをつけるためのランニングも空いた時間などに行っていた。
だから、千鶴などすぐに引き離せると踏んだのだ。
「体力には自信あんだ。悪いな」
余裕顔のイヴが振り返る。
いた。
すぐそこに、千鶴が。
(え、はや!)
「残念、わたくしも運動には自信があるんですからね! 逃がしませんよ! 六道イヴ!」
「うわ、元気かよコイツ」
もうバス停はすぐそこに迫っている。
しかし、そこをゴールにすればすぐに追いつかれて捕まってしまう。
それに――
(こうやって追いかけっこするのもなんだか楽しいな!)
なんて思ってしまう。
まるで子供のころに戻って鬼ごっこでもしているかのようだ。
鬼さんこちら手の鳴るほうへ。祇園で遊んだ幼い日よ。
「待てっていってるでしょ!」
「捕まえてみろよ!」
「遊んでるわけではないのよ! 待ちなさい六道さん!」
まるでそれはパルクールのようだった。
駆けるイヴは柵を超え、障害物を飛び越え、壁を登り、飛び上がりながら移動していく。
イヴと同じように、千鶴も追いかける。
その動作はイヴよりも可憐で速い。
身体能力の面だけでいえば、千鶴のほうが勝っているだろう。
だが。
純粋な筋肉量。
それが決定打。
千鶴の筋肉量は平均的な女子高生よりも少し上程度。
であるのに対し、イヴの筋肉量は女子高生の平均値を遥かに上回るものである。
飛び上がり、イヴの腕は周囲にあった木の枝を掴む。
「んぐぐぐぐぐ!」
その腕の力を持って、懸垂の要領で身体を起こすとそのまま木を登る。
ロッククライミングでもするような動きで木を登ると、そのまま枝を蹴って近くの駐輪場の上へと舞い降りる。
千鶴もまた、イヴと同じように木へと手を伸ばす。
しかし、その腕にはイヴほどの筋肉はない。
「んんんんん!!!!」
身体を起こすほどの筋肉のない千鶴はあえなく落下。
その場に尻餅をつくと痛みに尻を摩る。
「痛、ったい…………」
よろよろと立ち上がる千鶴。
もう駐輪場のほうを見てもイヴの姿はない。
悔しい。またも見逃してしまった。
尻は痛いし、おまけに足も擦りむいた。
なんでこんなことをしているのかと、千鶴はため息が出る。
いや、原因はイヴ。六道イヴにある。
しょんぼりとして今日はもう諦めようと道を引き返す。
ピタリ。
急に頬に冷たい感触。
見上げると、そこには今追っていた相手が手にスポーツ飲料を持って笑顔で立っている。
「お前運動神経いいな」
「六道さん!」
「はい、これあげる。疲れたでしょ」
「あ、あなた!」
「あー足も擦りむいてんじゃん。筋肉ないのに無理すっから」
「擦りむいたのも貴女のせいでしょう! こんなに逃げ回って……!」
イヴはバッグから絆創膏を取り出すと、千鶴の前に膝をつく。
傷口の周りは少々土で汚れている。
ハンカチで汚れを拭うと、イヴは傷に口をつけた。
「な、なにしてんですか!」
「いや、汚れてたし。消毒がわりに。はい、絆創膏もつけたし、これで大丈夫」
ニヒヒと笑う顔。
憎んでいた相手なはずなのに、どうしてか憎めない顔。
「そんなことしなくて結構です!!! 子供じゃないだから!!!!!」
「はいはい、ちょっと疲れたし休もう」
「私はあなたと遊びにきたわけじゃないです! 私は!」
怒鳴り、閉じる事をしらない口唇にイヴの人差し指が封をする。
「!?」
「はいはい、分かったから。少し休もう。お前喋らないほうが可愛いタイプだから、もったいないぞ」
どうしてか、それ以上怒鳴れなかった。
近くにあったベンチに腰をかけ、千鶴はイヴにもらったスポーツ飲料を飲んだ。
隣でもイヴは同じものを口にしている。
服装は朝のままで、そんな短いスカートなのに足を組むとだらしなく背もたれに伸びている。
「飲み物……ありがとう」
「気にすんな」
思いっきり注意して、制服を正そうと思ったのに。
言葉が出ない。
「……」
「お前足凄い早いのな」
「たまに……他の部活に顔出してるから」
「何部なの?」
「所属はしてない。でも欠員が出た時に顔を出すの」
「へー。凄いな。部員でもないのに出るって。それ相当信頼されてるんだな」
「別にそういうわけじゃ」
「そういえばお前名前なんだっけ?」
「千鶴。鈴木千鶴」
「千鶴か。じゃぁちーちゃんだな」
「な! そんないきなり!」
いきなりあだ名で呼ぶなんて。
それに千鶴は同級生にあだ名で呼ばれたことなどなかった。
常に『鈴木さん』と呼ばれ、このような馴れ馴れしい呼び方をされたことはない。
その厳しすぎる性格から、周りからは同級生というよりかはお母さん的な扱いをされているためだ。
「俺のことはイヴでいいよ。さ、いい運動もしたし、そろそろ帰るか」
「あ、ちょっと!」
「今日は用事があるんだ。親父の誕生日でさ。ケーキ用意しなきゃならないんだ。だから今日はごめんな」
そんな理由を言われたら。
千鶴はもう止めることなんて出来なかった。
でも。
「明日も、明日も私はいますから! 次はちゃんと正してもらいますからね!」
笑いながら、立ち上がったイヴが屈む。
谷間が、潤んだ唇が、目の前に。
「分かった分かった。また明日な。バイバイ、ちーちゃん」
なんて。
言いながら。
頭なでなで。
ずるい。
去り行く背中を、千鶴はいつまもで見てしまっていた。
(明日も……六道さんに逢える……)
(ちーちゃん、初めて呼ばれたな。そんなあだ名……)
手にしたペットボトルを見つめる。
張ってもらった絆創膏を見つめる。
撫でられた頭を、自分で撫でる。
(明日はもっと早く来よう……)
トゥンク。
桃色吐息が、漏れていた。




