130私以外私じゃないの
地元に戻ったのもつかの間、イヴは早々に自宅から離れた病院へと場所を移していた。
医師の手によってあらゆる検査が行われたが、幸いにも脳には異常がない。
検査を終えたイヴは診察室で、桃子と急遽呼び出された父を後ろに医師から説明を受けた。
「一時的な記憶障害だと思います。しばらくは入院して頂いて、記憶が戻らないようでしたらおう一度検査してみましょう」
「分かりました」
イヴは待合室に待たされ、その間に父が入院の手続きのために席を外す。
椅子にこしかけたイヴはどこかよそよそしく不安げである。
隣に腰掛けた桃子も、そんなイヴに不安がこみあげてくる。
「六道」
「え、あ、はい」
「わたくしのこと覚えてらっしゃる?」
「……ごめんなさい」
「そう……わたくしね、同じ学校の一つ上の先輩なの。南沢桃子っていうのよ」
「南沢先輩……ですか」
「えぇ。生徒会長もしているのよ。覚えてる?」
イヴが首を縦に振ることはない。
不安げな視線が床に落ちると、指先を絡ませて強く握っている。
桃子は以前のイヴを知っている。
イヴと会ったとき、桃子はメイドにイヴの身辺調査をさせていた。
そこから現れたイヴの姿はまるで陰陽の両方を持ち合わせる少女である。
入学して間もないころのイヴといったら、髪は黒く、スカートは長く、コミュニケーション力に欠けた少女であった。
その見た目の地味さ。そして隅っこで本を読むような姿はいわゆる『陰キャ』に所属するだろう。
しかし、どうしたことか、あるときを境にイヴは劇的な変化を遂げていた。
その長い髪は金色に変わって、スカートは短くなり、誰とでもコミュニケーションをとれるようになっていた。
180度変わってしまったその姿には『陰キャ』なんて言葉は影も見えない。
所属でいうならばカースト上位に間違いなくあてはまる『陽キャ』になることだろう。
今のイヴを見る。
『陽キャ』だった姿は『陰キャ』へと変わってしまっている。
その姿形は金髪の麗しき少女であるが、その醸し出す空気も接する態度も、『陰キャ』のそれだ。
「あの」
イヴが言う。
「南沢先輩はその……あたしとはどうやって知り合ったんですか?」
「出会い、ね」
「はい。失礼なことを聞くようでごめんなさい」
「いいのよ。あれはね」
桃子がイヴを知った経緯を話す。
イヴの写真を新聞社のコンテストで見つけ、そこからイヴを呼び出してシンデレラコンテストの勝負を挑んだこと。
お互いに接戦し、最後一票で桃子が勝ったこと。
話を聞かせると、イヴは驚いた顔を隠せずにいる。
「私の写真が――そんなことに」
「そうよ。この写真」
スマホに保存されていた写真を見せる。
夕日に染まる道、金髪美少女が振り向くと笑顔を向けている。
まじまじと見つめるが、今のイヴはそれが本当に自分なのかと言葉を失っている。
「素晴らしく絵になっているでしょう。六道はこの写真で銀賞を頂いたのよ」
「あたしが……信じられないです」
「記憶――戻るといいわね」
「はい」
手続きを終えた父が戻る。
「イヴちゃん大丈夫?」
大丈夫――とは言い切れなくて、イヴは苦い顔をしている。
「パパしばらくはおうちに戻ることにしたからさ」
「うん」
「このまま入院だって。今案内の人が来てくれるから、そしたら一緒に病室に行くよ」
「分かった」
変り果てた娘に、父も表情に影を落とす。
明るくなったと思った娘が、再び暗い――大人しい性格になってしまっている。
しかし、自分の娘であることには変わりない。
こういう困ったときこそ力になってやるのが父親であると、父はイヴの目の前にしゃがみこむと、娘の手をとった。
「大丈夫。イヴちゃん。記憶が戻っても戻らなくても、パパたちがいるから」
「わたくしもいますわ。毎日お見舞いにきますもの」
「……ありがとう」
係の女の人が顔を見せると、イヴは父と病室へと向かった。
大部屋は満員だったため、イヴが入ることになったのはベッドが二つある半個室である。
まだ隣のベッドに入っている人がいないために、今は実質イヴ一人だけの病室である。
真新しいシーツ、そして窓から見える慣れない景色。
イヴは窓からの景色を見るとため息をついた。
「パパこれから必要な衣類とか持ってくるから。何か必要なものある?」
「えぇっと……スマホとお財布と充電器と……」
「分かった。すぐに戻るから」
父が病室から出ると、イヴは一人残される。
まだまだ頭の整理はつかない。
今どうしてここにいるのかさえ分からなくなりそうで、イヴはただぼんやりと窓の向こうを見つめていた。
(あたし、いつの間にあんなに友達出来たんだろう……)
目を覚ましたとき、イヴの周りには大勢の人がいた。
見覚えのある顔はいくつもあったが、その名前は思い出せずにいる。
今だって覚えているのは桃子の名前くらいだ。
綾香は同じクラスだったためになんとなくの記憶がある気がする。
だが、それは最近のものではなく入学間もないころの記憶だ。
そのときの綾香とは挨拶すらした記憶はない。
(あたし、どうなっちゃったんだろう)
ベッド横の鏡に顔を映す。
ほんのりとメイクがされ、整った顔立ち。
金色の髪が馴染まない。
(いつ染めたのかな?)
毛先を見ればだいぶ痛んでいる。
数時間前には海の近くにいたためか、潮風に触れた髪は余計にキシキシと痛んでいる。
自分の顔なのに、自分の顔じゃないように感じられる。
記憶にあった顔と、今鏡にある顔が一致していない。
あの頃の自分が消えて、知らない自分がいる。
なんとか思い出せないかと頭の中を探ると、どうしても靄がかかってその先の記憶まで手が届かない。
(でも――)
あんなにたくさんの友達に囲まれているなんて、不思議な感覚。そして嬉しさもある。
友達同士で旅行にいけたなんて――。考えられなかったものだ。
だって。
友達なんて、出来ないと思っていたから。
◇ ◇ ◇
父が戻ると、その両手には紙袋いっぱいの荷物が入っている。
しばらくの病院生活で不自由のないように、父は必要そうなものをありったけ持ち込んでいた。
「あとで片付けるから置いておいて」
「分かった。あと何か必要なものあればいつでも言って。今も何か必要なものあるかな?」
「じゃぁ……のど乾いたな」
「お茶? コーヒー? プロテイン?」
プロテインという言葉に、イヴは首をかしげる。
そんなもの飲んで何になるのかという表情だ。父はそんなイヴに乾いた笑いをあげると、すぐに席を立った。
「とりあえず適当に何本か買ってくるよ」
「ありがとう」
父が売店に向かうと、イヴは紙袋の中を整理しはじめる。
「あ」
目についたスマホを手に取る。
なんとなく自分のものであると分かったし、ロックの解除も問題なく行えた。
「通知が――999+……」
ラインの通知がとんでもないことになっている。
誰から連絡があったのかと思い開くと、個人的なやりとりは数十件。そして見覚えのないグループチャットが大いににぎわっている。
全ては読むことが出来ないので、開くと最新のやりとりを目にする。
『イヴが死んだら私も死ぬ』
『おかっぱは今すぐ死んでどうぞ♡』
『凛さんも道連れだよ。一緒に地獄に逝くんだよ』
『凛まだ生きるからよ♡ ごめんな♡』
『あ、そっか。凛さん地獄出身だもんね。元から地獄在住だから生きててもいいんだ』
『何わけわかんねーこといってんだよおかっぱ♡』
『二人ともあんまり過激なこと言わないで。ほら既読数増えてるでしょ?』
『ほんとだ!!!!』
『イーちゃん大丈夫? あたしだよ、凛だよ。いっつも猫のパーカー着て黒髪の超絶美少女の凛だよ。
前園凛ちゃんだよ』
『小林綾香だよ!!!!!!!!! 忘れててもいいから今から覚えて!!!!!!!!!』
『二人とも一気に情報溢れさせないの』
『サーセン』
『ちーちゃんのママ感がはんぱない♡ イーちゃんごめん♡』
ラインは現在もどんどん増えている。
主に凛と綾香という人物のやりとりが続き、時折鈴木千鶴という人物が突っ込みを入れたり粛正している。
何か返信をしようと思ったが、何を打てばいいのか分からなくてイヴはラインを閉じた。
何か記憶のヒントになるものはないかと、ギャラリーを開く。
昔は確かアニメや漫画の絵なんかが多く保存されていたのと思ったのに、そのフォルダにはほとんどが写真で埋め尽くされている。
旅行をしたメンバーたちの笑顔や集合写真が本当にたくさん詰まっている。
「楽しそう……」
写真を見ていると思わず笑顔になってしまう。
どの顔も笑っている。そんな写真たちが何百枚とある。
「これが――私なんだ」
集合写真の中、金髪少女が笑っている。
「……早く記憶戻るといいなぁ」
ため息ひとつ。
悲し気な表情で独り。
「イヴちゃん、戻ったよー」
「あ、ありがと……?」
父よりも先に顔を出したものがいた。
「お、お母さん」
「ちょっとイヴ聞いたわよ!!! 大丈夫!!!!」
あの頃の記憶は違う母の姿がある。
あの時よりも太った――というか腹の出た母の姿が。
「お母さん――」
母の顔を見ると、どうしてか涙が溢れてしまう。
「びっくりしたわよ!!! あんなド田舎にいきなりヘリコプター来るんだから!!!
イヴのために腹の妹と一緒にかけつけたんだから!!!!」
「い、妹? お母さんお腹に赤ちゃんいるの?」
「いるわよ!!!!」
「太ったんじゃないだ」
「太ったわよ!!!! でもいいの! 妹ちゃんのための栄養なんだから!!!!」
「お母さん、逢えて嬉しい」
「まったく。ほらおいで。ハグしてやる我がマイスイーツドーター!!!」
両手を広げる母。
そのお腹には知らぬ間に命が宿っている。
お腹に気をつかいながら、イヴが母の腕に抱かれる。
「お母さん」
「まったく。バカな子だね。でも、怪我はなさそうでよかった」
「うん」
「私のこと忘れてたらどうしようかと思ったんだから! はぁー安心したら産まれそうになってきたわ!」
「えっ!?」
「嘘だよ! まだバリバリうまねーから!」