165新学期
新学期。
このときをどれほど待ちわびていたことだろうか。
制服姿の綾香は、その身体から真っ赤に燃え盛るオーラを醸し出しながら学校へと向かっていた。
(夏休み。私はとんでもないことをしてしまった)
未だに事故のことを引きずる綾香は、その胸を痛めていた。
旅行中の事故。その事故による記憶喪失。
記憶を失ったとき、綾香は一生の十字架を背負う覚悟をした。
自身が旅行に誘ったせいで、最高にして最愛の人に怪我を負わせてしまった。
無論、赦せるものではない。
現在イヴに記憶は戻ったが、それでも綾香はまだ自分のことが赦せずにいた。
まだ夏の気配終らぬ空。
通学路を行く生徒たちはまだ夏服である。
雑踏の中に、綾香は一人の背を見つけた。
イヴである。
長い金髪が特徴のその後ろ姿は、綾香の目でなら数キロ先にあったとしても目視が可能であろう。
(イヴ……!)
考えるよりも先に、綾香は走り出していた。
「イヴ、イヴ、イヴ……!」
それはまるで――。
離れ離れになっていた恋人に巡り合えたかのような気持ち。
イヴの周りの空気がキラキラと輝いて見える。
乙女な表情をした綾香が、イヴの背へと近づく。
あと数歩、あと数歩。
もう手が届く。
手を伸ばせばもう――最愛の人に触れることが。
「イーちゃぁん♡ おはよ♡ 久しぶりだねぇ♡」
「おー凛おはよう」
横入してきた凛がイヴの手に抱き着くと、後頭部をすりすり。
「ロリビッチいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!」
乙女だった表情が残酷な悲しみに囚われた表情へと変わると、伸ばした手が拳を作る。
「あ、綾香ちゃん」
ひょいと避けると、綾香はそのまま前のめりになって道路へと顔面をシュートする。
「ちょっとせっかくの私の乙女なシーンだったのに! 邪魔しないでくれる!?」
泥にまみれた顔を向けながら、綾香は立ち上がる。
せっかくの感動的乙女的な再会場面を演出しようとしたのに、お邪魔虫に美味しいところを取られてしまった。
ましてや久々の再会である。出来ることならば二人だけのシーンにしようと思っていたのに、綾香の計画はうまくはいってくれない。
「凛邪魔なんかしてないし♡ イーちゃんいたから挨拶しただけだもん♡」
いいながら腕を頬ですりすり。
仔猫のような、甘えん坊な恋人のようなしぐさをする凛。
綾香に向ける視線は笑っているが、その奥には女豹の鋭さとずる賢さが垣間見える。
「なんかこういうの久々だなぁ……ほっとするわ」
「イーちゃんしばらく会わなかったもんね♡ ナニかあったの?」
「え、いや……べ、別になにもないよ!」
頬を指先でカリカリ。
頬は紅潮。
普段通りではない。
普段ならば、男らしさ溢れるイヴであったが、ふいに訪ねた凛の質問にイヴは先日のことを想いだしてしまう。
そう、前世の恋人にあったときのことを。
無理やりにキスをされたあと、イヴは――。
具体的に言うことは、憚れるが。その、なんというか。
メスとしての感覚を、覚えてしまった。
(なんだ――? い、イヴの顔が――)
勿論、綾香がそんなイヴの表情を見逃すはずもなく。
(な、何故だ!? イーちゃんが――あの男らしさ全開だったイーちゃんが……)
同時に、二人は同じ思想へとたどり着く。
((メスの顔になってやがる!!!!!!!!!!!!!!!!))
「ま、な、なんだ! 夏休みは色々あったな!!
いやーこれから新学期、楽しみだなー! アハハ……」
わざとらしすぎるごまかしで、イヴは学校へと足を進める。
ぬぐい切れない顔は、まだメスのままである。
「ね、ねぇ、イーちゃん……」
遅る遅る、凛が尋ねる。
「お、おう、なんだ凛」
「イーちゃん、一つ聞くけど……」
見透かしたような目が、刺さる。
「な、なんだよ改まって」
「イーちゃんってさ……まだ……処女だよね?」
質問に、イヴの顔が噴火する。
「ば、バカヤロー!!!! なんてこと聞いてんだ!!!
そんなこと経験するわけねーだろ!!! ないから! 絶対ないから!」
「な、なんだぁ♡ てっきり大人になっちゃったかと思った♡ やん、凛はやとちり」
「お、おう……え、えっちはしてない……! してないから!」
余計なことを言うイヴに、またも二人は勘ぐってしまう。
((えっち“は”していない、だと…………?))
綾香と凛は二人して死んだ顔をすると、その身体から邪悪すぎるオーラを湧き上げる。
「イーちゃん」
「な、なんだよ、さっきから」
「えっちしよう。ここで。今」
「ば、ばか!」