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131夏の夢うつつ

 慣れない環境、慣れない病室、そして早すぎる消灯。

22時になるころには、もう廊下ですら常夜灯になっている。

疲れたはずなのに、精神が落ち着かないせいか眠ることが出来ない。

数回目の寝返りを打ち、イヴは目を開けると窓のカーテンを開いた。


 見慣れない景色。

自宅の窓から見える景色とは違い、高い階層にある病室からの眺めは随分といい。

煌びやかに輝く街並み。空に浮かぶ白い雲。

誰かと見ていたら――、もしくは記憶がある状態で見れたなら、きっと今みたいに沈んではいないのだろうと思う。


 ベッドのへりに腰掛けて、スマホを見る。

相変わらずラインは絶えず流れている。

だが、赤い通知がいくら増えても今のイヴはそれを見ようとは思えなかった。


(友達だけど――)


 どうやって友達になったのか思い出せない。

どのような関係性だったのか思い出せない。

今までどうやって遊んで、どうやって一緒に過ごしていたのか。


 まるで砂が波にさらわれていくように、記憶がさらわれている。

記憶という砂にもう一度浜辺へ戻って欲しいけれど、波にさらわれてきっと今は大海原。


 父親が持ってきていた荷物の中にいくつかの書物があった。

時代小説、昭和のトレンディ俳優の自叙伝、大御所芸能人のエッセイ。

どれもこれもまるで興味が出ないものばかりである。

何故自分がこのようなものを買ったのか分からない。少し前までは――過去の自分はこんなものには興味がなかった。

どちらかといえばライトノベルなどの読み物や、女子高生などのほっこりした学園生活なんかを描く日常系が好みであった。


 興味のない一冊を手に取る。

ブックカバーに包まれた一冊。そこにはどんな物語があるのだろうとページを開く。


(あれ?)


 そこにあったのは物語ではなかった。

ブックカバーを取ってみれば、そこには『DIARY』と金色の文字が刻まれている。


(日記帳? あたし日記つけていたんだ)


 読めば何か記憶を取り戻す引き金になるかもしれないとページを開く。

一番初めにかかれていたのは、16歳になって間もないころのことである。

高校に入って間もないまだ桜の咲いているであろう頃。


『〇月×日


 今日は凄く珍しいことがあった。

日記などつけたことはないが、この珍しすぎることを記録するために日記をつけてみようと思う。

 それは今日テレビを見ていたときのことだ。

警察24時的な番組だ。テレビの中ではヤクザと警察が争っていた。鉄砲を撃つ音をキッカケに、俺には前世の記憶が戻った。』



(前世の記憶? あたし前世はなんだったの?)


 ページを捲る。


『六道イヴ。

俺の前世は男であり、ヤクザだった。

死因は銃殺。最後の記憶はあいまいだが、撃たれて死んだのは事実だ。

どうしてこうなったのかは分からないが、俺は女の子に、女子高生に生まれ変わった。

前世のときとは180度違う人生になっている。

色々と思うところはあるが、考えても仕方ない。

どうせならこの女子高生生活を楽しみたいと思う』


(あたしの前世が男でヤクザ!? しかも銃殺されたってどういうこと!?)


 しかし、どうしてだろうか日記を読んでいると頭痛がしてくる。

脳の奥底で何かが蠢くような痛みだ。

そこに何かがある。自分の記憶につながる何かがあると分かる。


 震える手で次のページを開く。


『〇月×日

とりあえず見た目を変えてみようと思う。

どうせなら可愛くなりたいしな。

ネットで調べてみると今は韓国のメイク道具なんかが人気らしい。しかし、値段は。。。

とりあえずある小遣いと部屋にあるアニメのグッズなどを売ればいくらか金が入るかな?

次の休みに色々とこの六道イヴという人間を改造していこうと思う。

俺の第二の人生の始まりだ』



(え、グッズとか全部うっぱらったの!? えぇ~! じゃぁ、今のあたしの部屋は!?)


 大切にしていたはずのグッズはたくさんあった。

それらが今どうなっているのかと考えると、気持ちがだいぶ滅入ってしまう。


 これ以上今ある現実を見るのが少し怖くなってしまう。

日記を閉じるとイヴは再び、ベッドへと横になった。

まだ寝るには早い時間。

しかし、日記を読んだだけで脳内まで疲れてしまった。


(起きたら記憶戻ってないかなぁ……)



◇ ◇ ◇



 時計を見れば6時を少し過ぎたくらいの時間だ。

まだ眠れる――そう思っていたのに、身体は勝手に動き出してしまう。

ベッドから身体を起こすとカーテンを開く。

まだ覚めない町に夏の朝日が差し込んでいる。

病室はエアコンのせいで涼しいが、きっと外はもう熱くなっていることだろう。


 上下スウェットのまま病室を出る。

ナースステーションに断りを入れると、イヴは朝の散歩へと出かけた。

何故そうしているのか分からないが、身体を動かしたい気持ちがある。


 病院中庭を軽くお散歩。

芝生が生えていて、木などは生えていない。

ベンチがいくつかあるが、まだ人の姿は見られない。

中庭を少しばかり歩くと、ベンチに腰掛けて物思いにふける。


 記憶はまだ戻っていない。


(あたしの記憶はどこにいっちゃったんだろう? 海に忘れてきちゃったのかな?)


 瓶詰された記憶が波に攫われて海原を旅する様子を想像する。

きっと今頃は沖を越えて、どこか遠くにいってしまった記憶。

いずれはどこかの浜辺に打ち上げられて、誰かが記憶を手に取る。

もしくは途中、どこかで割れてしまって記憶は海の底へ。


 長い金髪に触れる。

慣れない髪が朝日に煌めいて綺麗だ。


(それにしても――こんなに派手な金髪にするなんて。先生とかお母さんお父さんに怒られなかったのかな?)


 今着ている寝巻も馴染まない。

短すぎるパンツに、上は大きすぎるサイズのTシャツ。

どちらも趣味のものではない。


 ついでにいうと――、つけたままにしていたブラも随分と派手に思える。

白いTシャツでも着れば透けてしまいそうなショッキングピンクである。

Tシャツの胸元を開けてみれば、谷間が麗しき花柄に包まれている。


(派手だなぁ……)


 しかもなんだか乳房が大きくなった気がする。

この短期間にそこまで大きく出来るかと考えてはみるが、そこにある乳房は現実のものだ。


(戻ろう……)


 病室に戻ると、丁度朝食が運ばれる時間になっていた。

病院食らしい味の薄い朝ごはんを済ませると、今度は8時には朝の診察。

そしてそれが終わると、ひたすらに時間ばかりが余っている。


(何しようかな)


 ぼんやりと窓から外の景色が明るくなっていくのを見つめる。

遠くの山にかかっていたモヤが少しずつなくなっていく。


(あんな風に――あたしの記憶もくっきりと見えればいいのに)


 ただひたすらに時間ばかりが余った。

テレビを見たり興味のない本を開いて時間を潰す。

10時にもなれば面会可能時間となるが、妊娠中の母はそう何度も顔を出せないし、父も日中は出勤しているはずだ。


 ラインを見れば両親から連絡が入っている。

母にはイヴのほうから来なくていい旨を伝え、父からは夜になったら様子を見に行くという旨が連絡されていた。


 ノックする音がして振り返る。

そこにいたのは黒い猫のパーカーを着た少女である。

腰までかかった艶やかな黒髪の少女。

見覚えはあるのに――名前も聞いたけれど――。


「イーちゃん♡ 前園凛ちゃんがお見舞いにきたよ♡」


「前園さん……」


「凛でいいよ♡ いつも凛って呼ばれてたから♡」


「じ、じゃぁ、凛……ごめんね、なんだか慣れなくて」


「いいよいいよ♡ 大丈夫?」


「身体は平気だけれど――まだ記憶は戻っていないの」


「そっかぁ。じゃぁさ、昨日はドタバタしていたから改めて初めましてしよう♡」


「うん、ありがとう」


 凛の気遣いに、イヴは嬉しくて微笑む。

記憶が抜け落ちてしまったというのに、凛はそんなイヴに改めて初めましてしましょうなんて言ってくれる。

それがどれだけ重い事か、想像がつかない。

でも、目の前の黒髪少女は笑顔のままでいてくれる。

きっと――とてもいい友達、いや、それこそ親友のように感じられる。


「病院だとどうしても暇でしょ♡ 凛も中学のとき入院したことあるからさ♡

暇潰せるようなもの持ってきたよ♡」


「ありがとう、嬉しい」


 凛が持ってきたのは本を数冊と紙の束だ。

小説や雑誌、そして紙の束のほうも小説のようで文字がびっしりと詰め込まれている。


「凛ね、小説家目指してるの♡」


「そうなんだ。凄いね」


「うん♡ だからさ、感想もらいたいし、良かったら読んで♡」


「ありがとう。読ませてもらうね」


 ベッドに二人肩を並べて腰掛ける。


 凛の目に映る金髪少女。

そこにいるのはイヴであるが、今まで接していたイヴはかけはなれたものだ。

あの男勝りがない。男言葉がない。自信に満ちた空気感がない。

小説家を目指してるというのが何かの引き金になればと思ったが、イヴはそれを初めて聞いたような反応をしていた。

きっと、凛のこともさっぱり忘れているのだろう。


(イーちゃん)


 金髪少女の顔は、どこにでもいる普通の女子高生に見える。

若くて、可愛くて、普通の女の子。

そう、普通の女の子だった。

かつて凛が惚れた姿はそこにない。


「ねぇ、イーちゃん♡」


「なぁに、凛さん」


「うぅん、なんでもない♡」


「?」


 惚れた姿はそこにない。

でも、凛の心がぶれることなどなかった。


 例え記憶が抜け落ちてしまっていても――。


 あの時の告白は本物だった。

 あの時のキスは本物だった。

 あの楽しかった日々は本物だった。

 目の前にいるイヴは、誰でもないイヴである。

 記憶がなくたって、イヴであることには変わりない。

 大好きなイヴが、そこにいる。

 ただ、それだけ。


(イーちゃんが凛のこと忘れたって、凛はイーちゃんのこと覚えてるよ)


 普通の女子高生が、本のページをめくる。


(凛は今のイーちゃんだって大好きだよ。ずっと、ずっと、大好きなんだよ)


 直接伝えることなんて出来ない。

だから、心の中でつぶやく。


「凛さんは優しいね。あたしの――親友だったのかな?」


「うふふ♡ クラスは違うけれど、ずっと一緒だったんだよ♡」


「そっか……本当にごめんね、何も思い出せなくて」


「いいの。これからまた凛のことを知って。凛もこれからまたイーちゃんのことを知っていくから。

そして――これからも傍にいさせて欲しいな」


「えぇ。もちろん。あたしも傍にいて欲しいよ」


 普通の女子高生が笑う。

 笑った顔は、いつものイヴの顔をしている。


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