134不思議の国のイヴ
これは夢である。
夢じゃなきゃイヴがこんなフリフリの青いロリータ服など着る事などないからだ。
夢じゃなきゃ、目の前をタキシード姿のウサギが走っているわけもないからだ。
「大変だ、大変だ」
ウサギは懐中時計を見ると忙しく足を動かす。
「待ってウサギさん」
草原を追いかける。
それでもウサギの足のほうが速くてとても追いつけそうにはない。
何故ウサギを追いかけているのか理由は分からない。だけれど、ウサギを追いかけなければいけない気がした。
やがてウサギ草原にぽっかり空いた穴の中へとダイブする。
同じようにイヴもダイブ。
落下していく先は暗黒。先などないと思えるほどの暗闇。もうウサギがどこにいるのかも分からない。
スカートの中を全開にしながらイヴはどこまでも落ちていく。
『パァン』
銃声がした。
落ちていく闇の先にモニター画面が浮かんでいる。
そこに映されていたのは銃殺される男の人の姿である。
『パァン』
「あれは、あたし?」
『パァン』
『イヴ』
『イーちゃん』
『イヴ』
『イヴちゃん』
『イヴさん』
『六道』
7つの声がイヴを呼ぶ。
しかし、その声は画面に映る血に濡れた男の人へとかけられている気がする。
「イヴはあたしだよ、あたしがイヴだよ」
落ちていく先に巨大な銃口が見えた。
撃鉄が引かれると落ちていくイヴに狙いを定めている。
パァン。
「いやぁ!」
巨大な銃弾がイヴをすり抜けていく。
すり抜けた銃弾はどこへ行くのかと見上げると、そこにはもう銃弾はない。
代わりにそこにあるのは筋トレ道具、昔のトレンディ俳優の書籍、好きなアニメのフィギュアに同人誌。
「あれは」
『イーちゃんここに来たことあるの?』
『あるけど、ないよ』
凛という少女の声がする。自分の声がする。
再び穴の底を見れば、そこにはモニター画面が無数に浮かんでいる。
画面に映るのは公園に佇む凛とイヴ。
切なげな表情のイヴに凛が寄り添っている。
『あのアパートあるだろ。あそこの一階の角部屋』
『イーちゃん独り暮らししてたの?』
『うん。ずっと前にね』
「あたしが住んでいた家……? でも……」
モニターに映る単身者用のアパートが懐かしく思えた。
住んでいた記憶などない。なのに内側にはなにがあるのかはっきりと分かる。
間取りが、ロックの番号が、そこにどうやって住んでいたのかが手に取るように分かる。
イヴが前世住んでいた家。
『たぶん――こんなこと言ったらバカにされるだろうし、信じてもらえないと思うんだけどさ』
『なぁに?』
『俺、前世の記憶あるんだよね』
「どんな記憶があるの?」
モニターに映る自身に問う。
モニターの向こうの自分がこちらに微笑みかける。懐からピストルを抜き出すと切なげな表情で引き金を引く。
パァン。
弾丸が頭を撃ちぬく。
痛みはない。弾丸が一発撃ち込まれるとおかしな感覚が頭に残る。
まるで記憶のピースを埋め込まれたような奇妙な感覚である。
「あたし、自分でグッズを売ったんだ……」
『パァン』
「それで――前世で好きだったもの買い集めて」
『パァン』
「髪を染めて、運動するようになって」
『パァン』
ハチの巣にされそうなほどに銃弾が身体を貫いた。
それでも外傷はない、代わりに撃ち込まれるたびに記憶のピースが埋め込まれていく。
やがて落ちた穴の底には一人の少女がいた。
いつもの制服ににゃんこパーカー姿の凛である。
『イーちゃん♡』
「凛さん」
『イーちゃんからキスして。キスしてくれたら、凛今日のこと誰にも言わない。
キスしてくれたらこのことはお墓まで持っていくから』
「凛さんはあたしのことを知っていたのね」
答える代わりに銃口を向ける。
『好き。ずっと好き。大好きなの』
トリガーが、引かれる。
◇ ◇ ◇
AM2時32分。
目覚めるには早すぎる時間である。
まだ半分夢の中にいるような心地。
イヴは通知に光るスマホを手にすると、凛へとメッセージを打ち込んだ。
あ
た
さし
まみむめも
さしす
かき
だ
やゆよ
「……何やってんだろ……」
打ち込んだメッセージを消していく。
代わりに違う文を打ち込むと、イヴは再び毛布を被る。
「次はまともな夢がいいな……」