170このまま遠くへ行こうか
記憶が戻るまでのことを、イヴは覚えている限り全てを話した。
そこから今までどうやって過ごしてきたのか。どんな出会いがあって、どんな生活をして、どんな風に生きていたのか。
「前世の記憶が戻るなんてあるんだねぇ」
「あるもんだな」
「私も前世とかあんのかな?」
イヴに前世があるのだから、自分自身にもあるのだろうと考える舞依。
無論、考えたところで前世の記憶が戻る事などない。
それでも舞依は首をひねると何か思い出せたりはしないかと考え込んだ。
「そう思い出せたりするもんじゃねーだろ」
「そりゃそうだ。イヴが珍しすぎるんだね」
「な。不思議なこともあるもんだ」
「でもさぁ」
ベッドに横になっていた舞依は胸元にイヴを抱き寄せると後ろから囁いた。
「私のこと思いだすの……ずいぶんと遅いんじゃない?」
怒っているわけではない。
切なさ半分、悪戯半分な、葉のこすれあう程度の小さな声が耳元に届く。
「……せっかく生まれ変わったんだ。前世は断ち切ろうとした。
せっかくカタギになれたんだ。わざわざ前世のことを引きずりたくなかった」
「足洗いたかった?」
「……まぁ、な」
掛布団の中、舞依の手が身体をなぞる。
繊細でいて、でも、悪戯な指先がイヴをいじめはじめるとイヴはビクリとして身体を縮こませた。
「それでも……逢いにきてくれたんだね」
「……」
「嬉しいよ」
「……」
言葉は出せない。いや、出せなかった。
何かを言おうとはするが、その言葉を出させないように舞依の指先が悪戯に動く。
「こうやって、女になっても、あなたはあなただった。
私が愛した……」
「舞、依……」
「女になったって変わらない。愛してる。ずっと愛してた」
「んん……」
♡
たっぷりと愛されたあと、二人はホテルを出た。
この前ほどの過激さと情熱はなかったものの、代わりにねっとりと、そしてゆっくりと舞依に愛されてしまった。
もう暗くなった国道を舞依の車が行く。
「イヴさ」
「おん」
「めっちゃ声出てたね」
「死ねよ」
「可愛かったなぁ。男のときはあんな声出なかったのにね」
「マジでうるせぇよ」
「照れてんの? 恥ずかしい?」
「……」
「金髪美少女があんな声出すなんてね。思いだすだけで興奮してきた」
「早く家つかねーかなぁ」
舞依の言葉にイヴは外へ視線を投げる。
ふとサイドミラーを見ると、後ろには見慣れた車がある。
見慣れたといっても自宅の車ではない。見るものが見ればすぐに分かる高級車である。
(ロールス・ロイス……桃子パイセンのに似てんな……)
まさかと思いながらじっとサイドミラーを見れば、車のナンバーも見覚えがある気がする。
「なんか後ろの車ピッタリついてきてんね」
舞依の言葉にイヴは余計に嫌な思いを過らせる。
もしや、と思う。まさか、と思う。
「誰乗ってるか見える?」
「暗くてわかんないけど……誰だろ? 煽り運転かな?」
「……」
「ちょっとワクワクしてきたな」
何故嫌なのか。
それは舞依が無類の喧嘩好きだからである。
元ヤクザの恋人を務めていた女性である。無論ただモノではない。
超武闘派であり、かつてレディースの暴走族総長を務め、女でありながら男の暴走族へもかかんに挑んできた。
そしてついたあだ名。
『ケルベロス』
返り血を浴び、その両の拳と口元が血に染まり、まるで三つの口があるように見えたことからつけられたとされる名である。
名の由来には諸説あるものの、その実力は確かなものであった。
相手が何人であろうと、相手が光ものやバットなどの武器を手にしても、ケルベロスを倒す相手はいなかった。
「やめとけよ、舞依。おめー今はいい歳なんだから」
「分かってるよ。いやー、煽ってこねーかな」
「聞いてんのかテメーは」
後ろの車は未だにピッタリとついてきている。
何も起こらぬように祈るイヴをよそに、舞依の目はワクワクに少年のような目をしている。
「あの女が……」
背後のロールスロイスに乗っていた女性たちの目が光っていた。
運転を務めるはメイドであるマリア。
助手席には桃子、後部座席には凛と綾香の姿がある。
「どうしますか、お嬢様」
「これは戦争よ。ならば、分かっているでしょう?」
「……かしこまりました」
アクセルを踏む。
追い越し車線に出たロールス・ロイスが、イヴたちの前へと出る。
「イーちゃん、今助けるからね……♡ 綾香ちゃん、準備はいい?」
凛の声かけに、綾香は殺気に満ちた瞳を赤く輝かせる。
「グルルルルルル……」
すでに人の言葉を失った綾香。しかし、その標的は確かに定まっている。
「さぁ、戦争のはじまりだよ♡」
急ブレーキが、かけられた。
その音は戦争開始のゴングである。